『第9章:鎮魂』 -2


         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 そう…俺はクウガだった。
 遺跡から発掘されたベルトをつけたら、おなかに吸い込まれて…俺はクウガになった。
 それで…たくさんの化物と闘ったんだっけ。
 そうだ…一条さんと一緒に。トライチェイサーとビートチェイサーに乗って。ゴウラムも一緒に。
 それから、桜子さんや、ひかりさんや、杉田さん、桜井さんたちと一緒に。
 たくさん、たくさん…俺は殺した。
 …殺さなければならなかったから。
 闘っている途中で、俺は一条さんを好きになって…一条さんの部屋に押し掛けて…一条さんを、抱いた。
 やつらはどんどん強くなっていって…俺も強くなるしかなくて…やるしかなくて…
 一条さんは、一条さんも、俺のことを愛してるって言ってくれて…
 それから…

 あいつと闘った。

「五代…?五代!?」

 一条さんが俺を呼んでいた。
 あの時にも呼んでいたんだっけ?
 俺のことを…一条さんは…
 あいつと闘った…あの時。

「…一条さん、あいつ…どうしました?」

「…死んだ、よ。」

 一条さんにはすぐわかったみたいだった。応えてくれた声は静かだった。

「おまえが、殺した。
 五代…終わったんだ…。」

「…終わった…?」

「そうだ。
 もう…終わったんだよ、五代。」

 俺は拳を握ってみた。もう慣れてしまっていたアマダムの気配を、身体の中に探した。
 …ない。アマダムは、もうなかった。
 拳に力が入らない。俺が求めれば、俺を暖め、力をくれていた存在が、消えてしまっていた。
 急に歳を取り、弱くなってしまったような気がする。
 絶えず張り詰めていた充実と緊張がなくなってしまっていた。
 俺はからっぽだった…。

「アマダムは…?」

「あいつに…壊されたようだ。
 五代は、もう普通の人間だよ…。」

 一条さんは立って、障子を開けてくれた。
 ガラス戸の外には、縁側があって、乱雑に草が生い茂った庭があって、野菜なんかも植えてあるみたいだった。その向こうには木々が風に揺れていてた。
 林のまた向こうの空は…青かった。

「青空が戻って来た…。
 五代…おまえが取り戻してくれた、青空だ…。」

 俺は、青い空を見ていた。
 力が入らない腕を頑張って、なんとかもう一度自力で上半身を起こし、空を見た。
 抜けるように、どこまでも、空が青い。
 俺は、青空に見とれて…

 それから、わぁっと涙が出てきた。
 青い空に浮かぶ、白い気持ちよさそうな雲に、あいつ…0号の笑顔がだぶる。
 笑っていた…笑っていた…あいつは…とても楽しそうに…
 黒いクウガだった俺と…等しかったあいつ…
 俺を…愛してさえいたあいつ…
 笑って笑って、俺を殺そうとしていたあいつ…
 あいつに…ほとんど等しかった俺…黒いクウガ…
 ぼろぼろ涙がこぼれてしまう。止められない。

 怖い…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 突然、五代は涙を流していた。凍りついたように震えながら、とめどなく涙が零れ落ちていく。
 急いで障子を閉め、起き上がっていた五代を抱きしめた。
 青空を見せたら、五代は喜ぶか、と単純に思っていた己に腹が立った。

「こわい…こわい…」

 泣きながら五代は、うわ言のように呟いていた。

「五代…もういない…もうあいつらはいないんだ…
 終わったんだ…
 おまえはもう、クウガじゃない…」

 何を言ったらいいのか、俺にはわからなかったが、言葉はなんでもいいのだ、と信じて応える。
 人の腕の暖かさ、案じてくれる声のぬくもりの力を、俺に教えたのは五代だったから。
 俺は五代を抱きしめ、髪を撫で、背中を擦りながら、囁き続けた。

「もういいんだ…終わったんだよ…
 青空を…おまえの好きな青空を…おまえは取り戻したんだ…
 笑ってくれ…五代…おまえはもう、クウガじゃない…」

「クウガ、じゃない…?」

 腕の中の五代が、奇妙な声で呟く。
 抱いていた腕を解き、五代の顔を覗き込んだ。
 五代の顔は歪み、笑っているようなのに、目からは涙が溢れ出ていた。

「俺はクウガ、でした…。
 笑って俺を殺そうとしていた…あいつと…同じもの、でした。
 俺は…かきあつめて…みんなの笑顔…優しさ…一条さん…
 そして…真っ白になって…俺は…あいつと…殺し合った…
 だけど、あいつも笑っていた…優しく…
 真っ黒いあいつが…真っ白な微笑みで…
 あいつは…俺と…同じだった…」

「同じじゃない、五代…
 おまえは、みんなの為に闘ってくれたんじゃないか…
 おまえは、負けなかった…おまえは、自分にも勝ったんだ…」

 もう、何がなぐさめになるのか、俺にはわからなかった。どう言えば、五代を癒せるのか、俺にはわからなかった。
 果てもなく闘い続けてきた五代の糸は、ぷっつりと切れていた。
 五代の身体の中には、もう傷を癒してくれたあの石はなく、五代の傷は深かった。
 椿にも、俺にも届かないところで、五代は傷ついていた。

「…怖い…」

 やがて、五代は俺に縋りついて、また泣く。
 俺は五代を抱いたまま、横になった。五代の身体はずいぶん冷えてしまった。もう石はない。風邪だってひくだろう。俺は布団をかけ直し、五代を抱きしめて途方に暮れる。

 まだ回復しきっていない五代は、すぐに泣き疲れ、眠った。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 翌日。五代は起き出して、パジャマを脱ぎ、用意しておいたトレーナーに着替えた。
 すぐに疲れるようだが、俺の手を借りようとはしない。五代の身体は順調に回復していた。

「一条さん、俺、腹が減りました〜〜。」

 素直に訴えてくる。もともと素直な五代は、今は俺に素直に頼っていた。
 椿に頼んで来てもらっていた看護婦は、帰ってもらった。
 母屋からもらってきた飯を、俺は粥に炊き直した。あまり上手にはできなかった。固いところと柔らかいところが混じっている粥と梅干しと味噌汁を、五代はかっこんだ。

「俺…もうちょっとボリュームがあるものを食いたいみたいです…。」

 情けなさそうに、空の茶碗を見つめるので、俺は可笑しくなって笑った。

「病み上がりだから、粥がいいんじゃないか、と思ったんだがな…」

 五代が俺をちらっと見て、笑った。
 …と思ったら、五代の目に、涙が溢れていく。うつむいて泣く五代の涙を、茶碗が受けた。

「俺…俺の涙腺、壊れちゃったみたいで…」

 俺は座卓を回り込んで、五代を抱いた。
 もう、抱いてやるぐらいしか、俺のできることはない。

 生命を奪うことを強く嫌悪しながら。
 クウガである自分を深く悲しみながら。
 五代は闘い続け、殺し尽くした。
 今、その代償はすべて五代自身に還って行く…。

「俺…もう笑顔になれない、のかな…」

「いつか…また、笑える…きっと…」

 俺の声も詰まってしまう。

 俺の太陽が、壊れてしまった…。
 優しく、暖かい、一番大切な部分に深い傷を負って…。
 俺には治せない。
 抱いていることしか、できない。
 抱いていても…壊れていく。

(助けてくれ…誰か…。)

 抱きしめる俺に、五代が縋って来る。

「…一条さん…そばに…いて…ください…」

 俺は五代の背を撫でながら応える。

「俺は、ここにいるよ…五代…」

 おまえが望むなら、俺はそばにいる。
 おまえを抱いて、守ってやれる。
 だが…俺にはおまえを助けられない…。
 あの時は、助けられたのにな…五代…。

 こんなに助けたいのに…俺には何もできない…。
 今のおまえの為に…俺は何ができるのか…。

「…こわい…こわい…」

 五代の指が俺のシャツを掴み、五代の涙が俺のシャツを濡らしていく。

「俺は…たくさん…殺してしまった…
 俺は…もう…笑えない…」

「五代…みんなの笑顔を守ろうとして…
 五代…おまえが笑顔をなくしてしまったら…
 みんなが悲しむ…俺も悲しむ…」

「でも…一条さん…俺、もう笑顔になれない…
 どうやって、笑顔になるのか…わからない…」

「じゃあ…いっぱい泣くといい…
 五代…可哀想に…」

 五代は、声をあげて泣いた。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 俺は、ずっと泣いていた。
 きっと涙腺が壊れてしまったんだね。
 一条さんは、ずっとそばにいてくれた。申し訳ないとは思ってた。
 でも、怖くて…。
 一条さんと何日か一緒に暮らしているうちに、時々ちょっと可笑しなことがあって、俺は笑いたくなって…けれど、その度に、あいつの笑顔を思い出してしまう。
 そして、ぼろぼろ涙が出てしまうので、一条さんに抱かれて、俺はずっと泣いていた。
 目の玉がとろけるぐらい、泣いたと思う。
 それでも、またすぐ涙が出た。

 何日めだったか…よくわからないけれど。
 俺はずいぶん動けるようになっていて。
 家の廻りを、二人で散歩した。
 その日も青空で…でも、俺は少しうつむいて歩いた。
 まだ少しふらついていたし…青空を見るのは、怖かった。また泣いてしまいそうで。
 足元に気をつけながら、聞いてみた。

「…一条さん…ここはどこ、なんですか?」

 俺に寄り添うように歩く一条さんが、応えてくれた。

「長野の山の中だ。農家に頼んで、使っていない離れを貸してもらった…」

 その農家のおかみさんが、毎日、御飯を届けてくれた。
 優しそうなおかみさんだった。陽に焼けた顔に、笑顔が素敵だった。
 いつもは一条さんが食事を受け取るんだけど…俺がたまたま出た時があった。

「あれ…具合が悪いって聞いてたけど…起きてもいいのかね?」

 おかみさんが俺を見て、心配そうに言った。俺は、心の中でサムズアップして…ほら、だって、知らない人はびっくりしちゃうだろうから…心の中で。
 で、俺は笑って答えようとしたんだ。「大丈夫です!」って。
 だけど…笑おうとしたら、俺は笑えなかった。また、涙がこみ上がってきてしまう。
 で、あわててうつむいて、小さな声で御礼を言って…一条さんが来てくれたから、俺はすぐに奥に入ってしまった。
 そんな自分が情けなくて、俺はまた泣いた。
 一条さんは、いつものように俺を抱いていてくれた…。

 俺はだんだん普通に動けるようになって、食事もたくさん食べられるようになった。
 それまでは、顔や身体を拭いてもらっていたのだけれど、何日めだったか…一条さんは風呂を湧かしてくれた。
 古い民家なんだけれど…ここは。トイレとか、お風呂とかは、わりと新しいのが付け足してある。この前亡くなってしまったおばあちゃんが、暮らしていたんだって。
 で、俺は風呂をもらったんだけれど。
 一条さんは、俺が風呂で倒れないか、心配だったんだと思う。自分も裸になって、一緒に入って、俺の身体を洗ってくれた。
 今では、だんだん自分でできるようになったけど、その頃はまだすぐに疲れてしまって、自分ではうまく洗えなかったんだ。
 一条さんは、俺の全身を丁寧に洗ってくれた。そう、あそこもね。
 でも…俺はまるで反応しなかった。
 こんな…ね。信じられないよ。大好きな一条さんが裸で、一緒にお風呂に入っていて、あそこに石鹸つけて洗ってくれてるのに…。
 あんなに俺、すけべで…一条さんに、淫乱魔人、とか悪口言われてたのにね。
 あの、懐かしい一条さんの部屋で、一条さんを抱いたのは…ずっと前、ずっと昔のことのようだった。
 確か、あの最後の殺し合いをする前の晩にも、俺は一条さんにお別れするためにあの部屋にいて…。
 俺は死ぬだろうと思っていたから、一晩中一条さんを抱いていた…でも、よく覚えていない。覚えてはいるんだけど、映画を観ているみたいで、他の人の記憶みたいだ。
 一晩中できたなんて…やっぱり他の人のことみたいな気がする…。
 俺、インポになっちゃったのかな…。
 一条さんは、気にするな、そのうちにまたすけべな五代になるさ…と笑ってくれた。

 一条さん…。
 それでも、俺は一条さんが好きだった。一条さんの笑顔が好きだった。
 綺麗な一条さんは、いつも俺に笑ってくれていた。でも、心配そうで、悲しそうな笑顔だった。
 俺がだんだん元気になるのと一緒に、一条さんの顔の傷も治っていったけれど…一条さんは、俺の為に、少し痩せた。
 仕事だって休んで、俺のそばに付いていてくれているんだと思う。俺は…訊かなかったけど。
 俺は…一条さんにすべて預けて、頼りきって…一条さんがいないと何もできなかった。
 まるで、泣き虫の子供に…俺は戻ってしまっていた。

 昨晩は…また一条さんと一緒に風呂に入った。俺が頼んで、二人で浴槽に浸かったら、盛大に湯が溢れて…せっかく沸かした湯がみんなこぼれてしまう、と一条さんは笑った。
 一条さんの笑顔がとても綺麗だったので、俺は嬉しくなって笑おうとしたのに…また、涙が出た。
 一条さんは暖かいお湯の中で、俺を抱きしめていてくれた。

 こんなことを…こんな涙を続けちゃいけない、と俺はもうわかっていた…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 今は、家の近くのちょっとした丘の頂上に、大きな石を見つけて、俺は一条さんと並んで、黙って座っていた。

「五代…寒くないか?」

 一条さんが身体を寄せてきてくれる。
 泣き虫になった俺の為に…一条さんは、ずいぶん心配性になってしまった。
 ずっと昔、俺が心配したこともあったのに…一条さん、寒くないですか?…そんなふうに。

 目の前に、青空が広がっていた。
 とても、青い空だった。
 遠くまで見えた。山の上に、ふんわりした雲が浮かんでいた。
 俺は…ずっと見ていた。

「一条さん…」

 ずいぶん経ってから、俺は言った。

「…終わったんだね。」

 一条さんは、いつものように静かに、でもしっかりと応えてくれた。

「そうだ。終わったんだよ…五代…」

 白い雲に、またあいつの笑顔が重なった。
 笑って、俺を殺そうとしていたあいつ…。

 …俺は少し、考えられるようになってきていた。

 あいつは、俺の兄弟だった…。
 俺も…殺すことを知っていた。殺す快感を知っていた。
 どこが違っていたのか…よくわからない。
 あいつは俺の兄弟で、俺たちはまるでそっくりの双子のようで、そして、殺し合った。
 俺だけが生き残り、あいつは死んだ…。

 俺はまだ怖くて、俺はまだ笑顔に戻れない。

 けれど、あいつは俺と等しいもの、俺の兄弟だったのだから…
 俺は…あいつを悼もうと思う。
 俺が殺さなければならなかった全てのあいつらを…俺と等しいものとして、俺と同じ生命だったとして…悼もうと思う。
 ごめん…殺してごめん…ごめんよ。兄弟たち…。俺を許してください…。

「五代…」

 俺がまた、いつの間にか泣いていたので、一条さんは俺を抱き寄せてくれた。
 一条さんの肩に顔を伏せて、俺はしばらく泣いた。
 それから、涙が乾いた。
 俺は一条さんの肩に頭をもたせて、青い空をずっと見ていた。

 何もかも、なくしてしまった…。
 もう、ここにいちゃいけない…。
 ずっとずっと青空の果てまで、どこまでもどこまでも行きたい。
 俺を、もう一度探しに行きたい。
 旅立つ時が、来ていた。

「一条さん…俺、もう行きます…。」

 俺の肩を抱いた一条さんの、優しい声が応える。

「そうか…。」

 それっきり、俺と一条さんは黙って、また青空を見た。

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