車も入れないほどの細い道のさらに奥。優作くらいの体躯だと、通るのすら困難な路地奥に、見た目小汚い建物がある。優作がドアをノックすると、前歯の欠けた背の低い男が、陽気な笑顔で優作を迎え入れた。 「コニチワ、少爺(若旦那)」 「こんにちわ、林さん」 「ドシタノ? ソノ顔」 「ちょっとね。大老いる?」 「奥ニイルヨ。チョット待ツネ」 林は優作を中に招き入れイスを勧めると、奥の部屋のドアをノックして開ける。 「陳老爺(陳の大旦那)、譚少爺来タヨ!」 「入りなさい」 奥から招き入れる声がすると、優作はイスから立ち上がり、部屋へと入っていった。 所かしこと本だらけの薄暗い部屋である。中央に置かれた机に、初老の男が陣取って書類を見ていた。優作が入ってきたのを見て、陳老人は顔を上げて優作と向かい合った。血だらけ土だらけの顔を見て、呆れたようにため息を付く。 「性懲りもなくまた喧嘩か」 「つーか、一方的にやられた」 「おまえがか?」 「春だからね」 にやりと笑って肩をすくめる優作に、陳老人も呆れ顔だ。傍らに控えていた林に目配せをすると、林は頷いて部屋を後にした。 陳老人は再び優作に向き直り、優作に尋ねる。 「で、何の用だ?」 「大老は日本[邦巾](リーベンパン:日本のヤクザ)は専門外か?」 「残念ながら専門外だな」 「咬竜会と白虎組でトラブルがあったとか、そういう話は聞かないかい?」 「ああ、そのことか。表面上は不可侵とか友好関係とか言っているが、しょっちゅういざこざを起こしておるな。まあ、迷惑かけずに勝手にやっててくれればいいのだが、最近は血気盛んな若い同胞も巻き込んでおるから、ほとほと困っておる」 そこまで言うと、先程退出した林が、救急箱を持って部屋に入ってきた。 濡れタオルを手渡された優作は、乱暴に顔を拭く。血と土でずいぶん汚れているが、濡れタオルで拭くとなお一層よくわかる。 「スーツは脱いでいきなさい。洗衣処(クリーニング)に出しておこう」 「着替えがないんだけど」 「子衛の服がある。あいつのなら、おまえだって入るだろう」 不承不承ながら優作はスーツとズボンを脱ぐと、ソファーの背もたれにかける。 林が救急箱から消毒薬と綿を取り出し、優作の側に控えた。 「話を続けるが、師啓は手当を始めなさい。しかし、開業したばかりだというのに、随分と派手な話が転がり込んできたもんだな」 「最初は軽い人捜しだと思ったんだけどね」 林が優作の鼻柱に消毒薬をつけると、しみるような痛みに優作は思わず顔をしかめた。 「どっかのガキが盗んだ鞄ひとつをめぐって、暴力団が2件もお出ましとあっては、中身はただの人形ってぇわけじゃないと思って」 鼻っ柱とこめかみの辺りに絆創膏を貼られ、優作は少し顔をしかめる。 話を聞いた陳老人はしばらく何やら思案を巡らし、脇に置いてあった茶を手に取ると一口すすって話を始めた。 「上海のある組織がシンガポールの宝石店を襲った。時価数億ドルとも言われる盗まれた宝石は、日本のヤクザと取り引きされることになっていたのだが、取引途中で宝石は忽然と消えた」 「何だかずいぶんと話がでかくなったな」 「おまえの依頼と関係があるかどうかは不明だがな。だがそのせいで、上海黒社会も巻き込んで咬竜会と白虎組とでトラブルが頻発しているのは事実だ」 「黒社会のいざこざに巻き込まれるのは、シュミじゃねえなあ」 「よく言う」 天井を見上げてぼやく優作に、陳老人は冷静につっこむ。 |