第二の歴史は上海開港後の、欧米諸国が入ってくる
租界時代から始まります。

 アヘン戦争後の南京条約(1843年)締結後、英(1845年)、米(1848年)、仏(1849年)が上海に租界とよばれる居留地が設けられ、日本も日清修好条約(1871年)以後租界に参入しました。日本の対米英開戦(1941年)後、日本軍が租界を占領し、
約100年にわたる租界時代は終わりを告げました。上海人はこの100年にわたる租界時代に、海外の文化、生活様式に接し、独立心・冒険心が旺盛となり、さらに、今日の外資導入による経済発展の土台となる、国際人としての感覚を身につけていった訳です。

外灘 night crusing

 その後、日本の敗戦(1945年)により、上海は完全に中国に戻り、一時国民党が統治しましたが、1949年中国共産党の勝利により、中国最大の貿易港として工業、科学技術の基地となりました。その後、文化大革命の発端となり、江青で有名な四人組を輩出し、一時期、経済や文化面も後退しましたが、80年代に入ると改革開放政策が打ち出され、再び上海人のパワーを発揮し今日の発展へと繋がってきたのです。
  
 最近ではさらに進んで
浦東新区の開発により、上海を国際的な金融、貿易、経済センターとし、揚子江を一頭の龍に見立て、龍の頭として揚子江沿岸の経済をリードしていくことを目指しています。

 でも、良いことばかりはありません。数奇な運命を辿った土地柄から、上海人は一種独特の特権意識を持ち、他の中国各地の人から余りよく思われてはいないようです。中国人に「上海人は好きですか?」と尋ねるときまって嫌な顔をされます。生まれ育っただけで差別されるのは悲しいことですね。


 
上海の歴史を調べれば調べるほどその血塗られた歴史を目のあたりにします。1、第2アヘン戦争しかり。先進国の横暴や利権に翻弄された歴史はそのまま今の世情勢、経済の有り様と何ら変わるところはありません。