沼田町 夜高あんどん | ||
八雲町 山連行列 | ||
斜里町 しれとこねぷた |
⇒あんどん製作日記(2ヶ月もかかる地味な楽屋裏) |
夜高あんどんの由来 |
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起源 |
承応二年(1653年)越中は砺波の里、福野村の鎮守の氏神として伊勢神宮より御分霊を勧請した折、この遷宮の行列が加賀と越中の国峡、倶利加羅峠のあたりにさしかかったところ日暮れとなったという。 このしらせを飛脚で知った村民が手に手に燈火用のみちしるべの行燈を持ち、この行列を村挙げて奉迎したのがその起源であると言う。 |
伝承 | 当町の開拓者沼田喜三郎翁のふるさと(現在の富山県、小矢部氏)の松本市長と津沢の有志の方々により、沼田町の開基80年(昭和49年)を喜縁に伝承したのです。 |
模様 | 長さ12米、高さ7米、総重量5屯と巨大なあんどんを「ヨイヤサッ、ヨイヤサッ」の威勢のいい掛け声に乗って道路いっぱいに右へ左へと大きく揺れる、そのたびに観衆の大きいどよめきが起きる、勇装な祭ばやしと汗だくで力をふりしぼって挽く若者の気迫が見物人をとりこにする。総裁許の音頭に合わせて、拍子木太鼓も激しく打ち鳴らされ、掛け声が高まるにつれて祭り気分は最高潮となり沿道の人垣も夜高あんどんの動きとともに大きく波打つ.....。 |
作成 |
八月初旬から保育園・幼稚園・小・中・高の生徒から先生、更に町の職員や家族、農協青年部、若妻会、婦人部、商工会の婦人部、青年部、自衛隊等まさしく町あげて準備に取り組む、町民の三分の一余の人々が朝早くから夜遅くまで作成に当たる、和紙を切り貼り、ロー付け、最後に色づけ等、できあがる様が楽しみとなる。 ここにほんとうの手造りの祭りがある。 |