『第10章:夢』 -3


         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 春。未確認生命体対策本部が解散になり、俺は長野に戻って来た。
 元通り、長野県警に勤めていた。いつか五代に話したように、普通の空き巣やかっぱらいを追う日々が、また戻って来ていた。
 俺は…変わりはないつもりだった。だが、何かが変わってしまっていた。胸に穴があいているような…奇妙な感覚がある。俺は、時々うわの空になる。職務は忠実にこなしたが、熱中できなかった。身体に力が入らない。他人が映画の中で動いているように、自分を感じることがある。生命力の源を断たれてしまったように、世界は平たく見えた。
 俺は、よく空を見た。特に…晴れて、青く空が澄む時は。

 ある休日に、思い付いて家具屋に寄り、セミダブルのベッドを買った。

(やはり…俺は、待っている…)

 今までのシングルベッドを引き取ってもらい、マンションの部屋に置いた大きなベッドに寝転がって、俺は笑っていた。

(これで、どちらかが落ちる心配をしなくてすむ…)

 その時は、僅かに楽しく、世界が色を持った。

 長野に帰ってからは、五代を殺す夢、五代が死ぬ夢はあまり見なくなった。
 だが、相変わらず五代は帰らず、何の連絡もなかった。
 俺の日々は、現実感を失っていく。
 胸の空洞は、広がっているような気がする。
 俺は、またわからなくなる。

 あれは、夢だったのか…?
 出会ったことも、夢だったのか…?
 それとも、とっくに五代は死んでしまったから、俺は忘れてしまったのか…?
 やはり、俺が殺してしまったのか…?どうだったか…?
 俺もとっくに死んでいて、これは誰かの夢ではないのか…?

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 五代は、バックパックを背負い、道を歩いている。
 農村…なのだろうか。ところどころに、民家がある。
 五代は後ろ姿で、どんな表情なのかは、見えない。

 子供の泣き声がした。五代が道を逸れて、泣き声のほうに歩いていく。
 小さな女の子が泣いていた。泥まみれの顔を泥まみれの手でこすりながら。
 汚れた水たまりに落としてしまった粗末なビニール人形を見つめて泣いていた。

 五代が身軽に、女の子のそばにしゃがみこむ。
 何か話しかけて、頭を撫でた。
 水たまりから人形を救い出し、袖で拭う。
 それから、泥だらけになってしまった人形の服を脱がし、自分の首に巻いていたバンダナをはずして、簡単な服の形に巻き付けてやる。
 差し出すと、子供は、涙と泥で汚れた顔で笑った。
 その頭をもう一度撫でて、五代は立ち上がる。
 去ろうとして、子供を振り返り、笑った。

 五代は、笑っていた…。

 五代は、元の道に戻り、まだ微笑の残る瞳で、空を見る。

 五代…五代…よかったな…
 笑顔を取り戻したんだな…

 だが、俺の声は届かない。

 青い青い、五代が好きな空なのに…
 しばらく見上げていた五代は、なぜか、寂しい表情になった。

 五代は、俯いてまた歩き出し、遠離っていった。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 五代が旅立って、半年程経った頃。
 本庁から、俺宛ての絵葉書が一通、回送されてきた。五代からの便りだった。
 ざらざらした紙に印刷された、草原と馬の絵。文章は簡単だった。

 オレは元気です! 五代雄介

 その横に、またサムズアップのイラストがあった。今度は、涙の書き込みはなく、イラストの顔は笑っていた。

 そうか…五代…元気なんだな?
 そして…もう笑えるんだな?

 俺は久しぶりに、晴れ晴れと笑った。
 会議室の窓から、真夏の青い空が見えた。
 その空を俺は見上げ、発言していた警視の言葉を聞き逃した。

(…五代…帰ってくるだろう?)

 やはり、待っている自分を思い知る。
 自由に旅をさせてやりたい、と望みながらも。
 俺は、五代に会いたかった。
 とても、会いたかった…。
 これは…モンゴルからだろうか?五代は、住所を書いていない。
 追っていきたい心が湧き上がり、俺は唇を噛む。

(待っていれば…もうすぐに、五代は帰る…)

 俺は、また窓の外の青空を見てしまった。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「一条さん…いい?」

 五代が、静かに訊いている。
 俺の上になり、いつものように頭を抱き込んでくれていた。
 乱れた俺の髪が気になるのか、丁寧に掻き上げる。

「いいよ…五代、は?」

「俺も…とても…」

 笑った五代が、くちづけてくれた。
 俺も笑って、受け止める。
 唇で浅く探った後に、顔を傾け、深く重ねてくる。
 柔らかく舌が絡んだ。乾いた俺は、唾液も欲しくて、顎を上げてねだる。
 優しい瞳で見つめながら、五代がくれる。

 やっぱり、おまえがいい。
 おまえだけが、おまえだけが、俺にはいい。
 おまえだけを、俺は好きだ。

 手を伸ばして、五代の身体を抱いた。
 暖かく、しなやかな身体。大好きな、おまえの身体。
 筋肉を包む滑らかな肌を、俺は愛しみ、撫でる。
 思わずきつく抱き寄せようとするけれど、五代はいつものように体重をかけ過ぎないようにしてくれていて、少しもの足りない。
 五代は唇を離し、俺の髪を梳きながら、見つめている。
 あなたが好きだよ…とても好き…と、素直な眼差しが俺に語る。

 俺も…おまえが好きだ。とても好きだ…。

「五代…いつ、帰った?」

 ふと気付いて、俺は訊く。
 五代の瞳が見開かれ、何の冗談を言うのか?…と、笑う。
 笑顔に、俺は見とれていた。

 そうか…とっくにおまえは笑えるのだっけ。
 もう…泣いていないんだな…。よかった…。

「俺ですか?どこにも行ってませんよ。
 ほら、ここにいるでしょう?」

 五代がいたずらっぽく言って、身体を進めるので、俺は喘ぐ。
 いつの間にか、俺の身体は五代を呑んでいた。
 深く深く、五代の屹立が身体にくい込んでいる。俺の身体に埋め込まれている。
 五代と俺は、今、ひとつだ。

「ああ…久しぶりだ…。」

「そうですね〜。俺、ずっとしたかった…。」

「俺も…だ。」

 俺は手を伸ばして、五代を抱く。
 頬を擦り寄せた。五代の匂いがする。

「一条さん…好きですよ。」

「俺も…雄介…好きだよ。」

 五代も、俺を抱きしめる。
 優しく、強く、俺を抱く。

 五代…五代…雄介…
 よかった…帰ってくれて…
 どこにも行っていないと、さっき言っていたけれど…

 おまえは確か、今はいないんだ…

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「雄介…?」

 返事がない…

「五代…?」

 目を開けた。
 うす暗い早朝。
 俺は、一人だった。

(なぜ?今まで抱かれていたのに…)

 俺は、混乱する。

(どこに行った?五代…?)

 抱きしめた肌のぬくもりが掌に残っている。
 唇も指も髪も、五代を覚えている。
 笑顔を見ることができた喜びも、抱き合える幸福も、俺には残っている。
 埋め込まれた屹立の感触さえ、まだ俺を喘がせる。

 だが…俺は一人だった。
 五代は…いない。

 俺は、勃起していた。
 後門も濡れている。
 どうしようもなく…俺は、股間に手を伸ばし、自分を握る。

(目覚めて辛いだけの夢を…なぜ、俺は見る?)

 さんざん五代に抱かれ、馴らされてしまった俺の身体は、時々発情する。
 しかたなく俺は、自分で慰める。
 今も、とても鎮まりそうもなかった。

 五代がしてくれたように、最初は優しく触れてみる。
 五代がしてくれるのだと、俺は思い込もうとする。
 だが、俺の手は、決して五代の代わりにはならなくて。
 じきに俺は苛立ち、ただ強引に自分を追い上げる。

「くっ…」

 快感が、苦しい。
 俺の自慰は、いつも虚しく、ひどく速かった。
 後門には、俺は決して触れなかった。
 五代以外の誰の手も…自分の手さえも、そこを開かせる気はなかった。

(五代…帰って来ないと、また俺は閉じてしまうぞ…)

 また、馴らすのに五代は苦労するだろう。
 そう思うと僅かに楽しく…俺は喘いだ。

(そろそろ、帰ってくれ…
 おまえも、抱きたいだろう…?)

「五代…ごだい…ゆ、うすけ…」

(俺の…身体に、夢中だっただろう?
 そろそろ、帰れ…俺も、欲しい…)

 もう…じきに帰る、また五代の腕に抱かれる…と俺は思い、嬉しくなって、あっけなく達した。

 すぐに帰る、と俺は思っていた。
 だが、五代は帰って来なかった。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「薫さん、3番に城崎様がお見えですよ。
 今、雄介さんがお相手していますけど。」

 控室のカーテンが揺れ、妙に媚びを含んだ声で、裕之が俺を呼ぶ。
 俺は、煙草を揉み消して、立ち上がった。

「ああ…今、行く。」

「すごいですよね、城崎様ったら、もう一週間通いっぱなしで。
 やっぱり、No1なんですよね、薫さん。
 次郎さんに負けないでくださいね、俺、ヘルプしますから。」

「別に、負けても勝ってもどうでもいい。」

 手に触れようとする裕之を突き放す。
 このべたべたした優男が、俺は死ぬ程嫌いだった。
 だが、裕之は、死ぬ程好き…という目で、俺を追う。

「執着がないんですよね。
 そこが、またかっこいいなぁ、薫さんは。」

 相手にしていられないので、ビロードの厚いカーテンの外…店内に出た。
 高級ぶった豪華な装飾の店内。靴が沈み込む絨毯。薄暗い照明が浮かぶテーブル。酒の匂い。男と女の嬌声。性欲の香り。
 俺は、この商売も、この店も、死ぬ程嫌いだった。

 そして、死ぬ程嫌いな客が、俺を呼んでいる。

「薫さ〜ん、こっちこっち!」

 俺は、ゆっくり歩いて近付く。
 城崎麗子のわざとらしい呼び声に、店内が一瞬静まり、女たちの視線が身体に絡まる。囁き声が煩わしい。

「う〜ん、もう、薫さんったら、私が来てるのに何してたの?」

 回りの注目を集め、俺を席に呼び寄せた麗子は上機嫌で、かん高い声を出す。厚化粧の目がぱたぱたと秋波を送り、どぎついマニキュアの指で、俺の頬に触れる。
 一瞬、鳥肌が立った。

「煙草を吸っていた。」

 俺は、客に媚びないことにしている。それでも、客は喜び、金を落としていく。
 まったく、女どもはイカれている。

「ああ〜ひど〜い…薫さんったら、冷たいんですもん〜」

 また周囲に聞かせる為の嬌声を張り上げて、麗子は俺の腕にしがみつく。
 振払いたい気持ちを、抑えなければならなかった。
 俺は、どんどん女が嫌いになっている。この商売も、もう長いことはできそうにない。

「薫さん、何かいただきますか?」

 横から、何気ない口調で、雄介が助けてくれた。
 俺は、雄介に感謝の眼差しを送る。雄介が僅かに頷く。

「何か、高いものを飲んでぇ、薫さん?いいでしょ?麗子が御馳走するから。」

「じゃあ、いつものジンを。」

「ああっ駄目よ、ジンなんか…ブランデーが似合うのに、薫さんには!」

「ブランデーは好きじゃない。」

 俺のそっけない返答を、雄介がはらはらしているのがわかる。

「どうして…麗子は、こんな冷たい人が好きになっちゃったのかしら…」

 己に酔った女がうっとりと、俺の頬を撫でる。
 金で買った恋愛に泥酔か…馬鹿馬鹿しくて、俺はうっすら笑った。

「じゃあ、麗子さんが飲んだらどうですか?
 いいブランデー、入ったそうですよ。俺でよかったら、おつきあいしますし…」

 雄介が、いつものように柔らかくフォローしていた。
 女は、まだ恨みがましい目で俺を見る。

「そうねぇ、雄介くんも可愛いし…一緒に飲んでもらおうかしら。
 あたし、今日は酔っ払いたい気分なの…。」

「じゃあ、俺たちが酔わせてあげますよ…。」

 雄介がすかさず殺し文句を囁き、控えていたボーイに目で合図する。
 こうやって、俺がNo1という地位にいるのは、雄介がサポートして稼いでくれるからだ、と俺は知っていた。

「雄介くんって…ほんと、可愛い〜〜。」

 麗子は、俺のほうをちらちら見ながら、雄介の頬に唇を寄せて、赤い口紅をなすりつけた。
 俺は表情を変えなかったが、僅かに苛々する。麗子は、俺の反応を楽しむように、雄介の頬を指でなぞった。
 雄介も、俺の顔色を伺っている。

「雄介…酒を持っておいで。」

 俺は、優しく言った。

「はい。」

 素直な雄介は、すぐに立ち上がる。

「…ねぇ、妬いたの?妬いたんでしょ?」

 愚かな女が擦り寄ってきた。
 俺は、ただ微笑み、女を見つめる。目が腐りそうだが、このくらいのことはしないと、商売にならない。

「雄介くんと一緒に暮らしてるって、ほんと?ねぇ…」

 俺は手を上げて、女の顎を捉える。握り潰してしまいたい衝動を堪え、少し上げさせて、俺は口紅を塗りたくった煩い唇を口で封じる。

「う…ん…麗子も好き?ねぇ…」

 女がうっとりと縋ってきた。口を拭いたかったが、我慢した。

「両方好きかな…」

 嘘を紡ぐことも、だいぶ上手くなった。

「ひどい…麗子はこんなに尽くしているのに…」

 冗談じゃない。俺に尽くしてくれているのは、雄介だけだ。おまえは只の、金を落とす牝の豚だ。そして、その豚を見つめたり、口説いたり、くちづけたりしている俺は…さて、何かな…?

「ねぇ…また、何か買ってあげる。煙草を吸うなら、ライターは?金より、プラチナのほうが、薫さんには似合うわね。探すわ…ねぇ…プレゼントさせて?」

「ライターは持っているから要らないな…」

 もう、だるい。

「じゃあ、何がいいの?麗子のうちはお金持ちなのよ。何でも買ってあげる。」

 雄介が、酒を持ったボーイと一緒に戻って来た。

「ああ、じゃあ、雄介にバイクを…。」

 俺は、ふと思い付いて言った。ブランデーのボトルを開け、グラスに注ぎわけようとしていた雄介が、顔を上げて俺を見る。

「雄介…オフロードタイプがいいのか?
 自分のは、いつか教会で燃やしてしまったきりだろう?買ってもらえ。」

「薫さん、俺、バイクなんて…」

 僅かに困惑した表情で、雄介は曖昧に笑った。
 俺は自分のジンを取り上げ、乾杯もせずに煽る。喉を焼く冷たい熱さに、堕ちる楽しみを味わう。

「…麗子は、薫さんに買ってあげたいのよ。」

 横の女が、真剣に怒り始めていた。
 俺は少し笑い、一層女を怒らせた。

「…雄介くんのほうが、可愛いのね?そうなのね?」

「確かに、そんな顔をするあなたよりは、雄介のほうが可愛いな…」

 ついつい、火に油を注いでしまった。
 女は真っ青になった。

「…ふぅ〜ん、あなたたちって、ホモなんだ、そうなんでしょ?
 男同士で、キスしたりとか、いやらしいこと、いっぱいしてるのよね。」

「麗子さん、そんなことないですよ。」

 雄介が取りなそうとする。

「見せてよ。あたしの前で、キスしてみせて。
 あたしは客よ。お金を払えば、やってくれるわよね。
 ほら。これでどう?」

 女は醜い顔で、狂っていた。声が大きくなり、店内の注目が集まるのを知って、芝居気たっぷりに、バッグから万札の束を取り出した。

「百万あるわ。キスひとつで、いい稼ぎじゃない?
 そのかわり、うんと濃いのをやってちょうだい。さぁ。」

 俺は、うんざりした。

「お望みなら。」

 皮肉を込めて応える。

「薫さん…」

 止めようとする雄介を、俺は呼ぶ。

「雄介…おいで。麗子さんのリクエストだ。
 ああ、ついでに他の皆さんにも見てもらうといい。」

「薫さん、俺はいやだ…」

「薫さんと雄介くんの濡れ場なら、私もお金出すわ。」

 雄介の弱々しい抵抗の声を掻き消して、他のテーブルの女の声が響いた。

「私も出そうかな。前から、いいなと思ってたのよ!」

 店内にうわついた興奮が広がっていく。
 まったく、女どもはイカれている…と、俺は思う。

「店長、よろしいですか?」

 こう騒ぎが拡大してしまったら、許可を取り、商売にしてしまうほうがよかろう。
 あの守銭奴が、否と言う筈はないのだが。

「あ…。では〜みなさん!
 これから、うちのNo1の薫さんとNo3の雄介さんが、濃厚なキスシーンを見せてくれるそうです!
 御覧になりたい方は、こちらに見物料をば、よろしくお願いしまぁす!」

 ほら…店長まで、イカれていやがる。
 手際よく回し始めたシルクハットに、札が投げ込まれていた。

「あたしが言い出したんですからね!ここでしてちょうだい!」

 いつの間にか、怒っていた筈の麗子まで、興奮して叫んでいる。
 この世界は…まったくイカれている…。

「薫さん、俺はいやだ…」

 雄介だけが、青ざめて立ちつくしていた。

「雄介…少しだけだ。我慢してくれ。」

 俺は穏やかに囁き、微笑んだ。俺の微笑を、雄介は苦しそうに見つめる。
 金は出尽くしたらしい。テーブルの周りに、人だかりができ始めていた。

「雄介…おいで…」

 俺は優しく誘い、雄介の手を引く。
 雄介は、よろめくように、俺の横に座った。
 ゆっくり手を伸ばして、雄介の癖のある髪に差し込む。梳きながら、こちらを向かせた。
 それだけでも、周囲からざわめきが起こる。
 イカれている…俺も。

「雄介…愛しているよ…」

 周りには聞こえないように、瞳を見つめながら囁き、俺はゆっくりくちづけた。
 観念した雄介が、目を閉じる。
 最初は軽く唇だけで触れ、それから、舌で辿った。
 雄介が縋ってくるのを抱いて、次第に深くくちづける。

 女どものため息が聞こえる。麗子の目も皿のようになっているだろう。

 いつものように、俺は急がずに、ゆっくりと雄介を味わっていた。
 柔らかく粘膜をすり合わせ、舌で歯茎をなぞり、舌を探して引き出し、からめる。

 なにせ大金がかかっているからな…と、俺は思う。
 雄介を少し蕩かして、ギャラリーを満足させなければ、収まりがつかないだろう。

 深くくちづけながら、雄介の髪を掻き上げた。
 首の後ろに指を差し込み、うなじを撫で上げながら髪を梳く。雄介が喘ぎ、俺の背に腕を回してくる。

(そうだ…雄介…もっと溶けろ…)

 充分むさぼった後、俺は静かに唇を離した。
 雄介が、うるんだ目で俺を睨む。怒りながら、欲情していた。
 俺は、見つめて微笑んでやった。
 それから、頬にくちづける。唇でずっと辿り、上げさせた顎をなぞり、首筋に辿り着いた。
 片手で雄介のネクタイを緩め、ドレスシャツのボタンを外しながら、首筋を吸う。
 もう一方の手は、雄介の後ろ髪を掴み、僅かに仰け反らした。
 雄介は、これが感じる。そして、見栄えもいい筈だ…。

「…あ…ぅ…」

 耐えられず、雄介が小さな声を上げていた。俺の背に回した指が、背広を握る。
 ギャラリーがざわめき、息を呑む。

(雄介…いいぞ…)

 よく見えるように髪を掻き上げて耳を露出させ、わざと歯を剥いて、ゆっくり耳朶を噛む。
 雄介は、またうめき…俺もいくらか発情してきた。

「雄介…可愛い…」

 耳に吹き込むように囁き、舌で触れると、雄介は暴れた。

「薫さん!…い…や…!」

 いい感じだ…。
 俺は、逃れようとする身体を抱き込んで、さらに強く噛んだ。

「ああっ!」

 雄介は、まるで達したような声を出した。
 俺は、緩めかけていたネクタイの結び目をさらに押し下げ、シャツの2番目のボタンも外し、雄介の綺麗な肩まで剥こうとした。

「薫さん…やめて…」

 雄介の哀しい声に、俺は顔を上げる。
 俺を見つめる瞳が、揺れかける。

(いけない…おまえを苦しめるつもりはなかった…)

 俺は、剥いてしまった首筋にひとつキスを落とし、襟を閉じてやった。
 冷たい表情をつくり、顔を上げた。

「こんなところで…いかがです?」

 凍りついていたような、静寂が解ける。
 見物人の吐息が漏れる。

「ああ〜…すてき…」 「あたし…濡れちゃったわ…」

 囁きが交錯して、やがてそれぞれの席に散っていく。
 下衆な…イカれた、俺の世界。
 死ぬまで、呪ってやる…。

 雄介は、俯いてシャツを直し、そのまま席を立った。控室のカーテンの陰に消えていくのを、俺は振り返って見届ける。

「ねぇ…次は、もっと見たいわ。麗子、感じちゃった…」

 ああ…まだ、この女がいたのか。
 瞳を情慾でうるませて、俺の腕に縋ってきた。

「最後まで…やるところを見せて。ねぇ…いくら出せばいい?」

 最低な気分で、俺は笑った。

「本番まで見たいなら、一千万ぐらいは用意していただきましょうか。」

「いいわよ…いいわよ…ねぇ、薫さんが攻めるのね?雄介くんがウケなのね?」

 露悪の衝動に駆られ、俺は唇を歪める。

「どちらでも。」

 麗子が息を呑む。

「…すてき。どっちもして。ねぇ…麗子に見せて?」

 もうたくさんだった。
 戻って来ない雄介が、気になった。
 俺は、席を立つ。

「ちょっと…失礼。」

 急ぎ足で、控室のカーテンをくぐった。

 雄介は、自分のロッカーの前に立ち、着替えていた。

「雄介…どうした?」

 俺の声に、振り返り、唇を噛む。

「俺は…もう、辞めます。
 薫さんのマンションの荷物も、まとめます。」

「雄介…すまなかった。
 だが、商売じゃないか。怒らないでくれ。」

 近寄り、触れようとする俺の指を、雄介は振り払う。

「さわらないで、ください。
 あなたは…俺を、見せ物にしたんだ…。」

「雄介…」

「俺は…『雄介』じゃない!俺の名は光司だ!」

 雄介が、俺を睨み、いきなり怒鳴る。
 何を言い出したのか…俺にはわからない。

「雄介…何、を…?」

「あなたは…狂ってる。
 俺は光司だ…知っている筈だ。
 それなのに、あなたは俺を『雄介』と呼ぶ。
 あなたが呼びたがるから…俺は、それでもいい、と思ってた。
 でも…あなたは…俺を、その人と重ねて…俺を見ない…。」

「雄介…違う…俺は、おまえだけを見ている…」

 混乱が…幻惑が…目眩が…やって来る。
 雄介は…こんな顔をしていたか…?
 僅かに、違うような気がしてくる…。

「薫さん、俺はバイクに乗る趣味はないんだ…」

「だって…おまえは…」

 クウガになって、BTCSを駆っていく姿…
 あれは、おまえではなかったか…?

「俺を!その雄介さんと間違えているんだよ!あなたは!
 狂ってる!病気なんだ!」

 そこで、雄介は、表情を和らげた。
 悲しい、優しい微笑で、俺を見る。

「可哀想に…薫さん…。
 雄介さん、を愛していたんだね。
 そして、別れたか…なくしてしまった。
 あなたは、悲しくて、狂ってしまったんだ。
 こんなに冷たく、残酷な人になってしまった…。」

 これは…雄介ではない…?  これは…誰だ…?  雄介…雄介…俺の雄介は、何処だ…?

「俺…もう、雄介さんの代わりになるの、やめます。
 いつかは、俺を愛してくれるか…と思っていた。
 でも…そんなのは、夢だ。無理だと…わかった。
 さようなら…薫さん。」

 雄介が、別れを告げていた。

「いやだ…行かないでくれ。
 おまえがいないと、生きていけない…。」

 俺は、突っ立ったまま、呟く。

「雄介…死なないでくれ…。」

 何度も繰り返した言葉を、俺の口は囁く。
 雄介…いや、光司は、哀しそうに俺を見る。

「雄介さんは…亡くなってしまった、の?」

 いや…雄介は、死んでいない。
 ここに、いる…。

「…死んでいない…おまえが、雄介じゃないか。
 ここにいる、だろう?」

 雄介は、静かに泣いていた。

「俺…あなたを愛していますよ。
 あなただけを、愛しています…。
 でも、あなたはそうじゃない。
 あなたは、死んでしまった雄介さんだけを愛してる。
 俺には、届かない。
 俺…辛いんです。
 苦しくて…あなたを憎んでしまいそう…。
 ごめんなさい…一条さん…もう、そばにいてあげられない…。」

 雄介の手が伸びて、俺の頭を引き寄せる。

「さようなら、一条さん。
 俺は愛したけれど、あなたは愛してはくれなかった…。」

 雄介は、俺にくちづけた。
 最初は軽く、それから深くくちづけた。
 俺を抱きしめて…。

 俺も抱く。雄介に縋る。
 雄介…いやだ…行かないでくれ。
 俺を置いて、逝かないでくれ。
 死なないでくれ。

 雄介…

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