榴弾砲とバレテ峠

(サンタフェ〜レストハウス〜バレテ峠〜マニラ)


5月5日

今日はマニラに戻る日。
またもや真っ暗な午前3時に起きてしまった。
予定では8時に出発とのこと。
いくらなんでも早すぎたな・・・時間を潰すのに苦労する。
朝食を終え、ゆっくりしていたらバディ君のジプニーがやってきた。
そのうちオマリオ夫妻やジェイソン君、若い連中がぞろぞろ集まってきて車に荷物を積み始めました。
ん?みんなでどこかへ出かけるのかな?
私はテラスの椅子に座ってタバコをプカプカ・・・
そのうちドミンが「OK?」と尋ねてきた。
はぁ?出発?私も?
時間はまだ7時20分。40分も早いぞ。
慌てて荷物を取りに部屋に戻り、慌しくみんなと出発しました。
なんと、みんなは私が車に乗るのを待っていたんだとか・・・
ドミンに尋ねたらみんなも用事があってサンタフェに行くのだそうだ。
そこで私たちはみんなと別れてバレテ峠に行き、そこからバスでマニラへ戻るのだそうだ。

そう言えば・・・ケネディ君の姿が見えない。
彼に昨日の案内役の御礼をせねば・・・
途中のケネディ君の家に立ち寄ってもらい彼にお礼を渡す。

そして我々は山道をガタゴトとサンタフェに向かったのでありました。。

バディ君のジプニー サンタフェに到着したバディ君のジプニー

「はい、ここで降りてください」と言われ降りる。
ジプニーはこのまま北へ行くんだそうだ。
はぁ?じゃ・・・僕はどうなるのかな?
別の車が来るので、それに乗ってバレテ峠に行ってくれとのこと。
他の人は降りる人もいれば乗ったままの人もいる。
う〜ん、みんなの動きが掴めない。
どのタイミングでみんなに「さよなら」を言えばいいんだ?

ところで・・・このジプニーの料金はどうなってるのかな?
ドミンに聞いてみたが、わからないという。ジェイソンに聞いてくれというので彼に聞いても同じ返事。
おい、おい、どうしたらいいんだ?タダというわけにはいかないだろ?
バデイ君に聞いたところ、「2,000ペソ」と言う。で・・・友達なんだからそれに500ペソ乗せて2,500ペソ(5,000円)くれと言う。
はぁ?ちょっと高くないか?便乗者の分まで俺が払うのか?
ガソリン代が上がったから・・・というのだが、なんとも合点がいかねぇぞ。
前回は一緒に山に登ったからチップを弾んだわけで・・・
今回は違うだろう?
尋ねた私が馬鹿だった。知らぬ振りして500ペソくらいチップをやれば良かった。
仕方がない・・・頭にきたので、3,000ペソ渡してやった。(これで文句はねぇだろう!)
さすがに悪いと思ったのか、お釣りを渡すと言ってきたが断る。(持って行けぇ〜)

そのうち、1台のワゴン車がやって来た。
運転していたのは昨晩一緒に飲んでいた若者。
これに乗れというので、みんなに別れを告げて乗り込んだ。
ところが、ジェイソン君と他に2人が乗ってきた。
わからねぇなぁ〜みんなの行動が・・・。
とにかくバレテ峠に向け出発だ!

途中で、大砲がある公園に寄ってあげるといわれる。
ん?そこは前回、行ったことがあるんだけどなぁ〜
どうもドミンは忘れてしまっているようだ。
折角言ってくれるんだから断るのも悪い。
初めて訪れるような顔してやるか・・・・

九一式10センチ榴弾砲 大砲の刻印を調べてみた。
一部刻印が読めない部分があるが・・・「九■式■糎榴弾砲」と書いてある。

ということは・・・九一式10糎榴弾砲ということか。
タイヤがついているという事は機動九一式10糎榴弾砲ということになる。
タイヤは当時のものではない。片方がグッドイヤーでもう片方はヨコハマタイヤだ。

私が熱心に大砲を見てまわっているので、みんなは呆れている。
わからんだろうね。私が何をしているのか・・・・
前回来た時に、この大砲の刻印を確認するのを忘れていたのだ。
何という砲なのか知りたいから舐めまわすように見ておるのだ!

大砲を確認後、車に乗って更に南下してバレテ峠に向かう。
今回もバレテ峠の慰霊碑を参拝する。
ドミン自慢の場所である。

バレテ峠の慰霊碑 バレテ峠の慰霊碑
戦跡の碑 戦跡の碑
戦跡の碑
ここバレテを巡る山野は1945年1月から半年に亘り「鉄・撃・泉」の日本軍と米比軍が壮絶な死闘を続け阿修羅の鮮血で染められた天地慟哭の戦跡である
この決戦は北部ルソンの命運をかけ祖国のため一万七千百余の両軍の戦士が砲火の中に散った
ここにその遺烈を偲び鎮魂の祈りを捧げ人類永遠の平和を願ってこの碑を建てる
1984年3月 バレテ慰霊会
戦没者追悼之碑 戦没者追悼之碑
碑の由来
この地は昭和48年(1973)日本派遣の戦没者遺骨収集団がこの地域の戦没英霊のご遺骨を荼毘に附し残灰を埋葬した所である
この十字形追悼碑は日比親善慰霊会が住民の協力に感謝しサンタフェ町に公民館を寄贈した事に対し当時の町長トム・チェンカイ氏が日比親善と永遠の平和を願って土地を提供し建てたものである
日比親善慰霊会
(撃・鉄・泉・有志)

※撃=戦車第2師団、鉄=第10師団、泉=第26師団

展望台 慰霊碑の位置から見た展望台

この高台は日本軍名「秦名山」だろうか?

「秦名山」には臨時第2野戦補充隊(小妻隊)と野砲第10連隊第4中隊が配備されていたのだが・・・

今回は慰霊碑の側の高台にある展望台に上ってみる。
前回来た時に気になっていた場所だ。
今回は是非とも登ってみたかったのだ。ドミンを置いて一人で登っていくと後からジェイソン君達がついて来た。
いやぁ〜このクソ暑い中、無理して付き合ってくれなくてもいいのに。悪いねぇ〜
展望台に着くと、そこにフィリピン人の家族連れ観光客が一組いました。
いきなり・・・「英語が話せるか?」と聞かれ「少しだけ」と答えたら呆れた顔をされてしまった。
「ここは戦場跡なんだろ?」と言うので「そうだ」と答えたら嫌な顔して帰っていった。
ん?何か悪いこと言ったか?わからねぇなぁ〜

展望台西隣の小山 展望台の西隣りにある小山

ん?こっちが「秦名山」か?
それとも「赤城山」か?
どうも略図では距離がはっきりしないのでわからない。

バレテ峠 バレテ峠

手前に見えるのが日本の慰霊碑群。
道路(5号線)の向こう側(東側)にあるのが、日本軍名「孫山」か?
略図だけでは位置関係が良くわからないんですよ。
資料によってはこの山あたりが師団司令部のあった「天王山」のようにも思えるし・・・
こういう場合は、生還者と一緒に来て教えてもらわないとわからない。
ここが一人旅のつらいところです。

「孫山」と思われる山の斜面をブルドーザーが削っている!
ありゃりゃ〜・・・・「あのぉ〜そこに陣地跡はなかったですかぁ?」って言いたくなってしまった。

バレテ峠から見た南方向 慰霊碑の場所から南方角を見る。

道路はバレテ峠に向かう5号線。
左がバレテ峠。
手前か、もしくは奥の山が日本軍名「金剛山」
この山には歩兵第63連隊の連隊本部と第3大隊(宮崎大隊)が配置されていました。
その他に中迫撃砲部隊も道路の近くに配置されていたようなのですが・・・わからないなぁ〜

持参した略図と見比べながらキョロキョロしていたところ、ジェイソン君が「今度はあの山を登るんですか?案内しましょうか?」と冗談交じりに言ってきた。
「おおっ!そうだねぇ〜」と私。
「でも2年後ですよねぇ〜今度来るのは・・・」
いつも2年おきに来てるからね・・・・一本とられてしまいました。

さぁ〜そろそろマニラ行きのバスにでも乗りますか〜
さて・・・何時にバスは来るのかな?
ドミンに聞いてもわからないという。
バス停もなければ時刻表もない。峠を通過するバスを見つけて乗るのだそうだ。
それはヒッチハイクと同じじゃないか?

茶店でコーヒー飲みながらバスが来るのを待つ。
ジェイソン君達はサンタフェでバスケットボールの試合があり、それに出場するというのでトライシクルに乗って帰っていきました。
おい、おい、そんな忙しい時にここまで付き合ってくれたのか。申し訳ない!
30分ほど経った頃、バスが北のほうから坂道を登ってきました。
よし!これだ!乗るぞ!時刻は9時40分頃。
クバオ(CUBAO)行きのフロリダという会社のエアコン付き長距離バス。
バレテ峠を通過するバスは全てマニラ近郊のクバオ行きと書いてあるのだそうです。
マニラから208km地点から乗車、マニラへ5km地点で降車、一人255ペソ(510円)。

まぁ〜このバスは乗り心地は悪いし車内でビデオの放映はないし・・・・退屈。
午後1時、やっと途中のドライブインで昼食休憩。昼食代二人で170ペソ(340円)。
退屈なドライブが続き、やっとマニラ首都圏に着いた・・・・と思ったら・・・
なんと!バスはガソリンスタンドに入ってガソリンを補給し始めました。
おい!おい!乗客を乗せたままかよ〜
30分も停車してガソリンを入れてるんですよ。
それって乗客に失礼じゃないか?よくみんな大人しくしているなぁ〜。
スタンドのメーターを見たら200リットルも入れておるのです!料金は5,254ペソ(1,0508円)なり〜
走り出してまもなく終点に到着。
こんなことなら終点で乗客降ろしてからガソリン入れたらいいだろうに・・・・(ほんとに空っぽだったのか?)
あ〜30分も損しちまった!

さて・・・ここはどこ?
さっぱりわからねえぞ。
ここからタクシーでホテルに行くという。タクシー代80ペソ(160円)。
タクシーに乗ってからわかりました。
私が降りたのはホテルのあるマニラじゃない。川を挟んだ対岸の隣町だったようです。

ホテルは毎回利用しているパビリオンホテル。
今回訪れた時は内装工事中のためフロントとエレベーターホール以外は全て壁で囲まれていました。
ここで、旅行会社のステラさんと待ち合わせ。チエックインの手続きをして、レストランでコーヒー飲みながらおしゃべり。
いつも彼女がサポートしてくれるのですが、ゆっくりおしゃべりしたことがない。
今回初めて色々ととおしゃべりが出来ました。
ドミンはさっさとマニラの自宅へ帰ってしまった。
午後7時までステラさんとおしゃべりして部屋に行き、その後一人でレストランで夕食。

さぁ〜明日は早いぞ。午前3時に起床して空港に向かわねば!絶対寝坊は出来ない!
しかし・・・記録の整理をしているうち時刻は午前0時!
まずい、早く寝なくては!


      


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