『第10章:夢(2001年2月10日〜2002年4月15日)』 -1


 五代は旅立っていった。
 俺は、一人で東京に戻り、未確認生命体第4号、と呼ばれていたクウガの消失について、極秘の報告書を提出した。
 未確認生命体は、0号で本当に最後だったらしい。あれ以来、異形の化物は出現しなかった。
 未確認生命体対策本部は、しばらくは事後処理や報道対策に追われたが、4月には解散することに決まった。
 俺は、果てもない書類の山と格闘しながら、身辺整理を進めていた。本部が解散したら、俺は長野県警に戻ることになっていた。

 俺は、毎晩遅く、自分のマンションに帰った。
 そして、一人で眠った。

 俺は、よく夢を見た…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「五代…五代〜〜〜っ!!」

 俺は、絶叫していた…。

 長野…九郎ケ岳…あの因縁の遺跡前の雪原に。
 ふたつの横たわった姿が見える。
 ひとつの身体は、未確認生命体第0号。
 そして、もうひとつの身体が…五代雄介。
 吹雪だった。
 俺は走った。前へ、前へ…五代の元へ。
 俺は近付いていった。

 ふたつとも怪人体だった。
 どちらも倒れたまま動かない。
 動かない身体を、もう雪が隠し始めていた。

 俺は神経断裂弾の詰まった銃を抜き、まず、白い姿…0号に近付く。
 銃を構え、いつでも撃てるようにしながら、うつぶせに倒れている0号の身体を蹴った。0号は重く、ほとんど動かない。
 俺は今度は脚に力を込めて、0号を仰向けに返す。0号は無気味な装飾で覆われていた。
 俺はその腹の石のある部分に向けて、撃ち込みたかった弾丸を、3発発射した。
 僅かにその身体が跳ね上がったように思えたが、0号は動かなかった。
 俺は注意しながら0号に触れ、生体反応を確かめた。0号は完全に死んでいる…と、俺は判断した。

 それから…俺は、黒い姿に向かって歩く。
 黒いクウガは、倒れたまま動かない。
 俺の愛した五代雄介だとは、到底思えない姿…だが、これが五代だった。

(五代…死んでしまったのか…)

 覚悟はしていた筈だ。
 だが、…俺はまだ信じようとしていた。五代は死なない…。
 一筋の光はある、と五代は昨晩言った。
 信じてくれ、と俺に笑った。

(五代…死なないで、くれ…)

 黒いクウガも俯せに倒れていた。
 俺はその肩を手で起こし、仰向けに返そうとした。

 その時。クウガは動いた。
 雪の地に両手を突いて、身体を起こそうとする。

「五代!」

(生きている…五代は生きている…)

 吹雪の為に、凍りそうになっていた俺の身体に、血が巡り始めたような気がする。
 俺は、歓喜して、恋人の名を呼んだ。
 クウガは膝をつき、そして立ち上がった。俺の前に立つ。
 漆黒の目が俺を見ていた。

「…リントの戦士か…」

(…違う!これは…『凄まじき戦士』だ…!)

 俺は、銃を構え直す。
 殺さなければ、いけない。
 五代は…もう、どこにもいない。
 これは…0号さえ殺した化物だ…。

(五代…!五代…!)

 だが、俺は、撃てなかった。
 どこかに、まだ望む心が残っていた。
 優しい恋人に還ってくれ…と、俺は願い、銃は揺れた。

 黒いクウガは、ゆっくりと右手を上げ始めた。

(…焼かれる…!)

 それでも、まだ俺は撃てなかった。

(五代…五代…五代…)

 どうしようもなく、心が愛しい名を呼ぶ。
 五代がいないなら、もうどうでもいい…。
 俺は焼かれて死に、世界は焼かれて滅び、それでどこがいけない…?
 俺は、投げやりな自暴自棄に捕われ始めた。

 黒いクウガの手が止まった。

「一条さん、撃って…はやく…」

 クウガは言った。

「五代!」

 クウガの手を止め、俺に今語りかけたのは五代雄介なのだ、と俺は知る。
 まだ…五代は残っている。この身体の中に。

「はやく!撃って!殺して!もう止めていられない!」

 クウガが泣くように叫んでいた。
 右手が…またじりじりと上がっていた。
 俺は、魅入られたように、それを見ていた。

「…五代…」

 …俺は…撃てない…おまえを殺せない…

「…一条さん………はやく……」

 五代の声は囁きになっていく。
 黒いクウガの中で、五代だった部分が滅ぼされていく。

(五代…行かないでくれ…)

「……はやく……俺を…殺して……」

 最後に、五代はきれぎれに囁いた。
 次の瞬間、クウガの中の五代が殺されるのを、俺は感じた。
 悲鳴を上げて、五代は消滅した。

「ふ…愚かな…愛、などと…」

 黒いクウガはつぶやき、右掌を俺に向けた。

 俺は、銃を上げ、トリガーを絞った。
 1発目が、至近距離のクウガの腹に食い込む手応えを感じた時、俺の身体は発火した。
 2発目を撃った時、俺の眼球も燃えた。
 3発目も撃ったつもりだが。

 俺は、死んだ。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 俺は、高い木の梢に座っていた。
 相変わらず、雪が降っている。だが、俺は寒さを感じなかった。
 見回すと、俺には身体がなかった。

 下に…俺の身体が見える。
 黒く焦げて、煙と蒸気を上げる死体になって、俺の身体は雪原にころがっていた。
 そのそばに…黒いクウガが見える。
 黒いクウガは、また倒れていた。
 だが、死んではいない。のろのろともがいていた。
 クウガは一度立ち上がった。
 そして、しばらく立っていた後に、ゆっくり倒れた。
 もう、動かなかった。

 俺の座る梢の横の空に、何者かの存在を感じて、俺は振り向く。
 何も見えない。
 だが、五代がそこに来たことを、俺は感じる。

「一条さん…?」

 五代は、細い声で話しかけてきた。

「五代…」

 俺は、応える。

「一条さん、死んじゃったの…?」

「そうらしいな…」

「そう…俺も、死んだよ…」

「そうだな…」

 俺たちは、もう生の世界には興味がなく、何の為に死んだのかも知らなかった。
 ただ、俺はとても悲しくて、泣きたい…と、ふと思った。
 俺たちには、もう時もなかったけれど、しばらくそこにいた。
 倒れている三つの身体を見下ろしていた。

「一条さん、じゃあ…俺、行くね。」

 やがて、五代は言う。

「五代…何処へ?」

「みんなが、待っているから…」

 五代を迎えに、大勢が近付いてくるのがわかる。
 あれは…人ではなく…あれは、確か…敵、だった筈のものだ。

「あれは…いけない…五代…」

「なぜ?俺の仲間だよ…?」

「行かないで…俺のそばにいてくれ…」

「なぜ?」

「俺は…おまえを、愛しているから…」

 見えない五代がくすくす笑う。

「愛?俺たちは…そんなものは知らないよ…」

「五代…」

「それは、誰?俺は…クウガだ」

「行かないでくれ…」

「じゃあね、リントの戦士…」

 そして、五代は仲間たちと合流し、ひとつになって彼方に去った。

 俺は、ずっと梢に座り、三つの身体を見つめていた。
 五代だった身体も、俺だった身体も、敵のものだった身体も、白い雪に消されていく。
 俺は、見つめていた。
 俺には、もう空白しかない。
 だが…悲しい、とまた思った。
 そして、永遠にこの場所にとどまるだろう己を知った。
 俺を、迎えに来てくれるものは、もういなかった。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 身体の芯まで凍てついて、俺は目を覚ます。

 

 五代を殺す夢は、毎夜のように見た。
 俺は、長いこと、深く怖れてきたから。
 未確認はもういない。事件は終ったのに、俺の身体には怖れが染み付いてしまっていた。
 五代が生き延びて旅立ったことはわかっているのに、夢から覚めて、いつも俺は混乱する。
 本当に殺さなかったか…?
 五代は本当に生きて旅立ったのか…?

「五代…」

 俺は、声を出して呼ぶ。
 だが、応えはなかった。
 五代の匂いが残っていそうなこのベッドで、俺は一人だった。

 起き上がってみれば、部屋のどこにでも五代の面影がある。
 ベッドの脇にうずくまっているような気がする。
 キッチンからひょいと顔を出しそうな気がする。
 面影はあるのに、俺は一人だった。

「五代…」

 笑顔は…見つけられたか…?
 まだ、きっと無理だな…?
 俺は、助けられなかった…。

 手を上げて、首にかけていたクウガのペンダントヘッドに触れる。
 これを俺に残し、五代は旅立った。
 大丈夫だ。これが証拠だ。
 俺は、五代を殺していない。
 五代は生きて…笑顔を探しに旅に出た…。

 すでに俺の体温で暖まっている銀のヘッドを、俺は握る。
 そのまま、再び横になる。
 五代がしてくれていたように、空いている手で自分の肩を抱く。

「五代…」

 おまえの笑顔が見たい…。
 青空の下で、笑うおまえが見たい…。
 俺の、雄介…今、何処にいる…?

 俺は、目を閉じる。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 どこかの海辺にいる五代が見えた。
 明るい空…抜けるような青空だ。
 砂浜に、五代は座っている。
 膝を抱えて、俯いている。

 五代…綺麗な空だ。見上げてごらん…?
 そして、笑ってくれ…笑ってくれ、五代…

 だが、五代は泣いていた。
 足許の砂に、五代の涙が落ちて、吸い込まれていく。
 静かに微動もせずに、五代は泣き続ける。

 肩を…抱きたい…
 抱きしめてやりたい…

 五代のそばに行こうとして、近付けない自分を、俺は知る。

 そうか、これは夢だから…
 そして、俺は五代を助けられなかったから…
 俺がいては、五代は泣くばかりだから…

 おまえを助けたいのに…俺には助けられない…
 もう、こんなに遠くて…抱きしめることもできない…

 悲しむ五代の背を、為す術もなく見つめながら。
 俺は、より深い、夢もない眠りの底に落ちる。

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