『終章:明日』 -5
あらかたティッシュで拭っておいて、俺は一条さんの手を引いた。 「あ…すみません。痛くなかったですか?」 左手を俺に預けたまま、一条さんは右手で左肩に触れる。
「痛くはないんだ。動かすのに、なにか鈍い感じがあるだけで…。
俺の手を握った左手に力を入れ、一条さんは立ち上がる。 シャワーの湯を出すのも、一条さんは左手でやっていた。 「一条さん…あまり無理しないでください。」 一条さんは笑って、俺に湯をかけ始める。 「雄介…そんなにかばってくれなくていいんだよ。」 「でも…」 濡れた手で、一条さんが俺の頬に触れる。 「俺が…死にかけたりしたから、怖くなった?」
そう…その通りだった。
「俺は…もう大丈夫だ。
一条さんは、いつでも俺の傷には敏感だった。 「…一条さんは過激だから、心配なんですよ〜」 「おまえに言われたくないな…。」 と、一条さんが笑う。 「他人の命を守る為に、一番過激だったのは、雄介じゃないか。」 「俺は、一条さんを守りたかったんですよ。」 「俺は、雄介を守りたかったんだ。」
しょうもないな、と俺たちは笑い合っていた。
「そうか…それで、よけいにお互い過激だったんだな。 「無理ですよ。」 「なにが?」
「惚れないでいるのは、不可能です。
俺は強引に決めつけて、笑った。 (一条さん…嬉しいよね…)
俺の決めつけを、一条さんも笑って聞いていた。 「でも…まぁ…しばらくはおとなしくしているから、安心してくれ。」 「はい。お願いしますよ〜」
一条さんは、またシャワーを使い始め、俺の腹から下半身に湯をかける。 「うわ…どろどろですね〜」
一条さんも苦笑している。 「おい…いい加減にしろ。」 「一日中、ベッドの中でもいいんでしょう?」
一条さんは口の端を歪めて笑い、立ち上がった。
一条さんの身体も派手に汚れている。 「雄介…入れるなよ…」 穏やかな表情のまま、一条さんが俺を見下ろして、笑いを含んで囁く。 「入れません…入れたいですけど…」
そう言いながら、俺は一条さんを見上げ、ただそこをそっと撫でていた。
「…雄介…もう…よせ… 「…はい…」
俺は指を離し、立ち上がる。 「…また後で続きをしましょうね…」 一条さんは気持ち良さそうに囁き返す。 「きっと…次はできるよ…雄介…」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨晩の鍋の残りにうどんを入れ、朝食にした。 「口に合わないですか?」
「いや、旨いよ、雄介…。
「じゃあ、夕飯は焼肉かなんかにしましょう! 一条さんは、可笑しそうな顔をする。 「雄介…本当にマメな男だな。」 俺は思いっきり、にかっと笑ってみせる。
「買い物に行きましょうか。
昨日よりも、また元気になっている一条さんだった。
「もちろん。
ああ、それから…見舞いに来てくれた警察の連中に、快気祝いを買わなければ。 「もちろん!」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなふうに…俺たちは出かけた。 「一条さん…」 「なんだ?」 「一条さんって普通に歩けるんだ。俺、パトカーを運転しているか、走っていくところしか見たことなかった…。」
俺を振り返る一条さんは、部屋の中でより、少しだけ引き締まった顔をしている。
「五代雄介も…こんな速度で歩ける、とは知らなかった。 「俺たち…のんびり歩くなんてことももなかったんですね〜」 「…一度だけ、深夜の街を歩いたな…」 「ああ…ブランコに乗っていたら、迎えに来てくれて…」 「だが、おまえは、もう死んでいるような顔をしていた…」 「…死ぬことだけを、考えていましたから…」
一条さんが、振り返って俺を見る。
クウガだった記憶、あいつらと闘った記憶が、今こそ過去になっていく…。 「一条さん…」 恋人が振り返る。 「手…繋いで歩きたいな、俺…。」 「雄介…。」 一条さんが笑う。ちょっと困った顔をしていた。
「だって…恋人たちはみんな、手を繋いだり肩組んだりしてるじゃないですか〜 俺は、必死な顔をしてみせる。 「あの時は、ポケットの中で手を繋がせてくれたじゃないですか〜」 一条さんは、ますます困った顔になった。 「しかし…それはな…雄介…」
あまり困らせるつもりはなかった。 「…わかってますよ、一条さん。」 「おまえ…今、俺で遊ばなかったか?」
俺はもう最高ににかにか笑った。 (俺…すごく甘やかしてもらってるんだな…) 俺…きっと最初から、すごく愛されてたんだね…一条さん…。
「あっ俺、またバイクを買おうかな〜 一条さんは、一瞬何かを思い出したような、不思議な表情になった。 「そうか…おまえはバイクに乗る雄介なんだな…?」 俺を見つめた。 「一条さん、なに?俺がバイクに乗ることは…」 「知っているよ、雄介。ごめん。」 一条さんが、さえぎって笑う。 「バイクに乗らない雄介の夢を見たんだ、おまえの留守の間に。」 「なんですか〜それ?てこてこ走って、未確認を追っかけてたんですか〜? なんか…それって、すごい間抜け…」
一条さんは笑って、空を見て…それっきり夢の話はしなかった。 少し歩いてから、一条さんはまたバイクの話題を続けた。
「雄介…俺は、タンデムは苦手だ。自分で転がしたほうがいい。
「あっじゃあ、二人でツーリング〜〜〜それもいいですね〜〜 一条さんがあきれる。 「おい…俺は、バイクを買うなら、じっくり考えて決めたいよ。」 「あっそれもいいですね〜」 俺は軽薄に同意して、また一条さんは、可笑しそうに俺を見る。
傷が癒えていく…。
「雄介…前から訊こうと思っていたんだが、 一条さんが不思議そうに首を傾げるので、今度は俺のほうが可笑しかった。
「親の遺産がいくらかあります。 「一年以上、海外にいる間は収入がなかっただろう?」
「どこに行っても、喰うことと寝る場所には、俺、あまり困ったことないんですよ。 「雄介…俺は、百年は待たないぞ…」 一条さんが、落ち着いた声で、優しくたしなめた。 「嘘です…。その前に、焦がれ死にしますよ…」
俺も静かに応えた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺たちは、池のある公園を横切っているところだった。 「ちょっと座りましょうよ。ね。」 ちょうど、ベンチがあったんだ。 「おい…買い物…。」
「いいじゃないですか。
一条さんは、俺のするままに並んでベンチに座り、空を見た。
静かに…生命力と自信が戻ってきていた。 それから…一条さんは、俺を見て、話した。
「…なぜだろう?俺は…雄介さえいれば、ひどく調子がいい。 「依存してください。俺も、離れられない…。」
一条さんは、俺を見つめ、生き生きと笑った。 「おまえにとっては…俺は何?」
根源に触れる質問を、軽く頭を傾げ、この人は尋ねる。
「憧れ、なんです。俺の全ての…。 一条さんは、手を伸ばして俺の髪に触れた。 「雄介…それではおまえはどこにも行けなくなってしまう…。」
「行かない…どこにも行きません…。
俺も一条さんの目を見つめ、囁いた。
「それは、駄目だ。雄介…。 「今は…行けません…。」
冷たい目が緩み、一条さんが笑う。
「まだ行かないでくれ。 「はい…。」
この人は…ちゃんと知っている。自分の傷も、俺の傷も…。
「おまえが治るまで、俺が治るまで…一緒にいよう。
俺は、頷いた。
「それからは、自分のことを考えてくれ…。 一条さんは苦笑していた。
「なんでも…思い付くままに、言ってください。 俺は笑い、一条さんも笑った。 「そうか…そうだな。」 それから、一条さんは少し黙り、言葉を探していた。
「…雄介…おまえが帰ってきたから、俺はまた走る。
そうか…この人はまた走っていく。 「俺…また一緒に行きたい…」 一条さんは首を振った。
「雄介…おまえの道は、もう違ってしまっている。 「一条さん…。」
俺をまた旅立たせるの? 「雄介…。 ああ、俺はどうして、こう不器用なのかな…」
一条さんが、また素早く俺の傷に気付く。
「旅がおまえの道ならば…と言ったんだ。
一条さんは、俯き、言葉を探しながら、真剣に話していた。
「一条さん…。
未確認との闘いが終わり、俺は傷ついて旅立った。 一条さんの静かな声が、今、俺の傷に触れ、癒そうとしていた…。
「俺は今、生きている…。 一条さんが顔を上げ、俺の横顔を見つめていた。
「俺にとっても、おまえは憧れだ。
俺は顔を上げて、爽やかな五月の大気を吸った。 「一条さん…」 「なに?雄介…?」
強く優しい俺の恋人が、俺の名を呼んでいた。 「俺…キスしたい…」
苦笑する気配がする。 「わかってくれた?雄介…?」 俺が見つめて頷くと、優しい唇が俺の頬をかすめた。
「続きは帰ってからだ…。 耳慣れた司令官の呼び声に、俺は反応する。 「はい。」
立ち上がった俺を見上げ、一条さんは笑った。 「元どおり、『五代』のほうがいいのかな?」 俺は首を振って、一条さんの手を引いた。
「クウガだった『五代』は、『雄介』になりました。
クウガになる前の俺、クウガだった時の俺、クウガではなくなってからの俺…。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゆっくり買い物をした。 「雄介…皿も買おう。ふたつ。」
スーパーを出たところで、一条さんが俺を振り返って言う。 「はい…すき焼きにも、おでんにも使えるのにしましょうね〜」 一条さんが笑って頷く。 「なんか…夢みたいですね…」 「そうだな…」
たかが皿を二枚買うことを、俺たち以上に嬉しく思う人は絶対いない、と思う。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ハンバーガーとコーヒーで昼飯にして。 「おい…荷物…」 「そのへんに置いて…」 「靴も脱いでない…」 「こっちが先です…」 「すき焼きは…」 「飢えてるなら、まず俺を…」 「雄介…おまえを喰うと腹が減るんだ…」 そんなじゃれ合いをしながら、また俺たちはくちづけ合っていた。 「やっぱり…公園よりいいです…キスできる…」 「だから、言っただろ…?」
昨日はまだ残っていた、病院の味はもうなかった。
「一条さん…一条さん…好き…大好き… 「雄介…自由に翔んで…自由に帰っておいで…」 そう言ってから、一条さんはまた笑う。
「ただ…連絡はしてくれ…
「はい…でも、俺、どこに行ってもすぐに帰って来そう… 「じゃあ…そばにいてくれ…おまえの望むままに…」
一条さんは、銀の透明な水で、俺の焦げ付いた心を洗っていた…。 「俺…あなたを信じます…。」 俺は一条さんを見つめて、言う。
「あなたは何も変わらないのに…俺は見失った…。
一条さんは、微笑む。
「信じてくれ。俺は、裏切らない…。
一条さんは、優しくそう言って、ずっと俺を見つめていた。
そして、目を上げた一条さんの瞳は…不思議な凶暴な色を宿していた。 「一条さん…左手…いたたた…」 「ふふ…雄介が欲しくて…どんどん治る…」 仰け反った俺の喉に、一条さんが噛みついてくる。 「腹が減った…喰わせてくれ…」 俺の喉を噛んだまま、右手は俺のTシャツの下に入り込み、肌をまさぐり始めている。 「あっ食いついたのは俺なのに…」 「…飢えてるなら、食えと言ったじゃないか…」 歯が首筋に移動していく。ぞくぞくした。 「…一条さん…髪、放して…」 「…いやだ…」 Tシャツの下の指は脇腹から胸に這い上がる。歯は耳を狙っているらしい。 「…一条さん…肉を冷蔵庫に…」 「…いやだ…おまえを食べることにした…」 「ひどい…俺が、食べる筈、だったのに…ああっ!!」
とうとう、壁に押し付けられて、耳を噛まれてしまった。
「…雄介だって…耳は弱いじゃないか…
舌でねぶられながら、耳許で囁かれる声がたまらない。 「い、ちじょ…さん…!」
俺は、片手にスーパーの袋を持ったまま、悶えた。 「ああ…そんなところに…つけないで…」 吸われる痛みが快感だった…。 「…雄介…美味しいよ…」
攻めに転じた一条さんは、めちゃくちゃに俺を挑発する。 「い…一条さん…許して…」 とうとうギブアップした。 「後で…ちゃんと食べさせてあげるから、髪、放して…」
俺の髪を掴んでいた指が緩み、そのまま腕が首に巻き付いて、一条さんは俺に頬を擦り寄せる。 「痛かった…?ごめん…でも、喰わせて…本当に…」
俺は、自由になった頭を巡らして、一条さんの頬に唇を押し当てる。 「今…?」
声がかすれてしまう…。 「信じる」という鍵の言葉は、俺を自由にして…同時に、一条さんも解き放った…。 一条さんは、苦しそうに眉を寄せて、目を細め、うっすら笑う。 「肉を…しまうまでなら…待ってやる…」
それでも、一条さんは、全身で俺に絡み付いたまま、離そうとしない。 「おまえ…好きだ…好きだ…とても…好きだ…欲しい…食いたい…」
顔を舐め回しながら、合間に絶え絶えに囁く。
まだ片手に持っていたスーパーの袋を離し、思いきり抱きしめて、誘う唇をむさぼる。そうしながら、スニーカーを脱ぎ捨てた。一条さんもなんとかして、靴を脱いでしまったらしい。からまり合いながら、ベッドへと向かう。くちづけ合いながら、引きむしるようにシャツを脱がし合っていた。 「駄目だよ…俺が食う…食わせて…」 |