『第10章:夢』 -3
春。未確認生命体対策本部が解散になり、俺は長野に戻って来た。 ある休日に、思い付いて家具屋に寄り、セミダブルのベッドを買った。 (やはり…俺は、待っている…) 今までのシングルベッドを引き取ってもらい、マンションの部屋に置いた大きなベッドに寝転がって、俺は笑っていた。 (これで、どちらかが落ちる心配をしなくてすむ…) その時は、僅かに楽しく、世界が色を持った。
長野に帰ってからは、五代を殺す夢、五代が死ぬ夢はあまり見なくなった。
あれは、夢だったのか…? ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五代は、バックパックを背負い、道を歩いている。
子供の泣き声がした。五代が道を逸れて、泣き声のほうに歩いていく。
五代が身軽に、女の子のそばにしゃがみこむ。 五代は、笑っていた…。 五代は、元の道に戻り、まだ微笑の残る瞳で、空を見る。
五代…五代…よかったな… だが、俺の声は届かない。
青い青い、五代が好きな空なのに… 五代は、俯いてまた歩き出し、遠離っていった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五代が旅立って、半年程経った頃。 オレは元気です! 五代雄介 その横に、またサムズアップのイラストがあった。今度は、涙の書き込みはなく、イラストの顔は笑っていた。
そうか…五代…元気なんだな?
俺は久しぶりに、晴れ晴れと笑った。 (…五代…帰ってくるだろう?)
やはり、待っている自分を思い知る。 (待っていれば…もうすぐに、五代は帰る…) 俺は、また窓の外の青空を見てしまった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「一条さん…いい?」
五代が、静かに訊いている。 「いいよ…五代、は?」 「俺も…とても…」
笑った五代が、くちづけてくれた。
やっぱり、おまえがいい。
手を伸ばして、五代の身体を抱いた。 俺も…おまえが好きだ。とても好きだ…。 「五代…いつ、帰った?」
ふと気付いて、俺は訊く。
そうか…とっくにおまえは笑えるのだっけ。
「俺ですか?どこにも行ってませんよ。
五代がいたずらっぽく言って、身体を進めるので、俺は喘ぐ。 「ああ…久しぶりだ…。」 「そうですね〜。俺、ずっとしたかった…。」 「俺も…だ。」
俺は手を伸ばして、五代を抱く。 「一条さん…好きですよ。」 「俺も…雄介…好きだよ。」
五代も、俺を抱きしめる。
五代…五代…雄介… おまえは確か、今はいないんだ… ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「雄介…?」 返事がない… 「五代…?」
目を開けた。 (なぜ?今まで抱かれていたのに…) 俺は、混乱する。 (どこに行った?五代…?)
抱きしめた肌のぬくもりが掌に残っている。
だが…俺は一人だった。
俺は、勃起していた。 (目覚めて辛いだけの夢を…なぜ、俺は見る?)
さんざん五代に抱かれ、馴らされてしまった俺の身体は、時々発情する。
五代がしてくれたように、最初は優しく触れてみる。 「くっ…」
快感が、苦しい。 (五代…帰って来ないと、また俺は閉じてしまうぞ…)
また、馴らすのに五代は苦労するだろう。
(そろそろ、帰ってくれ… 「五代…ごだい…ゆ、うすけ…」
(俺の…身体に、夢中だっただろう? もう…じきに帰る、また五代の腕に抱かれる…と俺は思い、嬉しくなって、あっけなく達した。
すぐに帰る、と俺は思っていた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「薫さん、3番に城崎様がお見えですよ。
控室のカーテンが揺れ、妙に媚びを含んだ声で、裕之が俺を呼ぶ。 「ああ…今、行く。」
「すごいですよね、城崎様ったら、もう一週間通いっぱなしで。 「別に、負けても勝ってもどうでもいい。」
手に触れようとする裕之を突き放す。
「執着がないんですよね。
相手にしていられないので、ビロードの厚いカーテンの外…店内に出た。 そして、死ぬ程嫌いな客が、俺を呼んでいる。 「薫さ〜ん、こっちこっち!」
俺は、ゆっくり歩いて近付く。 「う〜ん、もう、薫さんったら、私が来てるのに何してたの?」
回りの注目を集め、俺を席に呼び寄せた麗子は上機嫌で、かん高い声を出す。厚化粧の目がぱたぱたと秋波を送り、どぎついマニキュアの指で、俺の頬に触れる。 「煙草を吸っていた。」
俺は、客に媚びないことにしている。それでも、客は喜び、金を落としていく。 「ああ〜ひど〜い…薫さんったら、冷たいんですもん〜」
また周囲に聞かせる為の嬌声を張り上げて、麗子は俺の腕にしがみつく。 「薫さん、何かいただきますか?」
横から、何気ない口調で、雄介が助けてくれた。 「何か、高いものを飲んでぇ、薫さん?いいでしょ?麗子が御馳走するから。」 「じゃあ、いつものジンを。」 「ああっ駄目よ、ジンなんか…ブランデーが似合うのに、薫さんには!」 「ブランデーは好きじゃない。」 俺のそっけない返答を、雄介がはらはらしているのがわかる。 「どうして…麗子は、こんな冷たい人が好きになっちゃったのかしら…」
己に酔った女がうっとりと、俺の頬を撫でる。
「じゃあ、麗子さんが飲んだらどうですか?
雄介が、いつものように柔らかくフォローしていた。
「そうねぇ、雄介くんも可愛いし…一緒に飲んでもらおうかしら。 「じゃあ、俺たちが酔わせてあげますよ…。」
雄介がすかさず殺し文句を囁き、控えていたボーイに目で合図する。 「雄介くんって…ほんと、可愛い〜〜。」
麗子は、俺のほうをちらちら見ながら、雄介の頬に唇を寄せて、赤い口紅をなすりつけた。 「雄介…酒を持っておいで。」 俺は、優しく言った。 「はい。」 素直な雄介は、すぐに立ち上がる。 「…ねぇ、妬いたの?妬いたんでしょ?」
愚かな女が擦り寄ってきた。 「雄介くんと一緒に暮らしてるって、ほんと?ねぇ…」 俺は手を上げて、女の顎を捉える。握り潰してしまいたい衝動を堪え、少し上げさせて、俺は口紅を塗りたくった煩い唇を口で封じる。 「う…ん…麗子も好き?ねぇ…」 女がうっとりと縋ってきた。口を拭いたかったが、我慢した。 「両方好きかな…」 嘘を紡ぐことも、だいぶ上手くなった。 「ひどい…麗子はこんなに尽くしているのに…」 冗談じゃない。俺に尽くしてくれているのは、雄介だけだ。おまえは只の、金を落とす牝の豚だ。そして、その豚を見つめたり、口説いたり、くちづけたりしている俺は…さて、何かな…? 「ねぇ…また、何か買ってあげる。煙草を吸うなら、ライターは?金より、プラチナのほうが、薫さんには似合うわね。探すわ…ねぇ…プレゼントさせて?」 「ライターは持っているから要らないな…」 もう、だるい。 「じゃあ、何がいいの?麗子のうちはお金持ちなのよ。何でも買ってあげる。」 雄介が、酒を持ったボーイと一緒に戻って来た。 「ああ、じゃあ、雄介にバイクを…。」 俺は、ふと思い付いて言った。ブランデーのボトルを開け、グラスに注ぎわけようとしていた雄介が、顔を上げて俺を見る。
「雄介…オフロードタイプがいいのか? 「薫さん、俺、バイクなんて…」
僅かに困惑した表情で、雄介は曖昧に笑った。 「…麗子は、薫さんに買ってあげたいのよ。」
横の女が、真剣に怒り始めていた。 「…雄介くんのほうが、可愛いのね?そうなのね?」 「確かに、そんな顔をするあなたよりは、雄介のほうが可愛いな…」
ついつい、火に油を注いでしまった。
「…ふぅ〜ん、あなたたちって、ホモなんだ、そうなんでしょ? 「麗子さん、そんなことないですよ。」 雄介が取りなそうとする。
「見せてよ。あたしの前で、キスしてみせて。 女は醜い顔で、狂っていた。声が大きくなり、店内の注目が集まるのを知って、芝居気たっぷりに、バッグから万札の束を取り出した。
「百万あるわ。キスひとつで、いい稼ぎじゃない? 俺は、うんざりした。 「お望みなら。」 皮肉を込めて応える。 「薫さん…」 止めようとする雄介を、俺は呼ぶ。
「雄介…おいで。麗子さんのリクエストだ。 「薫さん、俺はいやだ…」 「薫さんと雄介くんの濡れ場なら、私もお金出すわ。」 雄介の弱々しい抵抗の声を掻き消して、他のテーブルの女の声が響いた。 「私も出そうかな。前から、いいなと思ってたのよ!」
店内にうわついた興奮が広がっていく。 「店長、よろしいですか?」
こう騒ぎが拡大してしまったら、許可を取り、商売にしてしまうほうがよかろう。
「あ…。では〜みなさん!
ほら…店長まで、イカれていやがる。 「あたしが言い出したんですからね!ここでしてちょうだい!」
いつの間にか、怒っていた筈の麗子まで、興奮して叫んでいる。 「薫さん、俺はいやだ…」 雄介だけが、青ざめて立ちつくしていた。 「雄介…少しだけだ。我慢してくれ。」
俺は穏やかに囁き、微笑んだ。俺の微笑を、雄介は苦しそうに見つめる。 「雄介…おいで…」
俺は優しく誘い、雄介の手を引く。 「雄介…愛しているよ…」
周りには聞こえないように、瞳を見つめながら囁き、俺はゆっくりくちづけた。 女どものため息が聞こえる。麗子の目も皿のようになっているだろう。
いつものように、俺は急がずに、ゆっくりと雄介を味わっていた。
なにせ大金がかかっているからな…と、俺は思う。
深くくちづけながら、雄介の髪を掻き上げた。 (そうだ…雄介…もっと溶けろ…)
充分むさぼった後、俺は静かに唇を離した。 「…あ…ぅ…」
耐えられず、雄介が小さな声を上げていた。俺の背に回した指が、背広を握る。 (雄介…いいぞ…)
よく見えるように髪を掻き上げて耳を露出させ、わざと歯を剥いて、ゆっくり耳朶を噛む。 「雄介…可愛い…」 耳に吹き込むように囁き、舌で触れると、雄介は暴れた。 「薫さん!…い…や…!」
いい感じだ…。 「ああっ!」
雄介は、まるで達したような声を出した。 「薫さん…やめて…」
雄介の哀しい声に、俺は顔を上げる。 (いけない…おまえを苦しめるつもりはなかった…)
俺は、剥いてしまった首筋にひとつキスを落とし、襟を閉じてやった。 「こんなところで…いかがです?」
凍りついていたような、静寂が解ける。 「ああ〜…すてき…」 「あたし…濡れちゃったわ…」
囁きが交錯して、やがてそれぞれの席に散っていく。 雄介は、俯いてシャツを直し、そのまま席を立った。控室のカーテンの陰に消えていくのを、俺は振り返って見届ける。 「ねぇ…次は、もっと見たいわ。麗子、感じちゃった…」
ああ…まだ、この女がいたのか。 「最後まで…やるところを見せて。ねぇ…いくら出せばいい?」 最低な気分で、俺は笑った。 「本番まで見たいなら、一千万ぐらいは用意していただきましょうか。」 「いいわよ…いいわよ…ねぇ、薫さんが攻めるのね?雄介くんがウケなのね?」 露悪の衝動に駆られ、俺は唇を歪める。 「どちらでも。」 麗子が息を呑む。 「…すてき。どっちもして。ねぇ…麗子に見せて?」
もうたくさんだった。 「ちょっと…失礼。」 急ぎ足で、控室のカーテンをくぐった。 雄介は、自分のロッカーの前に立ち、着替えていた。 「雄介…どうした?」 俺の声に、振り返り、唇を噛む。
「俺は…もう、辞めます。
「雄介…すまなかった。 近寄り、触れようとする俺の指を、雄介は振り払う。
「さわらないで、ください。 「雄介…」 「俺は…『雄介』じゃない!俺の名は光司だ!」
雄介が、俺を睨み、いきなり怒鳴る。 「雄介…何、を…?」
「あなたは…狂ってる。 「雄介…違う…俺は、おまえだけを見ている…」
混乱が…幻惑が…目眩が…やって来る。 「薫さん、俺はバイクに乗る趣味はないんだ…」 「だって…おまえは…」
クウガになって、BTCSを駆っていく姿…
「俺を!その雄介さんと間違えているんだよ!あなたは!
そこで、雄介は、表情を和らげた。
「可哀想に…薫さん…。 これは…雄介ではない…? これは…誰だ…? 雄介…雄介…俺の雄介は、何処だ…?
「俺…もう、雄介さんの代わりになるの、やめます。 雄介が、別れを告げていた。
「いやだ…行かないでくれ。 俺は、突っ立ったまま、呟く。 「雄介…死なないでくれ…。」
何度も繰り返した言葉を、俺の口は囁く。 「雄介さんは…亡くなってしまった、の?」
いや…雄介は、死んでいない。
「…死んでいない…おまえが、雄介じゃないか。 雄介は、静かに泣いていた。
「俺…あなたを愛していますよ。 雄介の手が伸びて、俺の頭を引き寄せる。
「さようなら、一条さん。
雄介は、俺にくちづけた。
俺も抱く。雄介に縋る。 雄介… |