★★そうして、「眠り飲み」との戦いが始まった。★★
とりあえず「お茶」攻撃。乳を飲むなら「お茶」飲もうか!?と聞く。
うまくいけばバンバンザイ。だめなら、、、おっぱい。
あとはとにかく絵本を読んだ。お気に入りの絵本を何度も何度も何度も何度も
繰り返す。歌も歌った。子守り歌からいろいろ、、、、。
だんだん成功率があがっていき、寝かしつけ時のおっぱいはほとんど飲まなくなっていった。
しかし、夜中と昼寝はまだおっぱい。
そうこうするうち、昼寝も勝手に寝るようになった。
夏になり、午前中水遊びなんかをすると疲れきって昼食を食べながら
眠ってしまうのだ。
それでも夜中は「ぱいぱい」。こればかりは代わりになるものもない。
お茶で済むこともあったが、おかげで布団は麦茶のしみだらけになった。
するとしだいに夜中起きる回数が減ってきた。(2才ちょうどの時点で
10時就寝の場合、多い時で1時3時5時と起きていた)
最後は何故か明け方1回の「泣き」が残った。
8月の初旬、ラ・レーチェ・リーグの集いに参加した時、私は少し不安だった。
母乳育児を支援する組織の集いである。もちろん、参加している親子のほとんどが
母乳育児をしている。0才の子もいれば3才の子もいる、、、。
そんななか、その太は飲まないでいられるのか?
、、、心配は徒労だった。「卒乳」間近か?と期待も膨らむ。
この頃、明け方の泣きも飲まずに牛乳や朝食で済むことが増え、すでに
何日か飲まずにきていた。
その数日後、群馬の田舎へ出かけた。明け方の泣きがパワーアップして復活した。
いつもと違う環境だからか?トイレトレーニングをはじめた影響か?
一緒に行ったばーちゃんも妹も一様に驚く。それほどもの凄い泣き方なのだ。
たぶん夜泣きってこういうんだろうと思うほど。
飲ませても良かったのかもしれないが、すでに何日かまったく飲まない日が
続いた後ですっかり乳が出難くなったのを感じていた。吸われるとなんだか痛いように
感じたので飲ませるのを拒否してしまった。
そのかわり、、、といってはなんだが、、、ばーちゃんが外に連れて行って
くれたり(朝5時だよ( ^ ^ ;)と気をそらせてくれたので帰宅する頃にはほとんど
飲まなくなっていた。
時々「ぱいぱい」と言いながらじーっと私を見ることがあったが彼女の目は
笑っていた。
理想的な「卒乳」ではなかったと思う、、、。最後の最後に断乳の手続きを
踏んでしまった印象があり心残りではあるが、これがその太と私の「卒乳」だった。