制作: Aki Kaurismki / Villealfa Filmproductions
所要時間: 73 min.
監督: Aki Kaurismki
脚本: Aki Kaurismki
撮影: Timo Salminen
録音: Jouko Lumme
編集: Raija Talvio
舞台装置: Risto Karhula
音楽: Melrose, Somerjoki 他
キャスト: Turo Pajala (Taisto Kasurinen) Susanna Haavisto (Irmeli) Matti Pellonp (Mikkonen)
Eetu Hilkamo (Riku) Erkki Pajala (鉱夫) Matti Jaaranen (追剥) Hannu Viholainen (共犯者)
Jorma Markkula (荷役手配師) Tarja Keinnen (埠頭の女) Kauko Laalo (簡易宿舎の番人) Esko Nikkari
(中古車ディーラー) Esko Salminen (悪漢) Eino Kuusela, Jyrki Olsonen, Marja Packalen, Mikko
Remes, Tomi Salmela, Reijo Marin, Heikki Salomaa, Veikko Uusimki, Hannu Kivisalo,
Pekka Wilen
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■10.1988 Ariel 「真夜中の虹」
この作品『真夜中の虹』は労働者三部作シリーズの第2弾にあたります。
原題は『Ariel』というのですが、シェークスピアの最後の戯曲『テンペスト』にでてくる空気の精のエアリアルのことでしょうか? それともイザヤ書の29-1章にあるように、「平和の王子」の帰還を待つ町イェルサレムを指すのでしょうか?
これはとても映画らしい映画です。ストーリーがどんどん展開して行きます。
失業>放浪>出会い>投獄>脱走>船出と、あたかも人間の運命をかえる能力があるといわれるプロスペローがそばについているようです。自由を得るための葛藤が肌で感じられるような映画です。
北フィンランドで鉱夫をしていた主人公カスリネン(トゥロ・パヤラ)は閉山により失業し、同じく失業し、死を選ぶ年老いた鉱夫仲間が残してくれたキャデラック・コンバーティブルでヘルシンキに向かいます。途中、有り金を強奪され、ヘルシンキでは日雇いの沖仲士の仲間に加わるあたりは最新作『過去のない男』にストーリー展開が似ています。ここで若いシングル・マザーのイルメリ(スーザン・ハービスト)に出会います。このイルメリの子のリク少年がこの映画では一番印象に残りました。演技しているような、していないような絶妙な感じです。脱獄した主人公がイルメリと教会外結婚(市民登録婚のこと)を済ませてアパートに戻ります。警官隊が来るのを窓から見た少年は主人公にこのことを知らせます。
「おまわりが来るよ、とうちゃん」
父親のいないリク少年の気持ちが滲み出ているような、この台詞は秀逸です。
いろいろの、屈折を経て、親子3人のフィンランド脱出作戦は進行します。 そして忘れがたいエンディングです。
夜の闇があがり、あたかも曙に息づいた空気の精が唄うように『虹の彼方に』が流れます。
♪ Somewhere, over the rainbow, skies are blue.
And the dreams that you dare to dream really do come true. ♪
そしてその唄に誘われるように、貨物船Ariel号に、南の国メキシコに向かう3人。今にも切れそうな、か細い夢の糸でつくられた織物のような、小さな家族の思いを託して。
この船が嵐で難破するようなことはないと信じたいですね。
●Tendernessのコメント
kitayajinさんもつい歌ってしまわれるように・・、オーバー・ザ・レインボウ「虹の彼方に」が流れるラストシーンへ至る物語りも、ドキドキハラハラがあって、かなり観客を選ばないカウリスマキ映画の一つではないでしょうか。
主人公を観ていて、ちよっとだけ「アメリカン・ニューシネマ」の頃の「ファイブ・イージー・ピーセス」のジャック・ニコルソンを想起したけれど、そんな陰鬱にさせる内的複雑さを持ったパーソナリティではなく、現在をなんとか生きていこうとする彼のアクションが清々しい。ドラマチックな物語りの運びもカウリスマキ映画、初顔合せの人にもお薦め。 |
制作: フィンランド国営テレビTV
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所要時間: 68 min.
監督: Aki Kaurismki
脚本: Aki Kaurismki Jean-Paul Sartreの同名の原作より
撮影: Matti Kurkikangas
録音: Lasse Litovaara
編集: Paavo Eskelinen
照明: Kimmo Kaltio, T. Jrvinen
舞台装置: Risto Karhula
服装: Outi Harjupatana, Mari Ropponen
化粧: Zoe Burtzow
音楽:
キャスト: Matti Pellonp (Hugo) Sulevi Peltola (Hoederer) Kaija Pakarinen (Olga) Kati
Outinen (Jessica) Pertti Sveholm (Louis) Hannu Lauri (大公) Pirkka-Pekka Petelius
(口先のうまい男) Aake Kalliala (Georges) Esko Nikkari (Karsky) Kari Vnnen (Ivan) |
■1989 Likaiset kdet 「汚れた手」 Les mains sales
1948年のジャンポール・サルトルの同名の戯曲『Les mains sales 』のカウリスマキ流の解釈です。 舞台設定も同じ第2次世界大戦時、占領下のフランスで、作品はかなり痛烈なインテリ批判となっています。残念ながら、作品全体が単調気味で、かつ奥行きが薄い印象で、カウリスマキ作品としては物足りません。テレビドラマとして制作されたためか、カウリスマキ作品には珍しく会話が多いのも、印象の薄い原因でしょうか?
主義のためにはすべてを投げ打っても良いと考える若い野心的な主人公フーゴ(マッティ・ペッロンパー)が党内の政敵を暗殺しようとするが、なかなか実行できないのです。インテリ一流の優柔不断さ。党から与えられた暗殺命令を実行するのが嫌で事態がずるずるとずれ込んでいるのではありません。自ら希望し、志願したのです。 皮肉なことに「偶然」と「嫉妬」という、本来の動機にはまったく関係のない事態の助けを借りてやっと果たされることになります。
主人公の妻はカティ・オウティネン演じるジェッシカ。カウリスマキ作品では寂しい、控えめな女の役が多いのですが、この作品では俗物的で、セクシーな女を好演。インテリはこの妻の目にも、魅力なき男としてしか映らないのです。テロ行為に倒れる、社会民主党の政治家をスレビ・ペルトラが端正に演じています。鋭い目つきが魅力的な俳優です。このストーリーの本当のクライマックスは8年後にやってきます。懲役刑を終えて、出獄した彼を待ち受けているものは、インテリの夢を無残にぶち砕く、冷酷な政治や権力の現実です。ショスタコビッチのシンフォニーNo.9が流れる他は、カウリスマキの映画にしては、音楽の少ないのも例外的です。
(文・kitayajin - 河田舜二)
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