◆欲望の迷路 [03]

 大男の拳が、ヒデの顔を潰さんばかりに振り下ろされたそのとき、この場の時間が一瞬止まった。
 気が付けば、大男は仰向けに倒され、すっかりのびている。他の男たちは、何が起こったのかもわからず、ただただ呆然とその場に立ちすくんでいた。
 中心にいるヒデだけは、口許を歪めてにやついている。

 一瞬に出来事に、何が何だかわからないノリは、男たちと同じく呆然とその様子を見ていた。
「な、なに? 何が起こったの?」
「"升馬開馬"」
 紫煙を吐いて優作が答える。皆が呆然とする中、この男だけが何が起こったのかを把握していたらしい。こんな暗い建物裏にもかかわらず、優作はサングラスをしたままなのに。
「な、なに。その…ショウマ…なんとかって」
「八極拳のひとつ。まあ、いわゆる投げ技だ。もっとも、実践向きにかなりアレンジしてあるがな」
 優作はサングラスを鼻先にずらすと、ニヤリと笑ってヒデを見つめた。 その瞳は、先程まで男に怯えていたときの顔からは想像もつかないほど、輝いている。
「若そうなのに面白いヤツだな。思った以上に見応えある戦いになりそうだ」
 自分だけ置いてけぼりを喰らったような気がしたノリは、はっと我に返ると優作に詰め寄った。
「だから、どうなったのか説明してよ!」
「大男の突きを外に払うと同時に腕を掴んで懐に潜り込む。で、背後に回って脇腹を打ちつつ後ろから足をすくって後ろに倒す。言うほど簡単にできるもんでもないけどね。ヤツも油断していたんだろうが、倒された際にしたたか後頭部を打ってるな。直接の昏倒の原因はソレだが、それにしてもヒデってヤツもたいしたもんだ」
 この続きが楽しみで仕方がないといわんばかりの顔をして、優作は再び煙草を吸い始めた。

 楽しんでいるのは、優作だけではない。トラブルの張本人であるヒデも、楽しくて仕方がないと言わんばかりの表情をしている。
 取り囲んでいた男たちは、ようやく我に返った。
「てめえ! よくもやりやがったな!」
「死ねや、オラァ!」
「待て、テメエら!」
 二人の男が、同時にヒデに襲いかかった。
 襲いかかる二人を、リーダー格らしき男が大声で制止したが、時すでに遅く二人の手と足は同時にヒデに降り注ごうとしている。
 ヒデは二人からの攻撃を軽くさばくと同時に、あっという間にその二人を投げ飛ばすと、仰向けになった腹部を容赦なく踏みつけた。

「うわっ、えげつねえ攻撃」
 優作は思わずしかめっ面を浮かべた。
「しかし、あいつは普通に攻撃すると軽そうだからな。ここまでやる必要があるんだろう」
「それにしても」
 ノリはヒデのことが心配でもあるが、それと同時に繰り出す技の見事さに思わず見惚れてしまっていた。
「ヒデちゃんがここまでやるなんて。工藤クンの出る幕なくなっちゃうんじゃないかしら?」
「いや」
 優作はゆっくりと立ち上がると、短くなった煙草を地面に投げ捨て、靴の裏で火をもみ消した。
「ヒデも強いが、そろそろ限界かな」
 そう言うと、優作は地面に手を伸ばして何かを拾う。
 少なくともそれは、吸い殻ではないらしい。

「噂以上にやるようだな」
 リーダー格の男が、ゆっくりと歩みを取ってヒデに詰め寄る。それまで楽しげだったヒデの表情が、すっと固くなった。
 緊張感漂う二人の間に、残った一人が割ってはいる。
「洋二サンが出張るまでもありません! ここはこのオレが!」
「カズ、止せ!」
 だが、カズと呼ばれた男は、ズボンのポケットからバタフライナイフを取り出すと、洋二の制止を振り切ってヒデに襲いかかった。
 突進してくるカズのナイフを払いがてら、ヒデはカウンター気味に腹部と胸部の間に膝を叩き込む。
 目を大きくひん剥いたまま、カズはその場に崩れ落ちてしまった。



探偵物語

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