「外まで聞こえたぞ。誰が騒ぎを起こしていいと言った」 重厚な声が、静まり返った部屋に響く。聞いただけでもプレッシャーを感じてしまいそうな、殺気を含んだ声だった。 三浦はのどを鳴らして唾を飲み込むと、恐る恐るボスらしいその男に声をかける。 「あ、兄貴。この変な男が、えい……いや、"ヒデ"のことを嗅ぎ回ってんっスよ」 「"ヒデ"を、か?」 「オレはその名を一言も口に出していないんですけどね」 英斗の通り名を連呼するヤクザ衆は、どうやら英斗の素性を知っているらしい。 ビンゴ! 優作の頭の中で、鐘の音が響きわたる。 相変わらず自信満々の笑みを絶やさない優作を、男はじっと睨み付ける。本物の凄みのある目で睨まれると、さすがに優作も恐怖を感じざるを得ないが、笑顔は絶やさない。優作なりのポーカーフェイスなのだ。 少しの間睨み合いは続いたが、やがて男はふっと笑うと優作から視線を外し、子分たちに怒声をあげて命令する。 「てめえら、いつまでそんな玩具出してんだ。さっさとしまえ!」 怒声一喝。すっかり縮み上がったヤクザたちは、それまでの威勢の良さはどこへやら、慌てて拳銃をしまい込む。男は再び優作に向き直ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、奥の部屋に優作を招き入れる。優作は軽く会釈をすると、大人しく男の後をついて入っていった。 ドアが閉まる前に、男はすっかり怯えてしまった受付嬢たちに、 「お客さんにお茶をお入れしなさい」 と言い残してドアを閉めた。 通された部屋は、いかにも普通の小規模経営の会社のようで、スチールの事務机が4つ向かい合わせに並んでおり、応接用のテーブルとソファーはいたってシンプルな作りをしている。成り上がりヤクザにありがちな、ど派手な飾り付けや毛皮の敷物などは一切ない。とても、ヤクザの経営する会社とは思えないほどだ。 男は壁側の席に座ると、対面の席を優作に勧めた。 「まあ、掛けなさい。工藤さん」 「オレはあなたに名乗った覚えはないはずですが」 名前を当てられた優作は、今度ばかりはさすがに驚きを隠せなかった。ポーカーフェイスを崩した優作に、男は喉の奥で笑って答える。 「工藤といったのは当てずっぽうだ。知っている男に雰囲気が似ていたからな」 「工藤裕次郎……か。やはりお知り合いで」 「その昔、いろいろと世話になった」 男は再度優作に手で席を勧めた。優作は軽くお辞儀をすると、男の対面のソファーに腰掛けた。二人の周囲を、先程のヤクザたちが抜け目なく取り囲む。 周囲を厳つい男たちに囲まれても、中の二人はまったく動じることもなく、少なくとも表面上は和やかだった。おびえた表情をした受付の女が、お茶を差し出すと、優作は女の子に向かってウインクをしてみせた。女はちょっと顔を赤らめたが、すぐにこの場から退散する。 「さて」 男は半分ほどお茶を飲むと、スーツの懐に手を入れた。 「お互い自己紹介がまだだったな」 スーツのポケットから出されたのは、名刺入れだった。男は名刺を一枚、優作に差し出す。そこには、<有限会社 瑞祥 代表取締役 榊原雄一郎>と書かれている。どうやらこのサラリーローンの元締めらしい。 「ここの社長をしている榊原だ」 「オレも自己紹介が遅れましたが」 そう言いつつ優作も財布から自分の名刺を取り出し、榊原に渡す。 「横浜で探偵業をしております工藤優作です。以後、お見知り置きを」 優作の名刺を受け取った榊原は、名刺を見つめながら何やら喉奥で笑っている。その目は、昔懐かしい何かを見ているようだった。 優作は訝しげに思ったが、今はあえてその理由は問わない。 ほどなく、榊原の方から理由を話し始めた。 「失礼。あの男らしい名前の付け方だと思ったら、笑いが止まらなくてね」 「おかげでオレもすっかり感化されて、今じゃこんな商売なんか始めてしまって」 禅問答のような二人の会話に、周りを囲む男たちはきょとんとしていたが、当人たちはお構いなしだ。 会話の流れから、どうやらこの榊原という男、古くからの裕次郎の知り合いらしい。しかも、父子で松田優作ファンということまで知っているとなると、相当な深い付き合いだ。 |