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 光の使徒
  第一章 ヴァンブリア編


第一話「爆弾魔」

  4.
 二人は薄暗く狭い路地を歩いていた。
 旧世代にはホームレスと呼ばれた人種達が住んでいたような場所だ。一般に路地裏とも言えそうな場所である。
「どこへ行くつもりなんだ?」
 シオは前を歩く黒ドレスの女性へと声をかけた。
 彼女の容姿は、黒を基調としていた闇に溶ける色合いとはいえ、このような場所には似つかわしくない。
 不衛生を感じさせるこの場に、ガラテアの存在はひどく浮いて見える。それほど上品さを持っている女性が、わざわざこのような所へ来たことに、シオは疑問を感じていた。
 彼女は振り返りながら、口元に手を当て、少し考える素振りを見せた。視線が横へ泳ぎ思考が深いことが伺い知れた。
「この辺りに、少し変わったお店……。そうですね……」
 辺りを見回すようにしながらガラテアは口を開いた。
「例えば、酒場とか宿屋のようなところはありませんか?」
「……?」
 彼女の問いかけにシオの頭の中には疑問符が浮かんでいた。
 酒場はともかく宿屋?
 今時使わない単語だな、と彼は疑問に感じたのだ。
「それはつまり、バーとかホテルということか?」
 今風の呼び方へとシオは言い換え、尋ね返した。
「う〜ん……少し違うのだけど……」
 なんと説明して良いのか分からないと言う風に、ガラテアは悩んでいた。
「分かった。少し変わったバーなら知っている」
 心当たりがあるのか、彼はガラテアの前に立った。そしてあんまり近づきたく無いんだが、と愚痴のように零した。
「そこへ案内して下さい」
 ガラテアは彼の持った印象に、何か確信を持ち、彼の後に続いた。

 シオは今まで通ってきた路地裏よりも、更に奥へと入っていった。
 彼の後をガラテアは不安そうな素振りも見せず、ついて歩く。
 そこはすでに一般人では到達出来ないような不気味なところあった。普通とは言えない、いわば「曰くある」人間が多く棲む場所。犯罪など問題にならないようなところだ。
 物珍しい容姿と美貌を持つガラテアに惹かれたのか、要らぬ心を持つ人間が何人か近づいてきたが、シオの鋭い眼光によって、簡単に迎撃されていった。
 自らの身分を弁えない者は、ここでは生きていけない……。
「ついた」
 一軒の建物の前でシオは立ち止まった。
 その建物は古めかしく、現在使われている技術とは異なる建築方式で造られたような建築物だった。木と漆喰で固められ、薄汚れた外観は、まさにガラテアの望む「酒場」であった。
 彼女はその様子に苦笑する。いかにもか……、と。
「ありがとうございます」
 彼女は礼を述べその建物に入ろうと歩みを進める。
「ちょっと待った。僕は余りお勧めできない」
 感想と言うのか、印象と言うのか……。彼は空気から感じた雰囲気を口にした。
「はい」
 ガラテアは振り返り、優しい表情を浮かべると彼に答えた。
「案内してくれてありがとう。後は一人で行きますね」
「いや、僕も行く」
 一人で行かせるわけにはいかないと思ったのか、シオは反対の意を述べる。
「お勧めできないと言っただけで、行かないわけじゃない」
 シオは無意識に腰に手を当て、得物の武器を確認していた。彼の武器はチャラっと言う音を立て、小さく鳴く。
 ガラテアはふふっと笑みを零すと、そのまま目的の建物の中へ入っていった。

 酒場の中へと入った瞬間、カビ臭い空気が鼻についた。
 店内は古びたフローリングが敷かれ、丸テーブルと椅子が並べられていた。広さはそれほどではなく、その円卓が6組程度綺麗に並べられている。
 空間は薄暗く、壁に備え付けられたアルコールランプと、入口の戸から漏れる光が唯一の光源であった。
 ガラテアは一番奥のカウンターまで進むと、その奥に並べられたアルコール類が目に入った。大きめの棚に様々な酒瓶が綺麗に並んでいる。
 それらの種類を確認するようにガラテアは視線だけを動かしていった。
「ガラテア……」
 後ろからシオが体を軽く小突き、小さな声をかけてきた。何か興味深いものでも見つけたような声であった。
「?」
 ガラテアが何事かと振り返ろうと、視線を回した時……。
「いらっしゃいませぇ」
 突然カウンターの奥から声がした。少し気の抜けるような、それでいて澄んだ声……。
 訓練されているのか、沈黙だけがあった薄暗い空間に、印象的によく響いた。
 ガラテアは一瞬目を細め、シオへ向けようとしていた視線を、声のした方へ向け直す。
 そこにはいつの間にか……本当にいつの間にか、一人の女性が姿を現していた。
 彼女は濃いオリーブ色のプレーンドレスを纏い、ベージュ色の長めの髪の毛を三つ編みにしてまとめ、肩から下へと流していた。大きな胸が生地の薄いドレスを押し上げ、魅力的な様子であった。
 20代前半に見えるその女性は、店を訪れた二人を見て、嬉しそうな笑みを浮かべていた。目元にある黒子が、艶やかだ。
 シオの気配が気構えた事にガラテアは気づいた。彼の持つ警戒の色が強くなる。
「初めてのお客様だねぇ」
 彼女は無邪気に笑いながら、二人に話しかける。両手で「どうぞっ」と言う、大きな仕草をする。
 ガラテアは答えの代わりに、カウンターに腰を下ろした。
「そっちのお兄さんも座った方が良いぞぉ」
 魅力的な容姿とは異なり、かなり幼稚な言葉遣いでカウンターに立つ女性は言った。その台詞は、未だ立ち尽くし鋭い眼光を送るシオへと向けられていた。
「シオ……」
 ガラテアが顔を彼へと向け、笑顔を浮かべると、腰掛けるように促した。
 彼女のそれを見て、納得いかないという仕草をしながらもカウンターへとかけた。
「初めまして、愛名って言います。よろしくねぇ」
 自己紹介をしながら彼女、愛名はカウンター奥の棚から一本の酒瓶を取り、二人の方へ振り返った。
 どこからともなく酒グラスを取り出し、手にしていた瓶の中身を注ぐ。透明で真っ赤な液体がグラスを満たしていった。
 その色はどこか美しく、そして毒々しかった。
 愛名はどうぞ、と言って中身のつがれたグラスを、二人へ向け、カウンターの上を滑らせた。微妙な力加減で、中の液体が波打つが、それが溢れて零れることは無かった。
「私はガラテア。こちらはシオ」
 滑ってきたグラスを受け取ると、ガラテアは答える。そして「よろしくね」と、続けた。
 シオは頷くだけで、注意を愛名へと向けている。
 彼へ向けられたグラスは、彼の目前を通り過ぎ、少し行ったところで止まっていた。
「そんな怖い顔しなくても良いのにぃ」
 あはは、と笑い声をあげて愛名は言った。そして、クスッと一瞬だけ鋭く、そして妖艶な視線をシオへと向けた。
 彼はそれに気づき、更に警戒の色を強める。
「このお酒は何というものですか?」
 そんな二人のやりとりに気づかなかったのか、ガラテアは手にしたグラスの中身を、愛名へと尋ねた。
「ふふふぅ、それはねぇ、ブラッディマリーって言うのよぉ……」
 ブラッディマリーとは、本来カクテルの名前である。しかし彼女は、そのまま酒瓶から取り出した。独立した酒の種類名となると……。
「血を啜る植物、アルラウネを原料に発酵させた美味しいお酒だぞぉ」
「……」
 愛名の台詞をどこまで信じたものかと、シオは勘ぐる。
「効果は媚薬? それとも永遠の眠り?」
 グラスを揺らし、綺麗なルビー色の液体越しに、愛名の姿を見るガラテア。それは、少し挑戦的な問いかけであった。
 彼女の問いに、愛名は少し驚いたような表情を浮かべる。
「そっかぁ、ただの女の子じゃないんだ?」
 再び楽しそうな笑顔を浮かべ、自らよりも年上と見えるガラテアを、愛名は女の子と称した。ガラテアの浮かべる浮遊球に、興味深そうな視線を送っている。
 愛名は、ん〜、と声を出しながら、カウンターの端まで歩き、そこで姿を消した。
「!」
 彼女は、いつの間にかシオの隣に姿を現していた。
 彼は驚き、剣の柄へと手を当てながらカウンター席から立ち上がる。
「目的は、ギルドでしょぉ」
 愛名はシオを無視し、右手で宙に印を結ぶ。白い線が空中に、何もない空間に刻まれゆき、何かの記号となり浮かんでいった。
 紋章術の発動印だと、ガラテアは気づいた。
「ようこそ、魔術師ギルドへ」
 愛名の台詞と同時に、不思議な空気を持った場が生まれた。確かに感じられる「何か」が、そこに出現している。
 何もないように見えるそれは、時々空間が歪んだように背景の像がぼやける。
 ガラテアはチラッと彼女に視線を向けてから、その空間へ足を踏み入れた。

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