REC.GAMES.FRP.DND FAQ
第 3 部
TSR


  1. C1:D&Dの歴史について教えてもらえますか?
  2. C2:「TSR」ってなんの略?
  3. C3:「T$R」ってなんの略?
  4. C4:WotCの電子メールの宛て先は?
  5. C5:WotCのふつうの手紙の宛て先は?
  6. C6:実際のところ,WotCはテレビ放映や映画化に向けてどんなことをしているのですか?
  7. C7:WotCの,著作権に関する方針はどうなってるの?
  8. C8:TSR はほんとうに「Nazi」って言葉を商標にしようとしたの?
  9. C9:TSR は J.R.R. トールキンの作品を「拝借した」だけじゃないの?
  10. C10:僕が書いた天才的文学の最新作をWotCに投稿するには?
  11. C11:ゲイリー・ガイギャクスは最近はどこにいるの?

C1:D&Dの歴史について教えてもらえますか?

E. ゲイリー・ガイギャクス(E. Gary Gygax)とデイヴ・アーンスン(Dave Arneson)はウォーゲームの愛好家でした。つまり,彼らは鉛でできたミニチュアを使って,歴史上の戦いを再現したり,独自の戦いを演出したりしていたのです。彼らが戦いの舞台として気に入っていた時代は中世期でした。

ガイギャクスは,ジェフ・ペレン(Jeff Perren)と共に,個人戦闘と集団戦闘を同時に処理できるルールを作りました。そして,ブライアン・ブルーム(Brian Blume)と共に,このルールを出版したのです。出版元は Guidon Games 社(ガイギャクスらが社員で,社屋はガイギャクスの地下室でした),1969 年のことです。ゲーム名は Chainmail といいました。

いくつかの点で,彼らの戦闘にはファンタジーの要素が入っていました(デイヴ・アーンスンはスター・トレックの影響をもろに受けていたらしく,定説によれば最初にファンタジーの要素を取り入れたのは彼であるということです)。はじめのうちは,ファンタジーの要素があるのは「魔術師」「英雄」といった特殊な軍事ユニットに限定されていました。しかしやがて,プレイ・バイ・メールによる軍事キャンペーンにおいてはすでに存在していた基本的な概念が,このゲームと組み合わされたのです。それは,プレイヤーそれぞれが各統治者を担当し,軍隊を派遣したり,外交を行い,策略を巡らす,という概念です。すぐに,「魔術師」と「英雄」は戦場から取り除かれ,伝説的かつ個人レベルの探索へと派遣されることになりました。ガイギャクスとアーンスンが,軍事ユニットや軍隊を丸ごとプレイするよりも単一のキャラクターをプレイするほうが,ものすごくとは言わないまでも,面白いことに気付いたからです。

このようなプレイ方法が初めて試されたのは,1970 年のことです。このときデイヴ・アーンスンが作ったシナリオでは,冒険者の一団が城に忍び込んで内側から門を開けなければいけないことになっていました。彼はこのシナリオを GenCon 4(1971 年開催)に持ち込みました。このときガイギャクスはすでに個人レベルの冒険について,自分なりに指針をいくつか考え出しており,プレイヤーの 1 人として参加しました。そうして,ガイギャクスとアーンスンは 2 人で協力して,ファンタジーの冒険に特化したゲームを作ろうとしたのです。

このあと,キャラクターの成長の概念が追加されました。「経験点と熟練の度合い」が戦闘や呪文の使用,それ以外の細かな点について導入されたのです。こうして,個人の特性や能力は成長させられるようになり,戦闘ユニット内の単なる無名の一員ではなくなりました。

いまやこのゲームは,ウォーゲームから,はては Chainmail からも大きくかけ離れたものになりました。彼らはこのゲームを The Fantasy Game と呼び,あらゆるゲーム会社に持ち込みました。そのなかにはアヴァロン・ヒル社もありました。しかしどの会社もこのゲームの出版を断りました。その理由はたいてい,あまりにも幅広い解釈ができて「勝つ」方法がわからない,というものでした。

しかしどれだけ断られても彼らはあきらめず,1973 年,ゲイリー・ガイギャクスとドン・ケイ(Don Kaye)は自分たちで会社を作ってしまいました。のちにブルームとアーンスンが加わることになるこの会社の名前は Tactical Studies Rules といいました(名前の由来は,地元のウォーゲーム・クラブである Geneva Tactical Studies Association です)。そして,彼らの「紙と鉛筆でプレイするファンタジー・ウォーゲーム」が発売されたのです。ゲイリーの妻であるメアリー(Mary)の提案によって,このゲームはのちに Dungeons & Dragons と改名されました。このゲームが初めて発行されたのは 1973 年の EasterCon で,1973 年終わりまでは限られた数しか入手できませんでしたが,1974 年 1 月に 1,000 部の初版(白い箱に入ったものです)が公式に発行されました。初版はこの年のうちに売り切れてしまいました。

このゲームには 3 冊の本が入っていました。Men and MagicMonsters and Treasure,そして Wilderness & Dungeon Adventures です。またこれ以外にも,Chainmail のコピーとアヴァロン・ヒルの Outdoor Survival というゲームを手に入れるのをお勧めする,と書かれていました。クラスは 3 種類ありました。ファイティング・マン,マジック・ユーザー,それにクレリックです。用語などは,意図的にあいまいなものにしてありました—数々の調査の結果,実際に現実世界の「魔法」システムに似ているような要素は,ゲームに入れないことにしたからです。結局,彼らはこのゲームの魔法システムを,ジャック・ヴァンス(Jack Vance)のファンタジー作品に基づいたものにすることにしました。ですから,マジック・ユーザーは毎日呪文を記憶しなくてはならず,ひとたび唱えるとその呪文はマジック・ユーザーの心の中から消えてしまい,ふたたび記憶しなくてはならないのです。また,種族は異なったものが 4 種類ありました。人間,ドワーフ,ホビット,それにエルフです。トールキンの度重なる苦情と法的な脅しにより,ホビットはのちにハーフリングに変更されました。人間はどのクラスにもなることができ,どこまでも熟練度の段階を上げることができました。ドワーフとホビットはファイティング・マンにしかなれず,レベルの上限も制限されていました。エルフはファイティング・マンになったりマジック・ユーザーになったりできましたが,冒険を開始した時点でしかクラスを変更することはできませんでした。そして最後に,3 つのアライメントがありました。これはマイケル・ムアコック(Michael Moorcock)のファンタジー作品に基づいたもので,法(ロウ),中立(ニュートラリティ),それに混沌(ケイオス)がありました。このゲームのもともとの考えでは,「法」は「善」と,「混沌」は「悪」と同じものでした。

この時点で,ガイギャクスとアーンスンは 2 人とも,このゲームを使ったキャンペーンを独自に展開していました。最初の 1 年かそこらが過ぎて,このゲームがそこそこ有名になると,2 人は自分たちが行なっているキャンペーンの詳しい説明とゲームの拡張ルールを出版することにしました。この製品が Greyhawk の原作です。これによってシーフのキャラクター・クラスが導入され,魔法やモンスターなどには注釈がつけられました。その後出版された Blackmoor では,モンクとアサシンが導入され,またいちばん最初のモジュールである Temple of the Frog も収録されていました。その次に発表された Eldritch Wizardry では,ドルイドのクラスとサイオニクスが導入されました。そしてこのシリーズの最終巻である Gods, Demigods, and Heroes には,ゲームで使えるような神々(パンテオン)のリストが載っていたのです。またこの期間中に,TSR は 2 つの雑誌の刊行を開始しました。1975 年の春に創刊された The Strategic Review(独創的な頭文字に注目),それに 1976 年の夏に創刊された The Dragon(すぐに Dragon と改名されます)です。

1975 年に,アーンスンとガイギャクスが袂を分かち,ドン・ケイが心臓発作に襲われると,ケイの妻はガイギャクスとブルームとともに会社を解散することにしました。これに続いて,ガイギャクスとブルームは TSR Hobbies, Inc. を設立しました。1975 年の終わりのことでした。

この時点で,ルールの数は非常に多くなっており,さまざまな本やサプリメント,雑誌に散らばっていました。また,それに加えて,ガイギャクスがため込んだキャンペーン記録と,ゲームに追加する予定の新しいルールが山のようにあったのです。そこで,このゲームの版を新しくすることになりました。しかしながら,新しい版を第 2 版として第 1 版を放棄するかわりに,TSR は Advanced Dungeons & Dragons を発売したのです。1977 年には Monster Manual が,それに続いて 1978 年には Player's Handbook が,さらに 1979 年には Dungeon Master's Guide が刊行されました。そして,少々名前を変えた Basic Dungeons & Dragons も作られつづけたのです。

もともと AD&D が目指していたのは,新規および改訂ルールをすべて 1 ヶ所にまとめた標準システムでした。そのため,この版をトーナメントで使用すれば,全員が同じルール群にしたがってプレイできるようになったのです。

“Advanced/Basic”というアイディアは,明らかに金もうけを目的としていました。 アーンスンとガイギャクスが 1975 年に決別した当時,アーンスンは,最初の共同経営時の条件にしたがって,D&D の印税をいくらか得る権利を持っていました。しかしガイギャクスは新しい版を売り出した際,アーンスンに当然支払われるべきであろう印税を払わなかったのです。1979 年,アーンスンは TSR を相手に訴訟を起こしましたが,1981 年,双方が和解に同意してこの問題は解決しました。

Advanced Dungeons & Dragons の人気は急上昇しました。TSR は次から次へと資料を発表し,World of Greyhawk を舞台とする昔のモジュールのほとんどを,最新版として出版しました。1981 年には Polyhedron の第 1 号が出版されました。そして 1984 年には,TSR は Dragonlance Saga を発売しました。続く 1986 年,Dungeon の第 1 号が刊行されました。すぐ次の年には,エド・グリーンウッド(Ed Greenwood)のキャンペーンが初めて日の目を見ました。Forgotten Realms です。

1980 年代の終わりにはゲームが巨大になっていて,ルールやキャンペーン情報が分散してしまいした。はじめて AD&D が登場したころ以上に,です。そこで TSR は(このころまでには“Hobbies”の単語は名前からなくなっていました)ふたたび新しい版を作り,たくさんの新しいルールをコアとなる本にまとめ,今までにあったコア・ルールも改訂することにしたのです。これによって,ゲーマーは必要なルールをすべて 1 ヶ所にまとめることができるようになり,さまざまなハウス・ルールを使っているゲーマーたちがトーナメントにやってくるのを心配する必要もなくなったのです。こうして生まれたのが AD&D, 2nd edition です。1989 年 2 月のことでした。

しかしながら,以前もそうであったように,追加資料や新たなキャンペーン世界が数多く発表され,ゲームは膨れあがってしまいました。そこで 1995 年,TSR は第 2 版のコアとなる本の体裁を改良し,システムに「選択的な」変更を加えるようデザインされた 3 冊の本を出版することで,第 3 版を作ったり 20 冊ほどの本に散らばったルールを参照したりしないでもいいようにしたのです。したがって,すべての新ルールをこれまでにあった第 2 版のコアとなる本に収録する必要はまったくなく,この先何年かは真の第 3 版を出す必要もないというわけです。

1997年,コレクティブル・カード・ゲーム Magic: the Gathering で有名な Wizards of the Coast 社が TSR を買収しました。その後まもなく,第 3 版のデザイン・プロジェクトが公式なものとなりました。このプロジェクトは,第 2 版がお店の棚に並ぶ前から TSR 内でだらだらと進められていたのですが,買収の直後,数えるほどのデザイナーしか参加していなかった非公式プロジェクトから,最優先の公式デザイン・プロジェクトへと変貌を遂げたのです。第 3 版は 2000 年の 8 月に発売されました。なお「Basic」な D&D はもう 10 年近く活発なサポートが行われていなかったため,「Advanced」の意味はほとんどなくなってしまい,結果としてゲーム名からも削除されました。

1999 年の終わりごろ,Wizards of the Coast は Hasbro に買収されました。Hasbro はアメリカで第 2 の規模を誇るゲーム・玩具会社です(1 位は Mattel)。Parker Brothers と Milton Bradley を買収したのも有名なはずです。つまり,Monopoly,Risk,それに Scrabble はすべて Hasbro のものなのです。また,Hasbro は 1990 年代の中ごろに Avalon Hill も買収しています。このため,Wizards of the Coast の—そして当然 TSR と Dungeons & Dragons の—買収には運命の皮肉が感じられます。というのも,Gary Gygax が「Fantasy Game」の出版元を探していた時にその申し出を断ったのがほかならぬ Avalon Hill だったからです。買収契約では,最初の 1 年間は Hasbro は干渉しないということになっていました。が,その後お互いの立場がどうなるかは,Wizards of the Coast の手腕しだいと言えるでしょう。Hasbro の経営からどれだけ遠い立場でいられるかで,Wizards of the Coast が今のままでいられるかどうかが決まるでしょう。

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C2:「TSR」ってなんの略?

いやいや,“They Sue Regularly.(彼らは定期的に訴訟を起こす)”の略ではありませんよ。上で簡単に述べたように,もともとは“Tactical Studies Rules.”の略です。会社が有限会社になったときに“TSR Hobbies, Inc.”という正式名称に変わり,その後“TSR, Inc.”になりましたが,これは何の省略形でもありません—とくに,TSR が完璧に Wizards of the Coast に吸収され,さらには Hasbro にも買収されてしまった今では。2000 年の 8 月より,「TSR」のロゴと社名は *D&D 製品に使われるなくなりました(しかし,25 年以上も続いた習慣はそう簡単には変えられないようで,ここ数年の買収劇のあとでも,「*D&D を出版していた,またはしている会社すべて」をあらわすのに「TSR」を使っている人もいます)。

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C3:「T$R」ってなんの略?

人によっては,$ 印は ASCII コードを使って TSR のドラゴンのロゴをうまく表しているといいますし,これを利用すれば登録商標を使わずに TSR のことを話せるんだという人もいます。しかしながら“T$R”という表現をよく使うのは,不満のたまったゲーマーたちが,やつらはバカでかくて形容しがたい搾取者どものローフル・イーヴルな集まりだとか,*D&D のゲームが売れるようになったとたんに,暴虐的な政策やら,えらく値段が高いくせに質の悪い製品やらを展開しやがって,おまけに一般ゲーマーは無視して,およそ想像しうるかぎりのサイテーの行為で,顧客をのけ者にして金もうけをしていたんだ,などと言うときです。逆に,TSR を構成するたくさんの社員たちはとても一生懸命働き,ゲーム内外の出来事やそれについて人々がどう思うのか,ほんとうに気を配っています。ときには失敗することもあるでしょうが,いつもは全力を尽くして仕事をしています。注意してほしいのですが,AD&D を作っている社員たちはふつう,“T$R”の社員と呼ばれるのを喜んだりはしません。せいぜい,このあだ名を使っている投稿を無視するぐらいです。つまり,このようなやり方では,悪口を言いたい会社の注意を引くのは難しいということです。最悪の場合彼らは,非常に腹を立てるとともにそのことをはっきり言い,あなたが主張することは一切無視するようになるでしょう。

ほとんどの場合,このようなはけ口を必要とするのは,TSR には顧客やゲームそのものに対する尊敬が欠けていると考えてうんざりしている人間や,なんとかして「冷酷無比な巨大企業 T$R」を馬鹿にしてやりたいと思っている人間です。本質的にはどうでもいいような悪口に頼らざるを得ず,不平に関して理性ある話し合いをしようとしない人は,alt.flame.tsr というニュースグループに記事を投稿して関心を引けばいいのです。あなたのサイトがこのニュースグループをまだ購読していないのなら,追加するようニュース管理者に頼みましょう。

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C4:WotCの電子メールの宛て先は?

WotCは,TSR時代も含めてかなり昔からインターネットで活動しています。WotCの社員や元社員の何人かはネットをこっそりとうろついています。あまつさえ,2,3 人は rgfd や alt.fan.dragonlance,それにさまざまなメーリング・リストの,常連もしくは半常連の投稿者なのです。

以下のリストに,WotCに連絡する際のアドレスをいくつか挙げておきます。[整形済みの表はこちら]

アカウントメールの送信先
[email protected] WotC の顧客サービス部門
[email protected] WotC の顧客サービス部門でゲームのルールを担当する部署です。TSR のゲームのルールに関する質問はこちらへ。
[email protected] Dragon Magazine への直通便
[email protected] Dungeon Magazine への直通便
[email protected] Dragon の編集者へのお手紙
[email protected] Dragon の Forum 欄へのお手紙
[email protected] Sage Advice への投稿。個人的には返事はもらえません。
[email protected] RPGA の代表アドレス
[email protected] WotCのウェブサイト管理者

WotCやその社員にメールを送るつもりで,なにかしら返事がほしいのなら,この昔からD&Dとつながりを持つ会社の名前は,T$R ではなく TSR と書くべきでしょう。会社に不満を持つのはかまいませんが,だからといって社員の目の前で小言を言っていいわけではありません—とくに,D&D を出版している会社がもはや名前に「TSR」を使っていないとなれば。

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C5:WotCのふつうの手紙の宛て先は?

WotCの誰かに宛てて普通の手紙を出すときは,宛て先は次のようにしてください。

[人の名前]
[役職(任意)]
Wizards of the Coast
PO Box 707
Renton, WA 98057-0707

または,ヨーロッパ支社なら

Wizards of the Coast
PB 34
2300 Turnhout
Belgium

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C6:実際のところ,WotCはテレビ放映や映画化に向けてどんなことをしているのですか?

制作進行中のもの

WotCはFireworks TelevisionCanWest Entertainmentの子会社)と契約を交わし,Forgotten Realmsの背景世界と小説をもとにした実写テレビドラマを制作することになりました。具体的な放送開始時期についてはまだ発表がありません。Fireworksはこれまでにも,ミュータントX(Mutant X, for Fox and Marvel Comics)やアンドロメダ(Gene Rodenberry's Andromeda)といったテレビドラマや映画Rat Raceなどの製作・配給を担当しています。

中止または凍結されたもの

かつて,MCA/UniversalとTSR,Ground Zero Productions が実写(実写にアニメーションとコンピュータ・グラフィックを組み合わせたもの)のテレビドラマを作ろうとしていたことがありました。ドラマは Spelljammer のキャンペーン世界を舞台としており,「Wildspace」という題名でした。このプロジェクトは中止になりました。パイロット版フィルムのうちいくらかは,Sci-Fi チャンネルの「Masters of Fantasy」という番組で,TSR に関するエピソードにおいて使われましたが,そのでき映えは TSR のビデオテープ版 Dungeons & Dragons ボードゲームと変わりませんでした。

Nelvana が 手がけていた Dragonlance の映画は,もう存在しません。TSR と Nelvana の契約は失われ,映画の製作は中止されました。もっと詳しく知りたいのなら,alt.fan.dragonlance を購読したり,Dragonlance Movie Web page を確認したりしてみてください。

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C7:WotCの,著作権に関する方針はどうなってるの?

TSR がインターネットに本格的に力を入れはじめたとき,そこで目にしたのは,TSR の本や図版のスキャンデータ,数々の商標の侵害,それに加えて山ほどの著作権侵害といった,知的所有権の侵害でした。

1994 年 8 月,TSR は,同社が著作権を持つ情報や登録商標の使用について,非常に厳しい方針を明らかにしました。これによって数年の間,この話題をめぐって,フレーム合戦や厳しい意見が非常に頻繁に生じました。

ほぼ 3 年後,1997 年の 9 月に,TSR はこの方針を根本的に変更し,ゲーマーが AD&D 関連の資料を自由に創造・配布できる余地を大幅に広げました。現在では,お金を得ず,TSR の図版を使わず,TSR の商標を悪用せず,TSR の本から大量の引用を行なわず,そのファイルやウェブ・ページを「公式」のものだと誤解させたりしなければ,基本的には何の罪にも問われません。

D&Dのシナリオや資料集などを作ってみたいという人もいるでしょう。WotCは,第3版のルールの大部分を,「open gaming license」(OGL)というライセンスに基づいて公開しました。OGLの概念はGNUソフトウェアライセンスのそれとよく似ています。このおかげで,ライセンス条項を忠実に守りさえすれば,シナリオや資料集といった製品を作る(あるいは販売する)ことができるようになりました。OGLがどれくらい「オープン」なのか,あるいはD&Dのどの部分がOGLで扱われるのかといった情報について詳細が知りたければOpen Gaming Foundationのサイトをご覧ください。

この,扱いの難しい問題について,もっと詳しい経緯が知りたい方は,Jim Vassilikos' web site をご覧ください。この話題についていくらか情報が得られるでしょう。注意していただきたいのですが,この情報はここ最近は更新されていません。しかしながら,これらを読めば当時の背景が理解できるでしょう。そしてまた,なぜ今でも TSR に恨みを持つ人がいるのかも。

この問題に関して,実際の法令を調べたいと思われるかもしれませんが,その場合は国会図書館の著作権情報のページへ行かれるとよいでしょう。米国著作権法のオンライン・テキストとベルン協定については,Cornell University 内の各ページか Nebraska Library Commision のリンク集をご覧ください。また,開業している弁護士(IP lawyers)の(非公式な)意見を聞きたければ,misc.int-property というニュースグループが参考になるでしょう。

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C8:TSR はほんとうに「Nazi」って言葉を商標にしようとしたの?

いいえ,ちがいます。とはいえ,この噂はよく知れ渡っています。とくに,TSR を嫌う理由を探している人たちの間では。この事件の発端は Indiana Jones RPG でした。問題の一文は,実際には“NAZI(TM)*; (TM) & (C) LFL 1984; *trademarks of Lucasfilm, Ltd. used under authorization.”と書かれていたのです。言いかえれば,TSR は“Nazi”という単語を商標だと主張したことは一度もありません。そのように主張したのは Lucasfilm, Ltd. なのです。

しかし,Lucasfilm の悪口を言おうとする前に,ちゃんとわかっておいてほしいことがあります。問題の商標は,単語とそれに結びついた図版からなるのです。つまり,“Nazi”という言葉そのものが商標だとは誰も言っていないのです。しかし,件のモジュールのように,この単語が特定の図版と結びついて,同時に記されている場合は,明らかに商標なのです。

とにかく,この問題について誰かとフレーム合戦をしたいのなら,お願いですから rec.games.frp.misc のように Indiana Jones RPG の議論ができるところか,rec.arts.movies.starwars.* のように Lucasfilm の話題が出るところへ行ってやってください。

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C9:TSR は J.R.R. トールキンの作品を「拝借した」だけじゃないの?

違います。のちほど登場する本の紹介文をご覧ください。このゲームを作った人々が影響を受けた本の,長大なリストがあります。中世ふうのファンタジーというのは,Basic D&D を作った人々が育った時代には,人気のあるジャンルだったのです。トールキンの小説は,ゲイリー・ガイギャクスやその友人たちに大きな影響を及ぼした資料や本の中で,最も知名度が高かったというだけのことです。魔法体系はジャック・ヴェンスのファンタジー小説に基づいていますし,緑色でゴムのような肌を持ち,再生するトロールの出典はポール・アンダースン(Poul Anderson)の小説 Three Hearts and Three Lionsです。D&D の第 3 版が出る以前は,ハーフリングはたしかにトールキンのホビットをもとにしていますし(じっさい,Tolkien Estateが使用を中止するよう要求するまでは「ホビット」と呼んでいたのですから),エルフの多様性もトールキンが作り出したさまざまな種族のエルフに似ています。しかし,エルフの一般的な描写については,さまざまなところから受けた影響がごちゃまぜになっています。といっても,D&D に影響を及ぼしたり,D&D を構成する要素の元となったものもいくつかあります。第 7 部の「basis for D&D」をご覧になればより詳しいことがわかるでしょう。とにかく,*D&D は,トールキンの「中つ国」から直接生み出されたものというわけではないのです(「中つ国」には専用の RPG が存在します)。

Three Hearts and Three Lions:『魔界の紋章』ポール・アンダースン著,豊田有恒訳,早川書房,1978,ISBN 4-150-10280-5.

Tolkien Estate:トールキン作品の著作権を管理する団体

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C10:僕が書いた天才的文学の最新作をWotCに投稿するには?

投稿に関する明確な規定(Dragon誌とDungeon誌の寄稿規定,それに詳しい投稿手順といった資料)は,WotC のウェブ・ページMPGN の ftp サイトなどから入手するか,[email protected] にメールを送って取り寄せてください。

  1. いいですか,決して,TSR の職員や TSR の「公式な」アカウントに電子メールで「完成品」を送ったりしないで下さい。彼らはぜったいに作品を見ることができませんから。というのも,たまたま TSR がすでに同じような作品を制作中だった場合,非常に苦しい立場に立たされることになるからです。
  2. 「完成した企画」を電子メールで送らないで下さい。理由は #1 と同じです。
  3. 送るのなら「問い合わせの手紙」にしてください。それなら,それを読んだ TSR の職員は,倫理的にも法的にも問題なく,あなたの問い合わせをしっかりと調べて検討することができます。このほうが,関係者全員が楽しい人生を送れますし,あなたもよりプロフェッショナルに見えることでしょう。

「問い合わせの手紙」というのは,とてもあいまいな言葉で,思い付いた計画をつづるものです。それに対して,「完成した企画」というのはある程度詳しく書いたものであり,「完成品」とはすべての作業が終わったものをいいます。

それではここで,「問い合わせの手紙」の例を見ていただきましょう(手紙を提供してくれたブライアン・マローニー(Bryan Maloney)にお礼を述べさせてもらいます)。

To: Bigshot Avalon Hill Gaming Guys
From: The EGG of Coot

拝啓

私は,これまでのウォーゲームの型にはまらない,革新的かつおもしろいゲームを開発してきました。これは,英雄が活躍する神話の世界で,一個人が日々立ち向かう戦いに焦点をあてたものです。このゲームの仮称は“Dungeons and Dragons”といいます。

この製品は,未開発の市場の隙間,特に「ファンタジー」もしくは「サイエンス・フィクション」のファンの間で人気が出るものと考えています。彼らは厳密な軍事シミュレーションにはあまり興味を示しませんが,もしも J.R.R. トールキンによる「ファンタジー」文学のような世界で独自の「冒険」を作り出せるとなれば,喜んでこの製品を買うでしょう。

この手の文学作品の売れ行きはここ数年で大きな伸びを示しており,私の製品で,この潜在的な市場を開発することができるもの思われます。

さらに,対戦ゲームの概念を独自の角度から見つめ直しているため,まったく新しい市場を切り開く可能性もあります。

お返事をお待ちしています。

敬具

The EGG of Coot

EGG of Coot
0000 Coot St., Apt. 0
Cootvile, WI, 00000

アヴァロン・ヒルにまともなアタマがあれば,きちんと,権利譲渡用紙およびそのゲームを一目見てみたい旨を書いた手紙が送られてくるでしょう。しかしながら,その会社が今のところはそのような方向に進むつもりがなく,断りの手紙を送ってくることもよくあります。そんなときはほかの会社に持っていきましょう。

TSR への投稿の際は,以下の決まりが適用されます。

ここから先の投稿手順の説明は,ブライアン・マローニー([email protected])の投稿から引用させてもらいます。ちょっと体裁を変えてありますけどね。

さあ,これで権利譲渡用紙は手に入った。そいつをざっと眺めてみよう—まず注意すべきは,そこには君の作品が「有償で使用」されると書いてあるってことだ。つまり,君がそのアイディアの考案者で,なにもかも自分ひとりで書いたのだとしても,TSR は君にお金を払って著作権を獲得するだろうってこと。泣いたりわめいたりしちゃいけない。君は著作権を要求できるほど有名じゃないんだから。でも,もしも TSR が,その製品だけじゃなく,君の作品すべてに対して法的な権利を主張しようとしたら,それはやりすぎってもんだ。そんな事が書いてあったら,取り消し線を引いてイニシャルを書いておこう。まだ差し出してもいない作品の権利まで手放すよう,君に要求する権利のある会社なんてないんだから。もっとも君が正式な社員で,知的財産に関する同意事項にサインしたのなら話は別だけどね。

TSR にできるのは,君が企画中の製品を「有償使用」したいと要求することだけだ。君は,オリジン賞を獲るようなゲームやヒューゴー,ネビュラ賞を獲るような SF/ファンタジーを書いてから,ゆっくりと著作権を主張すればいい。

まあ,報酬については考えなくてもいいよ。雀の涙ってことはないから。信じなって。とはいえ君はたくさん報酬をもらえるほど有名じゃないし,ゲーム業界っていうのはおよそ存在しうるフィクション市場でもっともひどいところだけどね。まあ,ちょっとばかり有名になったんだから,お金はおまけみたいなものだよ。

よし,権利譲渡用紙のことはだいたいわかったね。次に「製品の概略」を書くためのちょっとしたスペースがあるはずだ。そこには「同封の企画書を参照のこと」と書いておこう。そこに本当の「完成した企画」を書いておけばいい。それはどんなものかって? 完璧な概要(おおよそのページ数も)と,2 章ぶんの文章だ。もしどちらも書けないっていうのなら,まだ執筆する準備ができていないってことだ。それと,製品を完成させるのにどれくらいかかるかも書いておこう。TSR が受け入れてくれるぐらいの期間にするように。現実的になるんだ。見栄を張ってもしょうがないぞ。締め切りを早くしすぎて破るよりは,守ったほうがいいに決まっている。少々気が大きくなっているのなら,企画した製品の宣伝文句や裏表紙の文章を考えてみるのもいい。なんといってもこれを読めば,君が対象となる客層を理解しているかどうかがよくわかるのだから。

用紙をタイプして,サインし,日付を入れ,企画書とともに郵送しよう。企画書には綴りや文法の間違いがないように。TSR はとてもたくさんの企画書を受け取るから,間違いのあるものはほとんど捨ててしまっても大丈夫なんだ。企画はタイプするかレーザー・プリンタで印刷(またはコピー)すること。円盤型のタイプライターは使わないように。経験則:5 回コピーを繰り返しても読めるようにすべし。

さて,なぜ企画書を送るのであって,作品を送るのではないのか? 理由は 2 つある。

  1. もし説得力のある企画を立てられれば,君は自分にちょっとした構成力があることを証明できる。
  2. 企画書は完全な作品よりも手間がかからないから,TSR が君の作品を評価する際に,あまり君をわずらわせないですむ。君の作品が取るに足らないものだと評価されるのなら,企画書だろうと製品だろうと大差ないし,それは TSR が君の作品を気に入った場合だって同じ事だからね。

TSR に企画を却下されても,泣いちゃいけない—彼らにはそうする権利があるんだ。偉大な作家の豪邸はみんな,没原稿でできた土台の上に建ってるんだからね。

TSR が君の企画を却下した 3 ヶ月後に「君のアイディア」を目にすることになっても,彼らは盗作したわけじゃない。なにかが企画段階から出版までたった 3 ヶ月でたどり着くなんてことはありえないんだから。本当だよ。僕も,ちょっとメモしただけで誰にも話していないようなアイディアが,2,3 ヶ月後に棚に並んでいるのを何度も見たことがある。君は天才じゃないし,君の考えがだれにも真似できないってわけでもない—そのうちかほかの人が考えつくものだ。だいたい君が天才なら,こんなものを読む必要はないよ。

TSR が君の企画を受け入れてくれるようなら,締め切りまでに提出すること。そしてこの「最終草案」といっしょに,よかったら編集・改訂作業を手伝いたいと書いた手紙を入れておこう。もちろん手伝わせてくれるなんて期待しないように。アマチュア・ゲーム・デザイナーの大多数は気難し屋で,彼らが書いた神聖なる文章が変更されようものならすぐに腹を立てるからね。TSR はこのことをよくわかっているから,アマチュアに大きな編集権限をうかつに与えたりはしない。それに,ほかのゲーム会社と同様,TSR の製造スケジュールは,どんな出版社でも製造管理担当を解雇してもっと現実をよく理解している人間を雇おうとするほど厳しいんだ。編集者は TSR の邪悪な部分ではない。邪悪なのは,製造スケジュールを決める人間だ。

さて,最終草案を締め切りに間に合うように提出するわけだけど,TSR が何の相談もなしに締め切りを変更することがあっても文句を言っちゃいけない。賭けてもいいけど,TSR の製造/編集機器は完全にはネットワーク化されていないんだ。もし締め切りが変わるようなことがあったら,デザイナーがもらえる金額は増やしてくれてもいいと思うんだけど,まあ疑わしいものだね。

で,報酬はいつもらえるのか? しばらくは無理だろうね。支払いがあるのは,君の作品で黒字が出てからだろう。だから,せいぜいすばらしい作品を書いてくれ。

[はじめにもどる]

C11:ゲイリー・ガイギャクスは最近はどこにいるの?

ガイギャクス氏と TSR は 1986 年に関係を絶ちました。ゲイリーは New Infinities 社から Cyborg Commando というゲームを出しましたが,これはまったく流行りませんでした。GDW 社から出した Dangerous Journeys というゲームは流行の兆しを見せましたが,結局裁判沙汰になりました。示談交渉の結果,このゲームは今は TSR のものとなっています。また彼は,ロールプレイングの手引き書を 2 冊書きました。Role-Playing MasteryMaster of the Game です。彼は,オレゴン州の山奥で,サスカッチとエルヴィスといっしょに暮らしていると噂されています。もちろん本当は現在でも働いたりゲームをしたりしていて,ウィスコンシン州 Lake Geneva でウェブ・ページを作っています。さらに,インターネットであちこちに顔を出していたようです。1999 年,ゲイリーはふたたび TSR で働きはじめました。というわけでこれから先のことなんてだれにも分かりませんよ。

Role-Playing Mastery:『ロールプレイング・ゲームの達人』G. ガイギャックス著,多摩豊訳,社会思想社,1989,ISBN 4-390-11312-7.

Master of the Game:『実践 ゲームマスターの達人』G. ガイギャックス著,多摩豊訳,社会思想社,1990,ISBN 4-390-11354-2.

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