改竄され学校日誌

86年1月14日
正しい学校日誌
86年4月22日
改竄された学校日誌
86年6月3日
正しい学校日誌
日誌の下部拡大図
A形式(I00が中央) B形式(I00が右) A形式(I00が中央)


 当局は証拠として1985年の9日分の学校日誌と、1986年の、1月14日、4月22日、5月6日、13日、27日、6月3日、6月10日、17日、24日、7月1日、8日、9月2日の12日分を提出していた。

  86年6月3日以前の日誌はすべて「I00」という記号の位置が中央寄りになっている(A形式)。
 そして、86年6月10日以降の日誌の記号は中央寄りになっている(B形式)。
 学校日誌の用紙がA形式からB形式に変わったのは6月3日から6月10日の間である。

 当然、4月22日の学校日誌はA形式でなければならないはず。
 しかし、市教委が証拠として提出した4月22日の学校日誌はB形式。

 つまり書きかえた教頭井上とその事を命じた当局は学校日誌に二つの形式があるとを知らなかった。だからこそ、堂々とこのような改竄をした学校日誌を懲戒処分の証拠として提出したのである。

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