ブルースカイの絵本制作物語8月





8月上旬



昨年、一昨年見に行ったナイーブ・シンクタンクの絵本展に今年は見るだけでなく絵本を出品してみないかという話をもらった。
今年の競作絵本のテーマは「青」
僕はためらいつつもそのテーマにはとても魅力を感じた。多分僕はそのとき「青」という色の中に無意識ではあるが「自分を見つめる色」であると感じていたのだろうと思う。
正直なことを言えば僕は昔から絵を描けず今も「絵」を書くことにコンプレックスを感じている。
しかし、今度は学校で描く対象を決められ、ひたすらそれを忠実に描くのと訳が違う。僕が僕らしい表現をするだけの懐の広い絵本展のようだった。
僕は迷いつつも多分参加する旨を告げた。
今の僕は新しい表現の場を求めていた。これはいいチャンスかもしれない。



8月中旬


絵本展に参加することを決めてから僕は毎日「青」について考えた。「青」の持つ心理学的な意味を勉強したり、様々な「青」という色を色彩辞典から学び、僕にとっての「青」とはどんな色でどんな意味を持つのかひたすら考え続けた。

そして僕は「わすれなぐさいろ」という青に巡り会った。

僕はドイツが好きだ。わすれなぐさいろの語源はドイツの美しい物語にあったのだ。
それはたった2〜3行の説明にすぎなかったけれど、僕にはその情景が目に浮かぶようだったし、これを元に絵本を作ってみるのは悪くない、と思った。
その日から僕はわすれなぐさについていろいろ調べ、また同時にその物語を頭の中で膨らませていった。それは美しく甘く装飾的な話だった。
学生時代に一人で旅したドナウ川の源流の町、ドナウ・エッシンゲンをその舞台に物語は展開されていった。

この絵本を書くために僕は北八ヶ岳の麦草ヒュッテ付近を散策した。あのあたりは針葉樹が多く、ドイツの森に似ているのだ。森やお花畑、水辺を詳細に観察し、ドナウ川のほとりで物語の主人公の恋人たちが交わした言葉に耳を傾けた。

そして老女となった主人公が孫娘に語るという枠物語の形式でこの物語の骨格を決めた。



8月末


「それでその絵本はなにを言いたいの?」
という友人の言葉に僕はしどろもどろの返事をした。その場で思いつく限りを語ったが、それは無意味な音の羅列でしかなかった。

僕自身はそれから毎日その主題を考え続けたが、結局それは僕自身の中からでてきたものでない以上、そこにメッセージ性を求める のは不可能だということに思い当たったのだった。

ここから、僕の絵本製作は本格的にスタートすることになった。

僕はいつも僕自身を言葉で、絵で、全体の雰囲気で表現することに苦しみとよろこびを感じてきたはずだ。
絵本も自己表現の一つである以上、僕にとっては同じように描かれねばならない、と思った。そうすることが僕が絵本を描く意味なのだ と思ったのだった。

絵がうまい、へた、という問題ではないのだ。いかに今の自分を素直に表現するか、それを目標にしたとき、自然と僕の中には「僕の鳥」の物語が流れ始めていた。



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