ST.LUCIA

セントルシアの旗です
    ...セントルシアはこんなとこ...
夕日とクルーズ船  カリブ海に浮かぶ小さな島だ。 フロリダ半島から南アメリカ大陸へ、点々と並ぶ島の下のほう。中学校ぐらいの地図帳では、かなり目を凝らさないと見つからない。 大きさは淡路島ぐらい。セントルシアの位置を確かめたい方はこちら

 気候⇒暑い。一年中、日本の真夏の感じ。タンクトップと短パンで暮らせる。なのに私が長ズボンをはいているのは、カイカイのせい。 痒いのです。サンフライ、そしてレッドバグ、とにかくいっぱいいるのです。 あせも、じんま疹、虫刺され、それを掻いて、かさぶたができて、またそれを破って、いつもどこかをぼりぼり掻いている。

 熱帯気候⇒まわりを見まわすと、マンゴやヤシの木があちこちに見える。 雑木が生い茂って、緑がこんもりという感じがする。 草や、つる類の植物も成長がとても速い。 草刈や、枝落としをやらないと道路も家もすぐに木や草に覆われてしまいそうだ。 首都カストリーズ きれいな花をつける木、実をつける木が多い。
 雨も多い。一日に何度もざぁーっと降る。 雨の全然降らない日はとても暑い。一年で一月ぐらい雨の降らない月があって(2月ごろ)その時は、草も枯れ、木も葉を落とし、まわりがカサカサした茶色っぽい世界になる。

 首都のカストリーズは、歩いて見てまわれる程度の広さで、小さなカリブらしい家とビルがびっしり並んでいて、狭い道路は駐車中の車で一杯だ。

豪華客船??  カストリーズは、カリブ海クルージングの大型豪華客船の寄港港でもある。 シーズン(12月から4月ごろ)には、この国のどのビルよりも大きな客船が毎日やってくる。 そういう船は朝来て、その日の夕方去って行く。複数の船が来る日もある。そういう日は、カストリーズの町は観光客で溢れる。

 治安は、一応とてもよい。年老いた白人の夫婦が、首からビデオやカメラをぶら下げて、歩いて観光しているのをよく見かける。

 人は、ほとんどが黒人だ。体格のよい人が多い。セントルシアの原住民は南米のインディオ系だったが、その後、奴隷貿易の中継港として栄えた。 そのころアフリカから連れてこられた人が多いらしい。他にインド人、アラブ人、白人…。日本人は25人(2000年の8月現在)(内16人は青年海外協力隊員)

 言葉は、英語がだいたいどこでも通じる。 元々、パトワ語というフランス語系の言葉を話したが、学校教育が英語で行われているので、パトワは消えつつある。

 この辺りのいくつかの島で、EC$(イーシーダラー)というお金を使う。 固定相場で、US$1=約EC$2.7。円に換算すると、ほとんどの物は、日本と同じぐらいか、又は日本以上に高い。しかも良いものがない。

ハイアットホテルと鳥  毎日、朝夕渋滞だ。車が過剰気味。そのほとんどが日本車だ。 この国は、日本と同じ右ハンドルで、数年前に中古の日本車の輸入が 自由化されてから、急に車が増えたらしい。 この国の主要の交通手段は個人のミニバスで、これも日本の中古の 商用バンが大活躍している。 このミニバスのおかげで車がなくても暮らせる。

 セントルシア人の生活−産業がないので、 仕事が少ない。食品を始め生活必需品も輸入に頼っているので 物価がとても高い。 一応、発展途上国。多くの人の生活水準はとても低く、 小さな家で大人数がシンプルに暮らしている。

 田舎を除いて、水道、電気は機能している。

 電話もよく普及している。
911で消防車、救急車、999で警察がちゃんと来てくれる。

カーニバル セントルシアには、大きな行事が二つある。 ジャズフェスティバルとカーニバル。

ジャズフェスティバルは5月頃、 内外のジャズミュージシャンを集め、一週間セントルシア各地で演奏会がある。 最終日はピジョンアイランドで野外コンサート。

カーニバルは7月の中旬。ハデな衣装を身につけた人々が 街を練りあるき 踊り狂う。セントルシアが一番熱くなる時だ。 見物人も飛び入り参加できる。エネルギーと根性が ある人なら楽しめる。 スチールパンなどの演奏もあって カーニバルの夜はなかなか明けない…。

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