暴力組織 [02]

 鳥のさえずり、風の音、葉っぱのざわめき、街のざわめき、人の声。すべてが優作の身体をすり抜けていくような気がする。
 あれだけ暴行を受けたのに、痛みをほとんど感じない。自分が生きているのか死んでいるのかもわからない。
 昨日のことも今のことも、まるで春の夜の夢のようだ。
 優作が目を閉じて春の息吹を感じていたそのとき、何かが優作の身体を揺り動かした。
「あんちゃん、だいじょうぶかい? 生きてんのなら、返事しな」
 ゆっくりと薄目を開けると、そこには薄汚れた初老のホームレスがいた。心配そうな面持ちで、優作のことをのぞき込んでいる。
「あ? ああ。ありがとう、おっちゃん。また寝るとこだったよ」
 優作はそう言うなり、大きなあくびをひとつした。
 血だらけ土だらけのうえ、後ろ手に縛られている姿からは想像もできないほど暢気な様子に、ホームレスは呆れ果てた顔を隠せずにいた。
 呆然とするホームレスを後目に、優作は根っこ路がったまま足を上にのばして顔の上あたりで屈伸させると、勢いをつけてジャンプをし立ち上がる。
「せーの、よっ!」
 再び勢いをつけてジャンプをし、足を最大限に折り曲げた下に腕をくぐらせる。手錠で拘束されている手を前に持ってくると、優作はしげしげと手錠を見ていた。
 身軽に動く優作の姿を呆然と見守っていたホームレスは、はっと我に返ると優作に駆け寄る。
「何があったかしらねえが、警察いったほうがいいんじゃないか? いや、先に救急車か?」
「めんどくせーからいいよ」
 にべもなく優作はそう言い放ち、手錠をガチャガチャといじくると、いとも簡単に外れてしまった。外した手錠をその場に放り投げ、優作はにっこり笑ってホームレスの肩をバンバン叩く。
「ほんとにありがとな、おっちゃん。お礼にこれやるわ」
 優作はそう言うと、残り3本しか入っていないキャメルと先程買ったコーラをホームレスに渡した。それからしばらく辺りをキョロキョロと見回すが、目的のものが見あたらないと肩をひょいとすくめてホームレスに向き直った。
「じゃあ」
 片手をあげてそれだけ言うと、優作はこの場から去っていった。
 我に返ったホームレスの手には、煙草の箱とコーラ。
 まるで狐か狸に化かされたような気分のホームレスは、冷たくないコーラのプルタブを開ける。振り回され続けた缶から勢いよく出てきたコーラが、ホームレスの顔に直撃した。

 優作は駐車場の自販機の側に戻ると、帽子とキックボードが放置されたままになっていた。
 とりあえずポケットチーフで顔を拭くが、血と泥でベトベトになってしまっていた。
「あーあ」
 優作は手鼻で鼻血を吹き飛ばしながら、ポケットチーフをスーツの胸ポケットにしまう。
「血糊は洗ってもなかなか落ちないんだよなあ」
 などとぼやきながら、帽子とキックボードを回収する。
 帽子の土埃を払い目深に被ってサングラスをかけると、優作はキックボードに乗り山下町を滑らせる。
 平日ではあるが春休みということもあり、中華街の大通りは大勢の人でごったがえしていた。そこをただでさえ目立つ体躯の男が、土と血塗れの姿でキックボードを駆っている姿は、否応にも人目を引く。だが、優作はそんな他人の目などまったく気にすることなく、悠然と路地裏通りへ入っていった。



探偵物語

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