『第9章:鎮魂(2001年1月30日〜2月9日)』 -1
俺は、絶叫していた…。
長野…九郎ケ岳。
ふたつとも人間体だった。
俺は、五代のそばにひざまづく。五代の身体を覆い始めている雪を払い除ける。
0号を倒しても、五代が0号と同じような怪物になってしまっているなら…。 五代が死んでいるのなら…世界はもう救われていた。
五代は人間の姿のまま、俺が愛した五代雄介のまま、歪んだ顔で、引き攣った姿で倒れている。
五代が黒いクウガの姿で、俺を襲うなら…俺は銃を引き抜き、神経断裂弾を発射するつもりだった。
だが…この状況は…俺は、判断できない。 (俺には…撃てない…。)
俺はよろめいて、もうひとつの倒れた影…0号に向かった。 (これでいいか…?見落としたものはないか…?) 俺は吹雪の中で、ふたつの動かない身体をもう一度見た。 それから、俺は警官である自分を捨てた。
夢中で五代のそばに戻る。五代に触れる。 「五代!…五代!…五代!」
俺は、何度も呼んだ。五代を抱き上げて、胸に耳を当てる。
少しだけ希望はある…と、五代は昨晩言っていた。 (少しでも希望があるなら、俺には五代は殺せない…。)
俺は、未確認との戦闘の中を、五代の命を救う為に生きてきた。 (ちくしょう…殺して…たまるか。)
俺の、ただひとつの愛だった。 (五代…死ぬな…。)
五代の身体がこれ以上冷えないように抱きしめながら、俺はトランシーバーで助けを呼ぼうとした。
俺は、すでに怪物になった五代を助けようとしているのかもしれなかった。
俺は、五代の身体を背負い上げる。そして、歩き始める。 (五代…必ず、助ける…)
俺は、一歩一歩、歩く。この雪だ。俺も倒れるかもしれない。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「は?…治療は何もしないように、とおっしゃるんですか?」
なんとかして、所轄の警察に連絡をつけ、五代を運び込んだ市内の病院の医師が言う。白衣をつけてはいるが、熱意のなさそうな若い顔に、俺は苛立った。
「未確認生命体関連の参考人です。特異体質ですので、お願いしているんです。
当惑顔の医師が去った後、俺は病院の待ち合いソファに座った。 (五代は生きている…まだ、今は生きている…) それだけに、俺は縋った。身体も頭もばらばらになったような気分だった。 (生きてくれ…五代…おまえのままで…生きてくれ…) 両手を握り合わせ、俺は祈り続けた。目が霞む。身体が鉛のようだ。だが、そんなことはどうでもいい。 (俺に…殺させないでくれ…頼む…) 0号に銃弾を撃ち込んだ感触が甦る。俺は首を振り、目眩に耐えた。 (これで…終わったのだろうか…) 俺にはわからなかった。俺は朦朧としかける頭を両手で支え、座っていた。 誰かが近付いてくる気配がした。 「おい…どこだ…?」
有り難い。椿だった。 「おまえも顔の凍傷を治療してもらって、どこかで休め。ひどい顔をしてるぞ。」 「い…」 応えようとして、声が出なかった。 「…いさせて、くれ。五代のそば、に。」 椿はわずかに黙り、そして応えた。 「…とにかく、顔の治療だけはしてもらえ。」 そして椿は、現れた看護婦と共に、足早に五代のいる集中治療室に向かった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五代は、酸素マスクをかけられて、ベッドに寝かせられていた。 「とりあえず、生きている…」 いつの間に俺の横に立った椿が静かに言う。 「石がどうなってしまったのか…は、まだわからんが。」 「そう…か。」
「急変することはなさそうだ。 「いや、俺が見ている。」 椿は首を振った。
「駄目だ。おまえも倒れる寸前なのがわからんのか。 尚も抵抗しようとした俺を察したのか、椿はつけくわえた。 「…薫…頼む。」 看護婦が俺の腕を取った。 「さぁ、こちらに。隣の病室に空きベッドがありますから。」 連れて行かれようとして、振り返る俺に、椿はまた言う。 「容態が変わったら、必ず起こす。約束する。」
「目が覚めたら、危険かもしれない。 事情がわかっている椿は、苦しげに顔を歪め、頷いた。 隣室に連れていかれ、座らされて顔に何かを塗られ、ベッドを与えられ…そこから先の記憶はない。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ (しまった…!五代…!)
俺は飛び起きた。 (光が…射している…雨も雪も…ない…?)
俺はベッドから降りた。僅かに目眩がしたが、かまわず窓際まで行き、カーテンを引き開けた。 「久しぶりに晴れましたねぇ。」 俺の後ろで声がして、俺は振り返る。落ち着いた感じの中年の看護婦がドアを開け、立っていた。ここの看護婦長だろう、と俺は思う。しばらく会っていない母親を、ふと思い出した。
「まったく…洗濯物は乾かないし、気分はくしゃくしゃするし…。 「ありがとうございます。お世話になりました。すぐ行きますから。」
婦長は笑顔だけを見せて、去った。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
椿は五代のベッドの脇に立ち、五代を見つめていた。 「すまない…。」 俺の声に振り返り、椿は医師の目で俺の様子を一瞬見る。それから、いいさ、という表情になった。 「さっき…ここの設備を借りて、レントゲンと脳波の検査をした…」 椿は、抑揚のない、低い声で話し出す。
「石は…もともと傷があったんだが…完全に破壊されていた。 俺は辛抱強く待った。
「おい…こいつの身体はどうなっているんだ? 「元の…普通の人間に…戻ったのか?」
「ああ…そう言っていいだろう。 「0号のような怪物になる怖れは?」
「…ないな。ない、と言っていいと思う。 「まだ…生きられるんだな?」 俺は、矢継ぎ早に尋ねた。 「…まだまだ、生きるだろうよ、こいつなら。」
俺が聞きたがっていることを知っているから、椿も簡潔に応えてくれていた。
(五代…生きている…普通の人間に戻って…)
「五代は…勝った… 「…ああ…たいしたやつだよ…」
沈黙の中で、椿も俺も、眠る五代を見た。 「…触って、いいだろうか?」 「ああ…ちょっと触ったぐらいで目覚めるような眠りではないさ。」
俺は、ゆっくり五代の首筋に手を伸ばした。五代の命に指先で微かに触れる…五代の肌は暖かく、脈打っていた。 「いつ…目覚めるんだ?」
「…さぁ、な。眠ることで疲れを癒しているんだろう。 「石が…役目を終えたんだな…」 俺は、深く息を吐いた。呆然とした感覚はまだあったが、目を閉じて、五代を生かしておいてくれた何者かに、俺は感謝した。 (終わった…。五代は生きている…よかった…。)
五代を犠牲にして、世界が平穏に戻るなら、鬼になっていただろう自分を、俺は知っていた。
目を開けると、椿が俺を見ていた。
「精神的なものはどうだろう? 椿は、首を振る。
「わからないな、それは。 俺は、瞬時に決心した。 「椿…頼みがある…。」 「…なんだ?」
「…ここに、五代を置いておきたくないんだ。 俺は、一気にしゃべった。 「おまえが…付き添うのか…?」 俺は、椿の目を見て、頷いた。 「仕事は…本庁のほうはどうするんだ?」
「さっき連絡は取った。警察は五代に借りがある。本部長の特別許可を取った。おそらく未確認生命体は0号で最後だ。俺がいなくても問題はない。 「…おまえ…そこまで…」 椿は、どこか苦しそうな表情で呟き、それから思い直したように、にやっと笑う。
「…わかった。できる限り、協力しよう。五代に借りがあるのは、俺も同じだ。 「頼む。」 俺は、椿の返事を聞かずに、病室を飛び出した。
五代が生きている…。
五代…青空の見えるところにしような。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暖かい、暗い場所から、水面へ…泳いでいるような感じ。
気持ちいいから、俺は泳いだ。もっと明るいほうへ。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目を開けたら、見慣れない天井が見えた。
見回そうとすると、身体が強張って痛んだ。
あれ?しばらくって…なんだっけ?
誰かの気配がした。
でも…なにか…嫌なことがあった… 「五代?」
綺麗な人が俺を呼んでいる。 でも、なにか…嫌なことが…あった… ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次に目覚めたら、やっぱり同じ、大きな梁が見えた。
辺りを見回そうとしたら、やっぱり身体が痛い。
また、誰かの身動きする音がした。すぐ近くだ。 「五代?気がついたか?」 静かな声がした。一条さんの声が俺は好きだ…。 「…あ…」 なんだろう、答えようと思うのに、声まで出ない。 「…は…い…。」
やっと声を絞り出す。情けないかすれ声…
一条さんの顔が、すっと見えなくなった。
だけど、一条さんはすぐに戻って来て、俺の顎のところにタオルを敷いて、口元に何か近付けてくれた。
でも、とにかく喉がからからだったから、俺は飛びつこうとした。 「五代…急がないで…ゆっくり…」
はい。はい。 「一度にあまりたくさん飲んだらいけないよ、五代…」
一条さんの声は、囁くようで、静かだった。 「五代…俺が…わかるか?」 そりゃあ、わかります。俺の大好きな、一条さん。 「…ち、じょう、さん…」
やっと出た声だけれど、まだ変な声だった。 あれ…でも…ずっと、って…俺、一条さんと、何処で会ったんだっけ? なにか…いやなことがあった…なにか…とてもとてもいやなこと… 「五代…もう少し、おやすみ…」 一条さんの優しい声が聞こえたような気がしたけれど、よくわからない…。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どこかで、話し声がして、俺は目が覚めた。 「…かった。また…くする…ら。じゃあ…。」
何を話しているのか、はよくわからない。 「…いちじょう、さん…」
一条さんが、びっくりした顔をしている。 「五代…目が覚めていたのか…?」 「…ちじょうさ…ここ…お、れ…」
ちぇ。まだ声がうまく出ないよ〜〜。 「…いちじょうさん…俺、どうしたんですか?」 一番、聞きたかったことを聞いてみたんだけれど、一条さんはちょっと困った顔になった。 「…五代…覚えていないのか?」
なにを?…と、思ったのだけれど… 「なにか…いやなことがあった…」 「五代…無理に思い出さなくていいんだ…急がなくていい…」 一条さんはそう言うのだけれど…
俺は、考えようとしたけれど、その前に身体の欲求に気がついてしまった。 「一条さん…」 「どうした?」
恥ずかしかったけれど、しょうがないから言う。 「俺…おしっこしたいんですけど。」 「起きられるか?溲瓶、なんてものもあるが、そっちにしてみるか?」
うわ…わわわ。溲瓶ってあの、「しびん」ですよね。 「お、俺、起きます。」 一条さんの真面目な顔が、なんだか可笑しそうな表情になった。 「俺がしてやるのが恥ずかしいなら、向こうに看護婦さんもいるぞ。」 か、看護婦さん?看護婦さんって…女性ですよね。
「お、俺…絶対、起きます!
全然駄目だった。身体を起こそうとすると、めっちゃくちゃにあっちこっちが痛い。おまけに全然力が入らない。
一条さんが、肩を抱えて、起こしてくれた。
「無理だったら、看護婦さんに頼もう。 なんだか…意味がよくわかんないんですけど…一条さん…
それから、俺は一条さんに支えてもらって、なんとかして立ち上がって、トイレまで行った。
また一条さんに半分担がれるみたいにして、布団に戻った。 「大丈夫か?まだ無理だったんじゃ…」 俺は、ちょっと泣きごとを言いたくなってしまった。
「あっちこっち痛いですよ〜〜、一条さ〜ん、 言ってから、気がついた。 「…クウガ…?」 どっと記憶が甦った。 |