◆或る夜の出来事 [02]

「お恥ずかしいお話なんですが……その……」
「トイレならあっちですが?」
 高山が柄にもなく身体をもじもじさせて俯いていると、優作は生真面目な顔でトイレを指さした。一瞬、呆気にとられた高山だったが、すぐに顔色を怒りで赤く染め、優作に食ってかかる。
「違いますよ! トイレの話じゃなくって!」
「まあまあ、落ち着いて。コーヒーでもいかがです?」
 優作は素知らぬ素振りで高山にテーブルのコーヒーを勧めた。
 怒りおさまらず肩で呼吸していた高山だったが、気持ちを落ち着けようと努力し、言われるままコーヒーをすすった。
 コーヒーを飲んで深呼吸をすると、少し気持ちの落ち着いた高山は、襟を正して再び優作と向き合った。
「話を元に戻します。実はですね。この"ヒデ"と名乗る男、関東界隈では有名な男娼でして」
「はあ、ダンショウですか。……ダンショウって何です?」
「あ、ご存じない?」
「恥ずかしながら。勉強不足でして」
 目を丸くして驚く高山に、優作は申し訳なさそうに頭を垂れる。
 素直に謝る優作の姿に、高山はしてやったりと言わんばかりの表情を浮かべると、得意そうに語り出す。
「男娼というのは、男性の娼婦。つまり、男を相手にする男の娼夫ってとこでしょうか」
 そこまで聞いて、優作は高山の話を聞いている間に飲んでいたコーヒーを、すべて床に吹き出した。
 テーブル下の絨毯に吹き出したコーヒーがシミになっていく様を見つつ、優作は『ああ、やっちまったよ。妹の久美が来たら、また怒るだろうなぁ』とむせびながら思った。
 これが今現在優作にできる、唯一の現実逃避なのだが、依頼人である高山は優作の気持ちなど知らないし、知ったこっちゃない。優作が顔を上げるのも待たず、堰を切ったように喋り出す。
「で、そのヒデという男。金次第ではどんなことでもやるという評判だったので、私もひとつその肢体を堪能したいと思い、一週間ほど前にようやく接触できたのですが」
 そこまで言うと高山はひとつ大きく息をして、乗りかかるように優作へ詰め寄った。
「聞いてます? 工藤さん」
「あ? ああ、はい。聞いてますよ。勿論……」
 本当は聞きたくもないし、依頼人をつまみ出したい気分でやまやまなのだが、そこはぐっと忍の一文字で堪え忍ぶ優作だった。
 優作が返事をしたので、高山は満足げに頷くと、さらに話を進める。
「で、いざコトに及んで金銭交渉となったとき、なかなか折り合いがつかなくてね。彼奴は怒って私の大事な鞄を持っていってしまったんですよ」
 食ってかからんばかりの勢いはどこへやら、高山の口調は一転泣き落としでもするかのようにさめざめとしたものになった。
 その様子を見て、優作は呆れたような顔をして、胸ポケットから煙草を取り出す。
「そりゃあ、高山さん。あんたもいけないよ。色事に値切りは禁物だ。例えそれが男女でも衆道でもね」
「でも、その鞄には、取引先との大事なものがありまして……。どうしてもアレを取り返さないことには、私、クビどころの騒ぎではなくなります」
 哀れみを乞うかのように、高山は涙で潤んだ瞳を優作に向けて懇願した。
「お願いです! どうか一日も早く"ヒデ"を見つけて、鞄を取り返してください! お金ならほら、この通り!」
 高山はそう言うと、懐から無造作に百万円の束を出すと、テーブルの上に置いて土下座をする。大の男が叩頭して嘆願するようなことだ。よっぽどの事情があるに違いない。
 依頼人の印象はともかく、叩頭する高山の姿と百万円に心打たれた優作は、渋々ながら了承の返事を出すことにした。
「いいでしょう。一応やってみますが、他の大手探偵社と違って、ウチ零細で社員ひとりもいませんからね。あまり期待してもらっても……」
「いえ! 是が非でもお願いします!」
「は、はあ……」
 鬼気迫る高山の気迫に圧倒され、結局優作はこの仕事を受けることになった。
 



探偵物語

<<back   top   next>>