ラムヤイ寄稿「夏休み最後の冒険旅行」

 今年も暑い夏は終わった。終わってみると、あの慌ただしさも懐かしさに変わる。そして、子どもがひとまわり成長したことを実感する。
 もうすぐ2学期だぞ〜という時期の2日間、「なかよし」では、「夏休み最後の冒険旅行」と題したキャンプを実施した。「なかよし」の夏も3年目を迎え、また、初めて6年生まで揃った事から、指導員も親も今まで以上に価値ある経験をさせたいという思いが強かった。その試行錯誤は春から始まった。

■どうする、夏のキャンプ
 ゴールデンウィーク直後から、夏のキャンプ地選びが始まる。山の中で木工クラフト体験、無人島キャンプ、昔生活体験など、いろいろ候補が出る中、指導員と親の圧倒的指示を得て決定したのが、「昔暮らし体験村」。ここは、昔の庄屋の建物をそのまま生かした体験施設。水道があるのみでガスも電気もきていない。燃料の薪割りやかまどでの飯炊き、夜はアルコールランプの薄暗がりでの生活・・・という、昭和初期の農家の暮らしを体験できる場所だった。
 夏休み前、参加する5、6年生を中心にキャンプ会議を2回ほど開いた。普段来てない子も、このときばかりは張り切ってやって来てくれた。親達が忙しいこと、指導員のみんなは日々の指導に奮闘中とあって、その後詳細が決まらないままお盆が過ぎた。いよいよ、決行日まであと2週間という時になって、指導員と親が集まり、「子ども達だけで目的地に行かせる冒険旅行」という姿が見え始めたのであった。

■子どもキャンプ会議
 大人はできるだけ黒子に徹することになり、夏休みに入ってからもキャンプ参加者と指導員のみの子どもキャンプ会議は何度か開かれた。電車の乗り継ぎの練習なども合わせると、夏休み最後の2週間のうち半分くらいはキャンプ準備に費やしたと思う。そして決まったこと。
 ・班は3つ。6年生が班長で5、6人編成。(参加者が増えたので、夏休み前に決めた班を再編成)
 ・班ごとに目的地までのコース、集合時間と場所を決定。(子ども達が一番気にしていたのは、バスか船かとか、乗り継ぎが多いか少ないかよりも、醉うか酔わないかだった)
 ・夕食→カレー(「カレーでええやん」とあっさり決まった模様)
・ 持ち物(いのいちばんにメモしはじめたのが、“おやつ”だったとか)
・ 現地での役割分担(もめることなく決まったらしい。その通り実行したかどうかは???なのだが)
※子どもだけの移動なので、こまったとき、まよったときの対処方法について書きしるした「たびのちゅうい!!」とテレカを、子ども達に配った。親心ってやつです。

■いざ出発!!
 さて、いよいよ出発の日。3班3様のコース取りで、最初の班は7時すぎに集合していた。大人達は、見送り班、尾行班、チェックポイントでの待ち伏せ班に分かれ待機し、大人も子どもも全員がこのキャンプに朝から参加するドラマチックなイベントの幕開けとなった。
 当日、夏休みに「なかよし」が使用した部屋の片づけに回っていたジーコ母が窓口となり、チェックポイントを通過するたびに連絡を入れるようにした。そして各所で待機の大人に携帯メールが届く。最初の班が明石より無事フェリーに乗った知らせを受けた時は、内心とってもホッとした。昼食場所の公園(1億円の金塊で一躍有名になった場所!!)に最後の班が姿を現したときは、すでに12時を回っていた。そこから歩いて15分ほどのところに目的地「レトロ体験村」がある。最後の班は、先に到着していた子どもたちの満面の笑みで迎えられた。
 (車で先に着いていた親達は、買い出しや布団干しなどであくせく働き続けていた。チェックポイント待機組もみんな無事来るのか気を揉んでいた。そんなことなど、むろん子ども達は知るよしもない・・・)

■レトロ体験村でのはじめて体験
 レトロ体験村に到着後まず始めたのが薪割りだった。何せこれをしないとごはんも食べられなければ風呂にも入られない。思いのほか頑張っていたのが男子、なかでもジャガはかなり気合い入り。ロバートはプレ薪割りで体力の半分を使い切り、指導員のワタルは、翌日携帯メールが打てなくなるほどだった!!
 レトロ体験村の村長さんには、近くの里山探検に連れていってもらった。休耕田ではイナゴ捕りに夢中になり、カブト虫のいる(夏も終わりで亡骸しかなかったのですが)雑木林ではクマバチを横目に通り抜け、池に泳いでいる魚を発見したり、イチジク畑を見つけたり、竹林に向かって石を投げたり(カランコロンといい音がする)、旅の疲れを癒すのにちょうどいいのどかな昼下がりを過ごした。
 地元のおばあちゃんからは、縄づくりを教わった。生乾きの稲の茎の乾燥してよれた部分を取り除いたあと、水に浸してから縄をよりはじめるのだが、これが案外むずかしい。一番熱中していたマン姉妹は、ひとり縄跳び、長くつないで大縄跳びを始めていた。畑で採れたというタマネギはカレーの具に、すいかは翌日のスイカ割に使わせてもらった。
 女子は部屋の中でおしゃべりタイム、男子は将棋タイムのあと、4時頃からかまどでの飯炊き、カレーの準備、お風呂の薪くめを始めた。野菜切りに熱心に参加していたのは最年少のアギト。カレーはドラム缶のコンロでつくったのだが火の番とカレーのとろみチェックに余念がなかったのがマリオ。食事のあとは順番に五右衛門風呂へ。風呂釜の下に敷く“げす板”を入れていたはずなのに、蓋だと勘違いしたのかいつの間にかはずされていて、「めっちゃ熱いねん」と女子達が爪先立ちで入っていたのは傑作だった。
 夜もしっかり更けた頃、星空観察の宿題が出されていた4年生達につられ、子ども達全員が満天の星を眺め、心をひととき宇宙に馳せていた。
 村長さんが火をつけてくれたアルコールランプはなんとドイツ製でやけにかっこよかった。このほの暗いランプの灯のもと、夕食後の大人の宴会の最中に、女子軍団による「モー娘。」ライブが始まった。ディレクター、アイボン、出演、インサイド、フラワー、ナミマニ、ユカリン。笑わせてくれた。就寝前の男子は、離れに閉じこもって指導員一太郎のコワ〜イ話を聞く。終わった後、彼等は無言のまま男子就寝部屋へと姿を消した。女子は夜中の1時になっても起きていた。最後までつきあって暮れた指導員ミソジーヌさん、御苦労さま!

■淡路島をかけぬけた2日目
 翌日は、健康的に朝のラジオ体操とともに始まった。ホットドッグと近所から配達してもらった牛乳の朝食のあと、布団の片づけと掃除。帰り支度を整えてからスイカ割りを始めた。このとき、2日目から参加のジャガ、ジーコ両お母さんが貸し切りバスを伴って登場。最後に盛り上がって、レトロ体験村をあとにした。
 それから、北淡町の震災記念館に向かう。断層の真上に建っていて被害にあわれた家も、展示室として生まれ変わっていた。子ども達はこの地震の衝撃を改めてどれだけ感じ取っただろうか。その後、予定していた海水浴場「北淡県民サンビーチ」に向かったが、シーズンは8月いっぱいでシャワーはおろか、なんとトイレにまでカギがかかっているではないか。大人が迷っている間に子ども達は着々と着替え海に入って行く。なしくずし的に海水浴となった。地元の仕出し屋から届けてもらったお弁当を食べてから、さて、このまま帰るわけにはいかない。バスの運転手さんと相談して、岩屋にある「松帆の郷」という温泉に向かうことになった。ここは評判には聞いていたが、明石海峡大橋を見下ろす露天風呂がサイコーに気持ちのいい温泉だった。そして、淡路島最後の立ち寄り場所は「県立淡路島公園」。あまり時間もなかったので、散策とお土産購入のあと、淡路島に別れを告げた。

■表彰式
 解散場所のみどり園に到着したのはまだ5時前だった。
 ここで、指導員3名から、参加の子ども達全員への表彰式が行われた。みんな夏休み頑張ったね、大きくなったね、2学期も頑張ろうね、という思いのこもった手作りメダルには、親もホロッときてしまった。
 行っても行かなくてもいいという自由度の高い「なかよし」だが、このキャンプには、事前の会議からキャンプ参加者がほぼ全員集まって真剣に取り組んでいた。今年日常では女子率が高いなか、高学年男子も参加しメンバーの数もふくらみバランスのとれた集団生活ができたのは、大きな収穫だっただろう。
 解散後も帰りを惜しみ公園で遊ぶ子ども達。彼等の心に何が残っただろうか。「一番良かったのは温泉!」と口々に言っていたけど、この体験がいつか何かにつながっていければと思う。大人にとってもまた、暑い夏、駆け抜けた夏休み最後の思い出となった。

管理人日記番外編「昔暮らし気分」

自分が初めて子供だけの旅行をしたのは、おそらく中学のときで、友だち3人と色違いのアポロキャップをかぶり(もちろんアリスの影響である)、紀伊半島へ出かけたことがある。今でもその旅のシーンは断片的に焼き付いており、特に那智で秘密の滝を見つけた経験はいい思い出である。

親と幼児はM園に7時20分に集合し、高速で現地へ急いだ。子供に先乗りするためである。私の車にはアギト、マルサ、そしてアイボン母である。後のお二人、車に乗ると「酔うか、しゃべるか、寝るか」なのでよろしくお願いします、ということであった(笑)。実際、発車早々、二人の会話が車内を包んだ。とりわけ、アイボン母のネタは秀逸で、小学校のときのキックベースの逸話には、アイボンの姿とだぶり、腹を抱えて笑ってしまった。アギト君は雰囲気にすっかりのまれ、自分のペースをつかめず、眠いこともあって終始沈黙。

途中、休憩することなく、9時過ぎには現地へ着いた。子供が到着する時間まではまだ余裕があったので、軽く遊んだり、施設をジロジロと見学した。ここは昔の暮らしを体験するところで、電気・ガスは通じていない。お風呂は五右衛門風呂で、もちろん薪で湧かすのである。そう、薪である。「薪」は今回の旅の1つのヒット商品であったのではないだろうか。自分が初めてマキを割ったのは奇しくも小学生のキャンプのときである。そのときのリーダーの指導ー左門豊作よろしくスパンと斧を降ろすのではなく、軽く5センチくらいの切れ目を入れ、マキごと持ち上げて一気に振り下ろすーこの方法を知っていたのでちょっと自信を持って薪割りに臨んだが、なぜか、薪は一向に割れようとしない。木の性質なのか、湿っているからなのか・・・。こんな調子だと、飯も炊けず、風呂にも入れんぞ、と焦りが入る。

そんなこんなで、大番頭から「先頭グループが港へ着いた」とのメールが入り、これをいい機会にとばかり薪割はロバートに任せる(笑)(薪割りは、木を替えることによってある程度できるようになったようだ)。アギト君を車に乗せ、5分ほど走らせると、子供グループの集合場所公園へついた。まだ少し時間があるようなので、公園内を偵察。「犬猿のなかよし」と書かれたおりには犬と猿が同居していたり(「なかよし」という感じではなかった・笑)、鯉が泳いでいる池などがあった。しかしメインは金塊。100円払って入場してみると、63キロもある金塊が鎮座しておった。自由に触れるようになっているが、しっかりと固定してあってビクともしない(当たり前じゃ)。あとはベッカムを初めとするイングランドチームの生写真などが飾られていた。

ほどなく待っていると、生け垣の向こうから子供の声が近づいてきた!「おおっ、ついに来たか!」と必要以上にワクワクし(笑)、先頭集団、「ドナルドダック」を歓迎した(班編成・旅程)。リーダーのジャガに「どうやった?まよわんかったか?」とインタビューすると、「全然、楽勝」というクールな答えが返ってきた。実際、人に聞いたのは山陽の乗り換えのときだけだったそうである。あっぱれ!皆も金塊を見た後、1等のご褒美ということで鯉の餌を買うことにした。きしょいほど馬鹿でかい鯉もいれば、20センチくらいのチビちゃんもいる。そのうち、そのチビちゃんになんとか餌をやろうとするゲームが始まる。「いくぞー、食べろよー」「おい、(でかいの)あっちいかんかい!」チビちゃん自体が大きめの鯉に寄り添うように泳いでいる(おそらく護衛だろう)ので、餌を与えることはかなり難しい。しかし、粘りつよく何度もくり返していくうちに、ジャガの投じた、BB弾くらいの大きさの餌はチビの目の前に・・・。「くえ〜!」と数人が叫ぶ・・・喰った!!!彼への褒美はコーラであった(笑)。

グースカからメールが入る「薪割り順調です」。すごくあせって(笑)、「えっ、秘訣は?」と返すと「木を替えたから」ということであった。なるほど、そういうことか・・・。

次に到着予定なのはヨッシー率いる「カトーン」であった(なんて素敵な班名であろうか!)が、港を降りた後、予定時刻を過ぎても一向に現れない。うーむ・・・軽い緊張感に包まれる。その間、「ドナルドダック」と我々は弁当をほおばり、おやつをパクついていた。さらに、金塊と同じ重さの金属(鉛・銀・銅)を持ち上げようとして遊ぶ余裕をかましていた。しかし、その場のメインのおもちゃとなったのは、取っ手のついた金属製の鍋のような代物であった。そこには水が張ってあって、取っ手を手のひらでこすると中の水がシャワーのように飛び跳ねる仕組みになっている。手がこすれる振動が水に伝わる仕組みなのである。各人、交代交代で取り憑かれたように取っ手をこする。生け垣を見ても「カトーン」の陰は見えない・・・。そして予定時刻を遅れること約40分、聞き慣れたユカリンの甲高い声が生け垣を通して聞こえてきた!「遅いなーどうしたんや?」と尋ねると、なんと直接最終ゴールまで向かいつつあったので遅くなったということであった。ご苦労さん。その後、「カトーン」も「取っ手」にトラップされ、同じように熱中する。がしかし、ここで奇妙な現象が起こった。ストッパーが取っ手をこするとバイオリンの音色がするのである。それには再現性があって、何度やっても、しかもひとこすりするだけで弓がバイオリンを弾くような音色がするのである。「??」こすり方に特徴があるのか?、手の形状に特徴があるのか?他の子供達もこの現象は好奇心たっぷりで「指紋が違う」「手の形が違う」だの自説を唱えていた。さらに驚いたことに、この日、取っ手をこすった15人あまりのうち、マリオとリードのみ、相当な練習を経て、このバイオリン音が出るようになったのである。実に不思議な現象である。

「ハッピー7」は続いてほぼ予定通りに到着し、これで全員が公園へ終結した(おっと、「ドナルドダック」は先に最終ゴールへと向かっていた)。この班にもトラブルはなかったかと聞くと「バスを降りるときにお金を出すのが遅くなって、運転手さんに怒られた(これは全班に共通・・・)」だの「切符を無くしたので黙って他の子にひっついて駅を出た(立派なキセルです)」などの報告を受けた。さらにアイボンが「他になー、ちょっとあってんなー」というので「なになに!」と好奇心一杯で聞くが「いやあ、ひみつひみつ」とかわしてくるので、「えーっ、いわんかい!」と迫ると「やー、プライベートなことやから」と答えたので、その班に何が起こったのかピンとひらめいた。そして、アイボンの気配りに関心し、強引な自分に反省した。

そして、現場へ戻った。皆は薪割りに熱中している。特にワタルは真剣そのもので、剣道の素振りよろしく、ピンと背筋を伸ばして斧をきれいに振り下ろす。その他、ジャガやリードも意外と薪割りにはまり、悪戦苦闘しながらも、自分の能力を追求しているかのような風情で心地よいものがあった。この薪割り業、結局、ウユーやジーコ、さらにはヨッシーにまで普及し、このキャンプでのメインイベントの1つにまで昇格していったのである。

しばらくすると、村長さんがやってきた。ああ、そして気のいいおばあちゃんも朝から掃除に来てくれていた。このおばあちゃん、顔はしわだらけでかなりのお年と見たが、元気そのもので皆に気をつかってくれているのがアリアリとわかる、頼もしい存在であった。村長さんが「近くで虫が捕れるところがあるから行きませんか」と誘ってくれたので、有志が集まった。田圃の横の狭い道を進んでいく。足場が悪いところもあり、倒木が進路を妨げている箇所もあった。ちょっと歩いたところでイナゴがたっぷりいる場所へ到着。たかがイナゴである。自分が子供のときはイナゴなど腐るほどいて、「邪魔じゃ」などといいながら蹴散らしたものであるが、現代っこは本当にかわいそうで、喜々としてイナゴを捕まえていた。それでも、さすが山奥で自然は深く、でかいオニヤンマなどがいた。そしてフラワーが見せてくれたのはカブトの上半身だけの死体であった。いかにもカブクワがいそうなクヌギの木もあり、当然、明日の朝は早起きして捜索隊を出そうという運びになった。途中の池では水不足のため干上がっており、魚が酸欠で大量に死んでいた。「昔、やりませんでしたか?」ということでロバさんが、竹藪に向かって石を投げている。1個の石を投ずると「カン、カン、カーン」と数回、竹に命中する音が帰ってくる。やりました、これ!竹藪におっさんがいて「カン、カン」でなく「こらーー!」っていうカンカンな怒声が帰ってきたこともありましたなあ。

コロスケとゲンチャンはワタルを専属指導員とし、遠征から帰ってきた。網に何か入っていると思ったらそれはカエルだった。カエルが苦手な子もいて、網からカエルが飛び出すとちょっとしたパニック状態。ゲンチャンなど「早く捕まえてー!」とハイテンション。かわいらしい光景であった。

夕方になるとだんだんうす暗くなってきた。ランタンに火がともり、昼間とはがらっと雰囲気が変わる。一足お先にアギトと五右衛門風呂を楽しみ、彼は皆がやっている晩餐の用意を手伝いたい、という。料理ができることは大事やぞ、と心の中で思いながら彼にできそうなことを考える・・・。そうだなあ、包丁はまだ無理だし、切れた野菜を運んでもらうことにした。カレーの火はジャガとともに努める。昨年同様、水中メガネが効を奏しており、煙もなんのその。彼らが割った薪をくべ、うちわで火を大きくする。この男の隣りにいると何故だか気分が落ち着くのが不思議だ。いろいろとごちゃごちゃいいながらいい時間が過ぎていく。隣ではリード父がいつものペースで焼きそばを作成していく。現場にはカレーと焼きそばソースのいい匂いが漂い始める。何とも腹の減る光景である。それぞれのデキは実際最高で、アギト君も両方を食べ、しかもお代わりしてた。

夜の闇が深くなると☆がだんだん見えてくる。インサイドとストッパーは夏休みの宿題が星の観察らしく、ちゃんとノート持参で☆の名前を記載していった。アイボンやゴー、そしてユカリンは夜になっても逆立ちやブリッジに熱中している。男性陣は意外と将棋が人気で、2つあった将棋盤はいつも占拠されていた。ヨッシー、コロスケ、アギトは将棋崩しを、ジーコ、ジャガ、マリオ、リード、ウユーらは本将棋をしている。この中ではジャガが実力ダントツのようで、かなり圧倒的勝利を納めていた。こりゃあ、一度ぎゃふんといわさんとアカンと思い、勝負を挑んだ。相手が誰でアレ、自信満々にサクサクとコマを動かす彼。一方、さほど将棋は得意としていない自分は「負けたらえらいことになる(笑)」というプレッシャーの中、頭を絞りに絞っていた。どちらかというと彼の優勢な状況になってきた。ヤバイ!そのうち、何かのイベントがあり(どうしても思い出せない・・・ボケておる)皆召集されたので、将棋は一端中断し、自然にお流れとなった。次回、勝負するのが楽しみだ(笑)。

10時を過ぎたのでアギトを寝かしに行く。風がビュービュー吹いていて、部屋の中までかなりの砂が入っていた。そして、よくあることだが、添い寝したまま私は朝を迎えてしまった・・・。

朝一番のイベントはラジオ体操。あの懐かしい音楽と共にそれぞれがぞれぞれのポテンシャルで体を動かす。インサイドなどはダンスよろしく、朝から高いパフォーマンスを繰り広げていたが、一太郎初め、一部の集団は眠気ダルサと戦うようにゆっくりと体を動かしていた。

他方、牛乳配達。最近では近所でも配達をとっているところは少なくなっている。だから1部の子供・大人は何故だかワクワクして配達の車が到着するのを待っていた。「あれか?」「おお、あれや!」「あれっ、行ってもた・・」などと言っているうちにいよいよ到着。おいしく仕上がったサンドイッチと共に頂きました。このサンドイッチ、めっぽううまく、ウインナーを2本入れては「ダブルバーガー」などと言いながらジャガ、一太郎とともに4本もたいらげた。さらにはスイカ割りもあって(朝から何て初めてです)、充実した1日が始まった。

この日の天気は曇天で海水浴が微妙になってきた。ラジオに耳を傾けると強風波浪注意報まで出ているではないか・・・。それでもまずは震災記念館へと向かう。子供は昨日とは違い、バスで楽勝の移動であったが、逆に数名は車酔いで相当なダメージを受けていた。この記念館は初めてであったが、あの頃、テレビで何度も出てきた断層のずれを目の当たりにして、記憶がもんやりと戻ってきた。体を揺する大きな振動、ガシャンガシャン割れる食器、地震の直後の空に見えた奇妙な閃光、迎えのハイツの落ちた古壁・・・。

そして天気も何とか大丈夫で(風はまだビュービュー吹いていた)、海へ向かう。9月に入っていたので浜辺には店も少なく、公衆便所もカギがかけられ、そして人出もチラホラであった。人が少ないせいか、海の水や浜辺はめっぽうきれいでさらに水平線は抜群の眺めであった。「カレイがおるで!」水中メガネをかけたウユーが興奮しながら叫んでいる。浜辺からほんの数メーターのところである。子供達は、そうまさに葡萄のつぶのように指導員にぶらさがっている。浮力で少しは体重が軽くなっているとはいえ、相当な負担だろうに。相変わらず風はビュービュー吹き、波も少し高い。ふと見ると浮き輪をつけたゲンチャンが孤立しながら足の立たないところでフワフワ浮いていた。去年のカヌー事件のこともあったので、未然に釘を刺す。無理矢理浜辺近くに引っ張られたゲンチャンは明らかに不満そうな表情であったが、これは仕方がない。遠浅とは言いながら、子供の足の立たないところもあり、強風のせいで潮もどんどん流れていた。少し離れると叫び声も聞こえず、自然の怖さを改めて感じた。無事故が一番の目標である。少し泳いだ後、浜辺で弁当を食べた。

その後、サービスエリアで休憩し、一路、M園へ。最後に若指導員から子供達にメダルが送られた。メダルには名前とこの夏、そしてキャンプでがんばった点が書かれている。クソ暑かったこの夏もようやく終わりを告げ初め、夕方になってM園には涼しく心地よい風が吹いていた。

アギト:小さいけどがんばったで賞

コロスケ:たくさんたくさん遊べたで賞

ゲンチャン:水に顔をつけられるようになったで賞

アヤチャン:まっくろで賞

マンボウ:次にまっくろで賞

フルーツ:黒白で賞

ピクシー:しっかり賞

ユカリン:誰とでも仲良くなれたで賞

ナミマニ:上方お笑い大賞

インサイド:中学年のカリスマ賞

フラワー:ユーモラス賞

ストッパー:お手伝いをよくしてくれたで賞

マン:笑顔が素敵で賞

ジーコ:スポーツ大賞

リード:敢闘賞

ウユー:鉄道王で賞

マリオ:地球を救ったで賞

ヨッシー:オニギリ小さいで賞

ジャガ:リーダーとしてよくがんばったで賞

アイボン:名プロデューサー賞

ゴー:詩人で賞


班名

ハッピー7

カトーン

ドナルドダック
リーダー

アイボン

ヨッシー

ジャガ
副リーダー

マリオ

ゴー

ジーコ

メンバー

()は旅は大人と

ウユー、リード、フラワー、(マンボウ) ストッパー、ピクシー、ユカリン、(あやちゃん) マン、インサイド、ナミマニ、(フルーツ)
指導員

一太郎

ミソジーヌ

わたる
ルート JR→フェリー→バス→歩き JR→高速バス→歩き 阪急→山陽→フェリー→バス→歩き