ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6) 下篇 十、 ボオルヴオワールの獄 ——處女《をとめ》アルラスの獄へ移る——コムピエニユの敵敗退す ——處女イギリス方に買取らる——ルーアンに移る ——宗敎裁判——無法の裁判——淸淨無垢の處女の第一審 |
ジャンヌ・ダルク 下篇 十、ボオルヴオワールの獄 ——處女 アルラスの獄 へ移 る——コムピエニユ の敵 敗退 す——處女 イギリス方 に買取 らる—— ルーアンに移 る——宗敎裁判 ——無法 の裁判 ——淸 淨 無垢 の處女 の第 一審 [422頁↓] 千四百三十年 の九月某日 、トウルネー町 の町長 と議長 とが、ロワール河 の沿道 を辿 つて自分等 の町 へ歸 りつゝあつた。彼等 は或公用 を帶 びてシヤルル王 の許 へ行 き、今 その歸 るさであつた。二人 はボールヴオワールに足 を停 めた。この地 は彼等 の取 つた沿道 に在 つたし、また丁度適宜 の泊 り驛場 ではあつたけれども、併 し、彼等 がヷロワのシヤルル王 の許 へ行 つた使命 と、このルクセンブルグ卿 の領地 へ立 ち寄 つた事 との間 には何等 かの關係 のある事 は容易 く推量 された。そんな推量 は如何 にも尤 も千萬 である。つまり其 トウルネーの町民 とフランス王家 との關係 を想 ひ、そして我 が處女 と此二人 の使者 との間 に既 に存 してゐた關係 を想 ひ起 せば、どうしてもさう推量 せずには居 られない。 トウルネーの管區 はシヤルル王 のお蔭 で自由 と特權 とを許容 されたので、この地方 は非常 に忠誠 なフランス方 となつた。トウルネーの町 からは仕切 なしに王家 へ使節 を出 してゐた。又 この町 ではシヤルル王 の爲 め奉祝 の市民行列 をも出 した。そして何 んなことでも王家 の爲 めなら不服 を稱 へなかつた。尤 もシヤルル王 はまだまだ人間 や金 をこの町 から懲發 したことはない。 この町長 と議長 とは町 を代表 してレームズへ赴 き、シヤルル王 の戴冠式 に列 した事 もあつた。その折 に彼等 は、榮譽 の最絶頂 に在 る處女 ジヤンヌを見 て、實 に大 なる聖者 だと思 つたに違 ひない。その當時 、彼等 の町 では入念 に王軍 の進行 に注意 を拂 つて、そして軍隊附 きの「婦人傳道團 」とも、その監督 なる托鉢僧 リシヤールとも毎々文通 し合 つてゐたのである。今日 この二人 は、處女 ジヤンヌが冷酷 なる敵 の手 で鎖 ぢ込 められてゐる城 を訪 れたのである。彼等 は何 の用 でルクセンブルグ卿 の許 を訪 ねたのか、又卿 は彼等 に面會 を許 したかさへも分 らない。併 しルクセンブルグ卿 は、この人々 がシヤルル王側 から處女 の身請金 に就 ての密旨 を帶 びて來 たものと思 つたら、無論引見 したであらう。彼等 は囚 はれの處女 に會 ふことを許 されたが、これも我々 には分 らないのである。尤 も面會 を許 されたと見 る方 が全 くふさはしい考 へ方 である。當時 の習慣 では、一般 に容易 く俘虜 に會 はれたし、特 に差入物 なども許 されてあつたのだ。併 しながら次 の一事 は確實 である。卽 ち彼等 はこのボオルヴオワールを立 ち去 る時 に處女 ジヤンヌから一封 の書狀 を預 かつて來 た。それは彼女 からトウルネーの町民 へ宛 てたもので、 「私事 樣々 の用途 に差 し迫 り居 り候 まゝ、我 が國王陛下 の御名 に免 じ且 つは私 が今 まで國王 に盡 したる奉公 に免 じて、何卒 二十五クラウン乃至 三十クラウンだけ御恵 み願上 げ候 」と言 つた樣 な事 が書 いてあつた。 このやうな俘虜 にその麵麭 の料 を貰 ふ事 を許 すのは、當時 の習慣 であつた。傳 ふる所 に據 れば、ジヤンヌにいろいろ親切 を盡 してくれたルクセンブルグ卿 の叔母君 は間 もなく死 んださうであるが、その死 ぬる二三日前 に遺言書 を作 つて、そして其中 に處女 は決 してイギリス方 の手 に渡 してくれるなと認 めて置 いたさうである。併 しこの老婦人 は、イギリス王 のノルマンデイ金貨 に對 し、又聖敎會 の破門 に對 して如何 ほどの力 を有 つてゐたらう? なぜと言 ふに、若 しルグセンブルグ卿 が、魔術 や偶像禮拜 や惡魔 おろしや、其他 樣々 の背宗敎罪 の嫌疑 を受 けたこの少女 を引 き渡 さないとなれば、必 ず羅馬敎會 から破門 せられる譯 であつたからである。尊嚴 なるパリイ大學 は拔目 もなく卿 に向 つて、「若 し引渡 しを拒 めば重大 なる罪科 を課 せられる事 になる」旨 を既 から通告 して置 いたのである。 さてルクセンブルグ卿 も不安 を感 した。彼 はこのボオルヴオワールの城 に一萬 フランもの價 ある俘虜 を置 くのは不安 でならなかつた。此處 はその位置 が位置 だから、フランス方 でもイギリス方 でもブルガンデイ方 でも容易 に來襲 された。そして此等 三派 の者 に全 く關係 のない山賊 の類 ひでもいつ何時襲 ひ來 るか計 られなかつた。當時 の山賊 の習慣 としては、俘虜 を奪 ひ去 つて、窖牢 に閉 ぢ込 め置 き、これを身請金 の代物 として賣 るのであつた。處女 アルラスの獄 へ移 る 九月 の末 つ方 、ルクセンブルグ卿 は、主君 ブルガンデイ公爵 に對 つて處女 を安全 な獄舍 に繋 いで下 されば有難 うございますが、と賴 み込 んだ。ブルガンデイ公爵 は富裕 な強力 な町々 を數多 く有 してゐることゝて、直 ちに承諾 した。そして公爵 の命 に依 つて、ジヤンヌはアルラスの町 へ連 れ行 かれた。この町 は四周高壁 に圍 まれ、二 つの堅城 を有 してゐた。そのうち町 の中央 に位 ゐするラ・クール・ル・コントの地下室 にジヤンヌは収容 せられた。そして數多 の將帥勇士等 の看守警護 の下 に置 かれたのである。當時 は、俘虜 は一人 きりで置 かれるやうなことは滅多 になかつた。アルラスではジヤンヌも繁々訪問者 に會 つた。多 くの來訪者 のあつた中 に、一人 のスコツトランド人 がやつて來 た。この人 は、處女 が跪 づきながら國王 に書狀 を捧呈 してゐる所 を描 いた彼女 の寫 し繪 を見 せた。この畫中 にある書狀 は、オルレアンの救出 かパテーの戰勝 をシヤルル王 に報告 する際 、ジヤンヌが捧呈 した物 であつたらしい。畫家 はその光景 を想像 して描 いてゐたのである。 ジヤンヌは後 にも先 にも自分 の寫 し繪 を描 かせたことはがなかつた、又自分 を描 いた物 を見 たのは唯 だこの繪 一 つなのであつた。併 し彼女 の短 い權勢期間中 に、フランスの町々 の人民 は彼女 の肖像 を繪 に書 いたり刻物 にしたりして方々 の聖者堂 に安置 した。のみならず彼女 の肖像 の入 つた鉛 のメダルを身 に着 けてゐた。かう云 ふ風 で彼女 は恰 も敎會 の認定 を受 けた諸聖者 の樣 に尊敬 されてゐた。 ブルガンデイ方 の貴族等 も數多 く處女 を訪 ねたが、その中 にブルガンデイの税務顧問官 を勤 めてゐる一騎士 が彼女 を訪問 して、かのルクセンブルグ老婦人 がしたやうに、婦人着物 を彼女 に贈 つた。そして女 のたしなみ の爲 めに是非 とも着物 を着代 へるやうに勸 めた。併 し處女 は神 の命令 に由 つて一旦身 に着 けた武人 の着物 を脱 ぎ捨 てゝ婦人 の着物 に代 へることは如何 な事 であらうとも、金輪際肯 はなかつた。 トウルネエー町 の一僧官 もアルラスの牢獄 に彼女 を訪 ねた。彼 はその町 の當局者 に依賴 されて處女 に二十二クラウンの金貨 をとゞけに來 たのである。この僧官 は町民 の信任至 つて篤 く、常 に重大 な事務 に與 つてゐた。この年 の五月 に、彼 は公用 を帶 びてシヤルル王 の掌璽官 の許 へ行 く途中 、ブルガンデイ方 に生捕 られた。これはジヤンヌが生捕 られたのと殆 んど同時頃 であつた。併 し彼 はさほど多 くもない身請金 を拂 つて自由 の身 になつた。彼 は此處 へかう使 ひに來 ていろいろ骨 を折 り、危險 な目 に遇 つたところで、その報償 を貰 へさうでもなかつたが、處女 への使命 を十分 に果 すことを少 しも厭 はなかつた。彼 はジヤンヌの善良 なこと僞 りないことを能 く信 じ且 つ彼女 を愛 した。そこで、このさゝやかな慈悲 の行 ひをする事 に依 つて、天上 で受 くべき神 の報償 を露疑 はず、その爲 めに喜 んでこの使命 を引 き受 けたのである。 コムピエニユの敵敗退 す處女 ジヤンヌは生捕 られ、彼女 の率 ゐて行 つた軍隊 は引退 してしまつたけれども、コムピエニユの町 はなかなか陷 らなかつた。主將 ギヨーム・ド・フラヴイは、その二人 の弟 を始 めイタリー兵 の隊長 バレツタと共 に五百の守備兵 を指揮 して、巧妙 に、勇敢 に、且 つ不撓 の精力 を以 て防戰 した。ブルガンデイ方 は恰 もイギリス勢 がオルレアン攻圍 に際 して採 つたやうな攻城法 を採用 した。彼等 は坑道 、壕 、防寨 、臺場 、稜堡 などを築 いた。それらの尨大 な粗大 な樣々 の建築物 もとゞのつまりは何 の役 にも立 たず、唯 だ火 の手 を揚 げて燃 ゆる位 ゐがその運命 であつた。主將 ギヨームは味方 から打 ち出 す砲丸 の邪魔 になる所 から市外 れの小部落 は打 ち崩 してしまひ、又河 を塞 ぐ爲 めに數多 の小舟 は沈 めてしまつた。ブルガンデイ方 の臼砲 や大口徑砲 に應 じて、守備軍 は長身砲 を用 ひた。特 に小口徑 の銅身砲 の威力 は非常 なもので、敵 に少 からぬ損害 を與 へた。オルレアンやジヤルヂオウやで活動 したやうな陽氣 な砲術長 はゐなかつたけれども、大兵 で色黑 の見 るも聞 くも慄然 とするやうに怖 ろしい砲術家 がゐた。コムピエニユの市民等 は丁度 オルレアンの人々 の如 く、屢〻敵陣 に打 つて出 でたが、大部分 は失敗 に終 つた。或 る日 の打 ち出 に際 し主將 の弟 は敵彈 に當 つて戰死 した。併 しこの日 と雖 も主將 ギヨームは平生 と同樣 に軍樂 を奏 させて大 に士氣 を鼓舞 したのである。 六月 に這入 つてからのこと、オワズ河上 の橋梁 を防禦 する爲 めの防寨 が敵軍 に占領 された。併 しその爲 めに市 まで陷 れられるやうな事 には立 ち至 らなかつた。 ブルガンデイ方 がオワズ河畔 に打 ち建 てた數多 の稜堡 の如 きは、かのロワール河畔 に在 つたものと同樣 に、殆 ど何 の効力 もなかつた。少 しも有力 な用 を爲 さなかつたのである。コムピエニユの町 はその輪郭 が餘 りに廣大 であつた故 にブルガンデイ勢 は之 を包圍 する事 ができなかつた。彼等 は軍用金 が缺乏 した。そして兵士等 は食物 や給料 の不足 の爲 めにだんだん立 ち去 つてしまつた。これは敵味方 いづれの傭兵 も必 ず採 る慣用手段 なのであつた。それのみか、彌々 ブルガンデイ公爵 に取 つては、最絶頂 の不幸 が見舞 つて來 た。その領内 に謀反 が起 つたといふ急報 を受 け取 り、この方 を鎭壓 する爲 めに兵 を二分 しなければならなかつたのである。時 しもあれ、十月 の二十四日 、シヤルル王 よりの援軍 の一隊 はヴアンドームの伯爵指揮 の下 にコムピエニユに近 づいた。イギリス勢 とブルガンデイ勢 は、この新來 の軍 を邀擊 しようとて矛 を取 り直 し向 を換 へた。これに乘 じて機 を逸 せず守備軍 は言 ふまでもなく、殘 らずの市民 は婦女子 までも悉 く飛出 して、敵 の背 を襲 つた。攻圍軍 は大崩 れに潰走 した。援軍 は市中 へ入 つた。敵 の稜堡 の焔上 は實 に見物 であつた。ブルガンデイ公爵 は全部 の砲兵隊 を喪 つた。ルクセンブルグ卿 は先 きにボオヴエーへ行 つて其處 でジヤンヌのことに就 き、監督僧正 と會見 したのであるが、今丁度 このコムピエニユ攻圍軍 に參加 した所 だつたから、大敗北 の割前 を受 けたのである。イギリス軍 もブルガンデイ軍 も總敗北 をしてコムピエニユ市外 を引 き揚 げてしまつた。當時 にあつては、何 んな出來事 にも一々超自然的 の原因 をつける癖 があつた。そこでこのコムピエニユの釋放 もヴアンドーム伯爵 の祈誓 の念力 に歸 したのであつた。伯爵 は若 しこの市 が略取 せられなければノートル・ダム・ド・ラ・ピエルに毎年年祭 をいたしますと誓 を立 てゝ來 たさうである。處女 イギリス方 に買取 らる ノルマンデイの財務卿 は八萬 フランだけの用立金 を作 つた、その中 の一萬 フランは卽 ちジヤンヌを買 ひ取 る爲 めに寄附 したのである。ボオヴエーの監督僧正 はこの事 を一身 に引 き受 けて、切 りにルクセンブルグ卿 に取 り入 つて威 したり賺 したりしていろいろに話 しを持 ちかけた上 に、ノルマンデイの金光燦爛 たる金貨 を彼 の目 の前 にちらつかせたのである。監督僧正 は氣 が氣 でなかつた、この心持 はパリイ大學 の學者先生 たちにもあつた。つまり彼等 は、シヤルル王 が若 しやこのヘンリー王 の一萬 フランよりも多額 の金員 を持 ち出 しはしないか、その巨多 な贈物 の力 に依 つてアルマニヤツク方 が結局其敎母 を取 り戻 してしまふやうな首尾 になりはしないかと恐 れたのである。シヤルル王 は、イギリス方 が處女 を手 に入 れよう爲 めに若干 の金員 を提供 したことを聞 き、ブルガンデイ公爵 に使者 を送 つて、「如何 な事 があつてもその樣 な約定 を承知 してはならぬ、若 し承知 したらフランス王 は必 ず處女 の運命 に對 してブルガンデイ方 へ仕返 しをする。」と申 し込 んだと云 ふ流言 がぱつと世間 に擴 つた。勿論 こんな流言 は虛妄 であつた。尤 も監督僧正 やパリイ大學 の博士等 の氣遣 ひも全 く根據 ないものではなかつた。又彼等 とルクセンブルグ卿 との間 の交渉談判 をフランス方 では始終細心 に見張 つてゐて、いざと云 ふ時 には其 を打 ち崩 さうと用意怠 りなかつたと云 ふ事 も確 であつた。 その上 また、フランス方 がいつ何時來襲 して處女 を奪掠 するかと絶 えず不安 であつた。この頃 フランス方 の隊長 や騎士 やは、幾組 にも別 れてノルマンデイの地 を侵害 し、セーヌ河 やマルヌ河附近 に劫奪 を恣 にしてゐたからである。 十一月 の半 ば頃 、遂 にジヤンヌはイギリス方 に引 き渡 された。彼女 はルーアンに連 れ行 かれることに決定 した。そして道中樣々 の黨派 の不意 の襲擊 を成 るべく避 ける爲 めに、ノルマンデイの北部 を通 り、海岸 に沿 つて行 くことになつた。彼女 はアルラスからドリユーヂイの城 へ先 づ移 された。此處 にゐる時或 る派 の修道僧等 が彼女 を訪 ねた。それからクロトワの城 へ移 された。この城 の石壁 は大洋 の波 に洗 はれてゐた。嘗 て處女 がパリイ攻擊 の際同伴 したアレエンソンの公爵 も既 に久 しくこの城 に監禁 せられてゐた。その外 にもまだフランス方 の高官 の人 がイギリス軍 の爲 め此處 に幽閉 せられてゐた。ジヤンヌの置 かれた部屋 の窓前 には灰色 した單調 なソンム河 の湾 がひろびろと橫 はつて、その低 い空 には海鳥 どもが長 い長 い列 を作 つて飛 んでゐた。處女 は氣 もすがすがして海 の景色 を眺 めた、ふと、彼女 の幼 い頃 よく見舞 つて來 た大天使聖 ミカエルが降 り來 るのを彼女 は認 めた。そして彼女 は得 も言 はぬ慰 を覺 えた。彼女 がこの城 に閉 ぢ込 められてゐた時 、アツプヴイール町 の處女等 や名門等 が彼女 を訪 ねて來 たとの事 である。その町 はシヤルル王 の戴冠式 の當時 フランス方 へ歸 したい意向 を有 してゐた。そして若 し王 が此處 へ巡行 して行 つたことなら必 ずさうなつたに違 ひないが、王 は來 られなかつた。今市民等 がジヤンヌを訪 ねたのは唯 だ宗敎的慈善 の爲 めであつた。その市民中 にはジヤンヌを善良 な婦人 だと知 つた者 も多 かつたが、そんな事 を公言 すれば矢張 り彼女 と同樣 に異敎 の嫌疑 を受 けるに極 つてゐるので、皆口 をつむんでゐるのであつた。 パリイ大學 の博士 や學者等 が彼女 を追求 した辛竦 さは實 に信 じられない位 ゐであつた。十一月中 ルクセンブルグ卿 とイギリス方 との間 に交渉 が纏 まつたといふ通知 を受 けてからのこと、學者先生等 はボオヴエーの監督僧正 に手紙 を送 つて、この女 の事件 をそれほど遷延 したことを詰 り、且 つ今 一層勤勉 ならん事 を誡 めたのである。 「神 の敎會 に於 てしかく高 き地位 を保 たるゝ貴下 に取 りては、 クリストの宗敎 に對 して加 へられたる誹謗事件 ——別 けても貴下 の現管區内 に於 て生起 せる此 の如 き誹謗事件 を撲滅 さす べきことは決 して輕々 の儀 にこれなく候 ——」といふ風 に書 き送 つたのである。 これらの學者先生等 は、自 らさう公言 した通 り、神威 を傷 けんとする者 に對 する復讐 の念 と熱心 とに充 たされて、いつ何時 でも巫女 や魔術使 を焚 き殺 す用意 にをさをさ怠 りはなかつた。彼等 は惡魔 を怖 れた。それもアルマニヤツクの惡魔 だと二十倍 も怖 れた。尤 も彼等 は内所 でゞも、さう分 け隔 てして怖 れることは許可 せられてゐた譯 ではなかつたらうが。 ルーアンに移 る ジヤンヌは滿潮 の時 クロトワ城 から小舟 に乘 せて連 れ出 されてサン・ヴアルリイに着 き、それからデイエツプに行 き、最後 にルーアンへ到着 したのである。彼女 は、とある丘陵 の上 に築 かれた古城 へ案内 された。豫 て戴冠式 を行 ふ爲 めにフランスへ來 てゐたイギリスのヘンリー六世 は、八月 の末 からずつとこの處 に逗留 してゐた。ヘンリー六世 は憂鬱 な生眞面目 な少年 で、この城 の司配者 ワーヰツク伯 に手嚴 しく取 り扱 はれた。 こゝは要害堅固 な城 であつた。核堡 を始 め、七 つの塔 があつた。ジヤンヌは眺望濶達 たる平原 に面 した一 つの塔 に置 かれた。彼女 の部屋 は地下室 と大客間 との中間 の層 にあつた。その部屋 へ行 くには八段 の階段 があつた。部屋 は徑 四十三呎 の床 の上 一杯 で、一 つの仕切 りもなかつた。一角 に石 の階段 が通 じてゐた。窓 の線隙 は塡 つたのも澤山 あつたので、薄暗 い光 しか入 らなかつた。イギリス人等 はルーアンの或 る錠前師 に註文 して一個 の鐵檻 を造 らせた。傳 へるところでは、その檻 は中 で直立 できない程 のものであつたと云 ふ。また寺院記錄 の記 す所 が確 だとすれば、ジヤンヌはこの檻 に入 れられ、頸 や足 や手 を鎖 で繋 がれた儘審判 の日 まで差 し置 かれたのである。併 しこの説 は信 じられない。ジヤンヌはその中 に入 れられなかつたとの説 が有力 である。若 しジヤンヌが、此處 に入 れられたとしても少 くとも、彼女 の爲 めにわざわざ造 られたものでない事 は確 である。同 じ千四百三十年 の二月中 に、ラ・イル(エチヤンヌ・ド・ヴイニヨール)隊長 がルーアン市近 くの或城 を占領 した時 に、バルバザンといふ立派 な騎士 が鐵 の檻 に入 れられて居 るのを發見 した。この騎士 は檻 から出 るやうに勸 めても、自分 は誓 ひを立 てた俘虜 だからと言 つて何 うしても出 なかつたさうである。これと反對 にジヤンヌはなかなか拔目 がなかつた。彼女 は何 の誓 ひをも立 てなかつた。それ所 か、出來 さへすれば直 ぐに脱走 すると誓 つたのである。そこで彼女 に魔術 の力 ありと信 じてゐたイギリス人 どもは、非常 に彼女 の脱走 を懸念 した。彼女 は敎會 から告發 せられた囚徒 なので、當然敎會附 きの獄舍 に収容 さるべき筈 だつた。併 しイギリス方 は自分等 の監視 の下 に彼女 を置 くことに決定 した。その兩足 には足枷 を篏 め、腰 には鎖附 きの海老錠 で五六呎 の角材 を繋 ぎつけた。夜 はその鎖 を寢臺 の親木 に取 りつけるやうにした。ヨハン・フツスも是 より十五年前 、コンスタンスの監督僧正 の手 に渡 され、やがてゴツトリーベンの砦 に移 されると、この樣 な風 に夜 も晝 も鎖 に繋 がれて、最後 に火刑臺 に引 き立 てられたのであつた。 五人 のイギリス兵 が、卽 ち普通 の兵卒 が彼女 を看守 した。彼等 は騎士道 の花 ではなかつた。彼等 は處女 をからかひ、處女 も彼等 を叱 りつけた。こんなことで彼等 は互 ひに無聊 を慰 めたのである。夜間 は二人 だけ戸 の外 に立 ち、二人 だけ彼女 の側 に居 た。兵卒等 は絶 えず處女 に對 つて「殺 される」とか「助 けられる」とかと言 つて惱 ました。彼等 の承諾 を受 けないと何人 でも處女 に面會 することは許 されなかつた。 [433頁↓] それに拘 らず人々 は、宛 ら市場 にでも來 るやうにこの獄舍 に入 り込 んだ。有 らゆる階級 の人々 が心 の儘 にジヤンヌに面會 に來 た。ルーアン要塞 の副將 も來 たし、イギリス王 の代言人 も市吏員 など從 へてやつて來 た。彼等 はすべて足枷 をかけられ、番兵 に見守 られたるジヤンヌに面會 したのである。 この代言人 はジヤンヌが捕 へられて此處 へ護送 されて來 た事 を不思議 に思 つて非常 に感動 したのである。感 じ易 い人々 は巫女 や神託者 どもが普通 のクリスト敎徒 の如 く係蹄 にかゝるのを見 ると、いつも非常 に驚 くものだ。この代言人 も、そんな感 じ易 い人々 の一人 であつたに相違 ない、彼 の驚 きは、ジヤンヌに對 する次 のやうな訊 ね方 に依 つても容易 く見 られるであらう。 「そなたは生捕 られることを前以 て知 つてゐましたか?」と代言人 は訊 ねた。 「さうありさうだと思 つて居 りました。」とジヤンヌは答 へた。 「それでは、さうありさうだと思 ひなさつたら、生捕 られたあの日 は、何故 も少 し用心 をしませなんだか?」と彼 は訊 ねた。 「私 は自分 の生捕 られる日 も時刻 も知 りませんでした、何處 で生捕 られるかも知 りませんでした。」と處女 は答 へた。 この城 の工主長 の下 に働 いてゐる某 と云 ふ若者 も、その主人 の威光 に依 つて、ジヤンヌの居 る塔 へ入 る事 を許可 された。若者 が見 た時 も、ジヤンヌは矢張 り長 い鎖 で角材 に繋 がれ、足 には枷 をはめられてゐた。ずつと後方 、此若者 はよく人 にこんな事 を言 ひふらした、「私 はジヤンヌによくよくその言 ふ言葉 に用心 をするやうにと注意 しました。貴女 の生命 は全 く仰 しやる事 でどうにでもなりますからと、くれぐれも警戒 して置 きました、」と。處女 が番兵等 と口 まめに話 した事 も、亦 番兵 どもが彼女 の言 つた言葉 を悉 く審判官等 に通告 した事 も眞實 であつた。それで、イギリス方 の主人 の下 に勤 めてゐたこの若者 はその實狀 を知 つてゐたところから、ジヤンヌに對 つて身 の爲 めにならぬ事 を喋舌 らないやう注意 したく思 つたり、又實際注意 をしたかも知 れない。けれども其 には多少 の疑 がはしい所 がある。この若者 も他 の多 くの者等 と同 じく、唯 ださう大袈裟 に自分 の言 つた事 を吹聽 したらしい所 がある。 ルクセンブルグ卿 がルーアンに來 た時 、彼 も矢張 りジヤンヌをその塔 に訪 れた。その時 は彼 の實弟 を始 めとして、イギリス方 の歷々 が澤山同道 した。その中 には、當城主 ワーヰツクの伯爵及 びスタツフオドの伯爵 もあつた。 ルクセンブルグ卿 はジヤンヌにかう言 つた、「ジヤンヌ、そなたが若 し我々 に抵抗 して武器 を執 らぬと誓 ふなら、そなたを身請 しようと思 つて來 たのだがね。」 これらの言葉 は、かの處女 賣却 約定 とは調和 しないやうに見 える。この時 まで未 だ未 だかの約定 が成立 してゐなかつたかと見 える、少 くともこの賣 り人 の方 で破 れば破 られる約定 であつたやうに見 える。それは兎 に角 として、このルクセンブルグ卿 の言葉 の主要點 は、處女 を身請 するに如何 な條件 を附 けるかと云 ふところにある。彼 はこの條件 として、自今 イギリス方及 びブルガンデイ方 に對 して決 して弓 を引 かないと誓 はせるのである。彼 のこの言 から推 して考 へれば、彼 の意志 はシヤルル王若 くはその方 の代表者 に處女 を賣 り渡 したいにあつた。併 し彼 のこの言 はイギリス方 に何等 かの印象 を與 へたと云 ふ痕 は全 く殘 つてゐない。ジヤンヌも之 を別 に重 くとらなかつた。 「ほんたうに、御冗談 を仰 しやい、そんな事 はもう貴方 のお心 にも無 ければ、お力 のうちにも無 いことは分 つて居 ります。」とジヤンヌは答 へた。 ルクセンブルグ卿 が尚 もその主張 を頑張 ると彼女 はかう答 へたさうである、—— 「此處 らのイギリス人等 は、後々 でフランスを征服 することになると信 じて、私 を殺 すといふことは、ちやんと分 つて居 りま す。」彼女 はさう言 つたとしても、決 してさうは信 じてゐなかつた。彼女 は自分 をイギリス人 が殺 すとは全 く信 じてゐなかつたので、そんな言 を吐 いたことは非常 に不調和 に思 はれる。彼女 は審判 の間中 と雖 も、例 の「聲 」の言 ふことを信 ずるところから、自分 は屹度 救 はれるものと期待 してゐた。その救 ひが何時 如何 して實現 されるかは知 らなかつたけれども、併 し彼女 は其 を確信 すること恰 も聖晚餐 に主 クリストが現在 し給 ふことを信 ずるのと同 じであつた。それ故 、彼女 はこの際 ルクセンブルグ卿 に對 してかう言 つたらしく思 はれる、「イギリス人等 が私 を殺 したがつてゐることは、ちやんと分 つて居 ります」と。其次 には彼女 が既 に百千度 も言 つたことを今 一度 勇敢 に繰返 して、—— 「けれど、イギリス兵 が唯今 よりも十萬人增 しでもしたら、このフランス國 を征服 するかも知 れませんがね。」 この言葉 を聞 くや、スタツフオドの伯爵 は佩劍 の鞘 を拂 つた、で、ワーヰツクの伯爵 が辛 とその手 を制 した、鐵鎖 に繋 がれてゐる一婦女子 に對 してイギリスの代表的武官 がその佩劍 を引 き拔 くなどゝは一寸信 じられない事 である。が、このスタツフオドの伯爵 はその頃 は路傍 でジヤンヌの事 を良 く言 つてゐる人 を見 て、卽座 に其者 を刺 し殺 さうとしたと云 ふのだから、本當 の事 であらう。宗敎裁判 ボオヴエー管區 の監督僧正 をしてこの管轄違 ひのルーアン市 で宗敎裁判 を行 はしめる爲 めには、彼 に居留特許 を許 すことが必要 であつた。ルーアンの大僧 正 管區 の監督 は丁度 この頃 は空位 であつた。それ故 ボオヴエーの監督 はこの居留特許 を僧 職 會 に申 し出 た。ルーアンの僧官等 は獨立 する力 がなくなつてゐた。彼等 の多 くは何方 かと云 へば正直 であつた。中 には非常 に敎育 があり文才 に秀 で、優 しい心 さへ有 つてゐる者 もゐた。そして一人 としてイギリス方 に對 して惡意 を抱 いてゐなかつた。イギリス攝政 ベツドフオード親 からがルーアンの一僧官 であつた。この年 卽 ち千四百三十年 の十月 二十日 に、攝政 は僧官 に就 いた披露 として麵麭 及 び葡萄酒 の配布物 を僧職 會 に頒 ち與 へた。ルーアンの僧官等 はアルマニヤツクの處女 の肩 を持 つて偏見 を起 すやうなことはしなかつた。彼等 は一致 してボオヴエーの監督 の要求 を容 れ、且 つ彼 に形式上 の居留特許 を許 したのである。明 くれば千四百三十一年 の一月 三日 、ヘンリー王 は勅令 を以 て處女 ジヤンヌをボオヴエーの監督僧正 に引 き渡 すべきことを命 じた。但 し、若 し彼女 が宗敎裁判 に依 つて無罪 と定 められる曉 には、矢張 り彼女 を自分 の前 へ引 き來 ると云 ふ權利 を保留 しての上 であつた。 それに拘 らず彼女 は、敎會附 の監獄 には入 れられなかつた。それは巨大 なる中央敎會 の陰々 たる影 に蔽 はれた窖牢 の一 つであつた。この牢 では不幸 な巫女 どもが、信仰 の誤 りから幾人 も朽 ち果 てたのである。ジヤンヌは若 し其處 へ移 されたら彼 の城塔 に於 て受 けた恐 ろしさよりも尚 ほ更 に怖 ろしい目 を見 なければならぬ譯 であつた。イギリスの樞密顧問會 がジヤンヌをルーアンの僧官權 に引 き渡 さなかつた事 に依 つて彼女 に加 へた侮辱 は、同 じ理由 に依 つて彼女 の審判官等卽 ち僧官等 に加 へた侮辱 に比 ぶれば遙 かに輕微 なものであつた。 ボオヴエーの監督 は、かやうに自分 の前 に道 が開 かれたので、それこそ思 ひも設 けられぬほどに凶暴理不盡 に事 を進捗 せしめて行 つた。尤 もその凶暴理不盡 には世才 の技巧 と宗規 の知識 をうまく加減 したのである。この告訴事件 の告發者 としては——卽 ちこの告發 を提出 する司法官 としては、ボオヴエー管區 の僧官 兼告發總 長 なるジヤン・デスチヴエを拔擢 した。ジヤン・デスチヴエは監督 の親友 で、二人 とも同時 にフランス勢 の爲 めにその管區 から逐 ひ出 されたのであつた。でこの人 は處女 に私怨 を含 んでゐるとの疑 ひがあつた。監督僧正 は原告代辯官 として宗規科得業士 なる文學士 ジヤン・ド・ラ・フオンテーヌを採用 した。ルーアンの宗敎裁判所 の書記官 を勤 めてゐる僧侶 ギヨーム・マンシヨンを一等書記 に任命 した。監督 はこのギヨームに今度 の職務 に就 いてどう云 ふ風 にして貰 ひたいと豫 め訓諭 する折柄 、こんなことを言 つた、—— 「今度 は一 つ國王陛下 に忠勤 を拔 んでゝ貰 ひたい。我々 の考 へは、このジヤンヌに對 して入念 の告發 を組成 したいことですからの。」監督僧正 が國王 に忠勤 を拔 んでゝくれよと言 ふ意味 は、卽 ち正義 を犠牲 にして貰 ひたいといふ事 であつた。彼 は中々僧官 としての自負心 を有 つた人 であつたから、自分 の惡 い企 みを他人 に打 ち明 けるやうな男 ではなかつた。彼 がこれだけでも言 つた譯 は、つまりフランスに於 ては、最早 一世紀許 りの間 といふもの、宗敎裁判 の法權 が國王 の法權 として見做 されてゐたからである。そして「入念 の告發 」といふ言葉 に至 つては、一切 の法律形式 を遵守 し、不正規 を避忌 する裁判 とか云 ふ意味 に外 ならなかつた。つまり、處女 ジヤンヌの裁判 は、フランス國内 の學者 や博士等 は言 はずもがな、實 に全 クリスト敎土 の耳目 を集中 せしめ、有 らゆるクリスト敎徒 に興味 を抱 かせてゐる重大事件 であるからであつた。併 し法律手續 には十分達 したギヨーム書記官 のことだから、法語 などを誤 り用 ひさうにもなかつた。凡 そ入念 の裁判 とは、嚴密 なる正規裁判 の謂 ひであつた。それで型 の如 く、几帳面 な版木 に刻 たやうな語 と文體 を用 ひればよかつた譯 である。 ギヨーム書記官 は、今一人 その補助者 を選 べと監督 に命 ぜられたので、自分 と同 じく敎會 の書記官 を勤 めてゐる一僧侶 を同僚 として選定 した。 ルーアン市 の副監牧 ジヤン・マツシユーは法廷案内係 りに指定 された。 その當時 に於 ては甚 だ普通 であつたこの種 の裁判 には、嚴密 には常務判事 と宗敎裁判官 との唯二人 の判事 だけ列 した。併 し顧問官及 び陪席判事 として、宗規法及 び民法双方 の側 の學者 を召喚 して陪席 せしむる習慣 があつた。事件 に準 つてそれらの顧問官 の數 や階級 が異 なるのであつた。而 して非常 に有害 な異端 を頑固 に把持 する者 は、下 らない惡魔 を呼 び降 して他愛 もない咒文 などする婆 さん連 よりも必 ずや一層嚴密 に一層仰々 しく審問 せられる事 は明 かであつた。普通 の妖術師 や巫女 の裁判 には、裁判官等 は三四人 の僧官辯護人 と同數位 の役僧 を召喚 するだけで滿足 した。非常 に著 るしい人物 が極 めて重大 な問題 を惹起 した場合 になると、博士 や大僧正 の一大議會 が召集 され、パリイ大學 の博士學士連 も文書上 で意見 を具申 するのであつた。現 にその年 にも某 といふ有名 な學士 がノルマンデイで「敎會 の市井法權 」に對 して抗告 を試 みたことが大問題 となり、イギリス、フランス双方 の側 の學士 や博士 が召集 せられた。それも丁度 このルーアン市 で裁判 が開 かれたのは一寸面白 い對照 である。今 やこのアルマニヤツクの處女 に適用 する審判 は、それよりも尚 ほ一層入念 に且 つ嚴 に、また一層大勢 の博士 たちや僧正 たちが召集 せられた上 で行 はれるのであつた。ボオヴエー監督 はその次第 順序 を次 のやうに定 めた。陪席 の顧問官及 び鑑定官 としてはルーアン市 の役僧等 を出來 るだけ大勢召喚 することにした。この召喚 に應 じた人々 を擧 ぐれば、僧職 會 理財官 ラウル・ルツセル、故 シヤルル六世王 の侍從僧官 たりしジール・デシヤン、パリイ大學 (千四百二十八年 の)前校長神學博士 ピエール・モオリス以下 錚々 たる僧官 が四五名 であつた。同 じ目的 の爲 めにノルマンデイに於 ける有 らゆる名高 い僧院長 を召喚 した。夫 に十二名 の僧官辯護人 を召喚 し、しかのみならずパリイ大學 の有名 な博士學士等 をも召喚 した。それには千四百十二年 の校長 ジヤン・ボーペエール、千四百二十七年 の校長 トーマス・フイーヴエ、ギヨーム・エラール、ニコラス・ミデイ及 び當時 クリスト敎界 に於 て最 も光輝 ありとの聞 えあつた學德兼備 の新進博士 トーマス・ド・クールセル等 があつた。我 がボオヴエー監督 はジヤンヌを審問 する此裁判 を一大宗敎會議 に轉化 せしめんと専心是努 めたのである。この裁判 は實 に一州議會 であつた。その議會 の前 に彼女 は審問 せられるのである。否 、單 に此處女 ジヤンヌのみならず、フランス國王 と自稱 し、シヤルル六世 の正統後繼者 と自認 してゐるヷロワのシヤルルをも判決 するのである。其故 これ丈澤山 の名僧善智識 が集合 し、これ丈澤山 の碩学鴻儒 が參集 したのである。併 しながら、まだこの外 にもクリスト敎會 の光 りとして誇 るべき高僧名士 が數多 くあつた。ボオヴエー監督 は其人々 を召喚 しなかつた。彼 はクータンス及 びリジユーの二監督僧正 とは相談 したがノルマンデイの上席監督 ジヤン僧正 とは謀 らなかつた。この僧正 こそルーアン市 の監督僧正 が缺員 になつてゐる間 、その代理 を勤 めて管區 を取 り締 つてゐたのだ。何故 この人 を相談 に與 らせなかつたかと言 へば、此人 はシヤルル王方 と當然見做 さるべきだつたからである。パリイ大學 の博士 や學士等 も、ノルマンデイ管區内 の各僧院長等 も亦 ルーアンの僧官等 も、かの「トロワ條約 」を堅 く守 つてゐた。彼等 はイギリスの學者等同等 にジヤンヌやシヤルル王 に對 する反感僻見 を有 してゐて、しかもイギリスの學者等 ほどにその嫌疑 を受 けてゐなかつた。それで非常 に好都合 であつたのだ。無法 の裁判 [441頁↓]一月九日 の火曜日 に、ボオヴエー監督 は八人 の顧問官等 を自宅 に召集 した。皆歷々 の僧院長 や僧官許 りであつた。監督 は先 づ一同 にかう話 しかけた、—— 「おかげ樣 で このルーアン市 には今 や多數 の秀 でた神學者 や法學者 が居 られる事 ですから、この女 の審議 に入 る前 にその人々 と十分 に下相談 をして置 いた方 が良 いかと思 はれます。」博士 や學者等 の意見 では、この女 が公 けにしたものと見做 されて居 る言行 に關 する各種 の報告 を蒐集 して置 かねばならぬといふにあつた。監督 は、自分 の命 を以 て既 に或 る種 の報告 は手 に入 つてゐる事 、及 び今度 の會議 に提出 する目的 で未 だ未 だ多 くの報告 を蒐集 せしめるやう決定 してゐる事 などを報告 した。 シヤンパーニユの或 る町 の某 といふ代書人 がヘンリー王配下 の某顯官 に賴 まれてジヤンヌの故鄕 ドムルミイへ赴 き、その近在 の寺院長 や樣々 の托鉢僧等 と共 にジヤンヌの身上 や評判 などの探偵 をしたのは確 であつた。此 一隊 の探偵等 は樣々苦心 して探偵 を續 け、可 なり多 くの材料 を得 たけれども、一 つとしてジヤンヌに不利益 なものはなかつた。而 して、ルーアン市 の或 る信 ずべき市民 の傳 ふる所 に據 れば、その探偵 の結果 を齎 して監督僧正 に報告 した人 は、惡人裏切人 として取 り扱 はれて、終 に何 の報酬 も與 へられずに骨折 り損 をしたさうである。これは如何 にも有 りさうなことだ、が、また變 にも思 はれる、ドムルミイやヴオクラールや及 びその近在 でジヤンヌに不利益 なものが一 つも發見 されなかつたといふのは、決 して眞實 であらう譯 がない。反對 に、樣々 の不利益 な證據 が擧 げられた。その多 くは、魔術 や迷信 に耽 つてゐる一般 の住民等 に對 する罪狀材料 であつたが、また特 にジヤンヌに對 しても、彼女 が妖精 と交 はつた事 や、毒草 を懐 ろにしてゐた事 や、兩親 に從 はなかつた事 やの證跡 が擧 がつた。豐富 な報告 がどしどしやつて來 た。それは啻 にロルレーヌやパリイから許 りではなく、ラニイ、ボオヴエー、レームズ及 び遙 か彼方 のトウレーヌやベリイなど、シヤルル王 に忠順 な各地 からも矢張 り來 たのである。これらの報告 は實 に十人 の異敎徒 二十人 の巫女 を焚殺 するにも十分 の價値 があつた。僧侶等 を怖 れ戰 かするやうな、樣々 の妖魔變異 の事物 が發見 せられた。卽 ち、失 つた杯 や手套 の發見 、不德僧 の曝露 、聖 カトリーヌの劍 、嬰兒 の蘇生 りなどの事 が發見 せられた。法皇問題 に關 するぞんざいな手紙 の報告 も來 たし、その他 樣々 な魔術異敎迷信 などを證 する報告 もやつて來 た。その樣 な諸報告 は、裁判 の記錄文書 の中 には含 まれなかつた。證據及 び證人 の名前 を祕密 に附 するのは宗敎裁判所 の習慣 であつた。今度 の事件 に於 ても、監督僧正 はこの習慣 を口實 に取 つて、各證人 の安全 を計 つた。つまりそれらの證人 は、若 しシヤルル王 に屬 する各地 で蒐集 した報告 を公 けにされようものなら、その爲 めに痛 い目 を見 せられるやも計 られなかつたからである。そんな證人 の名前 は隱 されてあつたとしても、その名前 は各々 の證據物件 と同 一視 されてゐた。裁判 に當 つて用 ひるものとしては、ジヤンヌが親 ら入牢中 に言 つた言葉 が報告 の最良源泉 であつた。彼女 は聰明 であれば抑 へられたものを、何 の抑制 もなく非常 に多 く口 を利 いたのである。名前 も分 らない一畫家 がジヤンヌをその塔 に訪 ねて來 たことがある。彼 は番兵等 に聞 えるやうな大 きな聲 で、恰 も彼女 の紋章 を入 れて彼女 の肖像 を描 きたいと望 むかの如 く、「貴女 の紋章 は何 ですか」と訊 ねた。當時 にあつては生 きてゐる内 からその肖像 を描 かせる人 は極 めて稀 であつた。非常 に位高 い人々 はこの例 に洩 れてゐたが、その人 たちは大抵跪 づいて手 を組 み合 せて祈禱 の態度 で描 かせるのが普通 であつた。フランダースやブルガンデイに於 ては偶 にこんな祈 りの態度 で描 かせない肖像 も在 るには在 つたが、それは極 めて少數 であつた。凡 そ肖像 とし云 へば當然 、神 か聖母 か聖者 かに祈 りつゝある人物 を思 ひ起 させるのであつた。それ故 、この處女 の肖像 を描 くといふ考 へは宗敎裁判官等 に取 つては言 ふまでもなく嚴肅 な譴責 の種 となつた。特 に宗敎裁判官等 の方 から見 れば、この畫家 は破門 せられた女 を宛 ら敎會認可 の聖者 の肖 として描 くものと氣遣 はれたので、別 けてもさうであつた。 この出來事 を注意深 く考 へて見 ると、どうもその男 は畫家 ではなく間者 であつたやうに思 はれる。ジヤンヌはシヤルル王 が彼女 の兄弟 に許可 した紋章 のことをその男 に物語 つた。それは空色 の地 に二本 の金 の百合 と一口 の劍 とを取 り合 せた紋章 なのであつた。樣々 の學者先生等 は、ヷロワのシヤルル方 の兵士 と騙 つてジヤンヌの所 に紹介 せられた。今度 の裁判 の告發官 の役 を勤 める人自 らが、彼女 の目 を瞞 ます爲 めに、哀 れな俘虜 と身 を窶 した。ルーアンの僧官 の一人 でニコラス某 といふ學士 は、今度 の裁判官中 で最 もよくジヤンヌの異敎 を見出 す工夫 に長 じた者 と見 られてゐた。彼 は一文學士 に過 ぎなかつたけれども、その頴才機智 によつて非常 に廣 く知 られてゐた。これまで樣々 な難問題 に關係 して、特 に外交手腕 を以 て聞 えてゐた。 この文學士 はボオヴエーの監督及 びワーヰツクの伯爵 と相談 の揚句 、平人 のやうな服 を着 けてジヤンヌの監房 へ入 り込 んだ。番兵等 は前以 て席 をそらすやう敎 へ込 まれてゐた。そして彼 はジヤンヌと唯二人 きりになると、私 も貴女 と同 じくロルレーヌ州 の生 れで本職 は靴屋 ですが今度 シヤルル王陛下 の手 について戰 つてゐましたところ、イギリス人 に生捕 られて此處 へ參 りました、と話 した。それからシヤルル王 の近狀 に就 いて出鱈目 の作 り話 をして聞 かせた。ジヤンヌに取 りてシヤルル王 よりも親愛 な者 は世 に無 かつた。文學士 の贋靴屋 はかういふ風 に彼女 を打 ち解 けさして置 いてから彼女 を常 に訪 ねて來 ると云 ふ天使等 や聖者等 に關 して樣々 の質問 を持 ち掛 たが、彼女 は信用 し切 つて、さも友達仲間 の如 く、田舎者同士 の如 く打 ち明 けて答 へた。すると彼 はジヤンヌに色々 と忠告 を與 へ、決 して坊 さん達 の言 ふことを信 じないやうに勸 めて後 、かう附加 へた、「若 し貴女 が坊 さんたちを信 じたら、貴女 は亡 ぼされますぞ。」 この人 は幾度 も靴屋 の役 を演 じたとの事 である。後 になると彼 はジヤンヌの言 つたことを殘 らず書記 に記錄 さして置 いて、その備忘錄 を報告 の唯 一の源 とし審判 の間中役 に立 てた。また或 る時 は隣室 に書記等 を潛 まして置 いて、とある覗 き孔 からこちらで話 すジヤンヌの言葉 を一々筆記 せしめらしい所 もある。この市 に専 ら流布 した噂 が本當 だとすれば、この文學士 は聖 カトリーヌに化 けてジヤンヌを訪 ねて、そして言 ひたい事 を總 て彼女 に言 つたとの事 である。彼 が、そのやうな瞞着 を誇 りにして吹聽 したらうとは思 はれないが、併 し少 くとも祕密 にしては置 かなかつた。大多數 の名先生等 はこれを是 と認 めたが、非難 する學者等 もあつた。各學派 の天使 たるトーマス・ド・クールセルは此人 からその變裝 のことを聞 いた時 に、そんな事 は止 めるやうに忠告 した。書記等 は後 になつてからかう言譯 してゐた。卽 ち、さほど巧妙 な手段 で誘 ひ出 した會話 を隱 れ場所 から盜 み聽 きするのは堪 らなく嫌 なことであつたと。宗敎裁判 の黃金時代 は既 に過 ぎ去 つてゐたに相違 ない。このトーマス博士 のやうな嚴格 な博士 たちが最 も嚴 な裁判形式 によつて審問 することを欲 してゐたところを見 れば、それに相違 ないのである。宗敎裁判 としての最 も普通 の規則 を、敎會 の書記官等 が避 けたいと夢 みるほどなのだから、宗敎裁判 の手續 も最早衰頽 したと言 ふべきであつた。インノケント三世 の制定 した裁判法規 に據 れば、陪席判事等 が兵卒 に身 を窶 して罪人 を探偵 することや、檢事 が哀 れな俘虜 になつて異端嫌疑者 に近 よることなどは、平々凡々 たる常套手段 に他 ならなかつたのである。併 しながら此處 に根本的 に誤 つた點 が一 つある。これが卽 ちこの精神 を無視 するに至 つた原因 である。靴屋 を演 じ、聖 カトリーヌに化 けても、若 しその行爲 が罪人 の破滅 を計 るのでなく却 つてその救拯 を計 るのであるならば、罪人 を益々惡道 に陷 らしむるのでなく敎會 へ復歸 せしむるのであるならば、卽 ち罪人 の肉體的精神的 の善 を計 る爲 めにさう變裝 して欺瞞 するならば、それは全 く成規 に適 つた手續 きであつた。斯樣 な手續 を取 り計 らひ、許可 したところのボオヴエー監督 に至 つては、その辯明 と是認 を聖 パウロのコリント書中 に見出 した。卽 ちコリント後書 十二章 十六節 に「われ汝等 を累 はさゞるは巧 なるものなるにより詭計 を以 て汝等 を牢籠 るなり。」とある。 [446頁↓]淸 淨 無垢 の處女 の第 一審 さてジヤンヌの方 はどうかと云 ふに、先 きに哀 れな俘虜 となつて來 た告發者 ジヤン・デエスチヴエが僧官 の裝束 でやつて來 てもそれと氣 がつかなかつた。靴屋 になつたニコラス學士 は、修道僧 の衣 を着 けて屢〻彼女 を訪 れ、非常 に信任 の念 を起 させた。彼女 は信賴渇仰 の情 を以 つて彼 に懺悔 をした、この僧侶以外 には、彼女 の懺悔司僧 は無 かつたのである。ジヤンヌは、この人 を或 る時 は靴屋 として、或 る時 は僧官 として見 たのであるが、しかもその同 一人 なることをつひぞ感 づかなかつた。それ故 、ジヤンヌは或 る點 に於 ては實 に信 じられない位 に單純 な女 であつたと見做 さなければならぬ。從 つて此等 の大神學者 たちは、何等 の困難 もなく彼女 を欺瞞 し得 たに相違 なかつた。神 や人 やの學術 に達 した人々 は、殘 らず好 く承知 してゐた事 であるが、惡魔 が處女 に關係 をつけ初 めるのは、その處女 たる貞潔 を剝奪 してからの事 である。本當 に處女 の貞潔 を保 つてゐ る少女 には惡魔 は入 り込 んでゐない、と見 るのが當時 の學者宗敎家 の見方 であつた。先 きにポワテイエに於 ても學者等 はこの事 を思 ひ着 いたのであつたが、かのヨランド女王 がジヤンヌの處女 である事 を確證 したので、惡魔 の使 ひぢやないかなどゝ云 ふ考 へは捨 てゝしまつた。ボオヴエーの監督 は、それとは全 く違 つた希望 から同 一の試驗 をして見 ようと思 つた。その爲 めにベツドフオード公爵夫人 がわざわざ獄舍 に出 かけて行 つた。そのお供 として二三の老婦人 が行 つた。傳 へる所 によれば攝政 ベツドフオード公爵自身 も同時 に次 の間 に隱 れてゐて壁 の孔 から差 し覗 いて居 たとの事 である。これは決 して確實 ではないが、又有 り得 ないことでもなかつた。公爵 は、ジヤンヌがルーアンに護送 されてから二週間許 り後 、矢張 りこの地 に在 つたのである。この一件 は根據 あることにせよ、ないことにせよ、兎 に角 公爵 はこの好奇心 の爲 めに手痛 い非難 を蒙 つた。公爵 の地位 に立 つて見 れば同樣 に好奇心 にそゝられるか否 かは、銘々 の心 に批判 すれば分 らう。併 し此處 に我々 の心 に止 め置 くべき事 は、ベツドフオード公爵 がジヤンヌを魔術使 と信 じてゐた事 、そして當時 の習慣 では魔術使 の巫女 を貴婦人扱 ひにはしなかつた事 である。そしてまた心 に止 むべき事 は、この事件 たるや實 にイギリス國 に取 つて容易 ならぬ關係 があつたし、又攝政 はその全心全力 を傾倒 して國家 を愛 してゐたと云 ふ事 である。 ベツドフオード公爵夫人 の試驗下 にも、彼 のシシリーの女王 の試驗 の場合 と同 じく、ジヤンヌは處女 と見 られた。老婦人等 は樣々 の處女 の特徵 を承知 してゐた。併 し我々 に取 りて一層確實 なる徵 はジヤンヌ自身 の言葉 である。何故 に「處女 」と自稱 するか、又果 して眞實 に處女 であるかと問 はれた時 に、彼女 は答 へた、——「さうですと答 へられます」と。我々 の知 れる限 りでは、裁判官等 はこの試驗 の結果 を餘 り氣 にかけなかつたが、彼女 の眞實 に處女 であることを好 く承知 してゐた。それを反駁 しなかつた事 は卽 ち承認 したといふ意味 である。しかも彼等 は、彼女 を巫女 と信 じて動 かなかつたのだから、屹度 彼等 は其理由 をかう想像 したに相違 ない、「彼女 は身 を惡魔 に委 せたけれども、惡魔 の方 では彼女 を處女 の儘 に打捨 つて置 いたのだ」と。惡魔 の道德 は斯樣 な矛盾 だらけで、之 に就 ては博學多識 の博士 たちも絶望 を感 じた。日 に日 に新 たな矛盾 が發見 せられるのである。 [448頁↓] 一月 十三日 、土曜日 に、下相談 の爲 めに高僧 、博士 、學士等 が大勢 ボオヴエーの監督 の自宅 に參集 した。ロルレーヌ地方 で蒐 められた處女 に關 する報告 が朗讀 せられた。そして、その報告 に基 づいて數 ケ條 の告發事由 が正式 に書 かれた。 一月 二十三日 、火曜日 に、上記 の學者先生等 が再 び會合 して、前記 の告發事由 數 ケ條 を熟議 し、これで十分 と認 め、審問 の際用 ひることに決定 した。次 に、監督僧正 がジヤンヌの言行 に關 する豫審 を命 ずることを一同 で決定 した。 二月 十九日 、月曜日 の午前 八時 に十一人 の博士 と學士等 がボオヴエー監督 の家 に集 まつた。そして豫審起訴狀 の朗讀 をやつた。滿場 一致 で之 を是認 したので、監督僧正 は、「處女 」と稱 するこの女 を信仰問題 に就 いて召喚 し、起訴 することに決定 した。併 し今 やまた一 つの新 たな困難 が生 じた。こんな裁判 に於 ては、被告 は常務裁判官 と宗敎裁判官 との前 に同時 に出頭 する事 が必要 であつた。この裁判 を効力 あるものとするには二人 の裁判官 が同等 に必要 であつたのである。今 は丁度 フランス國 の宗敎裁判總長 が事件 の爲 め遠方 へ出張 して不在 なのであつた。それでボオヴエー監督 は豫 てルーアン管區 の宗敎裁判副長 を誘 つて、自分 と共同 でジヤンヌを審問 してくれるやうにと賴 んだ。けれど副長 には之 が呑 み込 めなかつたらしい。彼 は返辭 をしなかつた。で、監督 はこの訴訟 を手 にしながら困 り果 てゝゐた。副長 はジヤン・ルメートルと云 つて、甚 だ賢明 な、愼 み深 い神學士 で、ルーアンのドミニツク派 の管長 であつた。遂々 二月 十九日午後 四時 に、彼 はボオヴエー監督 の家 に出頭 した。彼 れは、若 し自分 がこの訴訟事件 に關係 する權利 があるとすれば直 ぐ樣 これを引 き受 けるのであるが、その權利 がないやうに思 はれると言明 した。と云 ふ譯 は、彼 はルーアン管區 の宗敎裁判官 であるが、ボオヴエー監督 は今 やボオヴエー管區 の監督僧正 として土地 だけ此處 に借 りて裁判事務 を執 つて居 るのであるから、その審問席 には矢張 りボオヴエー管區 の宗敎裁判官 を同席 せしめるが寧 ろ適當 ではあるまいかと言 ふのである。けれど彼 はボオヴエー管區 にも適用 せられるところの權利裁可 をフランス宗敎裁判總長 に出願 したいと言 つた。そして、それと同時 に、自己 の良心 を滿足 せしむる爲 めに又 この裁判 の無効 になるのを拒 ぐ爲 めに同席 することに同意 した。それで第 一審 の困難事 は總 て除 かれた。處女 は千四百三十一年 二月 二十一日 、卽 ち水曜日 に出頭 すべく召喚 せられた。 その日 午前 八時 に、ボオヴエー監督初 め、宗敎裁判副長 、竝 びに四十一名 の顧問官鑑定官等 が犇々 と場内 の大廣間 に參集 した。その中 には十五人 の神學博士 、五人 の民法兼宗規法博士 、六人 の神學士 、十一人 の宗規法學士 、及 び四人 の法學士 があつた。監督僧正 は裁判長 席 に着 いてゐた。その傍 には、總 ての顧問官 や鑑定官等 が、或 ひは立派 な硬毛布 の僧官服 を纏 ひ、或 ひは托鉢僧 の粗衣 を纏 うて居竝 んだ。或 る者 は僧官 の威嚴 を示 し、或者 は傳道者 の優 しさを顯 した。物恐 ろしい目附 で睨 んでゐる者 もあれば、眼 を伏 せて俯向 いて居 る者 もあつた。宗敎裁判副長 ジヤン・ルメートル師 は、貧乏 と從順 の制服 なる黑白 の衣 を纏 うて默々 として其間 に在 つた。被告 が出廷 する前 に、案内係 りの僧官 は監督僧正 にかう報告 した。被告 ジヤンヌに召 喚 狀 を差 し出 しましたら出廷 する旨 の返辭 がありましたが、併 しフランス方 よりも同數人員 の僧官 を列席 せしめて頂 きたいと申 し越 しました。又祈禱 を行 つて頂 きたいと申 しましたと。監督 は、何 れの要求 をも拒絶 した。そしてジヤンヌは男裝 をして足枷 を篏 めた儘伴 れこまれた。彼女 は記錄係 りの卓子 に着席 させられた。 もうこの眞初 めから是等 の神學者 と彼女 とは互 ひに恐 れと憎 しみとを以 て睨 み合 つたのである。彼女 は耳 の上 まで切斷 した鳶色 の髮 を暴露 しにしてゐた、これは全 くいかゞはしい女 どもでも敢 へて侵 さない女性 の習慣 に反 したものであつた。女 が、髮 を此樣 な風 にしてゐるのは、見 たことのない僧侶 が多 かつた。彼女 は若 い男 のやうに長股引 を穿 いてゐた。僧官等 に取 つては、彼女 の身裝 はたしなみの無 い嫌 やなものに思 はれた。彼女 は僧官等 を激怒 せしめ、憤懣 せしめた。若 し監督僧正 が頑張 つて彼女 に頭巾 や上衣 を着 けさして出廷 させたら、僧官等 の怒 りは之 れほどではなかつたであらう。この男裝姿 を見 ると、彼等 の心 には、彼女 が自 ら王 と稱 するシヤルル皇太子 の陣中 で演出 した樣々 の行爲 が浮 んで來 た。彼女 は魔術杖 を振 つてイギリス軍 より一切 の力 を奪 ひ去 り、そして今此處 に彼女 を審判 せんとしてゐる大部分 の僧侶等 に痛々 しい害 を被 らせたのだ。或 る者 は彼女 の爲 めに荒 された敎會 の収入 のことを考 へつゝあつた。パリイ大學 の博士 や學士等 はまた、彼女 の爲 めに方 にパリイ市 を火 と劍 で荒 されて了 ふところであつたことを想 ひ浮 べてゐるた。また或 る者 は假令 非常 な遠距離 からではあつたが、矢張 り彼女 の爲 めに恐 い思 ひをした事 を想 ふのであつた。フランス敎會 の大部分 に對 して彼女 が加 へた大荒廢 の事 を想 へば、それも魔術 や占 ひや惡魔 おろし に依 つて爲 されたと思 へば、何 うして彼女 を許 すことが出來 ようぞ。「魔術 の眞實 なることを否定 する人 は、必 ずや極 めて愚 かなる者 に相違 なし」と或 る賢人 は言 つた。其言 に洩 れず、此僧官等 は極 めて學問 ある人々 であつたが故 に、他人 の思 ひも寄 らない所 に多 くの魔術師 や巫女 を發見 したのである。人 や物 に憑 ける惡魔 の力 を疑 ふことは啻 に異端邪惡 である許 りでなく實 に一切 の自然秩序 と社會秩序 とを顚覆 することだと彼等 は信 じたのである。今列座 して居 る博士等 は、その一人々々 で既 に十人 や二十人 や五十人 の魔術使 に罪 を告白 せしめて焚殺 したのだ。そんな事 をして來 た後 だから、今更 ら魔術使 の存在 を疑 ふなどは、狂氣 の沙汰 でなくて何 であらう?人 や獸 の上 に暴風雨 を起 し、魔術 をかけ得 る者 どもが自 ら生捕 られ、裁判 され、拷問 され、而 して何 の防禦 をすることなしに焚 き殺 されると云 ふ事 は、如何 にも奇妙 に思 はれる。だが、是等 のことは絶 えず演出 されてゐた。僧官 裁判官 の誰 もが、それを實見 したのである。極 めて博學 の人 たちは之 に對 して囘答 を與 へることが出來 た、卽 ち、妖術者 や魔術師 は僧侶 の手中 に這入 るや否 やその力 を失 ふものと解釋 した。この解釋 は十全 なものとせられた。我 が處女 は、他 の魔術使等 と同 じくその力 を失 つたのだ。僧官等 は最早彼女 を恐 れなかつた。 ジヤンヌは、少 くとも彼等 が彼女 を憎 んだゞけには烈 しく彼等 を憎 んだ。知識 で膨 れ上 り、煩瑣哲學 で硬 ばつた博士等 に對 して、反感 を感 ずるのは、腹藏 のない、氣 まぐれな熱狂的 な靈感 の人 や學 なき聖者 やに取 つては寧 ろ當然 であつた。こんな反感 をジヤンヌは近頃經驗 した。フランス方 に屬 してゐて、彼女 を惡 しかれとは望 まず、彼女 に面倒 をかけない學者等 に對 してさへも、そんな反感 を感 じたのである。それだから、今 ルーアンの學者等 が彼女 の心 に吹 き込 んだ嫌惡 の情 の如何 に深 きかは想像 するに難 くない。彼女 は、彼等 が自分 を殺 さうと計 つてゐる事 を知 つてゐた。併 し夫 れを恐 れはしなかつた。彼女 は自分等 の守本尊 の聖者 たちの約束 を信 じて、その救 ひに來 るのを待 つてゐた。その救 ひが何時來 るかは知 らなかつたが、來 るといふ事 は決 して疑 はなかつた。それを疑 ふことは聖 ミカエルや聖 カトリーヌや、主 クリストをさへ疑 ふ譯 であり、自分 に囁 く「聲 」を信 じない譯 なのである。その「聲 」は、何物 をも恐 れるなと彼女 に言 つた。彼女 は何物 をも恐 れなかつた。恐 れを知 らぬ單純 ! その「聲 」を信 ずる確信 が、若 し彼女自身 のうち から來 なかつたとすれば、何處 から來 たであらう?監督僧正 はその兩手 を聖書 の上 に置 いて、定 りの型 に從 つて、總 て訊 ねられる事 に對 し、眞實 に答 へるといふ誓 ひを立 てるやうにジヤンヌに命 じた。彼女 には出來 なかつた。彼女 の「聲 」は非常 に澤山 の啓示 を彼女 に與 へたけれども、そのうちの一 つをも他人 に話 してはならぬと禁 じてゐた。彼女 は答 へた、「何 を私 にお訊 ねになりたいのか私 には解 りません。私 の申 し上 げたくない事 を貴方 がお訊 ねなさらないとも限 りません。」 それでも監督 は飽 まで一切 の事實 を答 へると誓 ふやうに言 ひ張 るので、——「私 の父 のこと母 のこと、それに私 がフランスへ參 りました後致 しましたことは、喜 んで誓 ひを立 てます。」と彼女 は言 つた、「けれど私 に下 された神樣 の啓示 のことは、シヤルル王陛下 より外 に誰 にも打 ち明 けたことのない啓示 のことは、決 して申 されません。假令 私 の首 が落 ちましても、その一 つでも申 し上 げることは出來 ません。」 [453頁↓] さうは言 つたものゝ、やがて少 し時 の猶豫 をして貰 ひたかつたのか、それとも自分 の「相談相手 」から新 しい訓示 を受 ける積 りであつたか、彼女 は若 し一週間 の猶豫 が頂 けたら、その啓示 を打 ち明 けてよいか否 かゞ分 りませうと附加 へた。遂 に彼女 は定 りの型 に從 つて跪 づきつゝ祈禱 經典 に兩手 を置 いて宣誓 した。次 に彼女 は、その姓名 、生地 、兩親 、授洗及 び敎父母 のこと就 て答 へた。その年齢 に至 つては、私 の知 つてゐます限 りでは十九歳位 ゐでごさいます、と答 へた。 その敎育 に關 しては彼女 はかう答 へた、——「お母 さんから主 の祈 と聖母 の祈 と信仰箇條 を習 ひました。」併 し「主 の祈 」を唱 へて見 よと命 じられると彼女 は、夫 れを拒 んで、懺悔 の時 だけしか唱 へませんと言 つた。夫 れは監督僧正 に自分 の懺悔 を聽 いて貰 ひたかつたからである。列座 の一同 は烈 しく氣色 ばんだ。皆 が一度 に口 を開 いた。ジヤンヌが低 い聲 で博士等 を罵 つたのである。監督僧正 は、お前 がこの獄舍 を逃 げ去 つたら、それこそ異敎罪 と確定 するのだと彼女 に言 ひ渡 した。 この禁制 をジヤンヌは拒 んだ、「若 し私 が逃亡 しましとて誰 も私 を誓言破 りだと責 めることは出來 ません、私 はつひぞ、そんな誓 ひを誰 にも致 しませんもの。」 あとで彼女 は鎖 のことを愬 へた。 [454頁↓]監督 は、お前 が逃亡 を企 てるから鎖 が置 かれてあるのだと言 つた。 それには同意 して處女 は言 つた、「私 が逃 げたがつてゐるのは本當 です。私 は、別 の殘 らずの捕虜同樣 に、今 も尚 ほ逃 げようと思 つて居 ります。」獄 を逃亡 すれば異敎徒 として處刑 すると言 つた裁判長 の言葉 を正當 に了解 したものとすれば、此樣 な白狀 は實 に大膽 であつた。敎會附屬 の監獄 から逃亡 することは敎會 に對 して罪 を犯 すことであつた。そして是 は實 に罪 であると共 に愚 かしい事 なのである。敎會 の監獄 は懲治監 であるから、そこの懲戒的苦行 を拒 む人 は罪 があると共 に愚 かしい者 である。そんな人 は丁度癒 されることを拒 む病人 のやうな者 だ。併 し嚴密 に言 へば、ジヤンヌは敎會監獄 に居 たのではない。彼女 はルーアン城中 にーー卽 ちイギリス隊 の軍事監獄 に居 たのである。此處 を逃亡 したからとて、彼女 は敎會 の破門 を受 ける譯 もなし、また背敎者 に加 へられる刑罰 を受 ける譯 でもなかつた。其處 に困難 があつたと思 ふ。併 しボオヴエー監督 は、入念 な法律上 の假定 といふものでこの困難 を取 り除 いた。軍事監獄 を敎會監獄 に擬制 したのである。イギリス國王 より任命 された三人 の兵士 がジヤンヌの看守 をした。監督僧正 は宗敎裁判 の裁判長 としてその三人 の兵士 に、この職務 を帶 びさせる際 に、聖書 の上 で宣誓 せしめ、處女 を確 と見守 るやう誓 はせたのである。 かうして我 が少女 は聖母 、聖敎會 の囚徒 となつた。而 して彼女 はこの繩目 を斷切 ることを得 ないで遂 に背敎者 に落 ちた。第 二審 は翌日 、卽 ち二月 二十二日 と決定 した。 <ボオルヴオワールの獄 了> [(下篇 十一)へ続く] 底本: ジャンヌ・ダルク 1917年 早稻田大學出版部 譯者: 吉江 孤雁 (喬松 )(1880.09.05 - 1940.03.26) 原著:Vie de Jeanne d'Arc 1908 著者:Anatole France (1844.04.16 - 1924.10.12) ※ 底本では「捨」は、「手へん+舍」の字体が用いられている。 ※ 底本では「周」は旧字体「周」(土が下に突き抜け)が用いられている。 ※ 450頁2行他、「あしがせ」の字体が好く読み取れないので、「足枷」とした。 (『足枻』と記載されているように見えるのだが) ※ 底本では「嵌」は、「竹冠+手偏+甘」の字体が用いられている。
下篇 九、ジヤンヌに對する抗告狀 < < | [ 目次 ] | > > 下篇 十一、無法の裁判 |
ジャンヌ・ダルク 下篇 十、 ボオルヴオワールの獄 ——處女《をとめ》アルラスの獄へ移る——コムピエニユの敵敗退す——處女イギリス方に買取らる ——ルーアンに移る——宗敎裁判——無法の裁判——淸淨無垢の處女の第一審 底本:国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 所収 / ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6)
電子テキスト入力: cygnus_odile
(縦書き表示 powered by 涅槃2(Nehan2-1.22)− 縦書き文庫提供)
履歴:
2012-06-10 : 縦書き組版エンジン:涅槃2(Nehan2)を利用して、下篇 十章 の縦書き版掲載。(rev. 1.00 ) 2013-09-03 : 文字の脱落修正(足枷を嵌めた儘伴れこまれた。)(なお、原著では、嵌めるは、竹冠+手偏+甘の字体)(rev. 1.01 ) |