底の抜けたバケツ

投稿者:ジョーカー
投稿日時:2001年11月13日 13時16分58秒

>わたしは、このような実験系をいくら突き詰めていっても、おっし
ゃられるような問題は、決して解決できないだろうと思っています。

諸科学が実行される土地に流れている<時間>が、「今・今・今・」の連鎖としての時間であるので、哲学が担っているような「問い」に、諸科学が哲学にとって代わる(代理)仕方で答えようとするとき、底の抜けたバケツで水を汲むような行為となる気がします。・・・この「時間」の正体は、未だ、十分に把握できていませんが。

ところで、哲学が担っている「問い」とその「応答」の土地を流れる<時間>が「反復される時」である場合。諸科学が哲学を代理しようと企てるとき、常に自身を更新しながら作動する自分自身の<時間>系列を、更新ではなく反復される永遠の「問い」と「応答」を前にして発動してしまうという越権行為的結果となります。そこに在る「問い」と「応答」を前にして、諸科学の言葉は、無限に食い違い続ける・・・。何が起きるか? それが、本来、「リアクション」であり、「金太郎飴」だと考えます。

ただ、諸科学を否定することが目的ではないのです。科学的実践と哲学的実践の在り様の<差異>、このふたつのものの「カストール」と「ポリュデウケース」という<差異>が押さえられて置く必要がある、って感じです・・・

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Re:底の抜けたバケツ
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