◆或る夜の出来事 [04]

 関内から京浜東北線で新杉田へ。新杉田から徒歩で京浜急行杉田駅に着くと、今度は京浜急行に乗り換える。京急富岡という駅で優作は下車した。
 駅から歩いて10分ほどのところにあるマンションに、マサは住んでいる。
 少々古びたマンションの階段を昇り、マサの部屋の前に着くと、優作は呼び鈴を押した。
「いらっしゃーい。待ってたわ〜」
 機嫌良さそうな声を出して、マサがドアを開けた。
 寝ぼけ眼で応対していた電話から1時間と経っていないのに、すでに身なりはピシッと整えてある。
 といっても、派手なシャツに革パンツという出で立ちではあったが。
 しかし、服装に関しては、優作だって人のことは言えない。
「邪魔するよ。これおみやげ」
「あら、ありがと〜♪」
 律儀にも優作は途中でちゃんと手みやげを買っていた。
 つまみとホワイトホースという酒の入った袋をマサに手渡すと、靴を脱いで部屋の中に入っていった。
 優作の事務所に比べればだいぶ片付いてはいるほうだが、リビングに敷きっぱなしの布団とか雑然と放り投げられている洗濯の山とかを見て、優作は深いため息を付いた。
「おふくろさんは?」
「先週からまた入院しているわ」
「そうか。で、どうなんだ?」
 優作はそれとなくマサの母親の容体を聞く。
 憂いを含んだ表情を浮かべて、マサが答える。
「ガンが肺にも転移しているわ。これが最後の入院になるかもって、お医者様も言ってたし。もう長くないんじゃないかな」
「そうか」
 優作はそれだけ言うと胸ポケットから煙草を取りだし、口にくわえた。
「近いウチにオレも顔くらい出した方がいいかな」
「そうね。ぜひお願い。ママ、昔から工藤ちゃんのすっごいファンだったし。きっと喜ぶわ」
 マサはそう言うと、ライターの火をつけて優作に差し出した。
 優作は差し出された火に煙草を近づけ、火をつける。
 自分の煙草にも火をつけると、マサはすっと真顔に戻って優作に席を勧めた。
「で、工藤ちゃんの話って、なぁに?」
「こいつなんだけどね」
 優作はそう言うと、スーツの裏ポケットから一枚の写真を撮りだした。
 例の"ヒデ"の写真である。
 画像の荒い写真をマサは手に取ると、じっとその顔を眺めた。
「かなりの美人じゃない。まあ、アタシには負けるけどね」
 変な対抗意識を燃やすマサを無視して、優作はさくさくと話を進めた。
「そいつが今回の仕事で探している男。"ヒデ"ってぇ名で通っているらしい。関東界隈のサービスエリアで春を売ってるってぇことだ。それ以外のことは不明」
「ずいぶんと手がかり少ないのねぇ」
「まあ、仕方がないさ。素性を調べ上げて、居場所突き止めて、依頼人に会わせれば、この仕事も終わり。さっさと済ませたいんだよ、オレは」
 吐き捨てるように優作が喋っていると、呼び鈴の音が部屋中に響きわたった。
 呼び鈴の音に、マサが喜々とした表情を浮かべて立ち上がる。
「あ、来たのかしら」
「お客か?」
「うん。工藤ちゃんに会わせたい人がいてね」
「はあ?」
 ワケのわかんないと言わんばかりに奇声を上げる優作を無視して、マサはロックを解除してドアを開けた。
「やぁ〜ん。マサトちゃん、久しぶりィ」
 甲高い声とともにはいってきたのは、ド派手な女性用ワンピースを着て、これまた化粧も派手に決めている男だった。
「会いたかったわぁ、カっちゃん」
 そう言って、マサは女装の男と熱き抱擁を交わした。
 一部始終を端から見ていた優作は、蛇に睨まれた蛙の如く固まっている。
 無理もない。
 いくらマサの旧知の友人とはいえど、根はノン気の優作である。新宿二丁目あたりの飲み屋から出てきた風体の男と、あのマサが抱き合っている姿を見れば、優作でなくとも頭が真っ白になってしまう。
 そんなこととは露知らず、マサは男を優作に紹介した。
「工藤ちゃん。この人はアタシの従兄で北林克則…カっちゃんっていうの。で、カっちゃん、この人が例の工藤ちゃんこと工藤優作」
「ああ。あなたが工藤クン? いつもマサトちゃんに聞いているわぁ。アタシのことは、ノリって呼んで♪」
 今にも飛んでいきそうな気力を何とか振り絞り、優作はノリが抱きついて来る前に素早く右手を出して握手を交わした。ノリと抱擁を交わすより、握手の方が遙かにマシだし、腕の分距離は稼げる。
「工藤です。初めまして」
 優作は気付かれないようにさり気なく、ノリからさっさと手を離すと、そっとマサに耳打ちをした。
「おい。ありゃ何なんだ」
「アタシの従兄つかまえて、アレはないでしょ」
 膨れて抗議をするマサに、優作はさらに詰め寄る。
 その様子を見て、ノリが羨ましそうな顔を浮かべて割って入ってきた。
「あらあら、仲のよろしいこと」
「い、いえ、そーゆーのじゃなくて……」
「そうそう。カっちゃんに工藤ちゃん。お店のお客さんに、すてきな紅茶いただいたから、飲んでみない?」
「あら、いいわねえ。じゃあアタシ、いただこうかしら」
「あ、オレも」
 優作はそう言うと、急いでイスがひとつ置いてある方の席に身体を滑り込ませた。うかつにソファーベンチなどに座った日には、ノリが横に座りかねないからだ。
 優作の心中など知らないノリは、布団を片付けると、優作の対面の席に腰を下ろした。優作は心の底からほっとした。



探偵物語

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