ここは「スズメ陣地」か?

(サラクサク第1峠)


5月4日

午後3時まで”お昼休み”をして、今度はサラクサク第1峠に向かうことにしました。
サラクサク第1峠には、まだ一度も行ったことがないのですが、祖父の陣地があった場所だから胸ワクワク。
さぁ、出発だ!
ん?ドミンも行く気でいる。大丈夫かなぁ〜。
ここで残って待つように言ってはプライドを傷つけるだろうなぁ〜
私は、余計なことを言うのをやめて4人で行くことにしました。

テクテクと道路を歩き、途中から山の中へ・・・
谷沿いに峠に向けて歩くのですが・・・・ここで小川を発見。
この乾季に清流があるとは意外でした。
サラクサク第2峠では水は見られませんでした。
ふ〜ん、ということは・・・・この辺に日本軍は集まったな。
思わず小川を覗き込み、遺骨か遺留品でもないかと探してしまいました。

こんな調子でキョロキョロしているから、みんなとはぐれること2回。
この時の心細いこと。
母親とはぐれて迷子になった幼児のような気分です。

谷沿いを歩いている段階で暑さでバテバテ。
こんな調子で山を登れるだろうか?
フッと不安がよぎる。

まもなく先導役のケネディ君が急斜面を登り始める。
ゲゲッ!ここを登るのか!
(あまりのショックで写真を撮るのを忘れました)
必死になって斜面をよじ登る。
途中の平らな部分で下を見たら・・・・ゲゲッ!
高所恐怖症の人は見ちゃいけない景色。
まずいなぁ〜これ、帰りはどうするの?
絶対降りられねぇぞ、この斜面は・・・
更に恐ろしい言葉を聞いてしまった。
「あと200メートル頑張ってくださ〜い」とケネディ君。
「あと200メートル?」
「イエ〜ス!200メートル」とケネディ君が笑いながら言う。
もう泣きそうです。
途中でドミンが足を滑らして落ちそうになるし・・・・
最後尾で私はドミンを支える役。
それにしても・・・たいしたもんだドミンさんは。
75歳だというのによく頑張ってる。
毎日山道を5キロも散歩しているんだと豪語するだけのことはある!

先に登り終えたジェイソン君とケネディ君が奇声を上げている。
まだ斜面にへばりついている私にはわからない。
そのうち平坦な場所に出ました。
おお!素晴らしい草原です。(大声をあげたくなる気持ちが良くわかりました)
はて?もしかして・・・ここは”スズメ陣地”ではないか?
確信はないが、なんとなく”スズメ陣地”のような気がする。

祖父・鈴木重忠(捜索第10連隊長)は4月20日頃までサラクサク第2峠付近で戦っていました。
3月4日、サラクサク第2峠に至った祖父は天王山を中心とする”アキ陣地”にいた乾大隊を指揮下に置き戦いましたが、敵の砲爆撃で1日に20〜30名の戦死傷者を出し激減。
隣りの高田山を中心とする”フユ陣地”に移動。
戦車第10連隊の高田中隊(第4中隊)を指揮下に他の部隊の補充も受けて戦いましたが、4月20日にサラクサク第2峠は完全に米軍に占領されてしまいました。
祖父の部隊は生存者約30名まで激減。
4月21日に更に後方のサラクサク第1峠に後退し、”スズメ陣地”にいた徳永大隊(独立自動車第62大隊・2個中隊=約300名)、山下大隊(臨時第4野戦補充隊・2個中隊=約200名)を指揮下に入れ、5月21日までの1ヶ月間戦っていました。

神武山、八絋山のあるサラクサク第1峠の下あたりに”スズメ陣地”はあったはずなんだが・・・
どの丘が”スズメ陣地”なのやらわからない。
どれもこれも陣地に見えてしまうんですよ。

私の肩ぐらいまで伸びた草を掻き分け歩く。
塹壕らしき穴は見当たらない。
この草原を通り抜けて目の前の尾根に向かう。

ゲゲッ!またもや急斜面を登るのか〜
足元は竹笹の落ち葉で滑る、滑る。
滑り落ちたら大怪我だ。
こんなところに陣地なんか作るかなぁ〜

やっと尾根の頂上に到達する。さすがにバテバテだ。

草原の台地 尾根の頂上から見た途中の草原の台地

我々の歩いた跡が1本の筋となって残っています。

尾根の頂上は完全な馬の背。
巾は1mあるかないかという狭さ。
さて、ここからサラクサク第1峠へ尾根伝いに登っていくわけですが・・・
ケネディ君に尋ねたら、まだ半分ほどしか歩いていないという。
なに!まだあと半分もあるのか?
第1峠はどこかと尋ねて指差す方向を見ると・・・・はるか彼方に山が見える。
どうもそこがサラクサク第1峠らしい。
ドドッと疲れが出てきた。

サラクサク第1峠方向 尾根の頂上から見たサラクサク第1峠方向

どうも一番奥の尖がった山の左の少しへこんだあたりが第1峠か?
手前の丘は”スズメ陣地”の一部か?

時計を見ると既に4時半。
ここまで1時間半かかっているということは、あと1時間半はかかると考えねばなるまい。
そろそろ太陽も沈みかかって夕日がまぶしく照らし始めてきている。
さて・・・サラクサク第1峠につくのは6時か・・・・太陽は完全に沈んじまうな。
そうなると帰り道のこの馬の背を真っ暗な中で歩くのは不可能だ。
右も左も崖なんだから・・・・足を踏み外したら大変だ。
「よし!帰るぞ!」
なんとも残念だが、やむを得ない!
次回また来ればよい。今回は偵察じゃ。
ケネディ君に帰る旨の指示を出し先導させる。
(まさか・・・さっきの斜面は降りないよねぇ〜)
さすがに尾根伝いに下へと向かって歩き始めてくれた。
よかった、よかったと思ったが、こちらも急角度。怖いといえば怖い。
しばらく歩くと尾根に沿ってズラリと塹壕が並んで残っていました。
やっぱり陣地跡だ!

塹壕跡 写真では見づらいでしょうが、塹壕(タコツボ)跡です。

しかし・・・こんな狭いところに沿って横一列に並んで戦っていたのか。
隣りの山に向かって撃っていたのか?
それとも下から登ってくる敵を狙ったのか?

今度はスコップを持ってきて少し掘ってみたい気がする。
何か遺留品とか遺骨とかが出てきそうな感じである。

慰霊碑方向 尾根から見た”サル陣地”

尾根のところから”サル陣地”にあるサラクサク峠慰霊碑を見る。
山というのは面白いというか難しい。
見る角度で全然形が違って見える。
サラクサク第2峠方向(米軍進撃方向)から見ると平坦なところにポツンと小山があるように見えるのだが、こちらから見ると周りはかなり凸凹の丘で取り囲まれているのがわかる。
慰霊碑の左側にある台地にはたくさんの塹壕が残っているのだが、なるほど、そこに布陣するのも当然だと思う。

尾根の斜面を下りてフッと横を見ると樹木の向こうに道路が見える。
あれ?
意外にあっさりと道路に出られた。
ん?最初からここの尾根を登れば楽だったかも。
あの恐怖の急斜面をよじ登らなくても良かったかも。
次回は、このルートで登ろう!

テクテクとオマリオさんの家に向かって歩く。
途中で私は気が変わった。
そうだ、慰霊碑に行こう!
ドミンは尾根のところで足を軽く捻挫したらしい。
足が痛いと訴えてきたので、先に家に帰ってもらう。
ジェイソン君とケネディ君は呆れている。「本当に行くのか?」という。
え?何で?何かおかしいこと言ったか?
帰り道で慰霊碑に寄ってもいいじゃないか。
もしかして、私が意外にも元気なので呆れていたのかもしれない。
私としては慰霊碑のところから自分が歩いたルートを確認したかっただけなのだ。

私が歩いたルート 慰霊碑から見た私の歩いたルート

「日本でもよく山に登るのですか?」とジェイソン君が尋ねてきた。
驚き!
今まで2回一緒に行動をしているが、彼が私に話し掛けてきたことは一度もないのです。
いつも私が話しかけ、彼は無言で頷くだけ。
私は日本では山登りもしないしハイキングもしない。実はそういうのは大嫌いなのです。
私はアウトドア—派じゃない。キャンプもバーベキューもできない男なのです。
しかし、ここは違う。
小学生の頃から夢に見いていた場所なんだ。
祖父の苦労を体感したいんだ。
だから山に登るんだ。
・・・・ということをジェイソン君とケネディ君に話して聞かせてあげました。
(果たして私の下手な英語でどこまで伝わったかは知らないけど・・・)

太陽が山に沈み直前にオマリオさんの家に帰宅。
今日は私の誕生日!
なぜかやたらとドミンがみんなにアピールする。「今日はこの人の誕生日なんだ」って。
昨日ジプニーに乗っていた連中たちが集まり、夕食前に外のテラスで酒盛りが始まってしまった!
「おお!お前の誕生日か!ハッピバースディートゥーユー!」
ギターを持ち出し歌までが出始めた。
どうも私のことを歌った替え歌らしい。
「君はいつも笑っている楽しい男だ」というような歌詞は聞き取れたが、あとはわからない。
彼が歌うたびに、みんなが私を見てキャーキャーいいながら冷やかす。
ん?なんのことやらわからんが・・・
ところで・・・君たちは誰?
何者なのか知らないが、とにかく10人ぐらいが集まって大騒ぎ。
散々酒を飲まされてしまった〜

そのうち食事の用意が出来たとオマリオさんの奥さんが呼びにきました。
さぁ〜食事だ!
とおもったら・・・・酔っ払いすぎて目が廻っている。気分悪い〜。吐きそうだぁ〜。
食事前にはお祈りがある。
オマリオさんから私の誕生日のお祝いの言葉。
私もお礼のスピーチを軽く言うはずが・・・・ろれつが廻らん。
駄目だぁ〜こりゃ。
食堂には30人ぐらいの大人と子供が所狭しと食卓に並んでいる。
ん?あんたらどこから来たの?

珍しく食事が進まぬ私を心配して奥さんが尋ねてきた。
(う〜ん。口を開くと吐きそうだぁ〜)
正直に言うしかない。飲みすぎて酔っ払って天井が廻っているとジェスチャーを交えて伝える。
食堂は大爆笑!
小さな子供たちもケタケタと笑っている。
はぁ〜情けねぇ〜

食後、またもや外のテラスで酒盛りが再開。
飲みすぎて苦しかったけど楽しい一夜でした。


      


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