セントルシアへ!
父の仕事で、海外に行くのはこれが三度目。けれど、今までと違うのは、「日本人学校がない」こと。
「英語だね」と母に言われて「そうだね」と軽く返事をしたのは…やっぱり甘かった…と今になって思う。
でもその時は、2、3ヵ月で英語がペラペラになるだろう、と思っていたのだ。
ともかく、中学3年の9月、私は高校受験を目前にして、まんまと日本から逃亡したのだった…モチロン、
それなりの覚悟はしているつもりだった…。
成田発、シアトル、マイアミ、
そしてトリニダを経由してやっとついたセントルシアは晴天。
時差ボケでフラフラの私には、眩し過ぎる太陽だった。
セントルシアに着いてから学校に通えるようになるまでに、約一ヵ月かかった。
教室の壁には、穴空きレンガが使われていて、風通しが良いのでいつも涼しい。(
大雨が降ると、教室内に雨が吹き込んできて授業が中止になることも…)黒板は、
大きさが、日本の3分の2ぐらい。表面がガタガタな上に、前に書いた文字が
きれいに消えてなくて、最初の頃は読めなかった。
次は授業内容について話そう。授業は全部英語。日本の中学生程度の英語では、
最初と最後の挨拶しか分からない。先生が自分の持っている本を読み上げて、
みんなが写していくことが多い。オテアゲだ。
Form4になると、科目は選択性になる。主に「理系」「ビジネス系」「文系」に別れる。私の場合は「理系」で英語A、数学、化学、生物、物理、コンピュータ、会計、社会の8教科。
空港は信じられないほど小さくて、簡素。荷物をずるずると引きずって外に出ると、
目の前は白いビーチ。
「あぁ、憧れのカリブにやってきたんだ」と思った。
Written by Natuho
私は、公立の女子校に通うことになった。10月10日、
運命の日がやってきた。
その日は、朝から、お腹が痛み、
冷や汗が出て、倒れる寸前の病人のようだった。
白い半袖のブラウスの上に目も覚めるような青色のいジャンバースカート
を着て、ベルトをしめる。
学校は丘の頂上にそびえている。屋根の上に十字架が見えた。
「St.Joseph's Convent」はカソリック系の女子校。Form1〜Form5
(だいたい12〜17歳)の女の子が通う。公立なのに、キリスト教の
女子校だ。
教室に通され、ちょっとした自己紹介をして席についた。みんなの
視線が私に降り注いでいるのが分かった。
この学校にはアジア系の子が私を含めて2人しかいなかった。
生徒の8割が黒人。あとの2割は白人、もしくはインド系。日本人は私だけだ。
人種が違えば、文化も違う。驚くことは山ほどあった。まず、校則というものがほとんどない。
たまにスカートの丈やら爪の長さなんかを注意するけど、文章に表されたものはなかった。
また、ピアス、ネックレスはOK。私の友達の中には、
生まれてすぐに開けたという子も、少なくなかった。
もちろん髪型は爆発していなければ自由だ。
机には鍵をかけ、昼休みになると教室のドアにも鍵がかけられる。盗みを防止するためだとか。
行事はほとんどが自由参加。
体育祭が嫌いな人はセントルシアに来るべし。
私はそれでどんなに幸せな思いをしたことか…<^^::>どちらにしろ、テニスコートでやる
体育祭なんてたいしたことない。
机は、少しかび臭いけど、我慢できる。恐ろしいのは階段。ギシギシいって、
ひやひやしながら通ってる。今のところは、なんとか持ちこたえてる。
Written by Natuho
Form3は科目が多い。英語A、英語B、数学、化学、生物、物理、体育、宗教、道徳、フランス語、スペイン語、地理、歴史、社会、家庭科、美術。これをみんな、こなしているんだからスゴイ。
フランス語、スペイン語まで…と聞いて、ひっくり返りそうになった。
テストは主に年に2回。一学期の最後と3学期の最後にある。その他は小テストをそれぞれの科目でやって平均点が「成績」になるのだ。
数学はセントルシアの方が日本よりレベルがだいぶ低い。だいたい日本でやったことを、
2年遅れてセントルシアでやる。数学で良い思いをしたことのない人、
セントルシアに来るべし。日本人はセントルシアでは数学の優等生。美術も、日本人の方がずっとうまい。
困るのが歴史。セントルシアでは奴隷の歴史を習うのだ。
日本の授業には一度も出てこないことをここでは延々とやる。
セントルシアの子はめったに鉛筆を使わない。ノートを書く時は、
いつもボールペン。絵を描く時だけは鉛筆。その方がノートが後々まで奇麗に残る、というのが彼女達の理由。
テストもボールペンで書かなくてはならず、私は、ずいぶんと戸惑った。Written by Natuho