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 光の使徒
  第一章 ヴァンブリア編


第一話「爆弾魔」

 10.
 COAの内部に設けられた喫茶店の一席に、その女性は腰掛け、手にした本に目を通していた。テーブルに内蔵されている時計が示すのは、午後三時過ぎ……COAの中でも休息へと人が出

てくる時間帯だ。
 彼女は金縁の眼鏡など、古風な印象の装飾品を身につける、どこか普通と違う雰囲気の女性。その場に居合わせた客ならば、少なからず興味を持っただろう。
「腕はもう良いのか?」
 ふと声をかけられ、彼女はその主の顔を見た。綺麗な緑色の瞳が、真っ直ぐに相手を捉える。
 いつもと変わらぬ無精髭。紺色のネクタイ。地味なスーツなどは、今時流行らない。
「ここのメディカルシステムなら、1時間も、かかりませんから」
 ガラテアは顔見知りの中年男性へ返事を返した。あれから数日、完治するには十分過ぎる時間が経っていた。
 彼は、ふぅとため息をつき、空いている席に腰を下ろした。丁度、ガラテアの合い向かいに座る形だ。
「少し付き合って欲しいんだ」
「?」
 唐突な彼の台詞に、ガラテアは怪訝そうな表情を浮かべる。彼女は、どこか不気味だと感じていたのかも知れない。
「ゼッツ……珍しい事を言いますね」
「そうか……?」
「はい」
 ゼッツはそうだったか、と多少考えて見たが、ガラテアに簡単に答えられたために沈黙する。
「……仕事だ」
 彼は何とか言葉を作り、席を立つと、ガラテアについてくるよう促した。
 彼女はそれに従うよう立ち上がり、眼鏡を取ると、それと一緒に手にしていた本……「観葉植物の育て方」を、ポーチに収めた。

「これは?」
 それを見た彼女の一声は、ゼッツの予想通りであった。
 COAの地下駐車場。階層的には、地上区と同等の高度だ。空を飛ばねばならない自動車が、地下に駐車するのは非効率に他ならないが……。
「車だ」
 顔をしかめるガラテアに、ゼッツは簡潔に答えた。
 ガラテアの言った「これ」とは、高級車種に当たる四輪車。今更、地上を進む車など……。
「それは分かりますが……」
「まぁ、良いから乗れって」
 彼の言う車は、赤いボディのオープンカー。高級な四輪車の中でもなかなか高いグレードに当たるはずだ。
「買ったのですか……?」
「おう」
 再び返る、彼の単純な答え。
 ガラテアはそれ以上言葉は作らず、ただ「ふぅ……」とため息をつき、助手席に腰を下ろした。

 二人は車に乗り込んだのは良いが、一向に発進する気配はなかった。
「それで……」
 ガラテアは何かを言いたそうに、ゼッツを見た。彼は困ったような表情を返す。
「いつまでここに座っているのですか?」
「ん……いや、何だ……もう少し、な」
 曖昧な返事をしながら、ゼッツは忙しく機械を弄るが、やはり車は発進しない。
「エンジンスターターは……どこだったかな……」
「そのキーは?」
 助手席の前に置かれた鍵を見つけたガラテアが、ゼッツに言う。
「おぉ、そうそう、それだ」
 彼はガラテアから手渡されたキーを何とか差し込み、それを捻ると、車はうなりエンジンを起動させた。続いて変速レバーを手に取りどうしたものかと首を捻る。
「……ゼッツ」
 ガラテアは小さな声で彼に尋ねた。
「ん?」
「四輪車のライセンス、持っていますよね……?」
「ん?」
 彼の返事は、変わらない。彼女の瞳に鋭い光が宿る。
「ライセンス不所持で逮捕されると、私まで罰金を取られるのですが……」
 段々とガラテアの声が低くなっていった。
「あぁ……」
「もしやとは思いますが、大丈夫ですよね?」
「おう、多分な」
「多分って……うぐっ」
 ガラテアが言いかけた瞬間、車が発進した。……後ろ方向へ。
 ガツンっと言う無惨な音と共に、新車は後の壁に真っ直ぐに激突した。
「わりぃ、間違えた」
 はっはっはと笑いながら、ゼッツは余裕そうな表情を浮かべ、ガラテアの方を見たが……。
 待っていたのは、滅多に見せない怒りの形相で涙眼を溜め、睨み付けてくる彼女の顔だった。

 そろそろ夕暮れかという時間帯。二人の乗った車は地上区の高級地の間を走り抜けていた。その頃には、ゼッツの運転も手慣れたもので、問題も起こらない。元々高度な機械の扱いは、上手

な男だった。
「そう、怒るなって……」
「……」
 もう30分はドライブを楽しんでいるが、あれから彼女は一度も口を開いていなかった。
「何か問題があったわけじゃねえだろ?」
「……舌を噛みました」
 ボソッとガラテアは返事を返した。
「……悪い」
「……」

 四つ星に入る高級衣類店グラウンドマザー。婦人服を初め、紳士服も多く取り扱っている。その駐車場に、ゼッツのスポーツカーが止まっていた。
「どういう気まぐれですか?」
「たまには良いだろ。プレゼントって奴だ」
「それは良いですが、どこら辺が仕事なのですか」
 いつものような言い合いをしながら、二人は店内に入った。
「だぁ、お前はしつこいぞ」
「……」
 さすがにガラテアでも、しつこいと言われては、黙ってしまう。
「わりぃ、前言撤回だ。偶には俺の好意と受け取ってくれ」
 言い過ぎたと思ったのか、ゼッツは彼女に謝った。
「……感謝します」
 そのガラテアの返事に、ゼッツは「何だかなぁ」と漏らしたが、彼はそれ以上言い合う積もりは無かった。

 婦人服の担当員は、一組のカップルを見つけた。
 黒いドレスに、不思議なイミテーションを身につけた美貌を持つ女性と、付き添いの男性。男性の身なりは気になるが、良い客だ、と彼女はほくそ笑んだ。
「お客様、当店をご利用になるの初めてでしょうか」
 営業の教科書に習い、女性に声をかける。声をかけられた彼女は、初め困った顔をしたようだった。整った顔立ち、綺麗な緑色の瞳に迷いの光が浮かぶ。
「私は……」
 何事かと言い淀む彼女は、担当でも羨む容姿だ。それが自然に手に入る事など……。
「こちらは如何でしょうか」
 彼女に薦めたのは、派手で高級なドレス。庶民では到底手に入らないような、最上級のものだ。
「大変お似合いですよ」
 彼女なら手を出す。満面の笑みを浮かべながら、その担当員はそう確信していた。

 販売員が差し出した衣服を見て、ゼッツは顔をしかめた。値段の桁を示す丸の数が、彼の想像より二つ多い。
 衣服自体の作りは、少々派手か?と言うくらいのものだった。淡い桃色をした肌触りの良い生地をベースに、煌びやかな宝飾類が取り付けられていた。
 普段これで出歩くような者は、上級階級に当たる人間だけだろう。彼等は常に煌びやかで、そして無駄にコストの高いものを身につける。自らに似合っているかなど、お構いもせずに。
 ゼッツにしてみれば、ガラテアの魅力は、その地味ながら美しい、その安定した美麗さ。共にいるだけで落ち着いた気分に浸れる。彼の中には、そんな彼女を自分のものにしたいと思う一面

がある事を、認めずにはいられなかった。
 だが、今の店員はその彼女の良さを理解して薦めているのだろうか。戸惑うガラテアに薦めるものは、値段は張るがどれも似合っているとは言い難いものに思った。
 彼は販売員の美麗な顔を見た。高級店と呼ばれるものに努める接客員は、全て美麗だ。どこか機械的にも感じる、無機質な美貌……。計算された笑顔で、お客を捉えようとしているように感

ずる。
「……」
 ゼッツの勘が、何かを読みとっていた。店員の作られた笑顔の中にある感情。仕事と切り離された彼女の本当の心が、見えた気がした。

「帰るぞ」
「え?」
 四着めのドレスを差し出されていたガラテアは、突然後ろからかけられたゼッツの台詞に、一瞬呆気にとられた。
 販売員が薦めるドレスは、どれも煌びやかで、単体で見れば美しい。彼女の心にも響く、魅力的な作りをしているが、どれも自分に似合っているとは思えない。そしてその値段が、どれも高

級な事に、手を出せないと考えていた。
「良いから来い」
 ゼッツが半ば強引にガラテアの腕を取った。
 接客員は付き添いの男が、突然邪魔に入った事に、顔をしかめていた。後少しで売れる、その感触を得ていたのに……。
 彼女は去っていく二人を、仕方なく礼で見送った。

 車に乗り込んだガラテアは、ゼッツの様子を窺った。
 彼は突然不機嫌になり、途中で帰ってきてしまったが、店員には悪い事をしたか、と彼女は気がかった。
「買うつもりはありませんでしたから、大丈夫ですよ」
 ガラテアはムスッとした表情を浮かべているゼッツに笑顔を向けた。さすがにあの値段はCOA関係者でも、早々とは支払えない。三ヶ月程度の給料が丸々無くなってしまう。
「そうじゃねぇ!」
 ガンッと車のドアを横殴りにして、ゼッツは声を荒げた。
 その様子にガラテアは見ていられないと、片目を一瞬瞑った。
「……突然、どうしたのですか」
 彼女は仕方ないと言う風に、シートに背中を任せると、落ち着いた様子で尋ねた。
「……」
「何か気に障る事でも、言いましたか」
 自分に落ち度があったかと、彼女は考えた。店に入る前の言い合いが思い立ったが、その時には、不機嫌そうな気配は微塵もなかった。
「すまん……。お前にじゃない」
「?」
「あの店員の顔……気づいたか」
 彼に言われて、彼女は考えてみた。
 美しい美貌。自らも美しいと自負していたガラテアだが、それよりも整った計算された美貌を、あの店員は持っていた。そしてその顔で作られる見事な営業スマイルは、同じ女性からしても

、魅力的に見えた。
 だが、その笑顔の裏には……。
「私を、お金持ちだと思ったのでしょうね」
 ゼッツは鼻を鳴らした。
「ここでは金さえ払えば、幾らでも美貌なんざ手に入れられる」
 彼はどこか軽蔑するような気配で、語り始めた。
「それは……」
「勿論、それが悪いとは言わねぇ。……だがな」
 ガラテアはチラッと横目で彼の表情を見る。久々に見た不機嫌そうな彼は、まだそこにいた。
「お前まで同じように見ていたのが、気にいらん」
「ゼッツ……」
 彼が何に苛々していたのかを理解し、そしてどう考えていたのか、ガラテアは思うと、何故か苦笑が出てきた。それを彼に見られないように、顔を反対側に向け……。
「ふふ」
 そして笑顔を再び作り、「ありがとう」と彼に伝えた。

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