最近のジャカルタ

98.5.23 23:30PM Last updated

最近、日本の新聞でもインドネシアのニュースが大きく扱われているようですが、
じゃあいったい実際の暮らしはどうなんだ?というメールがよく来るので作りました。

ただし私は政治も経済もど素人なので、あくまで自分の周囲の観察程度のものです。
主な情報源は、同じ職場のこちらに長く住んでらっしゃる日本人の方、インドネシア
情勢に詳しい日本人スタッフ、インドネシア人スタッフなどです。
不本意ながら、事実と異なっていることを書いてしまうかもしれません。
その都度修正しますが、くれぐれも他からの情報と照らし合わせてご自分で判断してください。
日付、レート等も正確ではありません・・。



98/5/23 23:30PM

横浜の実家に帰ってきました。
日本のテレビで見るとインドネシアのニュースもいろんな番組やCMの中のごく一部だったりして、想像はしていたことですが、実際にそれを目にすると、つい数日前まで自分がそこにいたという事実も薄れていきそうです。
夜のニュースでは、「企業戦士がすでにジャカルタへ」というのがありました。
ジャカルタの私がいた事務所も、残った数人の日本人スタッフとインドネシア人スタッフですでに業務を始めているそうです。銀行も営業を再開したそうですね。
日本にいるとみんな元通りになっているような気がしてしまいます。
それにしてもシンガポールにいる自衛隊機は今は何をしているのでしょう?

98/5/21 16:30PM

今晩十時ごろの飛行機でやはり日本へ帰ることになりました。
その後ジャカルタの同僚からまた連絡があり、ハビビが大統領になることでは納得していない学生もいるそうです。テレビでは大統領の退陣を喜ぶ学生の姿が映し出されていましたが、まだまだ事態がどうなるのかは不透明なところもあるようです。

日本に帰ってもできたら更新します。

98/5/21 10:30AM

スハルト大統領が辞めました。ジャカルタに残っている同僚からの電話で知りました。

今もまた同僚から電話があり、ジャカルタのスディルマン通りは大統領の辞任を喜ぶ人々が行進しているとのこと。学生は一応は歓迎しているものの、新大統領となったハビビがどれだけ政治改革を打ち出せるかによって、まだまだわからないとのこと。
同僚は今これから国会議事堂に入るとのこと。

私たちは今夜の便で日本に帰るはずだったのですが、このような状況の変化でしばらくシンガポールにいればジャカルタに帰れるのではないかとの意見も出てきました。
しかし、今夜七時にハビビの演説があり、そこでどの程度改革が打ち出されるかによって、今後のインドネシアの状況が好転するかどうかが、ある程度わかるようです。でも、大統領の辞任とともに改革評議会(でしたっけ?)は開かれなくなったようですし・・・。

個人的には、日本に帰った場合には3日で戻るなんてことはないはずなので、7月10日までの任期と残した仕事のことを考えると早くジャカルタに帰りたいです。スタッフの人たちや学生やお手伝いさんなんかも心配ですし。それに早く今のインドネシアを見てみたいという気持ちもあります。

今のところ、危険度4もまだ撤回されていないようですね。
現在ジャカルタでは、一部の日本食食材店などは開いているものの一般のスーパーは開いておらず、市場などで手に入れるしかないようです。しかし物価は高騰、銀行は閉まっており、生活が平常に戻るためにはまだまだ時間がかかりそうです。

昨日、ホテルの中で少し話したベルギー人の人は、工場があるから月曜日にはジャカルタに戻るとのこと。今このホテルには様々な国籍の人がジャカルタから逃げてきているようです。

私の同僚が今一様に心配しているのは家に残っているお手伝いさんと運転手さんの生活のことです。今月の給料を払っていないひともおり、物価の上がったジャカルタで今どうしているのか。

98/5/19 23:00PM

シンガポールで書いています。

18日の朝6時に同僚と集合し、スカルノハッタ空港に向かいました。トリサクティでの暴動以来、同僚宅と自宅の5分ほどの道しか見ていなかったのですが、3日ぶりに見る街の様子は自分の予想とは、ずいぶんと違っていました。
一つには、すでに情報としては知っていたものの、見慣れた通りにある見慣れた銀行やCD屋などが壊されていたり、シャッターを降ろしていたりするのを見るのは、そうぞうしていたよりも遙かにショックでした。
それからもう一つは、これだけの大きな事件が起きて、またなんら根本的な問題は解決していないのに、すでに街の人々は以前と同じように通勤したり通学していたことです。さすがに数は以前よりも少ないですが、すでに小学生が通学していました。

テレビでは焼けた車や建物など、もっとひどい映像を見ていたにも関わらず、実際に見る街の様子が自分の中にある同じ街の様子と微妙にずれ、そしてそれが他でもない暴力の跡だというのはショックでした。そのときはさほど感じませんでしたが、今ここシンガポールにいるとそんな気持ちが強く思い出されます。

空港へ向かう40分ほどの間、暴徒の姿らしきものはまったく見ませんでした。焼けた車も見ませんでした。倒れた標識も。
ただ、ガラスの割れた建物と焼けただれた建物が昔からそうだったかのようにそこにあり、その前を昔から実際にそうだったように人々が学校や会社へ向かうためにバスを待っています。
それを見たときの気持ちはうまく言葉では表現できません。喜んでもいいことなのかもしれませんが、私がそのときに感じたのは、今思えば無力感に近かったかもしれません。なぜだかはわかりません。

空港はそれほど込んではおらず、ポーターのおじさんも昨日より空いていると言っていました。
11時半発の臨時便のフライトのはずが、臨時便はキャンセルになってしまい、9時半ごろのフライトに乗れました。シンガポールの人は大方出国してしまったのでしょうか。

シンガポールに着いて、自分のお金だったら絶対泊まらないような結構大きいホテルにチェックインしました。さっきまでジャカルタにいたことが夢のような感じでした。
その違和感に慣れる間もなく、お昼前には日本から帰国命令が来ました。全員いったん日本へ引き上げです。
そんなこんなで、18日はジャカルタや日本との電話連絡の手伝いなどで忙しく過ごしました。ジャカルタでは特に目立った動きはないとのこと。
久しぶりにぐっすり寝たような気がしました。
以前、私の母が終戦になったとき、頭の上にもやもやあったものが、ふっと無くなったと言っていましたが、そんな感じでしょうか。


しかし、二日目になると、シンガポールの華やかさはただ憂鬱さを感じさせるだけになってしまいました。
やはり、スタッフや学生など多くの知り合いがいる場所であれだけのひどい事件が起き、それがいまだにどんな方向へ進むのか分からないというのは、それだけで十分憂鬱なことです。
それに自分たちが今までしてきた仕事がこんな風な形で中断し、いつ再開できるのかも分からない、第一再開するかどうかも怪しいというのはなんともまた憂鬱というか、誰にこの気持ちを向けていいのか、それさえわかりません。

以前来たときはシンガポールにはジャカルタにはないものがたくさんあって、うれしくて仕方がなかったものです。しかし、今回はウインドーショッピングもまったく楽しくありません。

同僚や、同じようにジャカルタから避難してきた友人も同じような気持ちのようです。
皆、同僚や友人、あるいはお手伝いさん、運転手さんをインドネシアに残してきています。

残してきた人たちへの想い、自分が暮らしたインドネシアという国への想い、それに、文句や泣き言を言いながらも誇りを持ってしていた仕事が頓挫してしまったこと、何よりこれらのことが、インドネシアという国が抱えていた矛盾や不正、不公平さや差別、憎しみといったものから起こったこと、そんなことをやはり華やかなシンガポールの街にいても思い出し、考えずにはいられないのです。

シンガポールの街はどのホテルもインドネシアから避難してきた人と、インドネシアへ行こうとして足止めをくっている人達とで、満員のようです。明日まで予約は一杯だそうです。みんな今どんな想いでインドネシアのニュースを聞いているのでしょうか。
私の同僚は、土曜日にインドネシアを出ます。20日のデモが暴動とならずに終わることと、それがインドネシアを正しい方向へ動かすものであることを祈ります。

98/5/17 20:00PM

今日も無事に過ぎました。荷物の準備も終わり、これを書いています。
今のところ、5/22までシンガポールに滞在し、ジャカルタに残る職員の人の判断で、情勢が安定していない場合は日本へ一時帰国することになりました。
しかし、一時帰国といっても私の場合、任期が7月10日までなので、一ヶ月以上ジャカルタへ帰ることができなくなったりした場合、そのまま日本で任期終了なんてことにもなりかねません。

私はある日本語教育機関で働いているのですが、この暴動騒ぎの前は通常のクラスと教員研修のクラスが行われていました。他にも日本人ボランティアの方とともにインドネシア人の日本語学科学生のための会話クラスもまさに始まるところでした。
これら全てが中途半端なまま避難するのはとても残念ですし、ましてこのまま任期切れで戻れなくなるのはつらいです。

しかしおそらくこれは私だけの思いではなく、インドネシアで働いていた人の多くが感じていることだと思います。

この3年間、つい3日前までは、このジャカルタが私の仕事場であり、生活の場でもありました。それが一日にして二度と戻ってこられないかもしれないひどくよそよそしいところになってしまうというのは、一人の人間にとってとても暴力的なことです。

私は所詮インドネシアに仮住まいさせてもらった者に過ぎませんが、ここでずっと暮らしていく人たちにとっては、このような暴力が行われることは、生活し、生きていく上でとてもつらくタフなことだと思います。

私はぜひもう一度ここジャカルタに戻り、3年間共に過ごした人たちと再会し、お互いの無事を喜び合い、短い間でも仕事の続きをしたいと思っています。

最後になんやらうまく書きたいことが書けなくて残念ですが、とりあえずはこれで避難前の更新は最後にしたいと思います。

最後にもう一度、激励のメールをくださった方々にお礼を申し上げます。情勢が落ち着いたらみなさんもインドネシアをぜひ訪れてみてください。

98/5/17 13:00PM

外務省の危険情報がついに危険度4になってしまいました。
私の所属機関にはバンドン、スラバヤ、メダン、ジョグジャ、バリにも日本語教師がいるのですが、昨夜の時点でバリや国外へ脱出することになりました。
昨日から同僚以外の日本人からも続々と国外待避の連絡があり、おそらく今日、明日中にかなりの数の日本人がジャカルタを出るのではないでしょうか。
金曜日の夜からは、夜中の1時、2時あるいは早朝4時、5時など、今まで飛行機が飛ぶ音など聞いたことがない時間帯にもジェット機が飛んでいく音が聞こえています。おそらく引き上げのための臨時便なのではないでしょうか。

私は知らなかったのですが、ジョグジャ、ソロでも10日頃からかなり険悪なムードになっていて、身の危険を感じた人もいたそうです。ソロで20人以上の人が死に、多くの店が襲われるなど事態は地方へまた逆に波及していきそうな感じです。

家の周囲の状況ですが、これは「平和だったときとおんなじ!!!」です。木曜日の夜には自警団が結成され、かなり緊張した雰囲気だったのですが、今日はみんな散歩をしたり、子供はサッカーしたりしてます。物売りも前と同じとはいえないものの、かなり戻ってきました。浮き輪売りなんてのもいました。買う人いるのかな・・。
家の近くの大通りも今日はタクシーもバスもバジャイもかなりの数が走っていました。

しかしながら、物売りの野菜の値段は高い物では暴動前の三倍。たばこは暴動前と変わりませんでした。surya16が2,500ルピアでした。

こんな状況の受け止め方は人によって様々で、現地に長く在住している日本人の方はずばり「嵐の前の静けさ」と言っていました。明日月曜日から予定されている学生デモを発端にまた暴動が再発すると考えているようです。
お手伝いさんや家の周囲のインドネシア人はやはり「sudah seperti biasa(もういつも通りだよ)」という反応が多いです。
昨日大統領は国営テレビと民放に暴動のシーンを映すことを禁止する通達を出しました。テレビにはすでに暴動は去って、ジャカルタはもう安全だと印象づけるような画面ばかりが流れています。あとはマンガや歌番組や健康器具の宣伝・・・。
これを鵜呑みにしているのか、あるいは周囲の狭い状況でしか判断をしていないのか、あるいは危険は察知しているもののとりあえずは大丈夫と考えているのか、私にはわかりません。
しかし、携帯電話を持って家の前に出て同僚に「危険度が4に上がりました」と伝える私の前では、以前と変わらないのどかな情景が広がっています。
ひょっとして何にも起こらないのではないか・・・とこちらまでそう思ってしまいます。

私は明日シンガポールに避難します。
しかし危険を察知しながら去ることができない人もたくさんいます。現地の人と結婚した日本人の人、国外に出るほどの余裕のない中国系インドネシア人、今も周囲に不穏な動きがあって家から出られない人。私の周りにだっています。

たまたまインドネシアに派遣されたとはいえ、あちこち旅行していろんな人に親切にされて、また仕事でもいろんな人に出会って、危ないから「はい、さよなら」と出て行くには、ここにはあまりにたくさんのやり残したことがあるような気がします。
結局は取り越し苦労だったね、と言える日が来るといいのですが・・。

98/5/16 22:00PM

最初の暴動が一段落し、外国人の帰国ラッシュが始まったところで、次の不安はもう一度暴動があるのか、あるとしたらどこでいつあるのかということです。
20日が危ないというのは、今回の暴動が起こる以前から言われていたことなのですが、スハルト大統領が辞めないとなった今、学生のデモが続くのは必至です。
同僚の現地在住の日本人の方からは、20日以前から比較的大きな規模のデモが起こるであろうとの情報も寄せられました。
14日のような暴動が繰り返されないことを祈るばかりです。

98/5/16 20:00PM

今日は大きな暴動のニュースもなく、家の周囲も静かでした。
今は同僚の家にお邪魔しているので、車で五分の自分の家に服などを取りに行きました。
14日にはこの道を走る車も少なく、しかも走る車はみなハザードランプをつけるなど異様な雰囲気だったのですが、今日は通行量もいつもの土曜日と変わりなく安心しました。
家に帰るとお手伝いさんも「もういつも通りだよ。だいじょうぶ。だいじょうぶ」と言います。彼にとってはどうして私たちがシンガポールまで逃げるのか理解できないようでした。

しかし、暴徒が直接やってくることはなくても、今回の暴動は確実にお手伝いさんの生活にも影響を与えています。
家のお手伝いさんはいつも家の前に売りに来る野菜売りの人から野菜を買うのですが、トマトは暴動前一個500ルピアだったものが1,500ルピア、カンクンは暴動前に一束200ルピアだったものが1,000ルピア。
この暴動前の値段というのでさえ、かなり高くなっていたのですから、お手伝いさんなどにとってはかなり厳しい状況です。
お手伝いさんのアンダさんが言うには市場が燃えたことと、流通がうまくいっていないことが原因ではないかとのことでした。
ガソリンを1リットル200ルピア値下げすることがどれほどの効果を持つのかとても疑問です。

と、ここまで書いたところで同僚から電話があり、ガソリンが入ったポリタンクを持った人がうろついているという情報がRTからあったとのこと。やれやれ。

98/5/16 10:30AM

トリサクティ大学での学生死亡から二日が経ちました。今朝は家の前を通る新聞売りの「コーラーン」や野菜売りの「サーユール、ホーーー」という呼び声が戻ってきました。以前は朝からもううるさいなあと思っていたのですが、こんな状況だと少しでも正常化の方向に向かっているという証拠が欲しくて、物売りの声でさえなんだかありがたいです。

今日は朝から同僚が二人空港に向かいました。
一人は出産のため日本へ帰る奥さんを送るため。このフライトは暴動が起こる以前から予約されていたので飛行機には乗れると思いますが、夜十一時半のフライトですが、昼間の暴動を恐れ早朝出発。現在は空港の駐車場の日陰で休んでいるとのこと。これから夜中まで待たなければなりません。
空港近くのホテルは全て満室とのことでした。
もう一人の同僚は現在私たちが避難のために利用するシンガポール航空のチケットを手に入れるために行っています。
しかし空港は「混乱の極み」だそうで、カウンターでも「あっちへ行け、ここじゃだめだ」の繰り返しで、もう一時間半もうろうろしているそうです。予約が入っているので支払いとチケットの受け渡しのみなのですが、それさえできないほど混乱しているようです。
シンガポール航空はすでにインドネシアの駐在員を引き上げているという話もあり、それでますます混乱しているのでしょうか。

空港へ向かう高速道路はガラガラで、料金所に人はいるものの、料金はとらずフリーパスだそうです。道路にはところどころに兵隊の姿があるものの午前八時の時点では暴徒の姿はなかったとのこと。

今朝は家の前の通りに出ている人も少なく、みんな多少疲れが出ているのかもしれません。自警団に参加したお手伝いのタタン君の姿も見えません。

同僚のうちの何人かから周囲の状況を聞きましたが、今日は屋台が出ていたり、交通量が増えたりしているそうです。
同じ職場の同僚は皆ジャカルタの中では高級なところ、あるいは外国人がたくさん住んでいる地域に住んでいるのですが、皆一様に今日は「暴動以前に戻ったみたい」と言っていました。
しかし、暴動が始まった日も普段とまったく変わらない日だったのですし、暴動の原因がなんら解決していない今、油断するのは禁物なのでしょう。ガソリンが20%値下げされても焼け石に水なのではないでしょうか。

今、同僚がオフィスまで行ったのですが、ポンドックインダのトイザラスは投石によりガラスが割れ、CD屋アクアリウスは全焼。モールは無事。チプタットのスーパーマクロも全焼。ファトマワティのパサールも焼けているところ多し。スーパーゴールデントゥルーリーもガラスが割れていたとのこと。ラジオダラムの銀行、車のショールームなどのガラスが割れていたそうです。

たかがスーパーやCD屋とはいえ、自分がよく通っていた場所が無くなってしまうというのは何とも言えない気持ちです。そこで働いていた人たちは今何を思っているのでしょうか。

今連絡があり、シンガポール行きの飛行機のチケットが手に入ったとのことでした。
オフィスのインドネシア人スタッフのうち何人かとも連絡がついたようで、みんな無事とのこと。
ただし、グロゴール近くに住むインドネシア人教師の人は昨晩も暴徒の襲撃があるとの噂が流れ、家から一歩も出られず、眠れなかったとのこと。海外には逃げられない中国系のインドネシア人の人の中にはいまだまったく安心できない状況のようです。彼女はつい先週から私たちのオフィスで働き始めたばかりです。

98/5/15 23:30PM

たくさん励ましのメールありがとうございます。
今日の夕方についに日本の本部の方から待避命令が来て、私と他の日本語教師、それから職員の人一部がシンガポールへ避難することになりました。おそらく時差を利用してアメリカの方で飛行機の予約をしたのだと思いますが、それでもやっと月曜日5/18の便。きっと空港は今頃大混雑なのでしょうね。
私がインターネットのニュースなどを使って知っただけでも、すでにアメリカ、タイ、オーストラリアが政府として避難勧告を出しています。日本の企業でも自主的に避難命令を出したところが多くあるようですね。しかしチケットを手に入れるのは非常に困難なようです。もちろん航空会社のオフィスは開きませんものね。
ガルーダはほとんど期待できないようです。
家の周辺の警備はRTを中心に進められて、昨日よりもさらに強固に、組織だってきました。さっきは三人のでっかい兄ちゃんがバットと傘(なんで?)を持って見回ってました。
家々には半旗が掲げられ、イスラム教徒がお祈りのときに地面に敷く布(なんていうんですか?)を家の前の塀などにかけている人もいます。

すでに200人以上の犠牲者が出ているとのこと、今後というか暴力沙汰がおさまってからもいったいどういうことになるのか心配です。

プラザインドネシアが鉄線で囲われていると聞いたのですが、本当でしょうか。

98/5/15 20:00PM

今日は一日家にこもっていました。テレビのニュースはほとんど役に立たないので、ひたすらインターネットで情報を集める形です。
午後二時頃にはRT(隣組のようなもの)の人が来て、この地域の警備についての話し合いがあるということで来ました。結果、この家のお手伝いさんタタン君が手には竹の棒を持ち、素朴な笑顔を浮かべながら見回りをしています。

今日は私の講座の学生に講座閉鎖についてのお知らせの電話をしたのですが、中国系の学生とプリブミ系の学生でかなり反応がちがいました
中国系の学生の中には、とても明るい学生だったのにとっても暗い声で電話に出る学生もいます。
何があったのか聞いてみると、家の前で焼き討ちがあり、また、お姉さんは家には帰れず会社の人の家にお世話になっているとのこと。普段の明るい姿を知っているだけによけい暗い気持ちになりました。
中華系の学生の中にはすでに家を離れてホテルに泊まっている人もいました。

ある学生はトリサクティ大学の向かいにあるチトラランドの近くに住んでいて、今日自転車で近くまで行ったそうです。すると数キロの道の間で四十台以上の車が焼かれているのを見たそうです。チトラランドの駐車場では十台以上の車が黒こげになっていたそうです。
また、彼の家の近くの家や商店では表に「プリブミ」と書いた紙を貼っているそうです。中にはメルセデスベンツに貼ってあるものや、中華料理店に貼られていることもあったそうです。

クラスの中では中華系の学生もプリブミ系の学生も同じクラスで日本語を勉強し、ゲームやディベートも同じグループになって同じように楽しくやっているのに・・・と思ってしまいます。


98/5/15 13:00PM

今日は金曜日で、イスラム教の聖なる金曜日なので、モスクには多くの人がお祈りに集まります。先ほど、私の家のある地区のRT(隣組みたいなものでしょうか)の人からお祈りのあとが非常に危険なので外出しないようにと連絡がありました。現在は避難先の同僚宅で待機しているところです。
ここにいる限り、今のところ平常です。しかしさすがに物売りも来なくなったし、午前中には軍のヘリコプターが何機も頭の上を飛んでいきました。

これまでの情報をまとめると

日本人が多く住むポンドックインダ地域

近くにあるポンドックインダモールは今のところ無事。朝の時点では赤い帽子をかぶった海兵隊員がトラック二台に十数人ずつ乗って駐車場に入っていったそうです。現在は通りごとにゲートがあるところは全てゲートを下ろし、RTを中心に男性が通りに出て、暴徒がやってくるのに備えているところです。
モールの隣にあるトイザラスは窓ガラスが割られ、中の商品が盗まれた模様。店の前には焼けた車が一台放置されていたそうです。また、その近くにあるアクアリウスというCD屋さんのビルも放火されたとのこと。これは実際に見てきた同僚の報告です。
私の職場の同僚はほとんどこの地域に住んでいるのですが、現在は二三人ごとにまとまって誰かの家にいる状況です。食べ物が五日分ほどしかないのが少々心配です。
しかし、周囲のインドネシア人は私から見る限りみんな集まって談笑して楽しそう?です。

パサールミング

実際に見てきた話によると、ここはひどい状況だったそうです。市場のあちこちから火が上がり、線路沿いのお店はほとんどが焼け、ロビンソンというショッピングセンターも暴徒が物を略奪した後。付近にはまだ群衆がたむろし、非常に殺気立っていたそうです。これは午前中の情報です。

パサールミスティック

ここはラジオダラムの近くですが、今日の午前中の時点ではまだ食べ物が手に入ったそうです。肉はなかったものの、野菜、果物など。しかし、店の人も早く帰りたがっていたそうなので今後どうなるのかは不明。

ブロックM

ここは午前中の時点で、すでに暴徒が集まり始めているという情報と、まだ何も起きていないという情報がありました。

チプタット

昨日のところにも書きましたが、ここはすでに暴徒が通過したとのこと。

グロゴール

ここは昨日の時点で、かなり焼き討ちに遭い、放火や略奪が相次いだそうです。
私の同僚のインドネシア人の先生はここの近くに住んでいるのですが、現在も周囲に暴徒がいて一歩も外に出られないとのこと。家々には中国系の住民に対するかなり過激な表現が道に書かれているとのことです。

さっきジャカルタの東部のショッピングセンターで百人以上の人が放火による火災の犠牲になったという記事が朝日コムに載っていました。これからどうなるのでしょうか。私もインターネットをつなぎっぱなしにして情報を集めています。

98/5/14

事態は悪くなるばかりです。今日は午前十時頃に出勤したのですが、オフィスの前のスディルマン通りを武装した警官を五十人ぐらい乗せたトラックが四台通過。タムリン通りが閉鎖されたとの情報。

そごうの辺りまで群衆が来ているという噂などもあり、オフィスにいるときは生きた心地がしませんでした。お昼ごろにはオフィスを閉めることが決定し、帰宅の準備。ふと外を見るとクラパガディンの方角で煙が上がっている。昨日はスマンギの交差点よりも北でしか大きな動きはなかったのでびっくり。

そういえば昨夜のその後ですが、グロゴールへ帰った職員の人はすでにその辺一帯で放火が行われていて家に帰れず、知り合いの家へ帰ったそうです。

今日も職員の人を送るためにチプタットへ。しかしチプタットのその職員の人の家の近くの通りにはものすごい人の数。暴動かと一瞬あせったのですが、本当の暴動はこれからここを通るところだとのこと、ものすごいスピードで走ってくる他の車に逆らってさらに南下。やっとここを曲がればその職員の人の家というところでふと遠くを見るとそこには群衆らしきたくさんの人。その人たちが暴動を起こしていた人たちなのかあるいは暴動がやってくるのを見張っていた人たちなのかはわかりませんでしたが、運転手さんも「ここを曲がればいいのか」と叫ぶし、職員の人は「どうしよう」と泣きそうだし、非常にこわかったです。

その後その職員の人の家の近くを暴漢たちが通り、ティモールに乗っている人はその場で引きずりおろし、その車に火をつけていたそうです。現在その群衆が私が住んでいるポンドックインダに向かっているという噂もあり、非常に不安です。噂で終わるといいのですが・・。

なんとか無事に帰ってきたものの、外務省から危険度2観光自粛が出てしまうし、テレビではスーパーや商店から物を略奪する人や車の窓ガラスを割ったり、車をひっくり返したりする人々の映像が繰り返し映されています。またジャカルタの日本人学校では帰れなくなった生徒たちが夕方の時点でまだ学校の構内に缶詰状態とのこと。

空港へ向かう車が止められ、金をせびられたり、逆に空港に到着した人は空港から出られないなど、いったいこれからどうなるのかわかりません。

とりあえず、家の前は今の時点で、いつものように物売りのお兄ちゃんが行き来しています。


98/5/13

ついに恐れていたことが起こったという感じでしょうか。
昨日ジャカルタのグロゴールにあるトリサクティ大学で警官隊が学生に発砲。6名の学生が亡くなりました。
学生達は構内でデモを行い、通りへ出ようとしましたが警官隊に阻止され、そこで座り込み。しばらくして学生達が学内へ戻ろうとしたところを警官隊に後ろから撃たれたそうです。
原因としては学生が紛れ込んでいた私服警官を殴っていたためと言われています。
私のオフィスのスタッフの人によると、警官隊はトリサクティ大学の前にある高速道路から一斉に構内の学生に向けて発砲したとのことです。(これは本当かどうかわかりませんが)

昨日のこの事件に抗議する形で追悼集会がトリサクティ大学で行われました。これにはメガワティ女史、アミンライス氏などの有力者が参加したそうです。午前十一時頃、会場のトリサクティ大学周辺で暴動が起きているとの一報が入りました。
その後、スマンギと呼ばれる交差点の近くにあるアトマジャヤ大学にも学生が集結。スマンギから北の道は封鎖されました。私のオフィスからはアトマジャヤ大学方面から煙が上がっているのが見えました。

私のオフィスの職員の人が空港へ行く用事があったのですが、途中トリサクティ大学周辺では三カ所ほど火事になっているところがあったそうです。トリサクティの前にあるチトラランドというショッピングモールには火がつけられ、ものが強奪されたとの話もスタッフの人から入ってきました。

午後三時ごろからは帰宅を急ぐ車と高速道路が閉鎖されたために一般道に流れたトラックとでジャカルタ中心部を南北につらぬくスディルマン通りは大渋滞。
オフィスの現地職員も四時頃までにおおかたの人が帰ってしまいました。

私の同僚が空港へ人を迎えにその後向かったのですが、スマンギ近辺を夕方四時に出発。七時の時点でまだ空港に着いていませんでした。スマンギから左折してガトットスプロット沿いに空港へ行く高速が閉鎖されていたので、アンチョール方面へ迂回したとのことですが、それにしても普段だったら、1時間ぐらいの道のりでしょうに・・。

UIの学生から聞いたのですが、明日5/14の10時ごろから学生による集会が予定されているとのことです。

以前から5/20に大規模な学生集会が行われるとの情報が流れていますが、このような事態になった以上、それ以前も学生によるデモは頻発するものと思われます。

トリサクティ大学近辺では朝日新聞によると今日5/13のデモでも1人が死亡したとのことですが、私の運転手さんによると7人死んだとのことでした。これはあんまり信用できないか・・。

とにかく今日はCNNつけっぱなしで、全然仕事が手に着きませんでした。今日の授業は中止。明日の授業も中止になりました。
これ以上犠牲者が広がらないことを祈ります。

メダンの北スマトラ大学でも明日5/14に大規模なデモが予定されているそうです。

98/4/24

一ヶ月も更新しませんでした。
ルピアもだいぶ値を戻してきて、物価も少し落ち着いてきたようです。ここ数週間は町中を見る限り、落ち着いてきたような感じです。しかし、学生運動はまだ続いているようで、まだまだでしょうか?

98/3/24

今日の授業で「変化を表す表現」を学んだ学生が作った例文から。

「ジャカルタでは仕事が減り、失業者が増えてきている。」
「フィスカル(出国税)が上がったので、みんな外国へ行かなくなりました。」
「物価が上がったので、私の家ではテンペを食べなくなりました。」
「紙の値段が上がったので、私はコピーをしないで、友達のノートを写すようになりました。」

ついでに「〜でさえ」の例文から。

「インドネシア人でさえもうインドネシアには住みたくないと思うのだから、日本人がインドネシアに住みたくないというのは無理もない。」

98/3/20

ずいぶん更新をさぼってしまったので、なんだか「最近のジャカルタ」という題名も嘘っぽくなってきてしまいましたが、久しぶりに更新します。
いよいよ大統領の七選が決まり、その内閣の任命の仕方からもIMFから要請されている改革を本気でやる気があるのだろうか?とみな不安に思っています。
ここ一週間の間にまたいろいろなものが値上がりました。といってもこの一ヶ月じわじわとあがっていたのですが。
私に一番身近なところでは、タバコが値上がりました。surya16というタバコは数ヶ月前は道の屋台で1500ルピアほどだったのですが、つい二週間ほど前までに1700まで上がっていました。四月からの増税でいったいいくらになるのだろうと思っていたら、大統領選が終わった直後に2000ルピア。その翌日には2500ルピアになってしまいました。
しかしこれも変なものでショッピングモールの中のスーパーでは相変わらず1700で売っています。売り惜しみだというのが、職場の人の意見ですが・・。
各地の大学等でデモが相次いでいるようですが、私の学生は比較的冷静です。
NHKの衛星放送にインドネシア大学のデモが映っても、あー、あたしも映ってるかしら〜って感じでした。
しかしながら、やはり中国系の学生などは本当は夜のクラスには来たくないんです・・という人もいました。

98/2/11

1/26から2/6まで日本に帰っていたので更新がずいぶん遅れました。
その間、スラバヤ近郊などの東ジャワ、ウジュンパンダン、フローレスなどで物価上昇が原因の暴動が起こるなどだいぶ雲行きが怪しくなってきました。
物価は平均して二倍になりました。
食用油が特にひどい状況で、三、四倍の値段、しかも並ばないと買えない。店に並ぶ数が限られているので列に並んでも売り切れることもある。
外国人が行くスーパーなどには輸入物が並んでいるようです。
このような物価の上昇はもうけを狙った売り惜しみの影響もあるようで、このため華人商店などが襲われているようです。
ただ今のところ地方の暴動も数十人単位のようです。
2/6には国軍がスナヤンで訓練。断食休暇明けの暴動を警戒した示威行動と言われています。
断食明け後が危ないというのは以前から言われていたのですが、今日2/11現在、暴動がジャカルタで起きたというのは聞いていません。
しかし日本人が多く住む地域であるポンドックインダのショッピングモールに爆破予告の電話があるなど不穏な動きはあるようです。
実際に暮らしていて目立った変化といえば、ジャカルタでは信号待ちしている車の前で歌を歌ってお金をもらっている人々、特に若い男の子が多いですが、このプガメンが異様に増えました。
やはり失業してこのようなことをせざるを得ない人が多く出てきているようです。経済の悪化で止まってしまった建築現場などから失業者が多く出ていると言われています。また、食べていけなくなった地方の人々がジャカルタに流入しているとも言われています。
今週から危機管理のため私のオフィスの日本人には全員携帯電話が配布されました。また日本語の授業中にはガードマンを入り口に置くことになりました。
しかしながらどこどこで商店が襲われたといった今起こっていることの断片の情報は手に入るものの、いったいこれからどんなことが起こるのか、どんなところが危ないのか、暴動などが実際に起きた場合にどうしたらいいのかといったことについては、あまり情報はなく、また誰に聞いてみても曖昧な答えしか返ってきません。
とりあえず携帯と500ドルの現金は持ち歩くようにしています。日本行きのオープンチケットは持っていても予約が入っていなければほとんど何の役にたたないとのことでした。
ルピアは1ドル8.000から9.500ぐらいの間で推移しているようです。

98/1/24

日本からの4億ドルの援助の発表、IMFの意向に沿った経済改革案の発表にも関わらずルピアはほとんど反応しませんでした。
23日お昼ごろ東京三菱銀行に行ったのですが、やっぱり1ドル=13.000ルピア。窓口には100人ぐらいの人が並んでいました。みなさんどんな目的で並んでいらしたのでしょうか。

98/1/20

スハルト大統領が七選を宣言したにも関わらず(宣言したから?)、ルピアはまた1ドル=10.000ルピアにまで下がってしまいました。なんだか何がいい情報なのかもうわかりません。
昨日、夜7時頃に職場を出たところスディルマン通りから南へ下る道が大渋滞。どの裏道も交差点ごとにすさまじい状況でした。どうもブロックM近辺が原因のようでした。
今日職場に来て聞いてみたところ、昨日ブロックMの屋台などの取り締まりがあり、それに反発した人たちが市の職員が乗っていた車を襲ったとのこと。
またそごう近くのビルで学生が作っていた爆弾が暴発しビルの天井が抜けたとも・・。
この爆弾騒ぎはブロックMであったという情報もあったのですが、この情報はどうも間違いのような気がしますが・・。というのも6時から8時頃まで同僚がブロックMで飲んでいたのですが、何も騒ぎはなかったし、運転手さんも何も言ってなかったとのことなので。
また、朝日新聞によるとおとといはまた学生のデモが国会であり、参加人数も200人と増え、要求もスハルト退陣だけでなく、メガワティ女史を大統領にとだんだんエスカレートしてきました。
イスラム教徒にとっての1年のうちの最大のお祭りである断食明けまでは過激な行動はないだろうというのが、こちらに長く住んでらっしゃる方の見方のようです。
じゃあ、断食が明けたらいったい何が起こるのでしょう・・?

98/1/17

ここ数日ルピアのレートは、1ドル=8.500前後で比較的落ち着き、周囲の人もスハルト大統領とIMFとの会談の結果を見守っているといった感じでした。
しかし、IMFとの会談の具体的な内容が伝わってくるにつれ、また少し動揺が広がっています。

ひとつの関心事は、インドネシアの経済の停滞の代償を誰が払うのかということでしょうが、大型プロジェクトの中止や食料品やタバコ、ガソリンに対する税金の値上げなどが発表されるにつれ、失業者が今よりもさらに増えるのではないか、今の生活は果たしてこのまま続けられるのだろうかといった動揺が広がっているようです。

3月の大統領選がどうなるのかということも大きな関心事であり、またそれが経済や社会に与える影響の大きさも皆よくわかっているようです。
ただし、インドネシアのメディアはメガワティの立候補宣言も学生のデモもほとんど黙殺しています。ジャカルタで起きていることなのに、私の周囲にもこれらの出来事を知らない人が多くいます。
しかし、経済改革の発表と与党ゴルカルによるスハルト大統領続投宣言だけで万事うまくいくと考えている人は少ないようで、逆に政府の発表や新聞やテレビニュースの伝えることに対して疑いの目を向ける人がますます増えているようです。

このような動揺は日本人社会にも広がっていて、さまざまな憶測やデマが飛び交っています。3月の大統領選でスハルト大統領が続投するのか、あるいは後継者を指名するのかがこれからの最も大きな関心事だと思いますが、大統領選の行方のみならず、インドネシアの人々や社会がどのような反応を示すのかも私にも、またおそらく周囲の日本人にも予想がつかないようです。

一部の新聞で米の値段が50パーセント上がったと報道されていましたが、私が見聞きした範囲ではせいぜい10〜20パーセントです。もし本当に50パーセントも上がったら、みんな黙ってはいないのでは・・・?



98/1/14までのジャカルタ

ルピア下落(98/1/14)

11月、12月とルピアはじわじわと下がっていたのですが、私が年末にバリへ行く直前に飛行機代を払いに旅行代理店へ行ったところ、6月ごろには30万ルピアぐらいだったのが、なんと65万ルピア!
ちなみに6月ごろは、1ドル=2.500ルピアぐらいだったと思います。1月の間に数回値段の上がった航空会社もあったようです。

年末にバリにいる間もあちこちのマネーチェンジャーを気にしていたのですが、6.000ルピア程度で持ち直したのかと思っていました。

ところが1/6前後からルピアは一気に下落。
1日1.000ルピア以上下がった日もあり、1/8にはついに1ドル=10.000ルピアを越えてしまいました。円に対してもルピアは下落し、6月には1円=25ルピア程度だったのが、この時は1円=70ルピアを越えていました。
円建てで給料をもらっている駐在員にとっては、物価の上昇率をレートが越えているので実質的に給料が増えたわけですが、これを喜ぶっていうのはちょっとねぇ・・。

物価(98/1/14)

物価の方は年末の時点で3ヶ月前より10〜15パーセント上昇といったところでしょうか。
物にもよりますが、今はさらに10パーセントほど上がっているようです。

売り惜しみもあちこちで起こってしまっているようで、買い占め騒ぎが起こった時点で、家族が商店を経営している人が、今売るのはやめて値が上がるのを待てと会社から家に電話するような光景も見られたようです。

今日1/14にはスラバヤ近郊で商店が襲われたようですが、ジャカルタでそのようなことが起こったというのは今のところ聞いていません。

買い占め騒動(98/1/14)

ルピアが10.000まで下がった直後に、ジャカルタを含めたインドネシアのあちこちの都市でスーパー等で米、油、砂糖などの買い占めが起こりました。

結局、今日1/14の時点でスーパーの棚には物があふれ、物がなくなるというのも大部分デマ、または早とちりだったようです。

なぜこのようなことが起きたのかについてはいろいろあるようですが、総合してみると、レバラン(断食明け)が近づき物の値段が上がる前にいろいろな物を買ってしまおうとする人とルピアの値下がりによる物価上昇を見越した人、それに米などがなくなるというデマを聞いた人、なんだかわからないけど買わないとまずいらしいと思った人が押し寄せたようです。

私も買い占め騒ぎが起こった次の日にお手伝いさんにとりあえず米だけ買いにいってもらったのですが(家には1合ぐらいしかお米が残っていなかったので・・)、近所のスーパーやショッピングモールにはまったくなかったそうです。しかもレジに2時間も並んだということでした。
ちなみにそこに残っていたカリフォルニア米には、1リットル35.000ルピアという値段がついていたそうです。私が普段食べていたお米は1リットル1.200ルピアです。

しかしその翌日、早朝にパサール(市場)に行ってもらうと、米は大量にあったそうです。

とにかく、たまたま通りかかったスーパーの前は路上駐車してまで買い物する人があふれ、ショッピングカートを手に入れるのにも一苦労という状態だったようです。

面白いのは、こういう買い占めが起こったのは最初はスーパーやショッピングモールなどの高級食料品店?だったこと。それから買い占め翌日にはスーパーよりも市場の方が値段が高いという現象が見られたことでした。

お金も教育も情報もある人たちからこの買い占め騒ぎが起こったということですかね?


今回に限りませんが、インドネシアは消費者が弱い国であり、飛んでもない値段をつける店はバリのおみやげ店だけではありません。

私の運転手さんは余った給料は銀の装飾品に替えて貯金しています。これはインドネシアの地方に行くと、小さな村にも貴金属店?があることからもわかるように、貧しい人たちにとってはポピュラーな貯金方法のようです。銀行がつぶれやすいというのもあるんでしょうか?

最近のルピアの値下がりでちょっと心配になり聞いてみたのですが、銀の値段は銀を買う場合の大幅に上がったのに対して、銀を売る場合の値段はルピア値下がり以前の価格に据え置かれているとのことでした。これはいくらなんでもあんまりひどいですよね。これでは暴動が起きるのは無理もないと思ったのですが、そんなことして客は怒らないの?と聞いてみたところ、困った顔をされてしまいました・・。

デマ(98/1/14)

日本だって石油ショックのときにはトイレットペーパー買い占めが起こりましたから、人の事は言えないのですが、この国ではデマがよく流れます。

スハルト夫人が亡くなったときはあれは息子が喧嘩をして打った拳銃の弾が当たって死んだんだとか、ジャカルタで地震が起きたときには夕方5時にもう一度地震が起きるらしい、シルクエアが落ちたときにはあれはテロだった、今回のルピア暴落では大統領が死んだ・・・私が聞いただけでこんなにあるのですから、何かある度にもっといろんなデマがきっと飛び交っているのでしょう。
地震が起きたときには実際かなりの企業が社員を5時前に退社させたりしたようです。私のオフィスのスタッフの人もマジに心配してました。

この国でデマが流れやすいのには、テレビや新聞などが政府の統制下にあるということが大きいのではないでしょうか。今回の買い占め騒ぎのときにはテレビのトップニュースではベトナムやタイから緊急に米が輸入されているというので、実際米は豊富に出回ったわけですが、このニュースの中で伝えられた米の価格は実際の市場の価格よりも20パーセント以上安いものだったそうです。

朝日新聞の報道によると、ここ数日大統領退陣を求める学生のデモがあったそうですが、私の周囲のインドネシア人でそのことを知っていた人はほとんど皆無でした。また知っていた人もデモの目的は経済改革を求めるものだったと聞いたとのことでした。

ルピアが1ドル=10.000ルピアを下回ったときもテレビで報道はされたものの、すぐに動物かなんかのニュースに変わってしまいました。

基本的にテレビのニュースで言われていることを真に受けている人はほとんどいないようです。

このように正確な情報が手に入りにくい状況では、自分のコネの中から引き出された情報がとても強い力を持ち、また情報に飢えた人たちには簡単にデマが広がっていくのではないのでしょうか。
でも実際、私などにはいったいどれが正しい情報なのかまったく判断がつきません・・。




ぼちぼちと書き加えます・・。


98.5.17更新

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