◆ 野良犬の勲章 [04]

 月見そばを汁まで残さず飲むと、優作は今度は京浜東北線に乗り込み、西川口へと向かった。東海道線に乗れば早いのだが、怪我をしている身ではもうこれ以上乗り換えをするのはしんどかったし、これから行うことが荒事になりそうな以上、余計な体力は使いたくなかった。空いているのをいいことに、座席にどっかりと腰を下ろすと、春の陽気にあてられてウトウトと眠り始めた。
 30分ほどうつらうつらとしていた優作が気が付いたときには、電車は西川口に到着していた。慌てて飛び起き、優作は発車のベルにせき立てられるように電車から降りた。
 裕次郎の言っていた街金融の看板が、プラットホームから見えた。パブや麻雀店などがある古い雑居ビルの二階に目的の店の看板がある。優作は駅を出ると、黒いRZのオーナーという三浦洋介が勤める
<サラリーローン 瑞祥>に、足を運んだ。

 陽も高いというのに薄暗い雑居ビルは、およそ賑やかさとか生気とは無縁のかび臭さが漂う。雀荘もパブも開店前のせいか、人の気配というのもまるで感じられない。
 優作は階段を昇り、曇りガラスにポップな文字で<サラリーローン 瑞祥>と書かれたドアをノックした。
 返事はない。
 しかし、ドアの向こうからはだみ声の男たちが談笑をしている声と、カタカタとキーボードを打つ音がひっきりなしに聞こえることから、誰かいるのは確かだ。
 優作は再度ドアをノックしたが、やはり返事はない。しかたなく、ドアを少し開けて中の様子を確かめた。
 部屋の中には、カウンターの奥でパソコンで何やら打ち込み作業をしている、事務の女性が二人いただけだった。部屋の奥にもうひとつドアがある。男たちの声はそこから聞こえた。
 今度は申し訳なさそうなフリをして、中に入って事務の女性に声をかけた。
「あのー、すいません」
「あら、いらっしゃいませ♪」
 ようやく来客に気付いた女性二人は、打ち込み作業を一時中断して、新客にとびっきりの愛想を振りまく。まるで<<ご利用は計画的に>>というコピーの貸し金融
会社が流すCMのように、爽やかな笑顔だ。
 いくらでもお貸ししますみたいな顔をしながら、最後は骨の髄までしゃぶり尽くす手口を、優作はよく知っている。しかし、そんなことはおくびにも出さずに、優作は高い背丈を丸めてカウンターに近づく。
 色気もない事務服とひっつめの髪、ふちなしの眼鏡をかけた、どこにでもいそうな事務員といった風体だが、よく見ると二人ともかなりの別嬪だ。
「お客様、当店のご利用ははじめてですか?」
 優作のことを金を借りに来たカモだと思ってか、とても愛想のいい態度で出迎えてくれた。彼女たちも生活がかかっているのだろうが、優作は絆創膏だらけの顔を不敵な笑顔で歪め、カウンター越しに受付嬢に詰め寄る。
「三浦洋介さんにお会いしたいんですがね」
 その一言で、化粧気の少ない女たちは、真っ青になって顔を強ばらせる。
「と、当店には、そのような名前のものはおりませんが……」
 受付嬢の一人が、当惑気味にそう答えた。しかし、その狼狽ぶりと言い、ひきつった声といい、明らかに動揺しているのが手に取るようにわかる。裕次郎は言わなかったが、かなり面白い相手らしい。
 優作はゆっくりとサングラスを外し、真っ青な顔をしている受付嬢に、含みのある笑顔を浮かべて詰め寄った。
「そんなはずはない。お会いする約束をしている」
「し、知りません! お引き取りください!」
 ヒステリックに騒ぐ女の悲鳴に、それまで小声で談笑をしていたドアの向こうが水を打ったように静まり返り、代わりに殺気にのようなものがドア越しに溢れ返ってきた。優作は再びサングラスをかけ直し、溢れそうになる笑い顔を隠そうとするが、獲物を駆る前の狼の如く楽しんでいる笑いは、どうしても押さえることができない。
「別に取って食おうってわけじゃあない。三浦洋介さんに話を聞きたいだけだ」
 視線は受付嬢に向けているが、ドア向こうで声を潜めている男たちにも聞こえるほど、大きな声で優作は叫んだ。
 恐怖に駆られたもう一人の受付嬢が、カウンター下にある呼び出しボタンを押した。隣室に響くブザー音を合図に、堰を切ったように厳つい顔の男たちがなだれ込み、優作を取り囲んだ。
 おそらくは、対警察か困った客相手の訓練が行き届いているのだろう。受付嬢の応対からヤクザ者たちの出てくるタイミングまで、すべての行動に無駄がない。優作は、しょぼい強盗に泣かされる銀行に、ここのやり口を教えたいと思った。




探偵物語

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