入院生活始まり・・・・






 目が覚めたのが、朝の6時でした。自分の部屋じゃないと気がついたのは、1分ぐらい掛かりました。昨日の事を思い出すと、鳥肌もんでした。 今から、入院生活の始まりです。すぐに退院出来ると思っていたのが間違いでした・・・・・・

 とりあえず手術予定日は、9月1・2日でした。でも、血液検査の結果で、血液の中にバイ菌があれば、点滴でバイ菌をなくしてからの手術になる予定でした。
 しかし、血液検査の結果で、手術は17日まで伸びてしまいました。

 その間に、フトモモの骨を真っ直ぐにしなければ行けないのですが、なかなか真っ直ぐになりません。そこで、重りを増やして行く事に・・・・・最初は、6kgから始まり、日に日に2kgづつ増えていきました。しかも、針金を刺した場所が悪かったのか、もう1度、針金を刺しなおすことに・・・・・・最終的に、手術の日までに引っ張っていた重りの合計は約14kgでした。まるで、江戸時代で、ギザギザの石段の上に正座をさせられて、足の上に石の重りを乗せられる拷問を受けているような感じでした・・・・どうせなら、三角木馬の上でムチを打たれている方が・・・・・って言うのは冗談です☆彡

 入院生活は、暇だな〜と思っていましたが、ベットから降りることも出来ない状態だったので、以外にあきらめがあったので、暇ではありませんでした。以外にも、友達が来てくれてましたので、ほのぼのとした日々を暮らしてました。ましてや、寝たきりで、見舞いに食べ物を持ってきてもらえるので、まるでフォアグラを作られている合鴨の気持ちでした。

 寝たきりで、1番辛いのが、排泄物の処理です。尿の方は、自分で尿瓶に出来るので大丈夫でしたが,便の方は、さすがに嫌でした。だって、お尻の下に『ちりとり』見たいな物を敷いて寝たままするんですよ。さすがに嫌でした!!他人に自分の便を見られるのは、気持ちがいい物じゃありません。
 だから、手術まで我慢しようと頑張って見ましたところ、2週間が限界でした。人生の恥かしい思い出です。





手術の日 




 とうとう手術をしたんですけど、これが結構、緊張するもんなんですよ。始まったのが昼の1時から始まり、麻酔をかけられて、手術室で起きたのが夜の9時でした。 手術が終わると、ベットごと病室に運ばれて、寝ようと思っても、そんなに眠れませんでした。


 結局、どういった手術をしたかと言うと、全身麻酔でした。


    

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                    カーソルを画像の上に

 ふとももは、骨の中に棒をいれて、両端にピンで止めてあります。ひざの部分は、間接部にピンを2本で止めて、皿も立てに折れているので、2本のピンで止めてありました。






手術後生活




 手術の日から目が覚めて、起きて見ると左足を引っ張っていた重りがありません。これで、はれて自由の身もつかの間でした。3週間近くも寝たきりだったので、足の力が全然ありませんでした。だから、立ち上がろうにも足に力が入らないので、手術前とあまり変わらない状態でした。

 でも、一生懸命頑張って、何とか車椅子に乗ることが出来ました。その時の喜びと言ったら、何とも言えない状態でした。当分は、車椅子生活で頑張るしかありませんでした。アルプスのハイジに出てくる『クララ』の生活のスタートでした。

 トイレも自分で出来て、ある程度、動けるようになったので、個室から4人部屋に変わりました。入院生活も暇になってきたので、1人部屋より4人部屋の方が楽しいと思っていたのもつかの間で、確かに楽しいんですけど夜、寝ようと思ったら、いびきがうるさくて眠れない日々が続いた事もありました。時々夜に病室を出て気分をまぎらわしていたら・・・・


  ←コケ!!



 手術後から6週間が経って、車椅子生活も終わりです。こんどは、松葉杖の始まりです。左足に荷重をかけていいのは、体重に3分の1です。それから1週間ごとに2分の1・・・3分の2・・・全加重の順番で左足に荷重をかけていくんですけど、方が痛くなってくるし、手が痛くなってくるし、足が痛くなってくるし、並みの苦労がいりました。


 頑張って、体重の半分まで荷重をかけれるようになって来ると、面白い事を考えてしまいます。つまり、むちゃを、したくなってくるのですが、入院患者と仲良くなってきたので、病室で鍋パーティーをしようと、近くのスーパーに『鍋とガスコンロ』を買って、リュックサックに入れて病院に戻ってくるところを看護婦にばれてしまい、『鍋とガスコンロ』を没収!!
 『火は、病室で点けたら駄目!!』って言われたので、『じゃあ、手巻き寿司にする。』って言ったら、『炊飯器も駄目!!』って言われました。あげくのはてに、患者記録には、こんなことが書かれていました。


  ←見にくい人は、画像を保存して拡大して見てください。


 もう、楽しい事が出来なくなったので、色々考えた結果・・・・・・・


  ←何か写ってるよ?


  ←これは、解るよね。


 レントゲンを取る瞬間に一緒に写して見ました。

 それでも暇なので、クレヨンで絵を書くことにしました。その描いた絵をナースステェーションの横の掲示板に貼り付けました。


  ←とっとこハム太郎のつもりです。


  ←適当に書きました。



 色んな事が出来るようになって来たのか、看護婦達には要注意人物とされてしまい、とうとう、退院させられてしまいました。完治とは行きませんが、退院出来るなら満足でした。



 ←生活観あふれているツジッチのベットです。





 話せば長くなる病院生活でしたが、このHPを通して伝えるのは、難しいし、時間が掛かるので、会って話しをしたいです。手短で簡単なページですが、そこは、臨機応変で行きましょう。