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 光の使徒
  第一章 ヴァンブリア編


第一話「爆弾魔」

  5.
 焼けた煤の臭いが鼻につき、まるで別世界のように感じられた。
 愛名の作り出した空間へと、一歩足を踏み入れると、そこはすでに別の場所であった。
 前方には、石をあわせて作られたような壁や通路が真っ直ぐと続き、均等な間隔でランプが灯されている。
 ガラテアは自らが小部屋のような場所に立っている事に気づき、足下に魔法陣が描かれているのが目に入った。石で囲まれたそこは、牢獄のような場所にも思えた。
 転送制御の魔法陣……。
 チラッと視線を走らせ、彼女はその意味を解読した。
 司るルーンは、転送と誘導、そして出口。それは転送の呪文をその場へ引きつける魔力が込められている。その許容範囲はそれほど広くはなく、「偶然」に転移の術を使用したものを拾うことはない程度である。
 この魔法陣の意味。つまり、この場を知る者にとっての入口。多少の転送誤差による事故を防ぐため、そして別の部屋へ直接転移されることを防ぐための、魔法的な仕掛けが施されているのだ。
「ここが入口、ですか?」
 ガラテアは後ろを振り返り、闇に向かい声をかけた。
 魔法陣の描かれた小部屋は、明かりは灯されていない。必然的に前方の通路から漏れる光のみでは、闇となる部分が出来る。
 その闇の切れ目には、シオと……。
「そうだぞぉ。ここに用事があったんでしょぉ?」
 闇から溶け出すように現れ、愛名は聞き返してきた。その顔は無邪気なように見えて、どこか冷たい。
 彼女はシオを押しやるようにしてガラテアの前へと出て行く。邪険にされたと思ったのか、彼は不快な表情を浮かべていた。
 彼等の仕草を見たガラテアは、ついつい笑顔を綻ばせる。
「どうした?」
 不快そうな顔のまま、シオはガラテアに食って掛かった。
「ふふ、ごめんなさい」
 彼女は謝ると、愛名の後へと続いた。
 真っ直ぐと続く、長い通路へと、三人は歩き出す。先に進むたびに、不思議な感覚が三人を包みこむ。重たい空気……というのか、特殊な雰囲気が肺を圧迫する感じ。
「我々のような部外者が、訪れても大丈夫なのですか」
 ガラテアの問いに愛名は「ん〜」と声を出して振り返る。
「今更だし、大丈夫っしょぉ」
「いい加減だな」
 シオがすかさず口を挟む。
「も〜、私が可愛いからってそういじめないでぇ」
「……」
 あはは、と再び声を出して笑う愛名を尻目に、シオはガラテアの耳元で尋ねた。
「大丈夫なのか?」
 彼女は少し視線を宙に泳がせてから、シオに答えた。
「……どうでしょうね?」
「……」
 シオは内心、大丈夫か……?と、ガラテアの思考を疑ったが、今更どうしようも無い事実に、彼は沈黙を保つことを決定した。

 真っ直ぐに続いた通路の先は、大きな扉が設置してあった。両開きのそれは、豪華な宝飾が使われており、何より目を引くのはその大きさが3メートルを越すほどの高さであった事である。
 扉には槍が天使を刺し貫く絵が描かれている。神話の一部を持ち出したように……。
 その絵を目にしたガラテアは、無意識に表情を険しくしていた。両肩に浮かぶ魔法球が微かに揺れた。
 チラッとその様子を確認した愛名は、扉へと向き直り、通常の人の言葉とは異なるもので、扉へと話しかけた。
『聖なるものを貫く呪いの槍よ。その戒めを解き放ち、我等を闇の世界へ誘え。それが死の前触れであったとしても……』
 詠うように空気に響く、耳への響きは綺麗な愛名の言霊。
 シオは理解できぬ他国の言語かと思い、同時にその美しい発音に聞き惚れていた。
 しかし、その意味を理解できるガラテアには、呪いの台詞とも聞き取れた。
「……」
 しばらくの沈黙の後、それはググッと言う重い音をさせながら開かれる。
 その扉が開かれた事により、ただでさえ重々しい空気が、更に重みを増したように感じられた。
 強力な魔力の重圧……。ガラテアはそれを感じて、小さくため息をついた。
 扉から覗くことの出来る先は、広いホールとなっており、中央には大きな燭台が設置されていた。壁には神話を司った絵が描かれ、不思議な骨董品が並べられているのが目に入る。
 そして、そのホールの入口には、人以外のものが立っていた。扉の脇に仕えるよう、左右に一人ずつ……。
 いや、それは人の骨格を持った、それのみの存在……スケルトン。綺麗に磨き上げられたそれらは、飾られる骨董芸術品のよう。
 彼等は剣と盾を手にしていた。胸の前に抱くようにそれらを守る。そして、何の支えも無く、ただの骸骨が直立の状態で立っている。……自らの意志であるように。
 その禍々しい物体を目にし、シオが腰の武器に手をかける。
「大丈夫よぉ」
 愛名が安心させるように前へと足を踏み出した。彼女は骸骨の前に立つと、その顔に向け、それらをからかうよう手を振ってみせる。
 彼女の行動に、骸骨はそれが当然であるかのように反応は見せなかった。ただ同じ姿勢で立ち尽くすのみ。
 ガラテアは愛名に倣い、ホールへと足を踏み入れた。やはり反応はない。
 それを目にしたシオも、恐る恐る歩みを進めるが……。
「ただ問題はぁ……」
 ちょうど骸骨の目の前を、彼が通りかかるという時に、愛名は含みある台詞を口にした。
 そして、微動だにしなかった髑髏の瞳に、光が宿った。
「!」
 シオは咄嗟に剣を抜き放ち、右から当然迫りきた衝撃を弾き返していた。
 激しい金属音が、ホールに響く……。
 次は左か!
 シオが敵の攻撃を予想し、構えた瞬間。再び右から衝撃が襲ってきた。
 それは人の末路なる者の体当たり。盾を前に構え、全身の重さを利用した一撃であった。
 シオはホールへと吹き飛ぶ。
 ガラテアは、突然あがった耳障りな金属音と、後ろから飛び出してきたシオの様子に、何事かと振り返った。
 そこには、先ほどまでただの無意志な人形であった骸骨達が、今はその暗い空洞の瞳の中に殺意と言う光を宿している。
 右手に反り身の剣を、左手に円形の盾を構え、再び襲いかかる瞬間を待っていた。彼等の狙いは、今まさに立ち上がり、次の攻撃に備え構えを正したばかりのシオだ。
 愛名は彼が宙を飛んできたとき、それにぶつからないよう扉の横へと身をかわしていた。そしてどちらを応援しているのか、フレーフレーとはしゃいでいる。
「ちっ……」
 躙り寄る不気味な戦士に、シオは悪態をついた。人で成らざる亡霊達は、彼の目には悪夢のように映っていた。そしてそれは、彼の予想を上回る攻めをしてきたのだ。
 こんな骨人形に!
 骸骨だけの存在が動くなど、彼の常識を超えていた。戦闘用マシンでも、こんな悪趣味で、精巧な物は存在していないはずだ。
 彼は手にした曲刀にチラッと視線を送る。
 シオの扱う剣は、「刀」と呼ばれるものだ。反り身で片刃の刀身を持ち、普通の剣と異なり、叩き斬る事よりも、切り裂く事を主眼に入れた武器だ。その分扱うにはそれなりの技術が必要であった。無闇に刃を叩き付ければ、刃こぼれをしたり、折れてしまう恐れすらあるのだから。
 愛刀が鋼すら両断する事を思い出し、彼は髑髏の化け物も切り伏せることが出来ると自信を持ちなおし、精神を落ち着かせる。
 そして、シオが仕掛けた。二体の骸骨の戦士に向け、目にも止まらぬ早さで肉薄する。
「ただ……と、言っていましたね?」
 ガラテアは祭りを楽しむかのように、彼等の戦いを観戦する愛名へと尋ねた。
「ん〜、そうだぞぉ」
 目の前で激しく起こる攻防に、時折歓声を上げながら返事をする彼女。その様子は無邪気な子供を思わせる。
 事態が事態だけに、落ち着いた印象ではいられないが、ガラテアはそれを見て、場合によっては表情を綻ばせていたかも知れない。
「こうなる事は、確信していたのですね?」
「うむぅ。警戒心ばりばりだからなぁ」
 彼女は、いつものようにあはは、と笑い声をあげる。
「それはつまり……」
「ん〜、あの子達ねぇ。武器を構えたりしてると、悪い子だと思って懲らしめようとしちゃうんだよねぇ……」
 愛名は困りものだよねぇ、とうんうんと頷く。
「なるほどね……」
 ガラテアは納得したものの、多少困ったような顔をし、頭を巡らせた。
 彼女の視線の先には、今も激しい戦いを繰り広げるシオの後ろ姿が目に入った。
 彼のコートの裾と、長い黒髪が宙を舞い、華麗な連続攻撃を仕掛ける。闇に白い衣装が棚引き、異形の者と戦うその姿は、神話に出てくる戦士の様か。
 二体の髑髏の剣士は、それらを無駄な動作も無く的確に受け止め、そして隙を見つけては反撃を繰り返す。
 一見不毛とも思えるような鬩ぎ合い。だが……。
 右の一体から不意に放たれた無防備な盾による打撃……。シオの注意がその一体へと向く。
 隙は……あった。
 彼は盾を放つ事で空いた骸骨の、左腕の脇へと滑り込むように姿勢を屈めると、鋭い突きをそこへ向け放った。
 彼の刀の先端は、その髑髏のあばら骨を、見事に二本ほど砕く。
 それとほぼ同時に、シオの頭上を何かが掠めたのを彼は気づいた。黒髪の何本かが斬られ、サラリと地へ流れていった。
 身を下げねば首を跳ね飛ばされていた位置……。そこへ脇腹に一撃を食らった髑髏が、手にした剣を、人では出来ぬ動きで真横へと振り払っていたのだ。
 骨格が軋むような音が、その骨からは聞こえていた。
 隙だらけに見えた一撃は、自ら受ける被害を考えずに練られた、魔の戦略……。
「あ〜!!」
 一気に畳み掛けようと、シオが二撃目を構えた時、愛名の、今度は喚声があがった。
 その声に彼はおろか、二体の骸骨達も動きを止めた。
「こ、壊しちゃ駄目だぞぉ……」
 彼女は物悲しげな声で鳴き、その骸骨に近寄った。
 うるうると目に涙を浮かべ、砕かれた脇腹を確認する。
 シオは呆然とその様子を見ていた。……手にした刀を鞘に収めたのは、無意識だったのだろうか。
 そして彼は、ふと気づいたように表情を歪める。
 そんな不気味な骸骨は大切で、僕は壊れても良いのか、と。
 ガラテアはそんな対照的な二人の様子に苦笑を浮かべた。
 そして思った。どこか微笑ましいな……と。

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