『第6章:峠(2000年9月27日)』-1
駐輪場の前で、ビートチェイサーを止めて降りた。
いたたたた…。
もう〜〜あっちこっちがぎしぎし言ってる〜〜。
俺の身体は、怪我をしても、石の力でどんどん良くなりはするんだけれど…
昨日は未確認生命体二体と闘って…やたらと強くなってしまった3号には派手にやられたから、さすがにまだ治りきっていない…。
それに、なんだか、怪我して治るたびに身体がますます変わっていく…変な感じ。
俺はどうなっちゃうんでしょうねぇ…。
ビートチェイサーを預けて歩き出す。
向かう先は、一条さんのレンタルマンションだ。一条さんに…会いたい。
昨日、一条さんは…一条さんも、二度もぶっ飛ばされて…
もう、あの3号の死体を見つけた時には、二人ともぼろぼろだった。
さすがに昨晩は、椿さんの病院に行ったらしいから、俺はマンションを訪ねなかった。
でもねぇ…すごいですよ、俺の一条さん。
気を失っていたのに、2時間ぐらいで復活しちゃうんだもん。
あの人も、おなかん中に、何か入っているんじゃないかな〜。
だったら、俺、お揃いでちょっと嬉しいかも。
なんて…ふざけてる場合じゃないんだよ。
でもね、深刻になったって、状況変わらないんだからね、俺は俺らしくいくことにしたんだ。
なんとかなるさ。大丈夫、と信じて、もう一歩歩くだけ。
…まぁ、ちょっと、ヤケクソみたいな気分もある…。
だって…なんだか、未確認どもはどんどん出て来て、どんどん強くなってきて、もうめっちゃくちゃなんだもの。
これからも…もっと、きっと奴等は強くなる…そして…どうなるんだろう?
それだけ、また人が殺されるんだ…冗談じゃないんだよ。
だけど…半ばヤケクソみたいな、ハイな状態じゃないと、闘っていけないんだ…。
今は…すごく力がみなぎってきてる…俺、絶対に負けない、と思う。絶対に死なない、と思う。
ああ、3号には全然かなわなかったわけだけど…
その3号をあんなに簡単に殺してしまったやつは、もっともっとものすごく強いってことだけれど…
きっと…何か方法が見つかる筈だ。
俺は、もっと強くなる…強くなりたい。
大丈夫…負けない。
だって…俺には一条さんがついてるもの。
最近、一条さんと別行動することも増えている。
一度に二体出たりするから、一条さんが他を廻っている間、杉田さんや桜井さんと協力し合うことも多い。
それでも…俺には一条さんがどこで何をして、どういうつもりでいるか、全部わかるし…一条さんも、俺のやろうとしていることが、完全にわかっている感じだ。
一条さんがピンチの時に助けられないんじゃないか…その不安は少しあるんだけど…
昨日なんかは、気を失って倒れている一条さんを見つけた時は、ぞっとしたんだけれど…
でも、もう俺は一条さんを絶対、絶対信じていた。
俺は死なない、絶対。一条さんも、絶対死なない。
二人で、そしてみんなで闘っていく。信じ合って。
きっときっと、これを越えて行ったところに…青空はある。
この前…あの42号と闘った時。
俺は、ちょっと…変になった…。
脅えている高校生たちを、楽しんで殺すあいつがとても憎くて…
憎しみのままに、あいつを殴っていたら…あいつらと同じものになりそうになった。
そう…あいつらと俺は、ほとんど同じものなんだよね、たぶん。
ただ…心、が違うだけで。
その、俺の心も憎しみで満たされてしまったら…同じになりそうになった。
なったんだ、なりかけていた…俺は、自分でわかった。黒い影が見えた。
それで…すごく怖くなった…。
あいつにのっとられたら…俺は、奴等と同じになってしまう…。
守ろうとしているのに、みんなの笑顔を守りたいだけなのに…
俺が、それを壊すものになるかもしれない…そんなの…ひどい。
おそろしくなって、俺は逃げた…。
一条さん、助けて…と、俺は思いながら、逃げた。
一条さんなら、必ず助けてくれる…一条さん、一条さん、と俺は呼び続けて…すごく会いたかった。
一条さんが…とても好きだ。
強引に抱いてしまってから…ますます…もう、指先から溢れ落ちてしまうように、俺は一条さんを愛している。
俺のすべてが一条さんの前にひざまづいてる。一条さんにだったら、俺は笑って殺されると思う。
俺は…一条さんのもの、なんだ。
一条さんがいるから、一緒に駆けてくれるから、必ず助けてくれるから…
一条さんを信じて、俺はここまで闘ってこられた、と思う。
だから、一条さんを俺は呼び続けていた。
だけど…一条さんまで傷つけてしまうかも…そう思ってしまったら、ますます怖くて…
一条さんを、俺は殺してしまうかもしれない…一番大事なもの、何よりも愛しているものを、この両手で殺してしまうかもしれない…そう思って。
クウガになった時の俺は…強い。今はますます…とても強い。俺は知っていた。
だから…簡単に殺せるんだ。誰でも…一条さんでも…俺が俺でなくなれば、簡単に。この手で。
俺は逃げた。会いたくて、呼び続けてしまうその人から、遠ざかろうとして…逃げた。
あんな絶望は…知らなかった。
それから先は、しばらく記憶がないんだ。
すっぽり抜け落ちてしまっている。
たぶん…俺は、あいつに…のっとられた…。
昼間は憎しみで…あいつらと同じものになりかかっていたけれど、あの時は、絶望で、怖れで…俺は、自分を手放してしまったんだと思う。
それでも、俺は一条さんを呼び続けていた…。
恋しくて、懐かしくて、守りたくて、縋りたくて…。ずっとずっと呼び続けていた。
気がついたら、一条さんのマンションにいて、一条さんを強姦しかかっていた…。
怖れていたとおりに、俺の両手は、一条さんを押さえ込んで…。
もう…どうしたらいいのか、わからなかった。
死ねばいいのかな…でも、うまく死ねるんだろうか…俺が死にたくても、きっと石がまた俺を生き返らせてしまうだろう…どうしたら死ねるのかな…そんなことを俺は考えて…。
とにかく、手を…手で、一条さんにさわらなければ大丈夫だと思って、自分で自分の手を握っていたんだ。
今、考えると可笑しいよ。手さえ握り合わせていれば、大丈夫…だなんて。
でも、あの時は…そんなことを考えなければならないぐらい…どうしようもなかったんだ。
一条さんのそばにいたら、また何をするかわからない…。
自分を信じられないんだ。それは…本当にひどいことだった。
帰ろう、としたんだけれど…一条さんは帰してくれなかった。
俺の話を一生懸命聞いてくれて、「おまえを信じている」って言ってくれた。
「おまえは助けてくれたんだ、おまえは俺を傷つけない」って…言ってくれた。
俺は…少し、思い出した。一条さんが、俺を呼んだんだ…必死に俺の名を。
俺は…一条さんが俺を呼んでいる、今行きます…と、確かに思って、俺に戻ったんだ。
その瞬間の感じを、俺は思い出した。
俺さえしっかりしていれば、大丈夫なのかもしれない…少しだけ…そう思えるようになった。
でも、まだ、俺は俺の手が怖くて…
あのままだったら、あの先、闘うことなんてできなかっただろう。
そうしたらね…一条さんが…強引に、俺を助けてしまった。
一条さん…すごいんだよ…あんなことをしてしまうなんて…。
ええと…つまり、色仕掛けってやつ、なんだけど…。
だって…いつもは、慎ましくて真面目で…あんなことはしないんだ、一条さんは。
俺がいろんなことしちゃうと、恥ずかしそうにしているんだ。
…ああ、それがまたいいんだけどね。
それが…その一条さんが、自分から服を全部脱いじゃって、俺も脱がせちゃって、俺にキスするんだ。
それも…強烈なキスだった。脳味噌が溶けるみたいな…あんなの、俺、初めてだった。
ああいうキスを…誰かに教えてもらったのかな、一条さんは。きっと…そうなんだろうね。
そう思うと、少しかっとして…一条さんが欲しくなった。
一条さんは、手を使わなくてもいい…って、俺をからかって…それから、めちゃめちゃに俺を焦らした。
もう〜〜〜あれは…死にそうだったな。死にそうにいい。でも、死にそうにもどかしい。
だって、あの綺麗な一条さんが…娼婦みたいに微笑みながら「おまえが欲しいんだよ」って囁いて、俺を舐めたり噛んだりして、いたぶっておいて…最後には、自分で後ろを開こうとしていた…。
俺のことを、助けてくれようとしている…よくわかった。
そして、俺には一条さんに触らないでいることなんて、絶対できない…できないよ。
あんな一条さんを抱かないでいることなんて、俺にはできない。我慢なんかできない。
もう欲しくてしょうがなかった。
手なんて…俺がちゃんとしてれば、絶対大丈夫だ、この人もこうして俺についていてくれる…
とにかく、一条さんを抱くことが、世界で一番大事なことになってしまって…
俺は手を伸ばして、一条さんを抱いた。
あの…42号を殴った時の、変な快感を忘れたわけじゃあなかったけれど…
一条さんにまた触れられることのほうが、全然大事だったし、全然気持ちがよかった。
ああ、俺…一条さんの髪や一条さんの顔や身体や、すべて、全部に触って…
それで、すっかり俺は、大丈夫になってしまった。
俺の綺麗な一条さん…一生懸命俺を助けようとしてくれた一条さんに触れ尽くして、俺の両手はもう一度綺麗なものになって…
この、大事な感触を絶対忘れない、忘れなければ大丈夫だ…と思えるようになった。
一条さんは…最初の時は辛そうだったんだけれど、最近はだんだん良くなってきていて…
あの時は、一条さんも、すごく感じていた。
あれは…あんなのは、全然、俺はもたない。
一条さんが足を絡めてきて、腰を動かして…どっちが抱かれているのかなんてわからなくなって…
それに、一条さんのあんな顔とあんな声…ほとんど拷問みたいに…すごく…良かった。
普段のきりっとして、俺に指令を出してくれる一条さんを俺は信じてる。
夜のあのすごく色っぽい一条さんに俺は惚れ抜いている。
愛している。一条さんとの愛だけで、俺は走っていける…。
翌朝の光の中で、一条さんは言ってくれた。
「愛している」って。それから…「おまえが生物兵器になったら、俺が必ず殺してやる」って。
俺は、俺から頼もうかと思っていたんだけれど、一条さんは自分から言ってくれて。
普通は愛の言葉じゃないよね。「殺してやる」って。でも、俺にはそれが愛なんだよ。
愛をもらった…命を預かってもらった…。だから、大丈夫なんだ。もう、何も怖れない。
俺は、最後まで、一条さんと…走る。
何があっても、俺はこの愛を捨てない…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今はもう通い慣れてしまったマンションの階段を駆け上がる。
一条さん…今、行くよ、俺。
一条さんの部屋に辿り着いて、ドアホンを押した。
返事がない…明かりはついているようなんだけれど…一条さん、買い物にでも行ったのかな…。
ドアノブを回して、押してみたら…鍵はかかっていないようだ。
一条さんったら、不用心だよ〜〜。
俺は入って行くことにした。
一条さんは、服を着たまま、ベッドに横になって…眠っているようだった。
ほんのちょっと寝転がったら、眠ってしまったんだろう、と思う。
そっと近付いてみた。
顔の脇に腕を投げ出して…一条さんは眠っている。
頬の傷もまだ治っていない…。疲れた寝顔だった。
痛いように苦しいように、愛しさがこみあげてくる…。
浅い眠りだったのだろう…俺の気配がしたのか、一条さんはふっと目を開けた。
俺を見上げて、ふわっと笑顔になったので…思わず抱きしめて、キスしてしまいそうだった。
もともと、どこからどこまでも綺麗な人なんだけれど…一条さんの笑顔は、たまらないんだ…。
小さな子供のように、それでいて、神様の微笑のように…澄み切って輝く…俺は、そんなふうに思う。
惚れ抜いちゃってるから、そう見えるのかもしれないけどね、最近はますます綺麗なんだ…心配なくらい。
その笑顔が俺に向けられて、おまえが可愛いよ…って語りかける瞬間には…泣きたいくらいしあわせになって、俺は身動きもできなくなって…ただ見つめる。
どうして…この人はこんなに…。
どうして…俺はこんなに…。
愛しくて、恋しくて、目眩がする…。
「一条さん…」
でも、俺を見て嬉しそうに笑ったのは、ほんの一瞬だった。
一条さんは、すぐに厳しい顔になった。
「眠ってしまったのか…」
そう呟いて、一条さんは起き上がろうとして、顔をしかめる。
「五代…今来たの?」
「はい。
一条さん、怪我の具合、どうですか?」
起き上がって、ベッドに腰掛けたのだけれど…なんとなく、いつもより動きにくそうにしている、と思うんだ。傷がけっこう痛むんじゃないかな…。
一条さんは、苦笑した。
「まったく…一日に二度もやられるなんて…。
昨晩は、帰してもらえなかった。五代、来たのなら、すまなかった。」
「いえ…そうじゃないか、と思ったので、昨日は寄りませんでした…。」
「五代のほうはどうなんだ?大丈夫か?」
一条さんは、昼間の仕事モードの延長で話していた。でも…どこか、ゆったりしていると思った。
「俺はもう、ほとんどいいです。」
「そうか…。」
一条さんは、まだ立ったままの俺を見上げて言う。
ますます怪我の治りが早くなっている俺の身体を気遣う表情になった。
でも、一条さんは心配を口にしない。
「座ってくれ。コーヒーでも煎れよう…。」
「あ、一条さん、もう飯は済みました?
俺、コンビニで弁当、一条さんのぶんも買ってきたんですけど。」
「いや、まだだ。ありがとう…。いただくよ。」
俺たち、愛し合っているんだから、もうちょっとくだけた口調でもいいんじゃないか、と思うんだけれど…「愛してるよ」と言ってくれた後も、一条さんの態度はほとんど変わりない。普段は相変わらず無口で、冷たいぐらいだ。
そういう人なんだろうな、と俺は思ってる。態度に出ないんだよね。
でも、気持ちが伝わって来る瞬間はあるから…いいんだ。
愛なら俺が、溢れるぐらい持ってるもの。
立上がろうとして、またちょっと辛そうだったので、あわてて俺は言った。
「あ、一条さん、コーヒーだったら、俺煎れましょうか。」
一条さんは、もうキッチンに向かいながら、苦笑する。
「五代が煎れたほうが、なぜか旨いんだけどな…。俺にもできるよ。」
一条さんは、やかんに水を汲み、レンジで沸かし始める。
棚に手を伸ばして、揃っていないカップをふたつ取り出す。
その時にも、やっぱり少し動きが怯んだ…。
俺は、座って、黙って一条さんを見ていた。
俺は、どんな時でも一条さんを目で追ってしまいそうになるのだけれど…。
オフの時間の一条さんは…いつもほど張り詰めていない。
その姿を、見ていたかった。こんな姿は、そんなに見られないんだ。だから…見ていたい。
今は、好きなだけ、一条さんだけ、見ていたい。
闘って殺さなければならない相手ではなく…愛する美しいものを…俺は見ていたい。
…その人が振り返って、俺を呼ぶ…。
「五代…。」
「はい。」
「よかったら、風呂を湧かしてくれるか?
五代も入りたいだろう?
さっき、湧かそうとしたんだが、ちょっと座ったら眠ってしまったらしい…。」
来た夜は、いつも泊まっていく…それは、いつの間にか暗黙の了解になってしまっていて。
キッチンやバスルームは、もう使い慣れてる俺だった。
「はい。」
立上がってバスルームのほうに行きかけて、なんとなく俺は部屋の中を見渡した。
ベッドとローテーブル、テレビ…それから、小さなクローゼットがあるだけ…。
趣味の匂いも、生活の潤いも感じられない、簡素な一条さんの部屋だった。
キッチンにも、小さなやかんとカップがいくつかあるだけだ。
「…一条さん?」
「ん?」
一条さんは、コーヒーを測っているところだった。
ああ、もうちょっと多いほうがいいな、と思うけれど…いいんだ。
一条さんは…こういうところは、大雑把だった。同じように、インテリアも気にしていない。
「…長野には、マンション持っているんですよね。」
「そうだが?」
何を言いだしたのか、という顔をする。気を悪くしているようでもないから…いいよね。
「…ここよりは…あれこれ家具とか、荷物があるんですよね?」
「さぁ…たいして変わらないな。あとは、デスクと本棚があるぐらいか…。」
「そうですか…。」
なんだか…寂しいような気がした。
ポレポレのおやっさんのところの俺の部屋は…一条さんには上がってもらったことはないけれど、もう寝る場所がないくらい、ごちゃごちゃといろんな物が置いてあったから…。
いろんな…俺の好きな物が…。
そんな俺の表情を見たのか、ドリップに湯を注ぎながら、一条さんは言う。
「俺は…特別な趣味もない、不器用な人間なんだよ、五代…。」
「あ、いえ。そんなこと言ってません、俺。」
少しあわててしまった。もう少し、一条さんのことを知りたい…それだけなんだけど、俺は。
「…いいさ。本当のことだ。」
一条さんは、淡々と言った。
そして、やかんをレンジに戻して、一条さんも部屋を見回した。
「ましてここには…何もないな…。」
寂しい表情ではなかった。ただ、ありのままを見つめている、冷たい表情の一条さんだった。
「俺…風呂の支度をしてきます。」
「ああ…頼む。」
一条さんは、またやかんに手を伸ばす…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうなんだ…何もない部屋…。
ただ、闘いに疲れきって帰り、眠る為だけの部屋。
ここは、未確認生命体の為に東京に出向してきた、一条さんの部屋だった。
一条さんの生活の全ては、今、未確認生命体殲滅の為だけにある…それが、よくわかる部屋だった。
そして、もう俺も…。俺の毎日も、全て未確認生命体を倒すことだけに、塗り潰されていた。
一条さんの命も、俺の命も、ただそれだけの為に、今はあった。
他にはもう、何もなかった。
そうでなければ、生き延びることができないところに、俺たちは来てしまっていて…。
ただ必死に駆けていく…見えない終わりに向かって…。
ざっと風呂を洗って、水を入れ始めながら、そんなことを考えてしまい、俺はぞっとして震えた。
一条さんは…怖くないんだろうか…。
さっきの、氷のように冴えた一条さんの表情を思う。
一条さんは、もう覚悟をしている…。どこまでも闘う覚悟…すべてを賭けて。
勇敢な、強い強い人なんだ…。もともと、静かに光る銀のような人だったけれど、最近はもっと…触れたら切れる鋼のように輝いている…。
未確認生命体対策本部の魂は、一条さんなんだ、と思う。
いつでも、どんな時でもみんなを、そして俺を、強い意志と信念で導いていく。
決してひるまない。決して揺らがない。
何も…あの人を倒せるものなんかない。
俺も…きっと、もっと強くならなければならなくなる。
おそらく…これからは、もっと手強い相手が出て来る。
一条さん、俺ももっと強くなるから。
勇気を、覚悟を…強い、堅いものにしていくから…。
俺の心の柔らかい部分…青空や太陽のぬくもりや、たんぽぽの花が大好きな俺が、泣いている…。
もうやめて…もう殺さないで…と、声が聞こえる。
もう止まって…死んでしまう…と、震えている。
でも…俺は止まれない。決して逃げない。最後まで走り抜く。
君を捨てたわけじゃないんだよ、なくしてしまうわけじゃないんだ…。
そういう大切な君を守るために、君の愛するたくさんの笑顔を守るために、俺は…鎧を着て、剣を持つ…。
もっともっと強くなって、必ず敵は倒す…。
もしかすると…死んでしまうかもしれない。でも…
死んでも君を守る…。大切なものを、俺は守る…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
弁当を食べながら、ぽつぽつ話をした。
未確認たちのことは、どちらも言わなかった。
杉田さんや桜井さんのことを話した。ひかりさんの話も出た。
二人とも、少しだけ笑った。
俺は時計を見た。
「ああ、そろそろ湧いたんじゃないかな…。
一条さん、俺…一緒に入ってもいいですか?」
俺はすごく恐縮して訊いたのだけれど…一条さんは、今日初めて、心から楽しそうな笑顔になった。
「駄目だと言っても、入って来るんだろう?」
俺はいつものように、一条さんの笑顔に見とれてしまって。
そして、思ってしまう…。
なぜ…これだけじゃないんだろう…?
こういう時間だけが大事なのに…なぜ、そうじゃないんだろう…?
心のどこかが泣いているのに、一条さんに応えて俺も笑う。
「はい。だから最初から御一緒に!」
一条さんは、今度は少しあきれたように、優しく笑ってくれて…俺はまた見とれた。
一瞬、未確認のことなんか忘れた。
身体があったかくなって、気持ちよくなって…ああ、すごく好きだなぁ、と思って、俺はまた笑う。
俺の一条さんは…とても綺麗だ…。
「くそ…。」
綺麗な一条さんが、ふと思い付いたように自分の身体を見て、汚い言葉を言う。
「どうしました?」
「椿が…いろいろやったからな…。
全部取らないと風呂に入れない。
五代、手の届かないところは、剥がしてくれ。」
一条さんは、着ていたシャツをさっさと脱ぎ始めていて、俺はこの前のことを思い出して、ちょっとどきどきした。
けれど、上半身裸になった一条さんの身体を見て、俺は息を呑む…。
肩も腕も背中も…すり傷と、痣だらけだ。あちこちに、湿布を当てて包帯や絆創膏で止めてあった。
(ちくしょう…あいつら…。)
目が眩むような怒りがこみあがってきて、唇を噛む。
一条さんにこんなことをした奴等…許さない。絶対…許さない。
「五代…椿がおおげさなだけだ…。」
一条さんが俺を見て静かに言い、俺は我に返る。
いけない…また…。
俺は…もう、憎んではいけない。怒ってしまってはいけない。そういう…身体だから。
一条さん…俺…これはむずかしいよ…。
俺の大事な一条さん、俺の綺麗な一条さんを、こんなふうに傷つけられて…俺…。
ひとつ深呼吸をして…。
憎しみと怒りが引いていく。
俺の中には、ただ悲しみだけが残った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「五代!ひと思いにやってくれ!」
一条さんが、半ば笑いながら、悲鳴をあげていた。
「だって…」
俺は、そんなことはできないので、そろそろと湿布と絆創膏を剥がしているのだけれど…それが、一条さんにはたまらないらしい。
俺に背中の湿布剥がしを任せながら、一条さんは自分で手が届くところは、どんどん乱暴に剥ぎ取ってしまう。この人は本当に…自分のことに関してはむちゃくちゃだった。
「ああ、この包帯はどこで留まっているんだ?」
「一条さん…風呂なんか…いいんですか…?」
まだ悲しい気持ちが残っていて、心配になってしまって訊いた。
「五代!はやく剥がせ!」
「は、はい!」
乱暴な司令官が命令するので、俺は思いきり引っ張って剥がしてしまう。
一条さんは、一瞬仰け反って、また笑った。
「ちくしょう…痛い…。」
「一条さん…だから言ってるのに…。」
一番厚く、包帯で留めてあった脇腹は特にひどい。
胸が…痛くなって、息が詰まってしまうような気がした。
けれど、一条さんは痛がりながら、可笑しそうに笑っていた。
「くそ…派手にやられたもんだ…。
…もう、ぼろぼろだよな、五代?」
一条さんの陽気さがとうとう俺にも感染して、しまいには俺も笑った。
「はい、もう…ぎしぎしのがたがたで…。」
「あつ…笑うと響く…五代…これで背中は全部取れた?」
「…はい。」
「先に入ってるぞ。」
「はい。」
上半身裸になった一条さんは、さっさとバスルームに消えて行く。
無理に笑ったハイな気分も消えて行く。
残った俺は、のろのろと服を脱いだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺がバスルームに入っていくと、一条さんは立ったままシャワーを浴びていた。
後ろ姿を見て…腰にも足にも傷があることに気付く。腰の打撲もひどい…歯を喰いしばった。
「一条さん、痛くない?」
明るい声を出すように努めた。
「ん…少し沁みるが…。」
湯気にこもる一条さんの声が、何気なく応えている。
「髪を洗いたいんだが…手を上げているのがちょっときついんだ。
五代…洗ってくれる?」
一条さんがそう言いながら、こっちを向いたけれど…。
本当にひどかった。一条さんは…全身、傷だらけだ。
「その前に…キスしていいですか?」
俺は笑って言いたかったけれど…なんだか、半分泣いているような声になってしまった。
一条さんは、笑って手を伸ばして、俺を引き寄せてくれる。
両手で俺の頭を挟み、額を合わせるようにして、俺の目を見て、言った。
「五代…こんなことは、当たり前なんだ…気にするな。
見かけがひどいだけで、俺はちゃんと生き延びているんだから…。」
はい、一条さん…。
俺たちは、殺し合いをしているんだから、怪我なんて当たり前なんだよね。
俺たちは、奴等を殺している。怪我なんて…当たり前なんだよね。
でも、あなたが痛むのは、やっぱり俺は辛い…。
怪我が当たり前なんて、やっぱり俺は悲しい…。
一条さんの身体に手を廻してそっと抱き、俺をなだめくれる優しい唇を、吸った。
舌をからめると、一条さんの腕が俺を引き寄せる。
あまり深くならないうちに、俺は離れた。
少し欲情した一条さんの目が美しかった。
「一条さん…俺、洗ってあげますけど、先にあったまって。
身体、冷えてますよ。」
「…うん。」
浴槽の湯に沈みながら、一条さんは顔をしかめていたけれど、じきに気持ち良さそうに身体を伸ばした。
深いため息をついて、浴槽の縁に頭を乗せ、一条さんは目を閉じる。
それを見てから、俺は自分の髪を洗い始めた。
目を閉じて…闘う為の身体を…洗い浄める。
流し終わった髪を掻き上げていたら、肩のあたりに触れられた。
「五代…おまえも、まだ治ってない…」
首を傾げるようにして、一条さんが浴槽から手を伸ばしていた。
「もうなんともありませんよ。」
俺は、明るい声で言ったのだけれど…
傷だらけの俺の天使は、俺の治りかけた薄い痣をそっと撫でる。
自分の傷よりも、痛そうな顔をしていた。
「一条さん…俺たち、もうとっくに生物兵器みたいですね。
闘うためだけの…。」
「そうだな。ぼろぼろの生物兵器だ…。」
苦笑する一条さんは、疲れてもまだ綺麗だったけど、どこか荒んだ影がある。
俺も、きっと同じような顔をしているんだろうな…。
「あったまったら、座ってください。洗ってあげますよ。」
俺は笑ってそう言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
腰かけた一条さんは、やはり屈むのも辛そうだ。
また笑っていたけれど、特に脇腹はかなり痛むのだろう…と思う。
俺は一条さんの横にひざまづいて、耳にシャワーの湯が入らないように気をつけながら、丁寧に髪を洗った。一条さんの髪は、しなやかで触り心地がいい。…いつも洗わせてくれればいいのにな…。
それから、身体も洗ってあげた。
ボディソープを手に取って、傷に触らないように肌に触れていく。
一条さんは、気持ち良さそうに、俺に身体を任していた。
「一条さん…立って…。」
立ってもらって、腰から下も洗い尽くす。足の裏も、指の間も綺麗に洗った。
俺にとっては、全部が宝石のように思っている身体だった。
どうして、それがこんなに傷つけられてしまうのだろう…?
俺はわからなくて、悲しくて…また心が荒んでしまう。
最後に、一条さん自身に手を伸ばした。
「五代…そこは、自分でできるよ…?」
「洗わせてください…。」
ソープをたっぷり取った手で触っていくと、一条さんが反応して、硬くなり始める。
股の間に手を入れて、後ろの蕾まで、丁寧に洗った。
蕾は少し沈むような、俺の指を吸い込むような感触があって…俺は、やっぱり唾を呑んでしまった…。
「五代…勃っているよ。」
一条さんの静かな声が、俺をからかう。
うん…俺は、勃ってしまっていた。
「ごめんなさい…俺、そんなつもりはなかったんですけど…。」
「そのへんは、幸い怪我はしていない。
五代…好きにしていいのに…。」
俺は首を振った…。
いつもなら、こんなふうに一緒に風呂に入り、こんなふうに触らせてもらえるなら、俺は有頂天になってしまうけれど…。
今日は、駄目だ。
こんなに痛んでいる一条さんの身体…今日は抱けない、俺は。
「流しますね…。」
俺は立ち上がり、シャワーのコックをひねって、一条さんの身体中を丁寧に流す。
流しながら、肌に残る痣のすべてに、ひとつずつ、そっとくちづけした。
俺の身体は闘う為だけの身体。
あなたの身体も闘う為だけの身体。
他の目的は何もなくなってしまった身体がふたつ。
傷ついて、痛んで、明日も闘わなければならない俺たちの身体。
殺し続ける俺たちに、幸はもう来ないのかもしれないけれど、
せめてあなたの身体の、すべての傷に…キスを。
「五代…」
「はやく治るように…おまじないです…。」
「うん…五代…おまえもはやく治るように…。」
一条さんも、俺の肩に、そっとキスしてくれた…。
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