哲学と科学への意思

In Reply to: だいたいオッケイ・・・です
投稿者:来生自然
投稿日時:2001年11月16日 22時37分17秒

> お疲れさまー!
>
> じねんさん、って詩人的才能、あんまりありませんね。
> 損をしてる、と思います(笑)。

哲学を個人のレベルで抱え込み、客観の風に当てないでいれば、
独りよがりとなり、その、高尚な知恵を誰も知るよしもない。

個人の人間性を捨てて、客観のみで真理を追い求めれば、
共通の土台を築き上げることができるかもしれないが、
個人の「こころ・意思・たましい」は、無残な傷を受ける。

哲学者も、科学者も、共に歩み寄ることができないまま、論争を続ければ、破滅は避けられないだろう。
攻撃し合った先にも、乗り越えるべきものが見えなければ、その地平は両者にとって「井戸の底」に成り果てる。
ぶつかり合って、さらに深い「思索」の道に迷い込まねば、人生無意味なのかもしれない。

「唯物論」も「唯心論」も「唯脳論」も、
「一元論」も「二元論」も
「人間が」考えることによってのみ、「人間に」理解されるというに。

自己の「内部」と「外部」は、分離できるようでいて分離できない。
両者は共存する。あたかも「蜂」と「花」の関係のように。
片方が存在することによって、もう片方が存在可能である。
そして、両者を人は認識可能であるにもかかわらず、「無矛盾」で「論理的に・完全に」知ることは不可能であるように思われる。

今回の、「長い会話」は、私にとって「疲れ」ではなく、「心地よさ」をもたらしてくれました。

逆に、(なんで、当たり前のことを聞くんだ!と、)ジョーカーさんを疲れさせてしまったのかもしれません。(笑)

長い間、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。


http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/4597/

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