Snake Man 
「畜生・・・こんな弱いクズのくせに・・・・・。」そう言って、奴は立ち上がろうとした。俺は震える手で自転車を投げつけようとしたが、自転車は重過ぎて俺には無理だった。逃げようとしたが、足が言う事きかずに転んだ。その時チョーさんが金髪の奴を蹴り飛ばした。
「はっはっは・・・・男前やな・・・・シン君。」涙と鼻血と嘔吐物にまみれた俺の顔を見て、チョーさんは笑った。チョーさんに助けられ安心したのだろうか。その笑顔が、俺の中の何かに火をつけた。俺は周りを見まわし、なにか武器になるものを探した。回りには、俺がもたれ掛かっている嘔吐物まみれの自転車しかない。俺は、自転車のサドルの下のレバーを回し、サドルをはずすと、パイプの部分を握り締め、金髪の奴めがけて殴りつけた。体から痛みや苦しさは消え、腹の底に有る何かが爆発した。殴れば殴るほど、体の奥底の炎は燃え上がり、そこから沸いてくる強烈な快感を抑える事が出来ず、俺は泣きながら殴り続けた。完全に空白な頭の中に、体中の沸騰した細胞達の声が聞こえてくる・・・・。

タノシクテ タマラネェゼ・・・・・・。

「もうええで・・・・・。シン君、もらう物、もらっとき。」チョーさんの手が俺の肩をつかんだ。 チョーさんはそんな俺を嬉そうに眺めながら、金髪の奴に近寄ると財布と、トラベラーズチェック、パスポートを取り出した。
「さぁ、シン君、行くで。仕事の後は風呂入ってビールや、でもシン君は、その前に顔洗ったほうが良いかもな・・・・。」チョーさんは言った。俺は立っているのがやっとだった。何も考える事が出来ない・・・・・。右手はサドルのパイプの部分をつかんだまま固まってしまった。いや、どうやら俺の体全体が、石になってしまったようだ。目は見えているが、その映像が脳まで届いていない。耳もそうだ。かろうじて膜をかぶっているかのような音でチョーさんの声が聞こえた。
「そんな物騒なもん捨てて、顔洗いや・・・・。」チョーさんは、金髪の奴が持っていたリュックの中からミネラルウォーターを取り出して俺に投げてよこした。
「ちょ・・・さ・・・ん・・・チョー・・・さん、俺・・・右手が・・・動かない・・・・・。」生まれて初めて言葉を喋る男の様に、俺は一音ずつ音が出ているか確認しながら必死に声を出した。
「はっはっは・・・・・。ほな、わしが手伝ってやるさかい、まずそのサドル捨てや。ほら・・・・」チョーさんは、俺に近寄ると血だらけのサドルをつかんで引っ張った。
「うぉぉゥ? 取れん・・・・。」チョーさんは驚きの声をあげた。俺の右手は、サドルを握ったまま本当に固まってしまったのか、びくともしなかった。ひ弱な俺にこんな力があったなんて・・・・・。仕方なく、チョーさんは俺の指を一本一本サドルから離していき、俺はやっとサドルを離す事が出来た。その後少しずつ目が見えるようになり、音もちゃんと聞こえるようになってきた。心臓の音が聞こえる。目の前には、俺が殴り続けた金髪の奴が血まみれになって倒れていた。今ごろになって体中から汗が吹き出し、汗と同時に疲れや痛みも溢れ出して来た。俺は痛む体をぎこちなく動かして、どうにかミネラルウォーターを拾って顔を洗い、ティッシュを鼻に詰めた。そして俺達は通りに出てタクシーを拾い、チョーさんはドライバーに高級ソープランドの名前を告げた。体中が痛み、鼻血はまだ止まらなかったが、気持ちは怖いくらいに充実していた。そしてタクシーのシートに腰を下ろすと指一本動かすのが面倒なほどの、心地よいけだるさが、俺の体を再び別の物へと変えていった。暖かくて滑らかな、数億年前の海の中を漂っているような・・・・。

 俺はタクシーの窓の外の黄色い街灯やカラフルなネオンの光をぼんやりと眺めつつ、煙草に火をつけた。煙草の煙はなぜかとても甘く、気だるい体の中を、煙が肺から全ての血管へと広がって行くのがわかる程うまかった。俺は昔読んだ本の一節を思い出した。「狩猟で獲物を倒した後に吸う煙草が一番うまい。」小説の主人公はそう言った。俺は、その台詞が本当だった事が妙に嬉しかった。今夜の出来事は・・・・・狩猟だ。俺はベトナムで買った年代物のジッポーに目をやった。
「If you’r not with the one
 you love. love the one you’r with.」
ジッポーには「愛する人がそばに居ないなら、そばに居る人を愛しちゃえ。」そう彫ってあった。

<Back △Top To be Continued