優作はどんなに遅くまで起きていても、大概早くに目が覚める。香港時代に叩き込まれた生活習慣は、日本での怠惰な日常の中においても、なぜか変わることはない。それがちょっと恨めしいと思ったのは、目が覚めて時計を見たら5時前だったこと。 「……2時間しか寝てないよ」 そうぼやきつつも、シャワーを浴びて朝の鍛錬を始めてしまうのがまったくもって悲しい。一通りのことをやって、ようやく7時を回ったトコである。 もう一眠りしていこうかとも思ったが、二度寝をすると今度いつ目が覚めるかわからない。 どっかでメシ食ってからマサのとこに車返しに行こ。 まだちょっとすっきりしない頭を抱え、優作は朦朧と考えた。 世間一般ではもうとっくにお仕事の時間といえど、夜の商売をしているマサにとって、優作が車を返しに来た9時という時間は、まだ朝早い時間と言える。 そんな時間に車を返しに来たのはともかく、人ン家に上がり込んだうえに布団に倒れ込んで大いびきを掻いて寝るのはどうかと、マサは心の底から思う。 もっとも、マサも休日明けで早番なので、そろそろ起きる時間ではあったのだが。 「ったく、しょーがないわね」 寝ぼけ眼を擦ってマサは大きく伸びをすると、ピンクのパジャマを脱いで身支度を始める。 次に優作が目が覚めたのは、10時半過ぎ。途切れ途切れの睡眠のせいか、寝ていてもあまりぱっとしない。マサから牛乳をもらい、一気に飲み干してようやく生きた心地になってきた。 早番なので、そろそろ仕事にいかねばならないマサは、もののついでに優作を山下公園まで送っていくことにした。道中で昨日の経過を聞こうと思ったが、車を走らすなり優作が寝てしまったので、マサは非常につまらない。 山下公園にある市営駐車場に車を入れると、マサは助手席で昏々と眠りこけている優作を叩き起こした。 「あー? ここどこ?」 「ここどこ? じゃないわよ。山下公園よ。ほら、降りた降りた」 「んー」 190cm近くある巨体をのっそりと車から出すと、優作は大きなあくびとともに伸びをする。荷台に積みっぱなしのキックボードを取り出し、マサに礼を言うと、まだすっきりしない頭を抱えてマサと別れた。 事務所に戻る前に何か飲み物でも飲んでいこうと、駐車場の自販機に立ち戻った。 たまにはコーラでも飲むか。 優作は財布から小銭を出して自販機に入れたとき、妙な気配がしたので振り向かずに後ろを見た。いつのまにやら、優作の周囲を大勢の人相の良くない輩が取り囲んでいた。 普段だったら、囲まれる前に気が付くのだが、今日はどうも調子が悪い。すでに逃げ道は塞がれている。 「高山の雇った探偵だな」 「高山……?」 寝起きでしゃがれている声で、優作が鸚鵡返しに尋ねる。 「とぼけるな。昨日、咬竜会の高山が、おまえのところに来たのは、すでにわかっているんだ」 「ああ……」 そうなんだ。と、優作は納得した。 咬竜会は聞いたことがある。広域暴力団の傘下のヤクザ組織で、埼玉の川口あたりを縄張りにしているところだ。昨日の依頼人で、英斗を輪姦してビデオを撮っていた連中は、やはり暴力団の人間だった。 あまりに反応が薄いのは、まだ寝ぼけているせいなのだが、これが優作にとって致命的とも言えた。 反応が薄いのは、舐められている証拠だと思ったヤクザ連中は激怒した。 普段だったらあっさりと避けられる鉄パイプを、このときはまともに後頭部に喰らってしまった。脳を揺さぶられ、前後左右が不覚になってしまった優作は、さらに腹部に渾身の一撃を喰らい、身体を折り曲げてうずくまる。 かがんだところを、二人の男が優作の両脇を抱え、ひきずるように建物の影へと連れ込んだ。 物陰に連れ込まれた優作は、後ろ手に手錠をかけられ、殴る蹴るの暴行を受けた。一方的な展開の上、多勢に無勢のためか、ヤクザ連中は喜々として攻撃してくる。 いい加減殴りつけた後で、兄貴分らしい男が、 「これくらい痛めつければ充分だろう」 と、他の男たちを制した。 兄貴分の男は優作に歩み寄ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、優作の顔を踏みつけた。 「これでオレたちに刃向かうとどうなるか、身にしみてわかったと思う。で、本題だ。高山が探している鞄を見つけたら、オレの所へ持ってこい。わかったな」 男は優作の顔から足を離し、上着から名刺大の紙を取り出すと、優作の口にくわえさせる。 「これがオレの連絡先だ。わかってんだろうが、裏切るなよ。警察なんかに連絡したら、こんなもんじゃすまねえからな。まあ、白虎組の若頭・佐藤龍司の名前を聞けば、そんな気なんざ起こらないと思うがな」 佐藤と名乗った男はにやりと笑うと、優作の腹を思いっきり蹴り、高笑いをしたまま仲間とともにその場を後にする。 手錠をかけられたまま、この場に取り残された優作は、呆然と空を見上げていた。 3月も終わりになろうという天気の良い日だった。 木漏れ日がきらきらと輝き、太陽の光が緑に輝く。とても平和な光景である。 「春だなあ」 汚れた顔を照らす木漏れ日に見入りながら、優作は暢気にそう呟いた。 |