沈黙の詩人達・8



「私、この場所が好きなんです」
「それだけ?」
「はい。だから、時々夜になると、こうしてベランダに出るんですよ」
「寒くないのか?」

 俺はすぐさま後悔した。
 我ながら、なんて馬鹿な事を聞いたんだ、と。
 真冬にそれもこんな時間に外に出て、寒くないわけないだろ。

「寒いですよ」

 ーほらな。

「でも私、この冷たい風やこの静けさ、そしてこの時間帯にこの場所で感じる全てのものが大好きなんです」

 深月はなんだか嬉しそうに言っていた。
 ーそうか....言われてみれば俺も、この静けさやこの冷たい風を頼ってベランダに出たんだっけ。
 ん?だけど、それにしても....

「なぁ、他にも理由があるんじゃないのか?」

 俺はただ思った事を、何の根拠もなく深月に投げかけてみた。

「ここで、私は時々詩をつくるんです」
「ウタ?」
「はい。私は自分がつくった詩を集めて、本をつくるのが夢なんです。きれいな写真をところどころに散りばめた本を....」
「そっか、ベランダに出てたのは夢の為ってわけか」
「ちょっと、恥ずかしいですけどね。ところで、葵さんはどんな夢を持っているのですか?」

 ー夢?そう言えば俺は今まで、そんな事を考えた事あったか?
 小学生の頃まではなんとなく、夢を持っていたような気もするけど....
 それすら今となっては思い出せない。
 俺は考えた末、正直に答えた。

「悪いけど、俺には夢とかないんだよね」
「そうですか。でもいつかきっと、葵さんにもいい夢が見つかると思いますよ」

 ーでも、夢ってどうやって見つけたらいいんだ?
 俺は頭を悩ませた。
 ーさっきも思ったが、小学生の頃には俺にもちゃんと夢があったはずなんだ。
 でも、今は思い出す事すら出来ない。
 夢ってそう簡単に忘れられるはずじゃないのに、どうして?

「なぁ、深月はどうして詩をつくるようになったんだ?」

 夢の事は夢を持っている奴に聞くのが一番早いと思い、俺は深月に訪ねた。

「....」

 返事がない。
 俺は間違って変な事を聞いてしまったんじゃないかと思い、今言ったばかりの言葉を思い返していた。

「私、友達が....」

 ーん?
 あれこれ考えていた俺は、不意に聞こえてきた深月の言葉を聞き逃してしまった。

「ごめん。聞こえなかったから、もう一度言ってくれるか?」
「私....友達がいないんです」

 予想外の言葉に俺は返す言葉を無くし、呆然とした。
 ーなんで、そんな事を急に言うんだ?
 俺はただ詩の事を聞いただけだぞ。
 俺には何がなんだか、さっぱりわからなかった。
 そして、そんな俺をよそに深月は淡々と話を続ける。

「私はいつも独りでいたの。誰かと話す事もなければ、伝えるべき言葉も知らない。だから、私は詩をつくるの。その時思った事やその時感じた事を、ただ詩にして残していれば、いつか友達が出来た時すぐに伝える事が出来るから....」

 静かに話す深月の声は、切ない心が叫んでいる様だった。
 寂しさや悲しみ、そしてそれ以上に計りしれない苦痛が、深月の繊細な心を痛めつけている。
 どんな理由の上でかは知らないが、おそらく深月は俺が抱えていた孤独を、今までずっと独りで耐えてきたに違いない。
 想像を遥かに越えた苦痛と共に。
 深月はなおも話を続ける。

「私はいつもこうして、夜更けになるとベランダに出るんです。風の声に耳を傾けて、四季折々の空気を肌で感じて、そして思うままに言葉を並べるんです」

 ーそうか、だから深月は....

「けど、辛くないか?ずっと独りでいるなんて....」

 吐き出しかけた言葉を、俺は慌てて飲み込んだ。
 最低な質問だった。
 謝ろうと俺が再び口を開こうとした時、一瞬早く深月が言葉を並べる。

「大丈夫ですよ。もう慣れましたから....」

 精一杯の強がりのつもりだろうか。深月の声は心なしか微かに震えている。
 俺はそんな言葉を聞き、そして深月に言い放った。

「なんで、そんなに強がるんだ?独りでいる事に慣れたなんて、そんな嘘つくなよ!」

 深月はただ黙っていた。

「それに....」俺は言葉を続ける。
「何の為に詩をつくっているのか、今俺に話してくれたばかりだろ。本当は孤独から抜け出す術も知らなくて、ずっともがき苦しんでいたんだろ。だったら尚更、辛い時は無理すんなよ。ただ素直に自分の弱さを認めて、誰かの腕にでもしがみつけばいいだろ」

 俺は自分にも言いきかせる様に言った。




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