Speech-3


興味深い言葉・話-2 -----てんだねすの覚え書きより   ・・・ユング

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●ユング関係・・つづき→

「ノーと言われることを覚悟すれば、どんなことでも頼めるの」 (トニー・ヴォルフ)

彼女はユングの門下生で自身分析家だったようですが、ユングと一時恋愛関係にあったような話です。 ホントかどうかわかりません。
まあ、そんなことはさておいて、これはいさぎよい言葉で、
よく反対に「頼まれたら断れない」という人には、
響いてくるものがあるのではないかと思います。

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「自分の環境が劣悪なのを憤ったり、
周囲の状況があまりに良すぎると感じたりするのは・・・
彼自身の内的な環境の劣等性を外の環境に投影しているからである」

簡単に言えば、自分の不幸を回りのせいにする・・。
というようなことでしょうが、ときに簡単に言うとこぼれ落ちたりもします。

「単純で月並みな仕事だけが何かをもたらす、大言壮語ではない」

この辺からはマリア・フォン・フランツという
女性分析家の本のなかの言葉だったと思います。
彼女の「星の王子さまの深層」は有名で、また「おとぎ話と悪」
「おとぎ話と個性化」 などのシリーズも面白いです。
 しかし、・・・このふたつの言葉は、耳が痛いですね(^_^;)。

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・悪
 
「われわれも落ち度なく、完全に振る舞っている時は決して良い状態ではない。
少しばかり悪いことをしている時がよい。

ヒンドゥー教徒は、寺院を建てる時、どこか一ケ所を未完成のままにしておく。
神のみが完全を作ることができる。人間はできない・・。
人間が完全でないことを知ることは良いことである。それで人は深い満足を感じる。

ある人が自らの内に適応すべきものをもっているなら、あらゆる方法で助け、
しかし適応すべきでないことが真の彼の課題であるとしたら、
適応しないように援助すべきである。

・・・人間がすべて適応しているとしたら、世界は一体どんなことになっているか?
間違った行動をする人間が何人かはいるはずで、彼らは正常な人のスケープゴートとして振る舞い、 興味の対象になる。

犯罪小説などのありがたいことは
『よかった! 私は罪を犯すような人間ではなく、完全に潔白だ』
と言えるからである。
あなたに代わって悪い人間が悪事をやってくれるので満足を覚える。

これは救世主としてのキリストが二人の泥棒の間で磔けにされたという
事実の深い意味である。
これらの泥棒たちも、また彼らなりに人類の救世主なのです」

この話は、軽率に読むとやや危険かもしれないが、
その深い意味を感じる方には心動かされるものだと思います。
以下の話も上記の話に繋がっている話です。

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・水晶には必ず傷がある

「・・・劣等機能は、不可欠な最も弱い機能であり、
われわれは弱さ、不可能であることを通じてのみ
無意識より低次の本能的世界や自分の仲間たちと結びつく。
・・長所だけが我々に独立を可能にする。(そこでは自身が王である)
・・我々は劣等性によって我々の本能的世界と同様、人類と結びついている
・・・すべての機能を完全にすることは有益ではない。・・というのは、
こうした状態は欠点のないまったくの無関心にも匹敵する。

原則は・・『完全を期そうなどと考えては駄目です。
しかし、それがどんなことであっても全うしようと努めなさい』」

よく、傷ついた経験がある者にしか同様の経験をしている人の気持ちは分らない。
という例がある。そして、大事なのは甘んじるということではなく、
『それがどんなことであっても全うしようと努めなさい』と話は繋がる。
これはシャーマン(癒し手)の誕生という例にも繋がりそうな話ですね。
 それが次の話にも感じられます。

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・治癒

「病のもとをなしている元型的な状態が、適切に表現されれば治癒効果が生まれる。
・・・彼の特殊な病が彼個人のものでなく普遍性のあるもので、
神の病でさえあることが示されると、 彼は人間や神と仲間です。
この認識が治療効果を生む。
・・・・エネルギーの解放・・・・象徴が印象的でかつ適切ならば
無意識の力に作用したり、 神経系にも影響を及ぼす。

元型的な像が夢に現われる場合・・特にそれが分析の終りの段階に現われる時、
あなたの問題は特殊でも個人的なものでもなく、あなたの心理状態は普遍性をもった
人間的なレベルに近づいている。

・・・神経症患者は完全に孤立していると感じていて、
自分のそれを恥じているからです。
しかし、ひとたび自分の問題が普遍的なもので、
個人的なものでないということがわかると 様子は一変します」


クリシュナムルティという人の言葉に「あなたは世界である」という
シンプルな言葉がある。
心理的に個人というものが存在するのか・・ということを問う、そんな内容だ。
世界中の人々が、その人種を超えて・・・経験される・・「喜び、悲しみ、苦悩、憎しみ」などの 心理・感情は、言葉や生活習慣がどんなに違うとしても、すべての人が同じように味わっているものである。 それには個人という枠はなく、世界共通の・・いわば人間として普遍的な要素なのである。
上の話しに通じるように、人間としての苦しみ、病と気づくことは、
とても大きな変化だろう。 1999.10.26

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つづく→3.3

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