28日
雑誌付録のエディタは、「ウェブ・パブリッシャー」が最初に目に入った。それをインストールして、
作り始めたら30分ほどで出来てしまった。そこに年賀状素材CD-ROMからアニメーションGIFを入れたら、これもあっけなく動いてしまった。
何だこんなにカンタンなのか、次々にバージョンを変えて4通り程作ってしまった。友達に見せてやろうと、フロッピーにコピーした。
29日
きのう作ったページを何度も表示して、所々変えてみる。すぐにブラウザに反映されるところが面白い。なかなかの出来映えである。こんなに作ってしまって、使わなくてはもったいないと、生来の貧乏性が目覚めてきた。
ドリーム・ネットに開設の手続きをする。これは、Eメールのアドレスを記入して、続いて
アカウント名を決めるだけの簡単なものだった。やたら長い名前にしたけど、もっと短くても良かった。
30日
次の日インターネットをしながら首を長くして、メールの返事を待つけれど、ちっとも来ない。
しびれを切らして、もう一度開設申込みをしたら、どんな名前でも受付けてくれなかった。
まさかことごとく申請の名前が重複しているわけがない。ここで初めてメールの設定がおかしいのではないかと思ったのである。
おかしかった。この前ドりームネットの電話番号を変えたのだが、メールの設定は前のままになっていた。
「いまの番号で受ける。」のチェックボタンを押すと、なんと7通もメールがやって来た。
いままでメールを受ける目的だけで、「インターネット・メール」を起動したことがなくて、発信するときに自動的に取込んでいた。
メールは自動で取込まれて、女の子の声で「メールが届いているわ?誰かしら?」(※こういうサウンドの設定にしてある)
というものだとばかり思っていた。
この7通の中には、「ぷらら」のサポート係からの同じメールが2通あった。繋がらなくなってメールを出して、1月経っている。
この問題は、15日ほど前に来た封書を読んで解決している。解決しているのに、このメールのやり方では解決しそうにない。
「ぷらら」は、急いで開設して、中は工事中ばっかりだ。てんてこ舞いしている様子が目に浮ぶ。
パスワードとアカウント名は手に入ったが、メールにはそれしか書いてない。ドリーム・プラザの開設の仕方のページにも、ftpという
謎の言葉が書いてあるだけである。
体験版のアップロードは全く繋がらない。PLAZAの前に、ftp.を付けるのか、ひょっとしてhttp.を付けるのか、いやwww.かもしれない、
アカウント名は、kojifuji kojifujinagoya kojifuji-acのどれだろう。いろんな組合わせでやってみたが繋がらない。アップロード出来ないようにしてあるんだろうか。繋がらないソフトを買う人はいないはずで、絶対繋がるはずと何度も何度も試してみた。
繋がらなかった。
31日
こうなったら本屋に行くしかない。僕の周りには、こういうことを聞ける人が一人もいない。僕が時代の最先端を走っているのである。
最初の本には、windows付属のftp.exeを使うと書いてあった。おっーあの恐怖のクロ画面DOSプロンプトだ。
こりゃアカン。潔く次の本を手にした。「チバレイと・・
・」という本だ。チバレイがアイドルだという事ぐらいは、
おじさんでも知っている。
あれ、いつの間にか僕がおじさんになってしまった。そう僕は、50近くになってパソコンを始めた
おじさんなのである。
優しく手取り足取り教えてくれるかと思いきや、unixがどうたら、こうたら書いてある。
未練たらしく台に戻して、次の本を手にした。「HTMLタグ辞典」に、「ネットスケープ・ナビゲーター」でのアップロードの仕方が書いてあった。
これなら、おじさんにも出来そうである。
大晦日というのに、夕食済ますとすぐ作業に取りかかった。「ネットスケープ」でのやり方は、
「ftp://アカウント@plaza3.or.jpと、URL欄に打込む。するとパスワードを訪ねてくるので打込んでOKボタンを押す。」というものだ。
そのとおりにやると、一発で繋がった。ブラウザにホストコンピューターのフォルダ(デイレクトリ)が映し出された。
wwwのしたに一つずつファイルをアップロードしていく。
1ページのホームページだから、ファイルは8つしかない。一つずつ順番を間違えないようにアップロードしていく。
やっと済んだ、これで長い闘いも終ったか。ホームページが出来た喜びに浸ろうと、インターネットから接続してみる。
ガーン!なにも写っていない。
28日にジャンプ
ドリーム・プラザに戻って開設のページを読むと、が点滅していた。なーんだ、エルを付けなくてはいけないんだ。
"Index.html"をアップロードしてみる。まだだめだ。よく見ると、インデックスのアイは小文字ではないか。
三つめの”index”を放り込んだ。ネットスケープに写ったhtmlファイルをクリックすると、そのままホームページが見られる。
これでいいはずなのに、なんかおかしい。何をやったかも解らなくなるくらいいじり回してたら
良くなった。ネットスケープの再描画ボタンを押さなかったので、更新されずに前の画面が写っていたみたいだ。
心配なのでインデックスをみんな同じファイルにしておく。
時計はとっくに12時を過ぎて、2時になろうとしていた。
「紅白歌合戦」も、「ゆく年くる年」も見なかった。小林幸子のケバイ衣装も見ず、どこかの山寺の除夜の鐘も聞かず、
おじさんの大晦日は過ぎ去っていった訳だ。
ドリームプラザに「一枚だけ出来ました。年賀状です。」と、登録した。
出来上って跳上がって喜ぶのではなくて、ホット溜息ついて、「疲れた。」と、一人呟いた。
やはりおじさんはいいトシである。