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佐川町 歴史と文教の町
さくらの名所(日本桜100選に選ばれている)として知られる高知県の中西部に開けた盆地の町で、北から黒岩、佐川、斗賀野の3か所に小平野が有り集落の中心となっている。 キャッチコピーは“歴史と文教の町” 1601年初代土佐藩主山内一豊に仕えた深尾重良は佐川城に入り近世の佐川の礎を築いたところから始まる。起源は土佐藩筆頭家老深尾氏の城下町。 各所に白壁土蔵の重厚な民家(国指定の重要文化財もあります)や、立派な庭のある豪邸が散在しています。高知県の3庭園といわれる立派な庭園の寺院も3っつの内2つあり、集落ごとに鎮守の森に守られた氏神様があります。 佐川町は江戸時代に、土佐藩山内家の筆頭家老、深尾氏一万石の城下町として栄え、代々文教政策に重点を置いたことに起因するらしい。長い歴史があるが、維新の頃になってやっと多くの人材を輩出し大輪の花が開いた。 その頃の土佐人あるいは佐川町民は最も先進的な視野、見聞を持っていたが、最近ではその実感はあまりない。地域格差の広がる中で、その底辺にある高知県全体を代表して、“なんとかの蛙、大海を知らず。“状況になってきているのではないか。と危惧される。
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町の歴史は石器時代にまでさかのぼる事が出来ます。西山地区には国指定の史跡不動ガ岩屋洞窟遺跡があり保存されています。そのほか特に石灰岩地帯の洞窟には同様の石器時代の住居跡がみられます。 ずっと下って、奈良朝や平安朝の貴族政治の時代には、都を追われた貴族のある者たちが、この地に居を構えたと考えられている。(土佐はその当時、失脚した貴族達が島流しされた流刑地でもあった。) 土佐の田舎にありながら、佐川町は歴史の舞台に登場しているのです。 |
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