◆欲望の迷路 [04]

 ヒュウ。
 洋二の口から感嘆の口笛が洩れる。
 楽しげな洋二の姿とは裏腹に、ヒデは真顔になる一方だ。
「面白い。実に面白い」
 洋二が一歩詰め寄ると、ヒデは一歩下がって間合いを確保する。
「最後に出るのは、真打ちと相場は決まっているんだ」
 昂揚しているせいか、声がうわずっている。
 洋二の表情は、嬉しそうというよりは、面白すぎてどうにかなってしまったような、鬼気迫るものがあった。
 さすがのヒデも、背筋が凍る思いだ。
「まず、足を折って動けなくなったとこで、犯す」
 その言葉が終わらないうちに、洋二の長い足から空気を割くようなローキックがヒデに襲いかかる。あまりのスピードに、ヒデも飛び退いて避けるのが精一杯だった。
「続いて、腕を折って抵抗できなくなったところで、犯す」
 言うなり、素早い突きがヒデの顔をめがけて突き下ろされるが、ヒデは腕を前に出し、攻撃をブロックする。
「どうにも動けなくなったところで、おまえを飼ってやるよ。飽きるまで」
 一種、異様なオーラを放ちながら、陶酔しきった表情を浮かべて、洋二はヒデに詰め寄った。

「な、なに。あの気味の悪いヤツ……」
 ノリは固唾を呑んで一部始終を見守っていた。いや、見守っているというよりは、恐くて足がすくんでしまい、動けないのだ。
 こういう商売をしている以上、ノリ自身も多くの修羅場をかいくぐってきたのだが、他人事なのにここまで恐い思いをしたのは初めてだった。
「任せろ」
 優作は震えるノリの肩をポンと叩き、二人の対峙しているほうへと向かっていった。

 やべえ。
 ヒデは握る拳と背中にじっとりとするものを感じながら、洋二と対峙していた。洋二から感じられる気味の悪い圧迫感が、どうしても払拭できない。
 このままだと、相手に呑まれてしまう。
 ヒデは一か八かという博打は嫌いだったが、到底逃げおおせるような相手でもないし、まともにやり合って勝てるとも思えない。仕方なく構えを取って、洋二を威嚇する。しかし、洋二のほうは窮鼠の威嚇など鼻にもかけていない様子だ。
「ちっ!」
 舌打ちとともに、ヒデは大きく踏み出して拳を振り上げようとしたが、軸足を何者かが引っ張ってバランスを崩した。
「!?」
 掴まれた足下を見ると、最初に倒した大男が口端を歪めた笑みを浮かべて、ヒデの足を引っ張っていた。
 そこにヒデの頭めがけて振り下ろされる洋二の拳。
 絶体絶命である。
 とっさにヒデは腕を前で交差して、攻撃を受けようとした。しかし、ヒデの腕にどんな種類の痛みも走ることはなかった。
 そのかわりに響いたのは、洋二の悲鳴である。
「ぎゃあああああっ!」
 右手の平を押さえてのたうち回っている洋二の姿に、ヒデも大男も何が起こったのかわからず驚いていたが、正気に戻ったのはヒデの方が早かった。この隙を見逃すことなく、ヒデは大男の腕を何度も蹴り込み、痛みに耐えかねた大男が手を離すと、仕返しとばかりに強烈な蹴りを脇腹にお見舞いする。
 何が起こったかは知らないが、次は洋二の番だ。
 そう思ってヒデが顔を上げると、大きな黒い影がヒデと洋二の間に割って入っていた。
 誰であろうその人こそ、工藤優作である。
 だが、ヒデは優作のことなど知らない。新たな敵が現れたかと思って、姿勢を低く取って構える。
 優作は敵意丸出しのヒデに向かって口端をつり上げて微笑みかけると、無防備にもヒデに背中を向けて洋二と対峙した。ヒデはただ、優作の広い背中を呆然と見つめている。
「な、何者だ、テメエ!」
 突如現れた優作に、今度は洋二が食ってかかった。
 優作は帽子を目深に被ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「自分で言っただろう? 真打ちは最後に出てくるモンだって」
「なん……っ?」
 言い終わるが早いか、優作の長い足が空中で弧を描いて、洋二の延髄を思いっきり叩き付ける。
 反論も反撃もままならないまま、洋二はあっけなく倒されてしまった。口から泡を吹き出して昏倒している。
 一瞬の出来事に、ヒデもまた呆然とその様子を見ているだけだった。
 


探偵物語

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