19) ある親御さんとの交信より。(過去ログ)

at 2000 02/14 17:48 編集

受験と進路の話が出ているので、二年程前のメール上の会話から抜き出して見ました。

>中2の息子も来年受験ですが、高校に対してなんの目的も持っていないんです。
こりゃ、やめちゃうんじゃないかなぁという感じがして、親としては不安です。
>やめてもいいという声もありますが、親としては高校を卒業していない子供の将来は、不安です。

親は何故、子供を高校に行かせたいのでしょうか? 目的がないということですが、親としては今までどういう後姿を見せてきたのでしょうか。
私の娘も中2ですが、それこそ進路に付いてはその都度、とことん話し合っています。
上の娘のときは、とても現在の高校には行かせられないという親の想いを受けて、文化学院と言う芸術系の専門学校に行きました。 「自由」と「創造」という趣旨で与謝野晶子氏が創立した学校です。

親は、そのうたい文句が大変に気に入ったのでしたが、後になってそれは、親がただ強引に押し付けただけと気が付きました。 と言っても、別に失敗したと言うわけでは勿論ありません。

さて、親と子が進路について話すとき、どんな話になるのでしょうか。
親は学校の選択について、知見をひろげるのでしょうか。あるいは、ほとんど子供のいいなりで、高校にさえ行ってくれれば、行ければ・・・でこと足れりでしょうか。

私達の場合、どうしても最初の子は実験台的なところがありました。
下の娘の場合は話し合いを密接に、何回でもすることで親を顕す一方、子供を受け入れると言うことはどういうことかを探りながら話し合い、そのことを通じて娘の生き方、親子のかかわり方等について、計り知れないくらいの気づきと、疎通を得てゆくことが出来ました。
そのうちに上の娘も加わり、家族全員が頭を寄せ合い、自分自身とてらして他に想いを馳せることをしあう中で、自分そのものの生き方も明確になってゆく、といった話し合い、語り合いになってゆきました。

多分、その都度ごとに通常の暮らしの中では得られない、親と娘の一生分もの話をしていたのではないでしょうか。 テーマはその都度違いますが、進路では「どういう人になりたいのか」です。
何がしたいかとか、どういう会社にはいりたいのか、ではなく「どういう人になって、そのために何をしていったらよいのか」と進みます。 勿論、何故そういう人になりたいのかは、大切なポイントになります。
親は、親として在らねば話にも何もなって行かないのは当然と想われます。 常日頃、どういった親の後姿を観せているかがハッキリと出るところです。
決して、ヒザ詰談判をするのではなくて、真剣な座談会、とでも言うのでしょうか。 親は、子供の主体を最大限尊重して、深奥を探り、自らが明瞭になるように場を用意するだけです。勿論、一切の誘導もしません。

何時間の沈黙があっても、考えられる限りは待ちます。考えられなければ、一休みして、雑談からまたはじまるのです。続けられなければ、次の機会に延期します。
けっして義務でも責任でもなく、真路と言う大切な指針を見つけ出すことへの面白さ、愉しさがだんだん募ってくるようで、日々充実してゆくようでした。
実際、中2の娘と人生について話ができるなんて思いもしなかったのですが、私自身そのことに気が付いたのは、他の家庭の話を聴くようになってからのことでした。
「生きる力」とは何なのか。「ゆとり」とは、「こころの教育」とは等についても、大人の観方と子供達の観点はまったく違いますが、年相応に深めて考えたり、ぶつかってきたりします。

何よりも大事なことは、話し合った結果を皆が一緒に実践して行くことにあります。 独りでは何事も進みません。 いくら一生懸命にやってみても、「頑張り」にしか過ぎず、独り善がりに充足するのがオチです。
「共に」をどんな時にも忘れないで、やってみてどうかをまた、皆で話し合い、観合う。 そんな人間関係を通した地域社会づくりが、何処に住もうとも積極的にできうる社会人に育てるのは、親としての使命と想い、まずは家族の庭づくりからです。

そして、大事なのは親社会づくりでしょうか。 親達の健全な社会がなければ、正常な子供達の社会が生まれよう筈がないからです。
如何でしょうか。

 

18) 「ガンを明るく生きる」その2

at 2000 02/14 17:47 編集

「ガンを明るく生きる」の講演会・座談会の窓口をしていられる68歳にもなろうかというお婆ちゃん(失礼)からの座談会感想文です。

ご本人の好意を賜り、ここに転載させていただきました。

伊藤 勇さん 69才 名古屋 在住 元 婦人服縫製会社社長として40年間やって来られましたが、3年前に 前立せん癌の告知を受け、その後、愛知がん患者の会 (いずみの会)に入会、昨年 名古屋でヤマギシの会員さんが 4人で 始めた、心の健康を考える会(サ−クル みどりの会)の発行した チラシをみてヤマギシを知り、間もなく昨年5月のゴ−ルデン特講を受けました。
その後すぐ、花井先生との 全国行脚がはじまり、現在までにヤマギシ会関連だけでも170回の講演、懇談会、座談会をこなされました。
その他に、医師会、宗教界、商工会、経営者団体からの依頼での講演は、200回を 越えたそうです。
身体の方は、肝臓、骨転移7個所になって来ているとのことですが、2ヶ月づつ区切って、「まだ 大丈夫」と、命を 確認しながら、生きて居られます。
「お正月は この分では まだいいだろう」と云って 居られました。

12月8日・9日は、大阪のNさんご夫妻が、伊藤さんを 呼んで呉れました。ちょうど 私も 8日だけ空いていたので、付いて行きました。 お昼、鍋を 囲んで 雑談をしながら、美味しく、楽しく始まりました。 同席のNさんのご主人は、胃がんの他に 肝炎を患い、今は更に淋巴腫という病いを抱えていらっしゃいますが、とても 穏やかで、大根や、水菜など、菜園で 出来た野菜を 目を細めて嬉しそうに 鍋に 入れてお世話して下さいました。

とても柔らかで、美味しく、甘みもあって、みんなニコニコ、身も心も 満腹!! 奈良からは、40代の子宮がんの人が加わりました。
口数は少ない人でしたが、伊藤さんの→ 病いを素直に受け入れて、明るく前向きな暮らし方・生き方←には、感銘を受けたと淡々とした 感想を残して帰って行かれましたが、お顔は明るい表情になって発って行かれたのでよかった!!と、嬉しくなりました。
伊藤さんの 飾らない 素直な 話のやり取りは、初対面でも すぐに 打ち解けて行く穏やかな 柔らか味があり、これは 伊藤さんの持ち味で あると 思いました。
途中から メ−ルを見て、ばあちゃんと来て呉れたTACHIKOさんも、子育て 真っ最中の母親として、一生懸命 ” 聴いて ”素直な 感想をメ−ルしてくれて「ああ 彼女は ・というより、この年代の人は理解できない、解からない点もあって当然。でも 真剣に 自分と向き合って行こうとしている」 そう感じたら、娘のように 可愛くなって、あの、人懐っこい笑顔が浮かんできていっしょにやって行こうね?と 心の中で叫んで身体が 熱くなりました。
私が帰宅した9日も 午前・午後と人が入れ替わりつつ、障害児や、家庭の問題など、様々な悩みに対応したとの事でしたので、まる一日多分喋りつづけられたのではないかと想像して、病身とは 思えぬ タフさ加減に 驚きました。
伊藤さんが少年期に、厭でも自立せざるを得なかった境遇が、後に障害のある子達や、親に 捨てられた子達を引きとって、面倒をみたりという、社会奉仕に向けられて行き、その蓄積されたキャリアが、今活かされて、標題の「がんを明るく生きる」そっちのけで其処に集まった人に応じての懇談会になるので、面白いのです。

「沢山の人のお陰で私はここまで生きてきました。
これからは オマケの人生。
社会に ご恩がえしです。

その日が来るまで、皆さんが 呼んで呉れれば 何処へでも行きますよ」と、にこにこされていました。 以上。

 

17) 子供たちの孤立を促進する教育改革

at 2000 02/14 17:43 編集

文部省は塾等の補助教育機関を学校教育の一部として認定しましたね。
中曽根首相直属の臨教審以来、我が国の財政破綻のしわ寄せが教育にもメスを入れざるを得なくなってきたようです。

教育の自由化と称してますます公教育が民間に依存され、教育の商品化が顕著となり、比較と競争の差別・選別社会へとまい進し、親達は自分達の財力に合わせた選択をするだけの消費族に貶められてゆきます。
自由化はもとより、少子化も伴い公教育は自らの負担をなりふり構わず軽減しようとしているかのようです。
学校そのものの統廃合は勿論、教師の削減、教科の民間への依存、地方自治体への押し付け、週五日制への導入などはその具体的な一例と考えられます。

従来、教育の平等という基本法の名の元に画一的人間養成を図ってきた教育方針が、昨今の中教審の答申を反映して「生きる力」「個性を尊重した教育」と打ち出され始めましたが、ますます比較と競争を煽り、子供たちの孤立化を促進することになりはしないだろうか。
戦前の全体主義から、180度転換した個人主義は欧米のように宗教と言う絶対的な存在があってのそれと違い、自由・個人という言葉だけが先走りした好き勝手な、無秩序の自分勝手へと突っ走り、野放しの自由・個人主義は「無感動・無表情・無神経」というような三無主義を生み出しました。

社会倫理に欠けた私達大人が今、親となり子育てをしている訳ですが、どんなにうちだけは・・と頑張ってみようとも、地域社会の崩壊は健全なものの創造には結びつくことがありません。 企業中心社会を必死になって創ってきたつけが、現代の子供たちに、親達に回ってきているとも考えられます。 財界に牛耳られ、主導されている教育から私達は、本来の子供の養育について心底見詰めなおす必要がありそうです。

本年新春に私大生を集めた講演で、ある大銀行の頭取は、「君達は、幹部の有能な手足となるべき士官を目指しなさい。 なれないのならば、ロボットになればよいのだ」と公言しています。
自身は、東大出身だそうです。 財界の教育にもとめる人間像は、能力優先のロボット人間の養成であることが明確に打ち出されていると想われ、事実その方向に向けて中教審も呼応したのだと言うことでしょう。

養育・教育の主体は親です。 そして、子供たちの成長は地域社会の熟成如何に左右されると言っても過言ではない筈です。 教育や養育の目標は、子供たちの自立・自律の健全な育成にあると言えます。

家庭は美味しいものが思いっきり食べられて、熟睡ができるゆとりと安心のおける愛情環境があれば充分で、子供たちの豊かな社会性は地域社会が培うと言うのが正常な姿だと考えます。

子供たちを地域に放ち、土に帰したいです。 思いっきり安心して遊べる地域環境を大人達は、取り戻すことを含めて自らの手で創り合い、そのことで成長し合い、社会発展の重要な拠点である地域社会を熟成させてゆきたいです。

如何でしょうか。

 

16) 「癌を明るく生きる」座談会より

at 1999 12/09 17:42 編集

★TACHIKOさんからのメッセージ★

TACHIKOさんから「癌を明るく生きる」の伊藤勇さんの懇談会に行った感想を頂きました。
以下にコピーします。

昨日、大阪市東住吉区駒川商店街の近所、Nさん宅で、伊藤勇さん発見。
柳川さんからのメールで、「大阪に来ているらしいな」とは、思ってたのですが、 「寒いし、、」
ふとんにくるまってコ゛ロコ゛ロしたいなあ・・・。
迷っていたら、ばあちゃんが目の前を「せんたくーー」といいながら通過。
「あ、こりゃいかん。今ってチャンスやんなあ」 「ばーちゃん、Nさんとこ行こう。伊藤さん来てるんやわ」 「伊藤さんってだれやの?」 「・・うーん。癌でな、、そや、何時死ぬかわからん人。」(伊藤さんすみません) 「!」 死んでしまったらもう会えない。
その人が亡くなってから 「あの時あっとけば良かった」なんて言っても、どうにもならない。
ばあちゃんと出かけて、いろいろ話しをして、雑炊をごちそうになって帰って来た。
帰ってきてから、お腹がすいてはいけないからと、また、雑炊を炊いてみんなで食べた。
なんだか、わからないけど、その雑炊がすごくおいしく感じられた。 おかずもなんにもないのだけれど、美味しかった。 豊かさってなんだろう。 今をいきるってどういうことなんだろう。

「わたしは、病気をしたとき、何がなんでもこどものために生きて帰って くるんだと、それだけ思って手術を受けました。
伊藤さんは、こどもも手を離れ ています。伊藤さんはなぜ、そんなに前向きに生きようと考えるんですか?」 こどもというものを放して、自分のやりたいことでやろうとしている、その姿が新鮮だった。
わたしは母親ということも放して、尚かつ、ひとりの人間としても考えてみたい テーマだったけど、日々の暮らしの中では、考えにくいテーマでもありました。
けれど、いつまでも、こどもこどもと言っていたら、いつの間にか、こどもに依存してしまい そうで、ある意味、こどもを切り離したところで、はっきりさせたいテーマでし た。

伊藤さんは、ゆっくりと答えてくれました。
「恩返しです。自分がいまあるのは、みなさんのお陰です。そうでしょう?。
だから、恩返しです。ボランテア。

ひとはひとりでは生きられないのだから。 いまを生きるんだよ。
先のことは誰にもわからないんだよ。」
スケールがちがうというか、今の私とは立ってるところ、角度がちがうんだなあと思っ た。
こんな考えかたがあるのかと。

伊藤さんは、「からだは衰えていくけれど、こころは成長していくんだよ。」 とも言っていた。 ひとりでは生きられない。わたしは、まだ素直にうんとは言えない。
ほんとはそうなんだろうなあって頭で考えるくらい。

わたしも、成長過程なんだなあ。

 

 15)  生きる力と、個性重視教育

To hikaru at 1999 12/06 14:33 編集 返信

ヒゲオヤジです。
遅ればせながらの返信です。
正直言って、何について返したらよいのか戸惑っています。

>ただ、今僕が、少し怖いと感じているのは、家庭も社会もとっちもが、子どもを育てる役割を放棄使用としているような気がするのです。

 そうでしょうか?具体的にはどういうことを仰っているのかが、ちょっと捉えにくいのです。

>地域社旗と家庭がどちらも子どもを育てていく責任があるとの認識が必要なのかもしれないと思います。
 
責任とかではなく、極端ですが、それをもって以外に地域社会はないとさえ私は考えています。
ところで、hikaruさんはもうすぐ教師になられるとのことですが、文部省の言う「生きる力」「個性を生かす教育」をどう受け取っていますか?
例えば中教審は生きる力と称して、何処までも当人のやる気、個人の責任というように示唆しているように感じます。
そこには「人と共に」の社会性が欠落しているようにさえ、想われます。
又、個性を生かす教育では、従来の平等という概念が画一教育を生んだとも言えますが、「能力・適性」という視点を重視、という方針からは逆に比較と競争を更にあおり、優劣を際立たせて選別をし易くする支配倫理が根底に見え隠れするようにも感じますが、如何でしょうか。

そして、教師も査定という比較と競争により、選別される時代に突入してゆくがごとく見えます。
そういう世界に、これから入ってゆく人たちは何を考えて、どうしようと思って出発するのでしょうか。
考えていらっしゃることがあれば、よろしくお願いします。

 

14) RE:生きるって

To hikaru at 1999 12/03 14:23 編集 返信

hikaruさん、有意義な感想をありがとう。

>生きるってことは、いいことばかりじゃないかもしれないです。もしかすると、苦悩の日々の方が多いのかもしれないですね。  

どうして人は苦悩するのでしょうか。
苦悩と本人は格闘しているかもしれませんが、傍から見たら何てことないのに・・・と思うようなことが結構多くあったりしないでしょうか。
つまり苦悩する因は、本人の中にある場合がほとんどのように考えます。
開放されていないということでしょうか。

視野の狭窄、偏り、諸々の観念に執らわれていて・・・それに自分自身が縛られていて、勝手に苦しむ・・・というような。

>少し、話が飛躍しますが、いくらおかあさんって読んでもらいたくても、子を育てていなければ呼んでくれません。
>でも、子ども一人でも育てていれば嫌でもお母さんとよばれる。
>先生だって同じでしょう。  

親としてや教師と呼ばれる資格は、子供がいるということでは不十分かと考えます。
子供がいながら親になれない大人が、いくらでもいます。
子供達の成長に群れ育ちが不可欠のように、親達にも育ち合いの場が必須なのではないかと私は考えています。

子供達は社会の子です。
そしたら大人達は子供がいるいないに関わらず、社会の親として成長し合わなければ、子供の社会性が培えないことになるわけです。
少しくらい家庭が不備であっても、健全な地域社会があれば、子は育ちます。
子供の成長は、地域社会が担うものというのが私の考えです。
お母さん・お父さんと呼ばれなくとも、皆に観てもらっていることが子供達に入ることで、大きな「親」の懐を感じ取れると思うのです。 如何でしょうか。(ちょっと、ズレたかな?)

>決して、このページをあらしに来たのではありませんのでお許しを  

イエイエ、とんでもない! 結果的に同じことを考えていて、成長したいということと受け止めています

 

13) 死ぬまで生きよう!

at 2000 02/14 17:38 編集

このところ、「生きる」がテーマになっていろんな考えが送られています。
そのうちのひとつ、「グル・にやんこ」御前の下知であります。 ・・・・・・・・・・・・・・

From にゃんこ( HP ) To [email protected] at 1999 11/26 23:16 編集 返信

こんばんは〜。
最後の力をふりしぼって17やっぱり出てきました〜。
お、トップが冬山になっている。 冬の山はいいですね。(見ている分には。凛とした姿がいい。)
ふだんはお気楽にゃんこですが実は一年前にはニャンと!体重が激減するほどのノイローゼ状態に陥りまして。
外に出るのがこわい。見ず知らずの人とさえすれ違うのがこわい。
あの人もこの人も自分を非難しているように感じ人と顔をあわさないようにするため最低限の用事のみをできるだけ一回で済ますように外出も極力おさえ。 というような状態でした。

今思えば原因は「人を羨む心」にもろぶつかって。ですかね。
ノーテンキな私は常に「恵まれている」と言われ続けてきました。
たしかに何不自由なく育ったと自分でも思います。それで他人のことを「羨ましい」と思ったことはあまりなかったように思います。
それがもろに「羨む心」をぶつけられてその深さに自分というものを否定してしまいました。

事情を話せないのでわかりづらいかとも思いますがお許し下さい。
そんな折、ネットで知り合った人からもう一度自分を見つめ直すチャンスをもらいました。
一言、一言が身にしみましたねー。 いかに自分が殻に閉じこもっていたか。
そんなつもりはなかったのに私は自閉していたんです。諦めてもいた。
どうせ死ぬんだから精一杯生きようじゃないか。明日死んでしまうかもしれないんだから死ぬまで生きよう。 何事も遅きに非ず。
できないのは人のせいでなく自分自身のあり方だと言われ、自分で考え、納得し・・・ ああ、もう一度生きよう。生きてみよう。と思えました。
いや、自殺なんて考えていたわけではないのですが「生き方」「考え方」をかえてみよう。と思えたのです。
人のせいにしていないで自分の中でのドゥマイベスト。

奇しくもマスターヒゲオヤジの言われる「自分の中の自己最高」をめざせ。と。 他人との比較優位でなく、自分の中のドゥマイベスト。
で、その結果が今のお気楽にゃんこです。
お気楽というとことばがおふざけですが そうではなくて心の余裕ですか? 人は許せる。
自閉しない。その人が分かることが自分には分かっていないかもしれない。

逆に自分がわかっていることがその人にはわからないかもしれない。そういうスタンスで人のことを思いやれたら。
なんかとりとめなくなってきましたが・・・ そんなことを書いてみたくなりました。

ああ、もう、でもダメ! このまま寝床に直行です。
それではおやすみなさ〜い! 読み返さないよ。
寝られなくなっちゃうから。 じゃ、また。

 

12) ヤマギシズム社会

at 2000 12/01 17:37 編集

RE:はじめまして〜 どもども!元駄無です。

> 子供楽園村に参加されたことがあるんですね?

はい、かなり通ってました(笑)小学校3年生から中学校3年生まで北は北海道、西はどこだろー、北条、那須、豊里、主なところは転々と。キャンプがてらに行ってましたよ。高校生のときは行ってなかったけど、大学入学時に特講を受けました。

>「囲った中」と思い込まれているのですね。
>学園は、このHPのあちこちにも書いていますが、囲われてはいませんよ。

学園から外に出て実社会(?…いわゆる一般社会)で働く人は少ないのでは?学園というより実顕地という言葉を使うほうが良かったみたい。
無所有が当たり前だから、財産をヤマギシのほうに提供する、みんなで使うのだけれども、いざ社会にでるとき、みんなを離れるときにいろいろと問題が出てきて、一時マスコミにも問われていたけどね。
あれって解決したのかな?抜けようする人の多くが、入る前に抱いたヤマギシの理想像と実際のヤマギシでの営みにギャップを感じた人が多いと思います。
入り口だけみて(たとえば特講など)そのまま全てそうだと考えちゃうと陥るみたい。
「百見は一験にしかず(百見ることは一つの体験にはかなわない)」ですけどね、何事も。

一般社会とヤマギシ社会に軋轢は未だ存在すると思う。その壁を如何にクリアするかが、大きな課題のようですがね。
個々の自立を促す土壌を養う(子供の教育など)には良い環境だと思います、楽園村は。
なんせ、学校は制限とか強制だらけ。それに比べ、楽園村の楽しいこと(笑)。
活き活きして帰ってきますからね、お家のほうに。

「囲まれる」=「ヤマギシに根を(所属を)置く」という意味で使いました。閉鎖の意味ではありません。

>自発的自由意志を育み、豊かな社会性を培う環境の元に自分達のやりたいことで育つ、と言うので皆と「共に」愉しく暮らしを創っています。
>してはいけない、しなくてはならない、あらねばならない等々の制約も何もありません。

”べき”や”ねば”というのはいわゆる固定観念だからそのようなもの持ってたら、なんちゃってヤマギシイズムになっちゃう(笑)のはわかりますよ。
ただね、「形の和」「形の幸福」を追求しているようで仕方がない。
自由意思を重んじているようで、最終的には「みんなと一緒にやろうよ」とたとえ本人がしたくなくてもさせるように仕向けていた、そう感じました。
「心の和」「心の幸福」を求めるのなら、形は一致(みんな一緒)でなくてもいいのですよ、そう思いません?ひとりひとりが微力だからみんなで一緒にやれば力は増す、けどそこに皆の意思が統合しないと心のベクトルはばらばらで一致しないし、結果として望む姿は現れないと思います。

これまでは、価値観の束縛(べき、ねば、常識、道徳など)があり、それらから如何に自由であるか(零位に立てるか、執着しないか)が強く影響してきたと思います。
これからは自立(自由意志に基づく、自己管理、自己責任、自分で考え自分で行動する)が重要になると思います。
ヤマギシの観念にふれ、ヤマギシ社会を目にし感じたことに、「個々のエゴ(自我)はそのままなのか?」と言うこと。理念は如何に良くても、感情を垂れ流し(あの人は嫌い、腹が立つなどなど)とかね、あ、腹が立たない人がもっとうですけど、実際には腹の立つ人はいましたね、青年でしたけど、壮年の方はそうでもなかったけど。
逆に本当に零位にたって相手を見ている方もいましたけどね。

幸福とか豊かさって常に不幸と貧乏を内包している(相対二元の観念…善悪損得正誤など)。片方だけ見ていると本当の零位に立ってみているとは言えないのではないだろうか?心が分裂した状態では本当に望む社会や現実を表すのは不可能だと思う。
そう言う意味で、ヤマギシイズムを実践するのには必ず自分の心を磨く、エゴをクリアにしていくことが必要だと思う。
エコロジーもへたをすると「エゴロジー」になっちゃう。
環境破壊は結局は人間様の自分らだけ勝手、自分の都合で自然を良い悪いと言っていただけだしね(雨を例に上げても判るように、人間の都合に合わせて降っているわけでないし)。
自分たちの身がやばいから環境保全しようといっていたら本当にますますおかしくなると思うよ。
山岸さんか気付かれた理念でこれまでやってきた幸福会ヤマギシ会。デメリットとメリットを如何に大人達が統合していくかで、本当に山岸さんが目指していたものが出来ると思う。
がんばって欲しいと思います。

ヤマギシに関してどうも引っかかるところがあったから、僕はそのまま残りませんでした。
幸福とは青い鳥のようなものではないでしょうか? ではでは ・・・

 

To 元駄無 at 1999 12/02 10:34 編集 返信

元駄無さん、ありがとう。

>学園から外に出て実社会(?…いわゆる一般社会)で働く人は少ないのでは?学園というより実顕地という言葉を使うほうが良かったみたい。  

学園を出発してどうするかは、人それぞれですね。
親子で心底話し合い、自分でとりあえずの真路を決めているようです。
村に残る人もいるし、出る人、出てまた戻る人、様々ですね。
村人で出る人でも、地域の会員さん達も交えて新たに会社を興したり、社員として村の職場に残ったりという人も沢山いますね。
また、村人でありながら村の中で暮らさず、地域に出て生計を建てながら暮らしている人も数多にのぼります。
皆、親愛社会の実現を目指しています。  

第一期からの高等部生達に子供が出来、地域から幼年部に入れている人も出始めました。そんな日数が経過しているのですね。

>抜けようする人の多くが、入る前に抱いたヤマギシの理想像と実際のヤマギシでの営みにギャップを感じた人が多いと思います。

そうですね。幻想だけ抱いて結局無所有になれない人たちは、出るしかないですよね。
ひとつのモデル社会を顕現しようとしているわけですから、私達のように所有にこだわるものには実顕地でやってゆくことは無理でしょう。
入る人たちも、一年くらいを掛けて本当に村でやってゆけるのかを村人予備軍?として村で過ごし、それから決めるようです。

誤解を受けそうなので念のため補足しますが、無所有になれないから村を出る、という人ばかりではないと思います。
一人ひとり、千差万別の事情があるものと想われます。
何万分の一の数名の人が金返せとやっているようですね。何をしに村に入ったのか、私には理解できません。

>一般社会とヤマギシ社会に軋轢は未だ存在すると思う。その壁を如何にクリアするかが、大きな課題のようですがね。  

「軋轢」はないでしょう。
対立のない社会を創ってゆこうとして入村するわけですから、常に調和を意識して進んでいると想いますよ。

>個々の自立を促す土壌を養う(子供の教育など)には良い環境だと思います、楽園村は。なんせ、学校は制限とか強制だらけ。それに比べ、楽園村の楽しいこと(笑)。活き活きして帰ってきますからね、お家のほうに。

愉しい思い出のようで、良かったですね。親から無理やり行かされて、地獄村の思い出しかない子供もいるようですよ。

>「囲まれる」=「ヤマギシに根を(所属を)置く」という意味で使いました。閉鎖の意味ではありません。
>ただね、「形の和」「形の幸福」を追求しているようで仕方がない。

真の仲良しを確立するのも地域では至難の業ですね。 形を求めたり、整えようとしても、形としてあるものは、必ずいつかは壊れます。 無固定前進もヤマギシズムですが、普遍ですね。

>自由意思を重んじているようで、最終的には「みんなと一緒にやろうよ」とたとえ本人がしたくなくてもさせるように仕向けていた、そう感じました。「心の和」「心の幸福」を求めるのなら、形は一致(みんな一緒)でなくてもいいのですよ、そう思いません?

理念という大きな太い幹に成長すれば、枝葉は様々でしょう。方針や計画・実践はその時代・周りの状況に合わせて変わるものと考えます。
いつも心してゆくのは「本当はどうか」という観点・視点を失わず、「共に」育ってゆくことかな。 人それぞれ、ペースや持ち味、独自の感性があります。 ヤマギシズムは、全体主義ではありません。

>これまでは、価値観の束縛(べき、ねば、常識、道徳など)があり、それらから如何に自由であるか(零位に立てるか、執着しないか)が強く影響してきたと思います。これからは自立(自由意志に基づく、自己管理、自己責任、自分で考え自分で行動する)が重要になると思います。  

現代社会の私達みんなの課題ですね。

>ヤマギシの観念にふれ、ヤマギシ社会を目にし感じたことに、「個々のエゴ(自我)はそのままなのか?」と言うこと。  

我に執らわれていると、他の人の話を聴くことが出来ないし、本当に客観的な視点に立つ、ということも出来ないのではないでしょうか。 学び、問うて行き、練習を繰り返すしかないですね。

>逆に本当に零位にたって相手を見ている方もいましたけどね。  

そうですか、私はそう言える確信がありません。

>幸福とか豊かさって常に不幸と貧乏を内包している(相対二元の観念…善悪損得正誤など)。片方だけ見ていると本当の零位に立ってみているとは言えないのではないだろうか?心が分裂した状態では本当に望む社会や現実を表すのは不可能だと思う。そう言う意味で、ヤマギシイズムを実践するのには必ず自分の心を磨く、エゴをクリアにしていくことが必要だと思う。  

成る程。そのとうりですね。

>エコロジーもへたをすると「エゴロジー」になっちゃう。  

上手いですね。

>山岸さんか気付かれた理念でこれまでやってきた幸福会ヤマギシ会。デメリットとメリットを如何に大人達が統合していくかで、本当に山岸さんが目指していたものが出来ると思う。がんばって欲しいと思います。  

頑張らないで、皆さんとも一緒に愉しく「共に」やってゆきたいと考えます。

>ヤマギシに関してどうも引っかかるところがあったから、僕はそのまま残りませんでした。

 いろんな人がいて、いろんな考えや感性が備わっています。鋳型にはめることなど出来ないし、正解という考え方もないのだと想います。
一人ひとりが、何を目指してどう生きてゆくのか、その後姿を後進にどう繋いでゆくのか、でしょうか。

>幸福とは青い鳥のようなものではないでしょうか?  

今まで述べてきたことも全て含めてですが、私個人の考えとしては皆と共に、創り上げてゆくものだと考えています。
どこにいて何をしていようと、それぞれがその場で意識するしないに関わらず、そういう社会を、自分の生活圏を通して創っているのです。

何れそのことが、良くも悪くも伝播し、繋がってきます。

 

 

11) 生きるって・・何?

at 1999 12/01 09:29 編集

ヒゲオヤジです。

朝日新聞の三重版でも記事に紹介された、末期がんと宣告されながら、「ガンを明るく生きる」という講演をして、全国を回っている方のメッセージです。

・・・・・・・・・・ 散文詩 イトウ イサム

生きるって 何だろう 幸せって 何だろう 生き甲斐って 何だろう 今 私は 生きている
今 死んで 当り前の 私が 今も 生きている
末期ガンの宣告で ゼロから おまけの人生へ 私は 大きく 転換した 腹の 立たない 人に なった
その気になれば 出来る 人になった
有難う と 感謝できる 人になった 心が 健康に なったから 心が 素直に なったから 心が 無我執に なったから 私は 多くの仲間が できた
私は 明るく笑える人に なった 私は 一緒に 喜べる人に なった
今 私の 心も 身体も ストレスが とれて 幸せ いっぱいで 浮いている
今日 いちにちは 人生の 積み重ね

” その日 ”が 来るまで 明るく 楽しく 思いっきり 生きます。

__________________________________
 
伊藤さんの 講演・懇談会でもいいし、座談会でもいいです。 何処かで 呼んで 呉れませんか? 連絡 下さい。 ・・・・・・柳川 千恵子・・・・・・ [email protected] ・・・・・・\(^0^)/・・・・・・・

 

10) オトナの定義って、ナニ?

at 2000 02/14 17:36 編集

ヒゲオヤジです。  
いつぞやのNHKの10代の言い分プロジェクト番組でも取り上げられていましたね。  

以下、各名詞の定義は抜きにして、勝手に私も考えてみました。  
養育や教育の目標?が自律と自立にあるとすれば、まさにそれが成人への道と言うことなのでしょうか。  

巣立ち・巣断ち、などと例えられることもありますが、意味深いですね。  
大人と成人を区別(区分?)してみてもしようがないですが、目標は節目の問題で、その先の自分自身の生きていく目的が、生き甲斐が、その人の成熟にとって非常に重要な要素となると想います。  
自己実現を求めるにしたとしても、社会との関わりなくしては何事もすすめられないと想います。  

自分のことだけ考えていては、未熟から脱却することも出来ないのではないのかな。  
自立や自律と共に、豊かな社会性が培われていないと自然と共にや、人と共に等々の地球・人間社会が正常に機能できにくくなってしまいます。(宇宙のことまでは分からない。(~_~;))

成人したならば、社会人としての自らを磨き、育ちあうというようなかかわりの中で「社会の親」たるを認識して、その創造的な生き方を子供達にも示してゆく。「顕してゆく。」  
そんな有機的な「共に」が、大人になリ合える道ではないでしょうか。  

つまり、大人になると言うことに終わりはなく、何のために生きているのかとか、どういう生き方をしてゆきたいのかといったようなことと不可分なことのように考えますが、如何でしょうか。  

私などは一生、未成熟人の単なる外形上の小人に対する大人で終わるかもしれないと想うと・・・もう、手遅れ気味か。(・・;)

 

9) 「ヤマギシズム特別講習研鑽会」

at 2000 02/14 17:33 編集

自ら比較と競争の社会を作り上げ、育てられてきたた現代人たちはストレスと言う得体の知れない刺激にさらされ、日々真綿で首を絞められるがごとくの生活を強いられている。
出勤時間になると、あるいは電車の中で、はたまた会社や勤めている学校を前にして、頭痛、腹痛、下痢、吐き気などがおきたりして会社に入ってゆけない、学校には着いたものの、マイカーから出られない等の出社拒否症は、サラリーマンとして決して他人事としてはいられない問題ではなかろうか。
蓄積された鬱憤はいつまでも抱えていられなくなって爆発し、あらゆる所で悲惨な事件や泥沼のような社会問題が起こるべくして起きているのは、今や日常茶飯事である。
連日、新聞紙上等を賑わしているそれらの出来事に対して、もう人々は不感症になっていはしないだろうか。

どうしてこんな社会になってしまったのか、このままでいいのだろうかとは、誰しもが一度は考えている事だと思う。
ストレスによって生じた鬱積は、人によっても様々であるが大抵はなんらかの気晴らしをして処理をすることになろう。  
スポーツ、キャンプ、観劇、音楽、パチンコ、競馬、飲酒から果てはやけ食いなど、決して健康に良くない事をも含めて手軽に出来るものはいくらでもあるが、中にはそういった趣味(?)を持たず、ひたすら落ち込んだり耐える事が美徳と思うかどうかは別として、宗教を渡り歩いているような人達も珍しくない。
気持ちが何かムシャクシャしたり、なんとなく厭世気分で何をやっても面白くない、そんな時例えば腹を抱えて笑わせてくれるような喜劇や漫才、或いは主人公にドップリと感情移入して涙が止まらないような悲しい映画や芝居を見た場合、普段のストレスをすっかり忘れさせてくれたり、気分がとてもスッキリして何か非常に充足させてもらったような気分になることがある。 しかしながら、一歩外に出れば相変わらずのストレス社会が待っていて、冷たい現実を嫌でも肌身に感じることになるのは、気晴らしの種類を選ばない。 鬱積したら発散をするということの繰り返しでは、単なるガス抜きで、言い換えればクソ、小便を排泄しているのと同じであるからだ。

発散が悪いと言うことではなく、むしろ必要なことではあるが溜まったものを吐き出だけでは一時的なスッキリ感は得られても、またすぐ蓄積するのはあたりまえである。
本当の気晴らしは、ストレスのない社会を創ることでしか得られない、というのは私の決め付けだが、ストレスとは何なのかを探ってゆくと、例えば自分が充実した時間を過ごしている時には、そのような抑圧を感じることはないと言う事に思い当たる。  
ストレスを感じない自身の暮らし、気晴らしが不要な社会はどうしたら、創ってゆけるのか。
社会を創ることは勿論、変えることでさえも口にするほど簡単なことではないが、何かに触発され目が覚めたようになったり、元気づけられたり、深く考えるきっかけになったり、自分の生き方に多大な影響を与えられたり、といったような体験をすることは珍しい事ではないようにも思える。
それが本であったり、講演であったり、TVであったり映画であったり、親或いは教師であったり事件であったり、人それぞれであろう。
と考えると、社会を変えると大上段に振りかぶったり、社会が変わることを期待する前に、まず自分自身を見つめて観て、ストレスのない自分を創り上げることも大いに可能性がありそうだ。

もし、腹を抱えて笑い転げるような、或いは感涙に噎ぶ映画、演劇でありながらも観客は精神の浄化だけでなく、何か社会に目覚めるようなことを感じ取れたら、又は自らの生き方に照らして考えたくなるような刺激を受けたとしたら、少なからず自分自身を振り返る契機にはなるだろう。
勿論、贈り手の創り方、姿勢とも大いに関係することではあるけれど。 ともすれば一方的押し付けや、解る人だけ観てくれればよい式の独断、独善的な舞台も少なくはない。
そんな表現の押し売りをされても、影響を受ける観客はまずいないだろうけれど、舞台から何か強く共鳴するものに触れ、共感、共振するものを背筋に感じとった瞬間から観客は単なる見物人ではなくなり、創造者の一員としてその劇場空間を満たすことに自ら働き出すことだってありえないことではない。  
しかしながら、映画でも演劇でも又は音楽などの舞台芸術に限らないと思われるが、見物人にとっては何を与えてくれるのか、に期待するところが非常に大きなウエイトを占めていて、それに対する感受性だけが唯一の拠り所となる。
従って、前衛を自負する芸術家は常に観客より先を行く存在として、崇められねばならない自分を作って維持し続けねばならない。 今はもう無いが、新国劇と言う劇団の創始者であった沢田正二郎と言う人の、半歩主義はあまりにも有名である。
観客より一歩先を行っては行き過ぎであり、高すぎると言うのである。半歩が最適であり、それは観客と何時でも手を伸ばせば握手すること、も繋ぐことも出来るからであると言う。
半歩であろうが、一歩であろうが、自らが前衛として観客を先導しようと言うことに変わりはない。

映画、演劇に代表される舞台芸術の限界は、どうしても一方的に観せる側と観せられる側とに別れてしまう宿命にある。
刺激や考えるキッカケをもらっても「与える」対「与えられる」の図式から逃れることは出来ず流行を作り出すことは出来ても、根本的に社会に影響をもたらすまでにはどうしてもなって行かないのである。
また、自分自身を振り返ることは出来ても、それが即ストレスのない人として生まれ変わることは至難のことだと思われる。
それは、現代の個別、隔絶社会の孤独と無縁ではない。
そんな図式や制約、隔絶ののない創造空間「ヤマギシズム特別講習研鑽会」は、そんな現代社会に対しての提案でもある。
そこでは誰も前衛としてカリスマを発揮する人も、先導する人も講師もましてや押し付をしてくる人も皆無なのである。 その創造的、劇場的空間に演者と観客、舞台と客席等一切の区別、区切りも無い。
全員が渾然一体となり、演出家のいない、客席の無い舞台の演者として、観客としてぶつかり合い、あや織り成してゆくのだ。  

笑い転げることもある。慟哭することもあろう。思わずもらい泣きすることもある。  しかしもう、精神の浄化や排泄だけでは終わらない。
何故ならば、そこにいる一人一人は、「独り」ではないからだ。 与える人がいないのだから、与えられるのを待っていても何も始まらない。
自分が、自分達が創り出していく以外にない空間芸術である。
皆がそれぞれの頭で意見を出し合い、感性をむき出し、呼び起こし磨き合い、支離滅裂だった自己表現の一つ一つが整理され、次第に一つの創造に向かって一致してゆく。
これこそが求められる究極の創造手法であり、理想の弁証法とも言うべき方式、それが「研鑽」である。

現代社会の日常的マインドコントロールに毒されず、本物を追求する唯一の創造方式「本当はどうか」と皆でどこまでも考え、信じず、疑わず、やってみてまた考える。
勿論、中には創造の輪の中に入るのを拒否する人もいるし、排泄、浄化だけで何も見出せなかった人も少なくはない。
創造者となるかならないかは本人次第である。
創り上げたものをどう自分が活用するのかも、自由である。 余談ですが40〜50代のお父さん、貴男は男の正常健康のバロメーターでもあり、男としての象徴でもある毎朝の生理的現象は健在でしょうか。
ちなみに私は50代ですが、殆ど毎朝40才前後の男の隆起を取り戻すことが出来ました。

 ストレスのない自分自身になるのもまさに、本人次第です。
すべからく、新しいものの創造は無の状態、白紙の状態からしか生まれないと考えられます。
文字どうり自分の頭を自らが洗い直すことは出来たとしても、いわゆる洗脳(染脳)の入り込む隙はない。

気晴らしではない、一人ひとりが日々創造性を発揮して生きてゆける、充実した幸福観で暮らしてゆける、一体の幸福社会に向かっての登竜門。  
それこそがヤマギシズム特別講習研鑽会である。

 

8) 高校中退問題を抱える、あるお父さんへの     独り言

at 1999 11/22 09:07 17:18 編集

ヒゲオヤジです。  

息子さんは、来週にも学校を決めるようですとのを書き込を見て、余計な出しゃばりをしたくなって、またまた出てまいりました。  
親子の関係・夫婦の根本的な見直しが大きなポイントになるのは何処の家庭も一緒のことと想っていますが、それを心底提言したいです。  
子供が「何処そこの学校に行きたい」とか「ここに決めた」と言えば、それで違う学校に行けるのでしょうか?  少なくとも、息子さんはそう思っている見たいですね。

だからどうだと追求されても正解はないと想いますが・・・。    
私だったらの話ですが、そんな息子の姿勢を許しはしません。
そしてこれまでの親自身の養育への取り組みを省みて、決してここで妥協をしません。  

子供が、本当に自分自身の向けるべき姿勢を自らがはっきりと掴むことは、これからの人生にとって、重要な意味があり、それが育まれてこなかったがための今日であると想うからです。  

親は本当にそのような「やめる」と言えば・・・。「ここがいい」と言えば・・・の ような親子関係や、息子自身の社会観を望んでいるのでしょうか?  
本当に「ここが」とかの理由があるのだったら、やることはひとつであり、向かう姿勢  は自ずと定まってくるはずです。  
考えられない子にしたのも、観る事の出来ない子に育てたのも自分です。  
だったら考えられるように、ものの観方が健全に出来るように、環境を創ってやっ  て、観守り、聴ける人に自らが育ちあうことからやり直すことが出発ではないでしょうか。     

そこが最大の問題であり、貴家に限らず多くの家庭のテーマではないかなと素人ながら感じました。  
同じ愚挙を再び侵してはならないと私は、想っています。  
このままではきっと又、同じことを繰り返します。
いつまで経っても、自立と自律の出来ない未成熟人を社会に送り出すことになります。  

親にとっても子供にとっても、今が本当の成長のチャンスではないでしょうか。  
自らの体験ですが、親は結局何処へも逃げられないです。  
自らの器以上のものを伝えることは出来ないし、鍍金をしてみてもすぐ剥がれます。
全身全霊を曝け出して向き合うことでしか道は開けませんでした。  

子供は「本物の自分の親」を、自分の肉親に求めているのではないでしょうか?  
家庭に親の心がないから、他所に代替を求めていると言うことが、かって我が家にはあり、その事にもきずかないまま、一方的にただ「親」を押し付けていたりしていました。(我が家がすべてではなく、ほんの一例だと想いますが)  

決して我が家がすべての規範・模範であらねばならないと言う意味ではありません。  
世間体や仕事、趣味などにかまけている場合ではない筈です。  
子供にどう育ってほしいですか?といういつぞやの私の問いかけと同じく、返信は不要です。

地域で是非、「共に」やれる人を求め、今すぐでも、実践してみていただきいと言うのが窓際オヤジの老婆心です。 ・・・・・・・・・・・・

> 私は30日からM県に出かけてしまうので、転入試験はその間に行われるのでしょう。
> 新しいスタートがきれるのかどうかは、もう彼次第です。

って、本当にそうでしょうか。
親子ともども心底話し合い、方針が決定したのならそこから既に新たな出発に親子で既になっていたのではないでしょうか。  
方針・指針が明確に自覚できたら学校に受かるかどうかはどうでも良いことだと想うのです。 進学は(転学)単なる方便です。  
どういう人になりたいのか、その為に自分はどうしたいのかは息子の肝に落ちたでしょうか。

そして、正面から親に対して真摯に「お願い」出来たのでしょうか。  

その上で、親として観守りに落ち着いたと言うことでしょうか。   
その子の今の段階での生きる姿勢・向かうべき心・学びの態度はこれからの社会建設に重要な意義があります。  
いつでも、何処でも、誰とでも「共に」育ち合おうという向上心こそが生きる力となって、次代を担える社会人に必須の条件と考えます。  
いっしょにやれる、「共に」やってゆける、人としての豊かな心を育み、大きな社会性が培えるような環境を、我が子のみならず教え子たちにも是非、用意してあげていただきたいと想うものです。

 

7) 宗教と道徳

To kurokishi at 1999 11/12 17:14 編集

RE:道徳とは!?

>道徳とは、規則を守る事ではなく、因果関係、その結果を重視すべきだと思うんだよねぇ。つまり、幸福の為には不道徳も許されるというのが、真の道徳だって訳。違うのか!?

研究テーマとして追及している人と肩を並べて論を展開することなど恐れ多いことだな。
そこで雑談。
道徳は宗教の占有物ではないと書いたけど、今日の道徳の浸透?は、まさに宗教によるところがやはり大きいと思うな。
仏教もキリスト教もそうだと思うけど、法話や説教の内容は現実社会での生き方、あり方の話しだし、80%というか大半が道徳の話でないかい?本質的に人間は、なのか東洋人は、なのかわからないけど、道徳的なことが好きなのではないかな。

いわゆる「勧善懲悪」の話はどこにでもあるよね。  
仏教やキリスト教は宗教と言う意識?だか観念だかが強いと思うんだ。
だから道徳では無く一種の宗教的教義?として見られ、受けられ、信じられていると思えるな。
だから看板は宗教でも中身は道徳論という人もいるよ。
でも、儒教となると道徳論と見るのが先入観念らしいね。
どうしてそうなったのかな ・・・・・・・・・・・・

 

6) 道徳と倫理

From kurokishi  at 1999 11/13 00:33 編集

返信 儒学とは!?

キリスト教も仏教も、被支配者が救われたいが為に救世主を望んで、絶対者への信仰が根底にあるから宗教ってイメージが強いんだろうねぇ。
儒教は信仰ではなく、礼儀を重視し、尊敬はあっても信仰はないから道徳というイメージなんだろう。
でも3つとも弱者側から生まれた概念だから「弱者の倫理」が根底にあるのので、日本に入ってきた時、日本の道徳として吸収されたんでしょ。
ただ、儒教は支配するのに都合が良いという側面もあるので、一概に道徳とは言えないね。孔子の論語は、俺の知る限り道徳なんだけど、後世の儒学者が確立した朱子学なんかとはまた別の理念に変わってる気がする。
まぁ、簡単に言って、キリスト教も仏教も儒教も弱者救済を根底にしているので、道徳論的要素はあるし、良い世の中の実現に貢献してくれてるんじゃないの? そのへん調べて欲しいなぁ。なんてねー。知ってる事あったら教えてーん! ←これどっかのHPで使ってたね(笑)。特許はないので、自由に使ってーん♪

道徳と倫理 at 2000 02/14 17:23 編集 道徳と倫理 at 1999 11/12 09:02 編集 To [email protected] at 1999 11/09 14:29 編集 返信

> RE:黒騎士だっぴょーん!

ヒゲオヤジだっじょーん。(てのもあるな)

>今から、道徳と倫理の勉強を始めるつもりだけど、この2つって違うの? 君の道徳、倫理って何? 教育を語る上では、避けられないよねー。意見聞かせてね。よろしくー。

 ウ〜ム・・・難しいな。 朕の頃には特に道徳だの倫理だのという教科はなかったと思うが・・・。
まぁ、儒教の勉強でもすれば当然出てくるよね。  
あくまでも私的な捉え方だけれども、それでも良いかな?的外れかもしれないから、その時は指摘して欲しいな。  
例えばだけれど、連日の激務か何かで非常に疲労していて電車に乗ったと思いねぇ。  
運良く?前の席が空いたので座れたのだ。
そしたら、着いた駅で老人が乗り込んできて自分の前に立ったんだ。  
この時どうするか、どう想うのか、考えるのかが例になるんじゃないのかな?  
ひとつ、すぐさまかどうかは別として自分が立ってお年寄りに譲るのは「道徳」  ひとつ、おじいさん(おばあさん)申し訳ないけれど、私は今とても疲れていて立っていられないほど参っているのです。だから申し訳ないけれど座らせてください。
と口に出すかどうかも別にして、心からそう想えるるのなら、それが「倫理」ということが出来るんでないかい?  

まぁ、誤弊がありそうだけれど形の話か、心の問題かということかな。  
心があれば自然と形となっても顕れる、という話さ。
俺の場合は、もう既に寝てしまっている可能性のほうが多いけどね。  
どんなもんでやしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・

From [email protected] ( Mail ) To [email protected] at 1999 11/11 00:36 編集 返信 建設的な議論にしたいねぇ。

> 多少の誤解があるようなので、補足です。

補足と誤解を説くだけじゃぁ物足りないぜぇ。

> 「親切な」と限定しているのではなくて、あくまでも私の考えていることを分かりやすく聴いて貰う為の一例ですね。

限定しないのなら、どうすの?

>>他人に親切ができない時に謝罪するのが、倫理ってことかな。
> 謝罪が倫理と言っているのではなくて、人等に対する思い遣りの心、社会性等が基準になりはしないかと記述したつもり。

だから今その「社会性やら思いやり」について話してんじゃん?

>>> まぁ、誤弊がありそうだけれど形の話か、心の問題かということかな。心があれば自然と形となっても顕れる、という話さ。

と言う話さじゃなくて、君の話は「心」があっても行動に出せないのが倫理って事じゃなかったの? では、あの例え話云々がおかしかったのかい? 別のを出してくれるのかな。

> 道徳が形だけのもので、倫理が気持ちと言う風に区別すること自体がナンセンスで歪曲かもね。

では、どう区別する? 俺は区別しない。

> 観念的謝罪の話をしたのではないので、ご理解いただきたい。健全な社会性と言い換えたほうがいいのかな。それとも「真心」かな。

ほう、「健全な社会性、真心」が何なのか分かれば、戦争も哲学もいらないだろうねぇ。
で、社会性、真心って何? チュー訳で、また君の勝手な意見を、建設的なのを期待してるーん! ・・・・・・・・・・・・

To [email protected] at 1999 11/11 10:52 編集 返信 RE:建設的な議論にしたいねぇ。

>補足と誤解を説くだけじゃぁ物足りないぜぇ。  

そうかぁ。やっぱり軽はずみだったな。最初にお断りしたように、的外れでしたね。  
気軽に私の印象とでも言うような話を例などあげて知ったかぶりをしましたが、建設的な意見に発展する知見を有していません。  
「道徳」をいわゆる、通俗的な風習?「感謝しましょう」「早起きしましょう」「思いやりを・・」「挨拶をしましょう」等々と重ね合わせてしまった結果の決め付けをしてしまったようです。    
道徳=通俗的風習 これが私の思い込みですね。反省しました。  

まぁ、一介の町の親爺としてはこんな程度ですが、よろしかったら今後ともよろしく。 (この、よろしくっていうのも通俗的道徳になっていることが多いな) ・・・・・・・・・・・

From [email protected] ( Mail ) To [email protected] at 1999 11/12 06:55 編集 返信 道徳とは!?

> そうかぁ。やっぱり軽はずみだったな。最初にお断りしたように、的外れでしたね。

おおー、そういう謙虚な姿勢は尊敬に値する! オッサン、立派だ!

> 道徳=通俗的風習 これが私の思い込みですね。反省しました。
> まぁ、一介の町の親爺としてはこんな程度ですが、よろしかったら今後ともよろしく。

いや、今回オッサンの男気を見せてもらった。 ナイスなオッサンここにあり!ってね。
道徳と言うのは、社会を良くするための概念でありその本質は虚構だというのが、俺の結論。
定義としては、弱者救済、最大多数の最大幸福、自他の幸福の調和あたりでいいはずだ。
で、本来利己的な人間が何故それを重視するか? 住み良い社会にする為に、道徳は正しい、すなわち道徳的な事は社会的に評価されるという「嘘」を社会に浸透させた。
そうする事によって、道徳と利益の結合に成功した。
利己主義者は社会的な利益を得る為に道徳を重んじ、道徳的行為をする。
それによって本質は虚構だとしても、社会は確かに住み良くなる。つまり道徳とは、相互援助、弱者救済に価値を付与する「嘘」だと言う訳さー。

ところでカントの言う道徳律の定言命法である、既成の規則を守る事が道徳って「格率」には賛成? 俺は断固反対。
道徳とは、規則を守る事ではなく、因果関係、その結果を重視すべきだと思うんだよねぇ。
つまり、幸福の為には不道徳も許されるというのが、真の道徳だって訳。
違うのか!?

 

5) 我が訪中記(観念とは?)

at 2000 02/14 17:22 編集

私聞私観・余話

5月11日成田発UA853便の機内は満席であった。
軽食を食べて我独りだけ早速ビールなどをやっていたらあっという間に、約3時間10分。
予定より1時間遅れだったが無事、北京空港に到着。 一行は大陸への記念すべき第一歩をしるしたのだった。
到着ロビーには待ち兼ねたかのように、今回のコーディネーターでもある大内尚武氏、通訳の山口由紀子氏、そして外国からの客を車を仕立てて案内等してくれる北京市総工会国際部の友好発展科科長・和光氏、日本語ガイドの趙玉梅さんが迎えてくれた。
この時はまだ、今までけっして気づくことのなかった自分の既成概念・常識観念等の壁が否応もなく引きづり出され、いきなり喉元に突き付けられるような体験実学訪中になるなどとは予想だにしていなかったのである。

我々6名と中国の受け入れ側4名が乗るバスは22名乗りだが、なんと貸し切りである。とてもゆったりという感じで嬉しかった。
小型バスだが鼻付の形がなんとも懐かしい。 などと呑気に構えているうちはよかったのだが、そのうちだんだん腰が落ち着かなくなってきた。
中国は右側通行であった。当たり前だが左ハンドルである。
外を見るとアウディ、フォルクスワーゲン、チェロキー等が多く走っているのが目立つ。

「全部外車だ、意外とリッチだなぁ」などと思っているうちに、高速道路から降りて街中に入ってきて驚いた。
気がつくと我がバスは渋滞している車の列を横目に、中央分離線を超えて対向車線をごぼう抜きしているではないか。 正面からは車が迫ってくる。
人もいきなり出てくる。自転車も飛び出してくる。 それでもバスはクラクションを鳴らして「どけどけ!」とでもいっているようにばく進して、運ちゃんは「どこ吹く風?」てな風情で当たり前のようにか、強引にか本線内に割り込んで落ち着く。
割り込まれたほうも別に怒るようでもなさそうだが「なんか・・・すっごいことするなぁ」と思っているのはまだまだ序の口であった。
交通ルールなんてあるのだろうか?と思うくらいの無法状態である。 割り込みは当然。追い越し、追い抜きは常識。しかも空いてさえいれば疾走して来る対向車があろうとも、反対車線にどんどん出て行く。
ちょっとの隙間に割り込んで、対向車をやり過ごすとすかさずまた出て行って追い越す。これを街中の繁華街で皆がやっている。
大きな交差点は信号もあり、まだいいのだがその他の道路にはまず横断歩道がないし、信号もない。従って歩行者や自転車が引きもきらず、ところ嫌わず湧いてきて、いわば歩行者・自転車天国状態。そこにブレーキをかけるでもなく車が突っ込んで行くのだ。

「ウワァーッ!」と内心で絶叫し、全身が膠着状態。もう、まともに前を見て座ってはいられないのである。\(@o@;)/

聞けば歩行者など横断しようとする人たちは、車を見ないのだそうだ。
なまじ見て運転手と目が合ったと解されると車のほうは「人は止まる」と判断して、そのまま突っ走る習慣があるのだという。いや、恐ろしいのなんのって・・・。
生きた気のしない北京の第一夜となったのだった。

ホテル内の値段。ラーメン28元、日本製ビール20元(青島ビール13元)、おにぎり15元、ミネラルウォーター16元、コーラ13元。日本円とのレート差は16倍である。
翌朝、自然に目が覚めて窓の外を見るとかなり陽が高く昇っていて、こりゃ寝過ごしたかと思って慌てて時計を見ると、まだ5時45分であった。
日本時間では6時45分となる。かなり夜の明けるのが早そうだ。

さて、中国に来たならば、やはり万里の長城に行かねば一生後悔するとのことなので、無法道路を驀進するバスに再び乗り込み悪夢のスタート、と思いきや眠気などは一瞬でぶっ飛ぶ恐怖のロケット走法。
朝の北京は自転車の洪水だ。アリのごとく左右から湧いて出てくるが、誰も危険など意に介しない。
車も人も自転車も早い者勝ちの神風?疾走。車内は水を打ったような静寂、と思いきや皆、口もきけず固唾を飲んで凍り付いているしかなかったのであった。
しかし、程なく無茶苦茶通行の混雑をようやく抜けて高速へ、一路バスは西北に向けて長城へとようやく安定走行。落ち着いたところでつらつら考えてみると、余計な観念を持って騒いでいるのは自分達だけのことであり、その観念に自らが勝手におびえているだけと知るのだが、このハードルの高さは尋常ではないのだった。

「月から見える唯一の建造物」と言われる万里の長城。築城のはじめは紀元前7世紀まで遡るというが、その後秦の始皇帝が30万の軍兵、数百万の徴用農民を駆って構築、強化していったという。
3〜5キロくらいの重さで、一抱えほどもあろうかというレンガを無数に積み上げて作られているが、その為だけの人生、もっと言えばレンガを山の上にただ運ぶだけで一生を終えた人達が、数え切れないほどいたということである。
因みにレンガの接着剤は飯粒を主体にしたものだそうだ。
北京一帯は岩盤地域で山と言っても岩山である。地震は数百年に一回というから、なんとなく納得してしまうようだが、心底信じられないでいるのも先入観念か・・・。
全長の6000Kmは日本列島の約2倍ほどにもなり、雄大というのか気が遠くなるというのか、レンガを担いでいる人のことを想うと天文学の世界の話のようだ。
私達が案内されたところは八達嶺というところの長城。向かって左が男坂、右側の女坂のほうが傾斜が緩やかで見学者も圧倒的にこちらを選んで行く。
修学旅行の女子高生達も連なって登っていった。 どこに行っても日本人たちがいて、物売り達が値段だけ日本語でがなって売り込みにくる。喧騒を避けて勇躍私達は、男坂に挑戦。壁の高さ7〜8m、幅6m位であろうか、急勾配の道のりをゆったりと見せかけて、実は喘ぎながら登って行くが人影は殆どなく、貸しきり状態。所々で一休みと言うかへたばって酸素を補給しながら振り返るとさすがに眺望は見事で、はるか向こうに見える女坂の混雑が、下界を見るような不思議な光景に写って感じたのだった。

ここではたっぷり1時間半の時間をとって往復してくるはずであったが、なんといっても平均年齢は正直である。
この辺までくればよかろう、といってたどり着いた地点はまだほんの数百メートル。
当時の衛兵達はこの坂道を毎日何キロ往復していたのだろうか、などと思いながら平均年齢50才程の一行は、早くも酸欠行き倒れ。
暫しの休息の後、不安定な急坂をヨタヨタと帰り着いたらまだ時間が半分も残っていて、私を除いた元気印達は再度、女坂に挑んでいった。
芋を洗うが如き女坂に何を好き好んで上って行くのか気の知れない私は人ごみを避け、日本人観光客の待合所だという休憩所でお土産の見学。若い女性が日本語で、お茶を入れるから座れと勧めてきた。

店内にあるものを売るための従業員らしくて、常時15名ほどがいるらしい。 南街村に行くと言ったら、そこのビールが置いてあるというので「日中友好」の好機到来とばかりに早速購入、試飲に及んでくれた。
皆に先駆けて毒見役を引き受けて、一行中最高齢の私が自ら起ったのである。
外は結構暑く、喉が乾いていたためとても美味く、心地よい喉越しは身も心も洗われるようであった。
後から聞いた話だと、中国ではビールを冷やして飲むという鉄則はないらしい。
たまたまこのときは日本人のための待合所だったのが幸いしたのか、冷蔵ケースに入れてあったので助かったが、この暑さで生暖かいビールを出されたらどうであったろうか。
常識は破られるためにこそある、というが破ってほしくない常識もあるのだと認識した長城参観であった。

午後は明朝帝王13代の陵墓へ。綿のような柳の花が舞い散る参道を進んで行くと、定陵といわれる13代皇帝、万暦帝の墓に着いた。
入ると地下へ降りる階段が奈落の底に続いているかのように長くあり、27mも下っていったところに在ったのは1200㎡程の巨大な石の宮殿であった。
専門家が見たらその土木技術の高さには、一様に感嘆するくらいの建造物だという。
夜は北京ダックの会食から始まったのだが、生憎私はトリ肉さんとは相性が悪い。
本当の美味しさを皆と同じように味わえたかどうか、もったいない話だがわからない。 そして、際目付けの京劇観賞。話の内容はよくわからないが演技の息の合わせ方、タイミング、技術等どれをとっても弛まぬ訓練と向上心の現われを感じた。
一演技毎に観客に対して見栄を切るのだが、日本の歌舞伎の見栄の原点を連想させられる。しかし、歌舞伎のそれとは切り方が大分違うようで私にはそこが一番興味深かった。
また、舞台を縦横に使って大きくとんぼ返り等を見せてくれるが、特に軽業とも言えそうな後回転では、体操選手もかくやと思うばかりの驚嘆体技を見せてくれる役者がいて、一箇所に留まってまるで風車のごとく、エンドレスかと想われるほど何時までも回りつづけるのである。
満場、ヤンヤの喝采であった。
外人観光客向けの劇場のようで、京劇の技術のサワリの部分を観せているような印象であったが、堪能をさせてくれるのは流石と言うしかない。

さて、中国では自分にとりついている観念がひっくり返されるような体験の連続であったとも言えるが、中でもトイレについては私にとって特筆ものといわねばならない。
ホテルや飯店の中にいるときは何の違和感も感じないのだが、一歩外に出て観光地などに行くと仰天する。
小用はともかく大のほうに仕切りがあるほうが珍しく、普通はただ便器が並んであるだけなのである。
日本のように個室を探しても無駄な抵抗である。
皆仲良くお尻を出して連便をするしかない。トイレに新たに入ってくる人に対しても、全くの無防備状態で見合うことになる。
洛陽のデパートでは、流石に水洗式であったが床に一本の側溝があって、時々水が流れてくるというものだ。
用を足したい人は一列縦隊で側溝を跨いで座るのである。しかも、紙を据え付けているところは皆無だ。
お互いに向き合って話をしながら・・・というのもありそうだ。
(・・;) 同行の女性陣は筋金入りのヤマギシレディ、元々観念の外れた人達であるらしく、なんの支障もないといって嬉々としている。

地球が破壊しても生き残るのは女性だというのを図らずも確認できた訪中でもあった。

ところで中国人とインド人の全てがトイレットペーパーを使ったら、地球上から紙がなくなると言う話は、食糧危機も相俟って実は深刻な問題ではないだろうか・・・。 ウ〜ム…。(^_^;)    

 

4)ヤマギシズム学園・その1 平成10年 7月

To kurokishi  at 1999 10/20 11:30 編集

返信 RE:やあ、元気? ヒゲオヤジ@wabisabiです。

>> http://www.yamagishi.or.jp/nogyo/
>何故かつながらなかったのさー。 どうしてかな?

因みにそのままコピーしてアクセスしてみたけど、私の方は繋がりましたよ。

>でさ、これって以前、児童虐待とかで問題にされてなかった?
>良心的なトコなの? って問い合わせがあったよ。子供を預けて大丈夫なの?

上記のURLは、農業と一体社会を目指し、模範たらんとして実践している実顕地のHPです。
私の娘が入学しているのは、ヤマギシズム学園です。
学園のHPは特にありませんが、いろいろとスキャンダラスに取り上げられて捏造報道までされていたことに対しての意見はいろいろとありますが、言えることは先ず誤解・そしてこうでなければならないという決め付けから来る偏見・そして取材する側の売らんかなに基づいた製作姿勢に起因して、謂れの無い誹謗や中傷を受けていると想います。

これらについてのことをここで述べることは無理ですので、「閑話休題」のページにでも近いうちに掲載しましょう。
私のところの娘は、とにかく愉しいだけの暮らしの創りあい、学びの毎日を送っています。
学園も自ら進んで選択して、「行かせてください」と親達に正面から願いに来て、決めたものです。
「暴力」や「虐待」などあったら親として入学させることは、金輪際!ありません。 どうぞ、ご安心を。

at 1999 10/22 12:15 編集 返信 RE:ヒゲオヤジさんへ♪

ヒゲオヤジです。

>初めまして。
>ヤマギシシズム学園の事を質問したのは 私です。私は保母をしています。
>保母の立場上どうしても真実を知りたいのです
>私が知ってる限りでは「幼児虐待」「無理な労働」の強制等です。
>誤解ならここで解きたいと思いますので 教えて下さい。  

「幼児虐待」なんてどこからの情報ですか? 幼児に限らず、学園内に暴力や虐待など想像さえ出来ないことです。
報道等に出てきていろいろ言っている子はいつも同じ子どもですが、その子を知っているわけではないのでその子にまつわる事についてのコメントは出来ません。
でも、いつも想うのですが、どうしてその子の親は出てこないのでしょうか。
親のコメントはどうして紹介しないのか不思議だと想っています。
そこに至る経緯がまったく伏されていて、すべてのプロセスが不明なのです。

さて、他の一般的例をとって知っている限りのお話を手短にいたします。
ヤマギシズム学園は、親と子で創る学園です。
そして望ましい養育環境として、健全な地域社会を取り巻く大人達が「共に」創り合い、親子ともに育ちあって行きます。
そういう環境に是非子どもを入れたいと熱望して入学”させる”親がいても不思議ではありません。
あるいは、子ども自身に問題があり悩んでいる親が(子どもではなく、本当は親自身に問題があることのほうが多いと想われる)何かの矯正機関や施設と勘違いして、強制的に入学させる場合もあるかもしれません。
どちらにしても、「依存」ですね。

繰り返しますが、ヤマギシズム学園は、親と子で創り、親は親、子は子ども達の群れ社会で育ちあう場です。
特に「自発的自由意志」と「豊かな社会性」を育み、自立と自律の確立を培う場として大人達は社会の親として、養育にかかわり、環境を創りあいます。
親も子も、健全な自発性と社会性が育まれ、備わり、それらに基づく自然な創造性が発揮できなければ当然、その地域社会に溶け込めず、やってゆけなくなります。
いわゆる「生きる力」でしょうか。
つまり、親と子の間に密接な愛情基盤が無ければ、互いの健全な成長が出来ないのはどこにいようと普遍なことだと考えますが、如何でしょうか。

紙面が無いので端折ります。 子ども達は、群れ育ちの中で切磋琢磨をしあいますが、たまには悪さをしたり、喧嘩をしたりもすることでしょう。
例えば、階段の上から突き飛ばそうとしたりしたら、大人達は間髪をいれず対処が必要です。
悪さをしようとした当人はもとより、周りの子ども達にも命に関わる危険なこととしての認識が必須です。
このとき「怒る」のではなく「叱る」と言うことが非常に重要な養育上のポイントになると確信します。

因みに私は、自分の町内会の祭りで自治会のテントの中に用意されたビールを自分の子どもである高校生に率先して飲ませていた母親を(断った上で)子供ごと叱り飛ばします。自動販売機でタバコを買っている子どもを見たら、これも問質し親のもとまでついて行き、事情を聞いたり、後日その親と話し合ったりしています。
そういう地域社会を皆で創ることを呼びかけ、実践しています。

本題に戻ります。 大事なことは、叱られた子が何故叱られたのか、と言うことが分かっているかどうかです。
万引きをした子を親だったらどうしますか?最近は、「お金を払えば良いんでしょ」という親も多いそうですね。
私だったら、引っ叩くぐらいのことはするでしょう。ただ、闇雲にたたけば良いというものではないので、「叱る」プロセスが重要となるものと考えます。
悪いことをしたら、私だったら場合によって我が子でなくても遠慮なく叱り、叩くこともあります。
でも、親でもない大人から叩かれた子どもが「叱られた」ととれずに、「暴力」をふるわれた、と恨みを抱くことも子どもによってはありえます。
ほとんどはこれまでの、あるいは今の親子関係がどうであるのかの反映とも指摘できるように想われます。
学園においては、世話係りさんがいて親身になって子供たちを観守ってくれています。
私達も我が子と変わらぬ扱いをお願いしたいと考えています。
でも、世話係りさんは親子の関係に踏み込むようなことはすべきでないということで、何かあれば即親が行って対処します。

自発的自由意志の育成ですから、子どもが入学したくなければ入れませんし、仮に間違って入学してもすぐにメッキは剥がれますから、やってゆけずに戻ることになります。
ここでいう「やってゆけない」と言うのは、主として皆と「共に」や「仲良し」をして一緒に暮らしを共に出来ない、と言うことです。
学園で、「強制」は勿論決まり事も一切ありません。
自分達が、何で学園に来たのかという成長目標に沿って、何事でも自主・自発的に、自由意志で子ども達同士ですすめ、一日を創ります。 管理する人も、誰もいません。お世話係りは単なる相談相手として、また親とのパイプとして存在しているだけです。

農で育つ、教育力・養育環境ではありますが、学園の子や卒業生で構成されている通信制の高等学校の新設軟式野球部で全国大会初出場・初優勝したように、農業で育ちたい子は農で、野球やバスケット、バレーやサッカーで育ちたい子はそれらをやることで成長してゆきます。

自分達の本当にしたいことは何なのか、とりあえず今したいことに想いっきり取り組んでみて、その結果どうだったか・・・という「学んでみて、そして自らに問う」暮らしを創りあっています。
長くなるので、この辺にします。 ・・・・・・・・・・・・

返信 <おはようございます♪

 

>さっそくのお返事ありがとうございました。 ゆっくり読ませていただきます。
>
又、色々とお聞きすると思いますが よろしく御願いします。

朝からご挨拶ありがとうございます。 どうぞ、何でもお聞きください。
私でお答えできることについては全て応じさせていただきます。 ただ、掲示板では書ききれない場合もあるかと想います、皆さんにも是非知って欲しいことですので、それが悩みですね。
それから、前記の私の文章でも誤解を受けるといけませんので、補足します。  
幼年さんたちは、毎日「思いっきり食べて」「思いっきり遊んで」「思いっきり寝る」の暮らしを満喫できる環境を用意してもらったり、親達も一緒になって創ります。  
学園では「叱る」ということで、暴力と誤解を受けそうだと思われるようなことを含め、一切のそういった行為をしません。  
何かあれば、というよりも子育ては親がやります。
子供達は豊かな自然と、「共に」暮らしを創りあえる環境を大人たちに用意してもらって、そういう場を親たちは借りて、創りあい、育ちあう健全な地域社会を建設します。  

世話係りさんたちは、観守る人として常に親たちとのパイプを開放し、必要かな?とお互いに想えるようなことがあれば、親が行ったり、土日で親子がゆったりと過ごす時間を持ったりします。
勿論、叱らなければと言うことがあれば、そういうことはすべて親が判断し、必要なら親がします。
ここで、「言い聞かせる」ということも親はしないように心することは大事なことだと私は考えます。

中等部2〜3年ともなると、進路の選択もでてきます。
ヤマギシズム学園での進路は地域の中学校での職業の選択による進路ではありません。
大人になって「どんな人になりたいのか」ということが先ず前提になると、私は考えます。
それによって学園の高等部に進むもの、家庭に戻るものと大きく分かれますが、学園に進んでそこから地域の高等学校に通う選択をするもの、通信制の高校を受けてやりたい暮らしを創るもの、農業をやって育ちたいもの、主として野球・水泳等々のスポーツで、とか様々な選択肢が用意されています。  ちょっと学力が・・・というような子も土日に親が学園に通って学習を観る、ということもありますね。  

全て、「今この子にとってどうか」何が必要なのか、どうするのが最良なのかを親だけの独善的な観方ではなく、世話係りさんや、時には 親たち皆で観合いながら地域社会の子育て環境を創りあっています。  

学園に送ってみて初めて知ったのですが、子は本当に親の写し絵です。
今まで自分のしてきた全てがそこに現出します。(・・;)  

ちょっとのつもりが、又長くなってしまいました。

 

 

3) 今、なぜ理想の学校づくりなのか

at 2000 02/14 17:18 編集

この文章は、H10年1月理想の学校をつくる会という市民グループに寄せての感想原稿です。  

明治維新以来、富国強兵政策を経て万民に均等な恵みを、豊かさをと目指し。常に経済優先の国策をとってきたわが国は、結果的に金と権力がものを言う企業(会社)中心社会を確立してきました。
それは即ち、学(校)歴がものを言う社会と言い替えることもできます。  
この企業国家の中で子供たちは、どんな大人になって何を創ってゆくかではなく、どういう会社に入るのかを目的として、いまや幼児教育からの長くむなしい比較と競争の展開にさらされることになったのです。  

教育は自由化という名の元に民営化が進み、商品化され、家族はその財力に合わせた選択をするだけの、単なる消費族に成り下がっているのです。  
学校はまさに競争と選別の場となって、いじめ、不登校、体罰と管理などの問題が日常化している地域社会の歪の中で、子供たちが無気力・無感動・無関心のいわゆる三無現象が定着したのは必然の成り行きでした。  こうしたことを反省してか、踏まえてか、またまた経済界から教育改革が提言され、昨年は中教審の第二次答申にも、「ゆとり」の中で「生きる力」を育む方策として、社会と教育の改革が提言されました。  

そこでは、企業や官公庁の採用や人事に現れる学(校)歴偏重社会への批判と共に、家庭教育の重要性に触れ、親たちの横並び意識や同質指向にも言及し、子供たちの自主性や個性を尊重しながらの「自分探しの旅」に手を差し伸べることを求めている。  しかしながらこの提言は、具体的な制度改革として本当の解決策になるのだろうか。  
積年の財政赤字から社会経済的歪を産み出したわが国の財政は現在、主要先進国中最悪の危機的状況に陥っていると言われています。累積した赤字財政の是正に教育改革も無縁でいられないのは明らかで、必ずや整合修正改革となるに違いない。  
これからの時代は現代企業の未曾有の競争社会に突入すると想われる。  

現在、日本の銀行は124行あるそうだが、消滅、統合等によって生き残るのは3〜5行だと公言する財界人もいるのです。  中小企業の切り捨て、再編政策と軌を一にして、教育改革の名目で学校の統廃合、教員削減、助成金の抑制等々に向けての動きは既に始まっています。  
少子化社会に向けて30人以下の学級を確保、実現し、ゆとりのある教育を保障する条件をつくるのか、定数をそのままにして余った学校を廃し、教員を解雇して財政再建を計ろうとするのかという選択の問題になる可能性は非常に大きい。  

教育・養育の主体は父母である。教育が従来のように国家のもの、官のもの、企業のためのものであってはならない。
ましてや商品としての教育を、私達親は、断固拒否すべきであります。
親は、スポンサーとして教育を選択するだけの存在であってはならない。  
学習の主体である子供たちにとって、本当に必要とされるものは何なのかを考えたとき、それは「社会」を抜きにしては語れない。  

私達大人はどこ(社会)に向かって行こうとしているのかということと、子供たちに何を引き継いで言って欲しいのか、という問いとは不可分のものと考えます。  
親の元から巣立(断)っていった子供たちが、たとえどこの世界で生きようとも、「共に」という意識を失わず、あるべき地域社会づくりをしていける大人に、どうしたらなってゆけるのか。

地域こそ重要な社会発展の拠点であります。

そこに私達は、平和と共生と親愛社会の文化を構築し、地域社会がその努力と一体で教育、学校づくりを進める必要がありそうだ。

理想の学校づくりは、教育や養育を父母と地域住民の手に取り戻す唯一の機会だと言えるのではないでしょうか。  

教育改革とは主体である私達の創造活動であり、理想の学校づくりは私たち自身の革命とは言えまいか。    

 

2) ある、ネット上での会話より

at 2000 02/14 17:17 編集

> 4、5年前でしたっけ?
> 「今の教育体制では、登校拒否児が出てきて当たり前だ。』と発言しだして、フリースクールに対してもいきなり容認して、一部学校と同じあつかいになったりして、私はもうただただぶったまげちゃったんですよ。
> それで なんでそんなに急に文部省が180度方向転換したのか、  

教育の自由化・民営化という路線は、財界主導による臨教審によって提示され、  その後の行財政改革の一環として大学審議・中教審・教育過程審を通して徐々に政策過程として反映されています。
90年代の経済同友会の教育提言は、特に文教政策に影響を与え「週五日制への移行」は、学校から合校へと学校のスリム化に向けての具体的実施例となって表れています。  
政府・財界の教育改革への取り組みは真剣で、その意図するところは赤字財政の克服と健全化にあるといって良いと想います。  

97年の橋本内閣の「五つの改革プラス教育改革」は、まさに財政構造改革そのものであり、それを受けて文教予算も少子化に応じた合理化、自助努力、受益者負担の原則に閣議で了承され、公費縮小のターゲットとなっています。  
少なくとも、教育改革は、子ども達の声を反映した内在的な改革とはならず、財政再編改革の一環でしかない、と考えられます。  
これらのことは、素人の私よりも現場の先生方、各種の教育を考える会のHP等を見ていただくほうが、正確だと思います。

> とはいえ、「長期の休暇村」 私は別の意味で賛成です。  

中教審の審議委員にかっては考えられなかった日教組の関係者も入っているようですが、文部大臣の首相への教育改革プログラムには、「行財政改革、及び財政構造改革の視点に留意し、(中略)改革と一体となった取り組みを・・・」と明言しています。
それらを受けての中教審の答申であることは、既成路線の踏襲であり、合理化するための審議であったと言う人もいるので、どこまでのことが出来て、「ゆとりと生きる力の育み」に結びつくのか・・・ですね。

> それからまあ別にいいんですけど、うちも単親家庭ですので、基本は
> 夫婦愛といわれると、ちょっと健全すぎてつらいものがあります。
> そんなに気にしてませんけど。  

夫婦でいても不健全な家庭が多いという考えを述べ、改革しましょうという提言なので、他意はありません。  
言いたいのは、親子の愛情基盤の確立を心していきたいということです。  片親が不健全だ等と想ったことは、かって1度もありません。  

私自身、中学3年のときですが父親を亡くして紆余曲折の育ちをしています。  
親子の絆としては、夫婦仲の良くない家庭より強い結びつきがあったように想います。(友達からよく、親同士の仲の悪さについて愚痴られたり、相談されたりしたものでした)

敬愛される親になり合いたいですね。  
夫婦でいるから健全などということはない例が、世間にはいくらでもあります。

かっては、我が家もそんな一つでした。

 

 

1) 「かぶく」と私。

at 2000 02/14 17:16 編集

歌舞伎は、我が国特有の文化的遺産として諸外国にも広く知れ渡っている。
出雲の阿国からはじまって、男歌舞伎に移行し元禄時代に大きく発達、完成されたという歌舞伎の語源は、”かぶく”(傾く)であると云う。
その歌舞伎の発生と共に、同じ時代相を背景として江戸、その他の都市を舞台に反体制的行動を展開した武士、奉公人などもいて、異様な風体、常軌を逸した言動、傍若無人などといった振る舞いは、私達でも旗本奴、町奴の対立などを小説、講談などを通じて知っている。
封建体制からはみ出した放蕩無頼、異端、異装の溢れ者のことを「かぶき者」といったのだが、一方は”かぶき踊り”から「歌舞伎」に、そしてもう一方の元祖として有名なのは、異端をもって人間性の開放をしたといわれる本質的かぶき者、豊臣秀吉である。 中世には「ばさら」という反抗精神を持った集団があったらしいが、江戸時代のかぶき者は個人の美的反抗からはじまったとされる。
行動原理は反権力思想にあったが、幕藩制身分秩序が確立するに従い、本質的(?)かぶき者の言動や行動原理も次第に矮小化し、風俗化していったという。

現代でも私の若い頃にはまだ「何かにかぶれてる」という云われ方を耳にしたことがある。 旧い話で恐縮だが、プレスリー、ビートルズ、ロカビリー等にかぶれた若者はいくらでもいたが、こちらの方は単なる「気触れ」であって感化されて夢中になっているだけである。
一方、大道芸人達は云うに及ばす、芝居を興行する者たちは、その発祥の由来から「かわら乞食」とも呼ばれていた。
無頼漢、はぐれ者、自由奔放であった彼らは歌舞伎と言う特異なミュージカルも完成させたわけだが、当時はそれなりに時代の先端をいっていたということでもあるらしい。
世相を敏感に反映して、或いは時代を先取りして次々に打ち出す舞台に人々は熱狂したと言う。
封建道徳や武士社会倫理のタテマエに縛られ、生きねばならない人間の悲しさ、空しさを描き、反面では本能的欲望を前面に打ち出し、自由奔放に生きている人間の強靭さ、したたかさを存分に描いて幾多の名作を今日に残している。
そういう魅力的な人間像は無名庶民に対して多くの影響を与えたと思われるが、次第に体制側から迫害弾圧の強化を受ける要因ともなった。
つまりその時代の歌舞伎の舞台に載せる物としては総て、創作物であったのだ。

現代の歌舞伎はというと、あるのかもしれないが創作・・・と言うのをまず聞いたことがない。 一時期、創作歌舞伎運動が行われたこともあったらしいが、あえなく挫折して消滅してしまった。
第二次大戦後は文化国家としての国策にも促され、急速に社会的地位を高めた歌舞伎は、人間国宝の指定を受けるまでに変わり果てて現在にある。
常軌を超えた危険さ、非常識の斬新さ、驚嘆、心地よさ、夢などを与えてくれたであろう創造空間は、古典的様式を保存継承されるべき伝統演劇と位置づけられ、権威づけされ、無害、安全なものに固定されたのである。

過去の形骸を大事に温め、或いは鑑賞して安心している世界が常識、常識観の殻であり、枠であるとは言えまいか。
かぶき者の持つエネルギーは計り知れないが、観点を変えると流行の先端を行く人、個性豊かな自由人であって時代の前衛人であると言う側面もあることが分かってくる。

彼らがその時代に、どのような影響を社会にもたらしたのかは学者に任せるとして、常識の世界にドップリと漬かっていては発想の転換も、創造も生まれそうにないことは歴史的事実が物語る。

現代人として私達は、単なる常識の伝承者であってはならないと考える。
かっての「かぶき者」の精神を大いに取り入れて、あらゆる常識とハッキリ決別をし、敢えて非常識の中に身を置いて自らが前衛となり、創造の大道を行きたいものである。

 

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