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〜 闘病きろく〜
闘病記 入院中の日記 入院時の便利持ち物
入院 手術前日 手術当日 術後1日目
退院!  
2003.8.26

昨夜はいびきや物音が気になって、寝付かれなかった。
担当医が朝ちらっと顔を見せ「気をつけてお帰りください」。傷を見てよ!なんかいいなさい!って感じ。
病院とも今日でお別れね、としみじみ思いながら、最後の朝食をいただく。
その後歯磨きして洗顔して荷物を整える。
夫が来た後本格的に荷物を整える。
その後会計から伝票が届いた。ダーリンと診断書はどこでもらえるのだろうという話しになったが、入院案内に会計時と書いてあるので、病室の皆さんにお別れをして会計へ向かう。
会計を済ませると病棟の看護婦に渡すようにと退院許可書のような紙切れを渡される。診断書はここには無いと言われ、ダーリンがイライラする。
結局ふたたび病棟のナースセンターへ行き、先ほどの紙を渡して診断書を受け取った。
手順をきちんと説明してよ〜。ダーリンがイライラするから困る。
なんとか病院とお別れが出来、車へ乗り込む。紫外線が気になるからと、後部座席に座らせられる。久しぶりの下界。ああうれし。
我が家もダーリンが掃除をしてくれたらしく、きれいになっていた。ありがとう。

声は出ない。もうほとんど音になっていない。絶対おかしい。
さっそくネットで調べる。どうやら全身麻酔時の挿管の圧迫によるものか、手術時の姿勢によるものか、いずれにしても一時的な反回神経まひになっているらしい。
無理にしゃべらないのが良いとあった。知らなかったので、入院中私は必死でしゃべっていた。声帯を鍛えようと、一生懸命動かそうとしたりもした。
担当医は、そのうち耳鼻科に診せてみて、なんて言ってたけど、これくらいの情報知っててほしかったな。入院中も無理にしゃべらせないようにしてほしかった。

   
2003.8.25

今日はお隣のベッドのお孫さんたちがお見舞いに来ていた。大人数だったのでデイルームへ行かれたのだが、お孫さん達はベッドに残った。カーテンを閉め切ってなにやらしている。上が男の子、下は女の子2人。仲良く遊ぶのねぇと思っていたら、段々エスカレート。暴れるわ泣かせるわイライラを必死で我慢しているがついにキレる。カーテンをシャーッと開けて「なにやってんのっ!」と怒鳴る…と言ってもこの声にならない声。あぁ情けない。
午後看護婦さんが首のテープをはずし、指定のテープの張り方を教えてくれた。
マイクロポアテープというものを、短く切って更に四隅を切り落とし、15枚ほど作って首にぺたぺた貼って行く。傷に対して垂直に、少しずつテープを重ねながら。カッコわるい。
薬剤師さんが見えて、退院後の薬について話しをした。特に出る薬は無いのだが、痛み止めと胃薬だけ3日分お願いしておいた。

手術以来便秘。いよいよ苦しい。

   
2003.8.24

昨夜は痛みがあってあまり眠れなかった。声の出は昨日よりも細いとダーリンに言われた。ショック。朝しゃっくりが出て、とめようと思って息を止めたら、すぐにぶすぶすと空気が漏れてしまう。声帯がきちんと閉じていないと思い焦った。声帯が弱っている?変な声になったら困る。。
今日は自分でシャンプーしてみた。大丈夫だ。
売店へも何度も足を運んだ…が、やっぱりちょっとくたびれる。こんな様子で、9月から仕事復帰できるのか不安になる。

   
2003.8.23

寝る体制もだいぶ楽になってきて、割合よく眠れた。
朝担当医師が来て「今日調子が良かったら帰ってもいい」と言った。隣のベッドの人まで「えぇっ」と言って振り向いた。まだ熱もあると言うのに、正気ですか?って感じ。今日は無理だと言って、明日なら考えるけど、家族に聞いてから連絡しますと伝える。
そのままダーリンに電話を掛けると、ダーリンはすぐに支度をして病院へやって来た。顔が怒ってる…。担当医師をつかまえて、保険もおりなくて困るし、退院日を26日に延ばしてもらったと言う。。。
午後一番にシャワーを浴びる。その後看護婦さんにシャンプーをしてもらった。はぁ〜、サッパリ。
今日はすこし熱が高めだった。

手術翌日  
2003.8.22

たんがからんで体の自由も無く調子悪い。熱が少し出ている。
朝の回診時、首の管を抜いてもらう。ダーリン早朝から来てくれる。どうもありがとう。
朝食、食べる気になれず。おしりが痛いし、体調悪い。
ベッドを起こして身体をすこしずつ起こしてもうらう。そこへお見舞いに友人が来てくれた。この時は気づかなかったんだけど、髪の毛の状態とかが手術後の乱れた状態のままだった。ちょっとびっくりしたかもしれない。
それくらい余裕の無い状態だったのだ。
その後看護婦さんに尿道カテーテルを抜いてもらい、身体を拭いて着替えさせてもらった。そして痛み止めと解熱のために座薬を入れてもらう。
歩けるようになったので、歯磨きをして化粧水で顔を拭いた。あぁ〜さっぱり♪
その後体調もすこしよくなって、ごはん(おかゆ)を食べることが出来た。
その後は食欲も増してきて、段々体調もよくなった。

手術日  
2003.8.21

昨夜はぐっすり眠れた。いびきにも慣れた?と思ったら、いびきの方は今日退院になった。
なんでもベッドが足りないらしい。
手術時間が遅れると、前もって話しがあったが、時間が確定でないのでなんとなく落ち着かない。ベッドの横で夫と母も落ち着かない。

2時20分ごろ「筋肉注射を打つのでトイレを済ませてください」とナースコールがはいる。
いよいよだ!と3人で目を見開きながら私はトイレへ。筋肉注射を打つと意識がもうろうとなるとかで、ベッドの上に安静にする。すぐに目がぐるぐる回り始める。
そのあとベッドのままガラガラと運ばれたとのことだが、あまり覚えていない。
エレベーターの前で夫と母と別れる。不安そうな顔をしていたそうな。本人覚えナシ。
手術の準備室?みたいなところでせわしなく着替えなどさせられる。ベルトコンベアーみたいなもので、手術用の?ベッドに移され、そのまま手術室へ。
意識もうろうとしているものの、手術室を観察せねば!という変な使命感が沸いてきて、きょろきょろ見回す。
足元の方が入り口、よくドラマで見る手術室に入ってくる医師そのまんまの感じで、手袋をしながら入ってくる人がいた。ドアの右手には四角い機械。左手にはもうひとつ部屋があるようだった。
身の回りはなんだかガチャガチャして、数人ががやがやなにか言っている。
なんて言っているかわからないけど、なにかクラシックが流れているのが聞こえた。モーツァルト?

すごい勢いで起こされる…とその瞬間嘔吐。「はいた!はいた!」と騒ぎになる。
目はぐるぐるするは吐き気はするは、まるで酔いつぶれたときみたい。あー具合悪い。
その後よく覚えていないけど、ベッドの右手でダーリンが何か言っている。
足元のほうには母や何人かの姿が見えるが、目を開けていられない。
付き添いは9時迄だとのことで、ダーリンは後ろ髪を引かれる思いで帰路に(ついたに違いない)。

夜担当医師と看護婦さんが様子を見に来る。酸素吸入のマスクが暑くて苦しいので、とってもらう。その後も1時間に1度くらいの割合で、看護婦さんが様子を見に来てくれた。
氷をもらって、くちびるに塗るように湿らす。
夜中、首周りが痛くて尾てい骨辺りも痛くて、かかとも痛くて…たまらなくなってナースコール。声がうまく出なくて看護婦さんの呼びかけに答えられなかった。筋肉注射をしてもらうとすこし落ち着いて、その後はよく眠れた。

   
2003.8.20

同室の方のいびきがひどく、夜中に安定剤をもらうも充分に眠れず。ずっとこのままかと思うと、ストレスがたまる。
朝食前に担当医師が来て問診&触診。フレッシュで体育の先生みたいな感じ。
夕方1時間ほど、夫と一緒に担当医師から病状や手術についての詳細を聞く。図解してもらい、結構細かく色々聞けた。医師の方も聞く体制でいてくれたのがうれしかった。
麻酔科の先生とも話しをした。車に酔いやすいと麻酔が覚める時に吐き気をもよおす可能性が高いという。私は車に酔うので、麻酔のなかに吐き気止めを入れてもらうことになった。
今日は昨日の教訓で、眠る前に安定剤をもらう。ついでに下剤も。はぁ、明日は手術だよ。
夜、病院の廊下の窓から、石和の花火を見る。明日手術だもんなぁ。
夜9時以降明日中絶食。ううぅ、かなしいぃ。

入院  
2003.8.19

出発時間ぎりぎりまで仕事をしたり支度をしたりばたばた!病院へは5分遅刻で到着。
入院受付窓口で書類を出すと、病棟の看護婦さんを呼んでくれた。しばらく待つと看護婦さんが来た。夫と一緒にすごすごとついて行く。
病室は410号室。4人部屋の廊下側。いったん車へ荷物を取りに行った後、パジャマに着替える。病棟の施設について説明を受け、ナースセンターで熱や血圧を測ったりしながら、看護婦さんの問診に答える。
その後は何も予定ナシ。手持ち無沙汰でテレビを見る。
夕方ナースセンターに呼ばれ、抗生剤のアレルギーテストのため2か所痛い注射をされる。
20分後見せに行ったが、特に問題は無いとのこと。蚊に刺されたみたいにぷくっとふくれている。
18時に夕食が配られ、夫はこどもを連れて帰宅。帰り際こどもが泣きべそをかくので、私もついついうるうる…。