3月1日


   9時起床。ちょこっと部屋をかたずけてからお粥を食べに行くことにした。お粥はちょっとばかり塩辛くて全部食べきれなかった。ふと隣を見ると日本人のおじいさんが座っていて一人でお粥を食べていた。すると、突然僕に話し掛けてきた。その方はタクシーの運ちゃんを定年退職されて、今は友達と2人で海外旅行を趣味とされているらしい。それにしても話が止まらない、いままで日本人と会ってなかったのだろうか?話は堰を切ったかのように繰り出される。昔話やら、人生論やら
「う〜ん、頼むから朝からそういう重い話はやめてくれい」
とお願いしたくなるほどだった。時間がないのでと適当に理由をつけて退席させていただいた。

   そこら辺の店にポストカードを買いに行って、アユタヤーのアパートに3月19日に彼女とまた訪れるよ、といった内容のはがきを郵便局に出しに行った。部屋に帰り、荷物をまとめチェックアウトし、53番のバスでフォアランポーン駅に向かうことにした。

   今日乗る飛行機の出発予定時刻は午後6時、こんなに早く出発してしまい特に何もすることもなく、とりあえずフォアランポーン駅の食堂で昼飯でも食べる事にした。去年もここで食べた豚の煮込んだものをご飯に乗せたものを食べた。やはりうまい!こんな駅の食堂でもうまいものを出してくれるとは、まさにタイ王国万歳だ。。

   お腹もふくれ、ホームに入りプラプラしているとまた日本人が声を掛けてきた。彼はスコータイに行きたっかたらしいけど、この時期そこが大雨で洪水になっていて行けなかったらしく、今からアユタヤーに行くと言うのだ。ちなみに彼はフォアランポーンの駅の代理店で勝手にツアーを組まれ、4000バーツもの大金を払わされたと言うのだ。「うーん、それは君がしっかりしてなかったからいけないんじゃないか?」と思ったのだが、まさか自分がインドでこれに似た経験をするとは、この時夢にも思わなかった。

   1時間後、列車はドンムワン駅に到着。ぼられた彼の列車を見えなくなるまで見送り、僕は空港に向かうことにした。この時、駅のカラオケでかかっていた歌が、アユタヤーのレストランで心に残っていた曲だった。出発を待っている乗客は皆その歌に聞き入っていた。バンコックに戻ってきたら、そのCDを買ってやろうと思った。

   今の時間は午後2時。僕は4時間もの間、一体何をしたらよいのだろうか?とりあえず、空港内をうろつき、それでも時間が余ったので日記を書いた。それでも時間はなかなか経たない。
「みなさん、僕は一体何をすればよいのでしょうか?どうか教えて下さい。」
と、道ゆく人に答えを乞いたいほど暇だった。

   やっと4時になり、チェックインカウンターに向かうことにした。エア・インディアのチェックインカウンターは他のそれとはことなるものを感じた。うさんくさいインド人やわけのわからないヒッピーが、われ先にと「順番なんかかんけーねーや」とばかりに群がっているのだ。この先何かあると感じた。僕の前のおばさんは荷物の量が多すぎてオーバーチャージが必要だと言う係員ともめていた。どうでもいいから早くしろよと思っていたら、その太っちょのおばさんが僕と荷物をシェアーしようとわけのわからないことを言ってきた。断るとブツブツ文句を言っていた。おいおい。

   早くもチェックインカウンターからインドの洗礼を浴びた後、パスポートコントロールを通り、ボーディングタイムを待った。5時半ボーディング開始。しかし、これから乗る飛行機はエア・インディア。簡単に乗せてくれるはずがない。さっきセキュリティーチェックを済ませたにもかかわらず、ハイジャック防止のため全員の荷物をひとつひとつ開けて調べるのだ。これにはまいった。欧米人がお決まりのようにブチ切れていた。あんたが切れても、事は何も好転しないんだよと諭してやりたい。

   6時20分、飛行機は予定通り遅れてテイクオフ。機内は他の航空会社とは著しく違った感じ。つまり庶民的なのだ。「飛行機に乗って遠く外国に行きます!」といったよそ行きの感じが全くといっていいほどなく、「うん、これから電車乗ってそこらへんにいくねん。」といった何ともいえないムードが漂っていた。さらに驚くことに機内は喫煙OK。まさに時代に逆行している勇気あるエアラインと言えるだろう。

   それにしてもこのエアインディアは前代未聞であった。機内雑誌は揃ってなくて当たり前!
「飛べばいいでしょ?」
という姿勢が丸見えなのである。その辺にゴミが散らかっているし、インド人はベルトサインが消えるや否や、何かに憑かれたようにわけもなく歩き回るし、なんなんだ?おまけにクルーは機内食を回収し終わると殺虫剤を散布しまくるし(航空法で決まっているらしい)、パイロットはパイロットで「どうだ〜?俺様の腕前は?」とばかりに無茶な降下(頭が割れそうに痛い)や、無茶な着陸(乗客から悲鳴があがる)をやってのけてくれる。「お願いだから安全にね、安全に!」とこっちがパイロットの機嫌をうかがいたくなるほど本当に怖いものだった。…もう乗りたくない。

   2時間半の拷問フライトの後、ようやくカルカッタ国際空港に到着した。空港は「どーせ、小さいですよ、どーせ」と投げやりになってるのか?と思わせるほど寂しいものでありながら、ライフルを手にした警官が立っていてものものしさを感じた。税関を出たところで「ちょっとごめんよ!」と小走りで走って。いたゴキブリの団体が印象的であった。両替を済ませ、初めてのインドを一人で歩く勇気もなかったので、日本人3人適当に声をかけて安宿のメッカ“サダルストリート”まで一緒にタクシーで行くことにした。

   空港を一歩出ると僕達を待っていたのは、100人以上の客引きであった。噂には聞いていたが本当にものすごい数である。柵の向こうからこっちへ来いと手を振ってくるのだ(柵を越えるとおそらく警察に銃殺されるのだろう)。とりあえず良心的な運ちゃんを探そうとしたのだが、心がホットなインド人の客引きたちは僕達にそんな時間を持たせてはくれなかった。「ジャパニー」と叫ぶ者、「ミスター」と叫ぶ者、「カモーン」と叫ぶ者、「マニー」と金をねだる者、「うっとうしい!付きまとうな!」と声を荒げても許してはくれなかった。助けて、と音を上げれば「よしっ、俺のとこに来い!」とこれまた油断できない奴が現れるのだ。

   僕達は「もういいわ」とあきらめて一人の男に付いていった。結局、ちょびーっとぼられてひとり50ルピー。運ちゃんは僕らの中にいた女の子に一目惚れしたようで、女の子を隣りに乗せないと出発しない!とわけのわからないダダをこね始めた。さすがに女の子を隣りにするのはまずいと思ったので、僕を挟んで隣り(助手席に2人)に座らせることにした。男は納得が行かない様子だったが、こんな奴の言うことにいちいち付き合ってられないので、さっさと車を出せといった。運ちゃんの運転はこの上なくワイルドで途中何度も「Watch out!」を連発した。男はおしゃべりで愉快な奴で楽しかったのだが、あまりにもおしゃべりでしまいに腹が立ってきた。

   サダルに到着。男はチップを求めてきたが無視してやった。宿はすぐ決まった。結局、僕達は男3人、女1人で一部屋をシェアーすることにした。みんな疲れていたようで その日はみんなすぐに爆睡した。

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Last modified: Fri Apr 28 13:56:43 JST 2000