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 光の使徒
  第一章 ヴァンブリア編


第一話「爆弾魔」

  6.
「ここで、待っててねぇ」
 愛名は二人へそう告げると、自らは係の者に知らせてくる、と去っていった。
 ホールからは正面と左右に通路が続いていた。
 ガラテア達はその正面の通路を少し行った所にある、小さな個室へと案内された。
 石造りのその個室には、やはり石の椅子とテーブルが置かれていた。
 狭い小部屋は3人が入れば窮屈と言えそうなところで、壁には壁画が描かれている。
 ガラテアはその絵を興味深そうに見入った。
 それは一人の魔神が何人かの魔女を従え、戦いを繰り広げる神話であった。そしてその戦う対象は、人は疎か、神や同族であるはずの魔族すら敵としていた。
 どういう意味だろう……。
 彼女はその壁画の意味に興味をそそられた。
 ガラテアがその絵画を見ている丁度その時、シオは置かれていた椅子にどっかりと腰を下ろした。だが彼は、すぐに慌てるように立ち上がった。
「?」
 ガラテアは怪訝に思い、壁画から彼の方へ視線を移す。
 彼は顔をしかめ、腰の辺りをさすっていた。
「如何致しましたか」
「……椅子が……堅い」
「……」
 そう言うことか、と軽く呟き、ガラテアは気を遣いながらその椅子に腰を下ろした。
 冷たい感触がドレス越しに感じ、堅い椅子も心地悪い。
「確かにあんなに勢いよく腰掛ければ、痛めるかも知れませんね」
 ガラテアは笑顔を浮かべシオに答えた。
 彼は不機嫌そうな表情を浮かべたまま、今度は立ち尽くしたままだった。先の件で座る気は無くなったようだ。
「……こんな不気味な所に一体なんの用事なんだ……?」
 壁により掛かり、シオは彼女へ視線も向けずに尋ねた。
「例のおかしな事、と言うのがありましたよね」
「……ああ」
 シオは少し考えて答えた。
 公園でも遭遇した、斬ると消える謎の男。そう言うのが存在する、と噂を聞いたとき、そんな馬鹿なことが、と彼は思った。だが、それらは段々と頻繁に姿を現すようになった。
 常識外れな事が、平気で起こる。そんな世界がこれから訪れるのだろうか……。
「こんなおかしな所が、あるとは……な」
 シオは顎をくるっと回し、今いる部屋の様子を指し示した。
 部屋のことではない。彼はこの魔術師ギルドと呼ばれた場所全体を言っているのだ。
「ふふ」
 ガラテアは小さく笑っただけで、彼への返事は返さなかった。

 8メートル四方程度のその薄暗い部屋の床には、大きな魔法陣が描かれていた。
 その魔法陣の脇で、一人の少女が豪華な椅子に腰掛けている。彼女は熱心に両腕を動かし、何かの身振りをしているようにも見えた。
 床にある魔法陣の中心には蒼い炎が灯り、不思議な光を放っていた。その光により少女の影が壁に映り、不気味な様子を醸し出している。
 その影は何かを待ち望んでいるようにも見えた。何かの儀式かと、見るものがいれば思ったであろう。
 ふと壁に映る影にもう一人の姿が現れる。女性のものと思えるそれは、少女の後ろに、その姿を見せた。
「エリス……現れたぞぉ」
 その影の主は、脳天気な声をあげ、少女の座る椅子の背へと声をかけた。
「愛名……驚かせないで……」
 突然の来客に、彼女は驚いた様子も感じさせぬ返事をした。非常に落ち着いた、冷たい声。聞く者をゾッとさせるような、惚けた感じの愛名とは、対照的な声であった。
 愛名からは、大きな椅子の背が視線を遮り、エリスと呼ばれた少女の姿は確認できない。
「現れたと言うのは、誰が……?」
「綺麗な女の子と、そのおまけだねぇ。今、拷問室に待たせているけどぉ」
「そう……」
 エリスは興味なさそうな返事をしながら、自らの作業に集中している。
 愛名は魔法陣に燃える蒼い炎を興味深そうに覗き見ていた。
「どうするのぉ?」
「……殺して」
 愛名の問いに、簡素に少女は答えた。感情も感じられない無表情な言葉。
 彼女の口ぶりは、その言葉の意味が冷酷なものとも思わせない。
「ん〜、でもぉ、おまけの方は何とかなると思うけど、女の子の方が手強そうだぞぉ」
 彼女の言葉に、エリスは動かしていた手の動作を止めた。それに同調するように、魔法陣に灯っていた炎の勢いが抑えられる。
 少女は愛名の方へ椅子の向きを正す。そして、彼女の姿が愛名の目に晒された。

 歳の程は14か15程度。
 身長も低く小柄で、大きな椅子に腰掛けているせいもあり、ひどく幼く見えた。彼女は、露出度の高めな半袖のビスチェに、丈の短いスカートを履いていた。太股もそのまま外気に晒し、黒を基調としたそれは、幼い彼女の妖しい魅力を引き立てる……。
 綺麗なルビー色の瞳に、額にはもう一つ宝石のようなものが張り付き、それが第三の目のようにも見えた。
 それら三つの視線が、愛名を捉える。
「その女……手強いの?」
「ん〜、実際に喧嘩したわけじゃないんだけどねぇ……」
「気になることでも?」
「彼女の両肩の上に変な玉がふよふよ浮いてるのよぉ。あれってどこかで見た気がするんだけどねぇ」
 エリスはチラッと後ろの魔法陣に目を走らせた。しばらく作業をしていなかったせいで、炎の勢いは微弱ながら、段々と小さくなっている。
 彼女は思い出したように魔法陣の方へ向き直り、作業を再開した。弱まっていた炎が、再び忙しく燃え始める。
「……そうね……」
 少女は口にして、ふふふと小さく笑う。幼い子が、何か楽しいことでも思いついたように。
「ここへ連れてきて」
 愛名は一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、意味ありげな笑みを浮かべ答えた。
「おけぇ」

「お待たせしましたぁ」
 二人は突然部屋に響いた声に顔を上げた。
 そこには部屋の入口に立つ、愛名がいつのまにかいた。部屋のドアが開かれ、普通に入室して来たのであろうと、想像は出来る。
 だが……。
 ガラテアは腰掛けた椅子の横にあった絵を見ており、シオは腕を組み、俯き気味に壁に寄りかかっていた。
 ……どちらも彼女がいつ現れたのか、気づかなかった。
 ガラテアは立ち上がり、愛名に笑顔を見せた。
「ここの絵画は興味深いですね」
「あ〜、『裏切りの傀儡』の絵の事ぉ?」
「『裏切りの傀儡』?」
 愛名の口にした単語に、ガラテアは興味を持ち、再び壁画に目をやった。
 主役として描かれていたのは、赤い肌の魔神と三人の魔女。彼等の内、果たして誰が『裏切りの傀儡』なのか、見当がつかない。
 だが、その答えは愛名によって伝えられた。彼女はガラテアにもう一度座るように手で指示し、語り始める。
「昔々あるところに一人の魔神がおりました。彼は悪魔族でありながら悪魔を嫌い、同時に悪魔族特有の破壊心も持っていました……」
 昔話を聞かせるように愛名は言葉を紡ぐ。詩人が詩を詠むように……。
 ガラテアは愛名の指示通り、もう一度石で出来た椅子へ腰を下ろし、彼女の言葉をなぞるように絵画を眺めた。
 彼女のよく通る澄んだ声は聞いていて心地よく、気づけば聞き入っていた。

 いつしか彼は、何かの目的に向かって戦いを仕掛けました。
 彼の力は大変強く……誰も彼を止めることは出来ません。
 まるで子供のように、彼は無邪気に戦います。
 そう……。戦うことが目的であるかのように。
 彼ははじめに人間達と戦いました。当時、強力な魔力を持っていた魔法使い達を蹂躙し、そのうちの何人かを自分の配下に加えました。無慈悲な彼が気まぐれの中に僕にした二人の魔女。彼女たちの魂は彼へと忠義を誓います。
 そのうち彼は天使族に戦いを仕掛けました。悪魔族本来の宿命に、従うように。
 しかし彼は満足しません。
 そして彼は遂に同族に手を出します。同じ悪魔を相手に戦うその様子に、同族達はいつしかこう呼ぶようになります。
 『裏切りの傀儡』と。

「かくして、彼は人間も天使も悪魔も敵に回し、孤独な戦いを続けました。そしてそれは、彼を裏切った一人の魔女が、彼を刺し殺すまで続いたのでした。めでたしめでたし」
 シオは「どこがめでたしなんだ?」と口から出しかけて、その言葉を飲んだ。
 彼はもう関わらないつもりでいたからだ。ろくな事に見舞われないと、悟っていたから。
「素敵な語り部なのですね。まるで吟遊詩人のように……」
 ガラテアは笑顔で彼女を褒め称える。
「あはは。照れるぞぉ」
 愛名は頭に手を当て、いかにもな照れ笑いを浮かべた。
「この壁画には、三人の魔女が描かれているようですね。先の話では二人でしたけど……」
 ガラテアは視線を壁画へ移し、言った。
 その言葉を聞き、シオも壁画へ視線を向け、チラッと確認する。
 壁画は壁の面に大して一つの絵が描かれている。入口から向かい、正面の壁に人と戦う一人の魔神。右に天使と戦う魔神と二人の魔女。左に悪魔と戦う魔神と三人の魔女。そして天井には……三人の魔女達。
「それはねぇ。もう一人の魔女は後から入ってきたからだぞぉ」
 答える愛名の声は、段々トーンが落ちていく。
「そして、その最後に来た一人の魔女が彼を殺しちゃったんだよねぇ……」
 ふふっと口元だけに笑みを浮かべ、彼女は声を殺して笑っていた。
 シオがその様子に驚き、身を竦める。愛名からは、何とも言えぬ不気味な気配が漂っていた。
「一番、彼に信用され、愛された魔女なのに、裏切っちゃったのよぉ……。馬鹿よねぇ……」
 愛名の様子では、その罵りの台詞は誰に対してかは伺い知れなかった。
「……その神話上、最後の魔女は悪人なのですね」
 しばらくしてから、ガラテアは口を開いた。裏切った魔女が誰なのか、天使と戦う絵と、悪魔と戦う絵に出てくる、それぞれの魔女達を見比べていた。
「ん〜……」
 ガラテアの言葉を聞き、愛名はいつもの惚けた様子に戻り口元に人差し指を当てて考える。
「ま〜、お陰様で今の世の中は平和になったんだから、良いんじゃないのぉ?」
 その神話は実際にあったものだ、と彼女は信じている。そう言う口ぶりだった。
「ふふ……そうですね」
 愛名に合わせるガラテアに対し、シオは呆れたような視線を向ける。本当に信じているのか?と視線で訴えかけた。
 彼女はそれに気づき、にっこりと微笑み返してきただけだった。
「あ、そうそう。ギルドマスターが呼んでるんだった。こっちきてねぇ」
 愛名は思い出したように声を出し、自らが部屋へ出ると、ガラテア達を呼びつけた。
 ガラテアは立ち上がり、シオに視線を送ってから部屋を出た。
 シオはやれやれという感じでその後に続いていった。

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