『第5章:半身(2000年9月19日)-改訂』-1
(もうそろそろ来そうだ…)
俺は腕の時計を見て、思う。
そして、思い付いてバスルームに行き、タオルを出した。
綺麗に整えたベッドの上には、あいつのパジャマが畳んで置かれている。
(どうせ、脱ぐ為に着るようなものだ…
ベッドだって滅茶苦茶になるに決まっている…)
そう思って、俺は苦笑いした。
別に、約束はしていない。
だが、あいつは来るだろう。
未確認を…一体倒した後には、必ずやって来る。俺と一夜を過ごす為に。
その夜のうちに、また新しい未確認生命体が殺戮を始めることは…滅多にない。
俺たちはもう、経験上、知っていた。
今回の怪人は89人の命を奪った。それも、高校生ばかりを。
被害者が苦しむだけ楽しい、と笑って殺した。
(…奴等は一体、なんなんだ?)
部屋が片付き、することがなくなった俺は、ベッドに座って考える。
未確認生命体たちは、ゲームをしている、と言う。殺人ゲームを。
今や、奴等は日本語を話し、武器を使い、あるいは今回のように複雑な殺しかたを楽しむ。
あまりにも大きな違和感。それでいて、どこかで知っている感じがする。それが歯ぎしりする程、気持ちが悪い。
…奴等は、おそらく我々人間に、似ているのだろう…。
人類の、貪欲で残虐な部分だけをコピーした化物。それが答えだ。
何か、間違っている。あんな奴等は存在すべきではない。
だが…奴等は存在していた。眠っていた奴等の目を覚ましてしまったから、俺たちは闘っていた。
あいつ…五代が、今日も倒してくれた。未確認生命体第42号、と我々が呼んでいた、極め付けに冷酷な殺人者を。
2号と4号は五代自身なのだから、今までに出現した未確認の数は40体。
もう、果てもなく俺たちは闘っている。
そして、最後はいつも4号であるクウガに、五代に委ねられる。
五代は、常に最前線に立ち、闘い、奴等を屠ってきた。奴等はますます強くなる。それを倒したい一心で、五代も自分を強化していく…。
疲れた…な?五代…。
早く、来い。俺のもとへ。
ここへ、早く。五代…。
俺は、もう怖れていない。おまえの死を、俺は怖れない。
今も時々、夢は見る。おまえが死んでしまう夢、無惨に殺されてしまう夢…声もなく、俺は叫んで目を覚ます。
すると、おまえが俺を抱いているのだった。俺を抱きしめて、共に眠っているのだった。
俺はおまえに縋り、おまえを呼ぶ。すると、ますますおまえは俺を深く抱くのだった。
俺は、怖れているさ。だが…もう怖れない。
おまえが愛をくれたから。
おまえを疑ったことはない。最初から、俺はおまえを信じた。
だから…おまえの愛を、俺は信じる。
最初に、五代にベルトを託してしまったのは、俺だった。そんなつもりはなかったにせよ、俺が五代をクウガにしてしまったのだ。
闘おうとする五代を、俺は何度も止めた。だが、五代の意志は固かった。俺の危機を五代は救った。あの燃える教会で、ほとんど泣きじゃくるように叫んだ五代を、俺は忘れない。
「こんな奴らのために、これ以上誰かの涙は見たくない!だから…見ててください!俺の…変身!」
そして、五代は赤いクウガに、戦士になった。
俺には、もう止められなかった。俺が五代であったなら、同じように闘っただろうから。思いは同じであったから。
それからの俺は、五代を戦場に呼び出すようになった。結局、奴等の暴虐を止められるのは、クウガだけだったから。五代もそれを望んだから。
だが…26号の毒に五代が倒れ、一度は死んでしまった時に…。
俺は知ってしまったのだった。五代を愛していることを。
五代は…石の力のおかげで甦った。だが、その後も未確認生命体は、次々に現れた。俺は五代を愛し、執着しながら、同時に五代を死に続く戦場に駆り立てねばならなかった。それが、俺の望みであり、五代の望みだった。俺たちは断じて逃げるわけにはいかなかった。
だが、愛と死と…ふたつの相反する運命の前で、俺の精神は失調した。五代の死を怖れながら、愛するものを死神への供物として差し出し続ける俺は、あの頃…半ば狂いかけていたのかもしれない。
あのままだったら、どうなっていただろう…。悪夢の為に、俺は眠れなくなっていた。もう何も食えなかった。いずれどこかで倒れたか、あるいは自分で命を断ったか…戦闘の中で未確認たちに殺される、というのがおそらく一番ましな最後だっただろう。
俺を救ったのは…五代だった。
まったく考えてもみなかったことだが…五代雄介は、俺を愛してくれた。もともと、信頼はあり、友愛はあり、俺たちは同志ではあったが。俺が最も危うかったあの夜に、五代は俺を抱くことで俺を救い、俺は五代の愛を知った。
一度抱かれただけでも俺は幸せだったが、その後も五代は俺を訪れた。未確認を倒した夜は…必ず。そして、そうでない日にも。どこで調べて知るのか、五代は俺の非番の夜に、この扉を叩いた。
五代雄介は、おそろしく優しい恋人になった。俺に微笑み、俺を甘やかし、俺に尽くした。素直にありたけの愛を差し出し、ためらうことなく俺の前にひざまづいた。俺に寄り添い、俺を抱きしめて眠った。氷のように蒼冷め、己を閉じたまま死にかけていた俺に、金色の暖かい光を投げ出していた。
誰が…おまえに愛されて、傷ついたままでいられるだろうか…。
なぜ、五代が俺を愛するのか…そんなことは、俺は知らない。なぜ、俺が五代を愛しているのか…それさえ、俺は知らないのだ。このような、残虐な死の乱舞する戦場で、なぜ俺たちが愛し合ったのか…おそらく答えはない。
俺はただ、知っているだけだった。俺は五代を愛している。五代は俺を愛している。それだけで、いい。
俺は、このように人を愛したことはない。俺は、このように人に愛されたこともない。おそらく、この先もないだろう。俺にとって、五代は唯一無二の存在だった。
未確認たちが決して手にすることのできない武器を、俺は手に入れていた。
俺は五代を呼び、五代は俺を呼ぶ。遠く遠く離れても。たとえ…俺を残し、おまえが逝っても。俺は呼ぶ。おまえは呼ぶ。呼ぶ声は、ひとつだった。
俺は、五代の愛を得て、怖れを越えた。
俺は、太陽を手に入れた月なのだ、と思う。
俺は、とっくにおまえのものだった。
そして、おまえは俺のものになった。
俺はおまえの影。おまえは俺の半身。
だから、今は「俺たち」と、俺は言う。
俺たちは…果てまで行こう。この闘いの果てるところまで。
その先に、何があるのか、俺は知らない。
おそらく、おまえの好きなとびきりの青空があるのかもしれないが。今は、俺は知らない。
俺たちは、そこまで行こう。…俺が今、言えるのはそれだけだ。
一瞬…抜けるような青い空を飛んで行く、白い鳥の姿が見えた。あれが五代だ…と、俺は思う。
こんな戦場に引き止めておいていい男ではなかった。最初から…俺は、戦場に五代を置きたくなかった。闘わせたくなかった。
(初めて出会った時から、惚れていたのかもしれないな、俺は…。)
この闘いの果てに青空があるのなら、俺はそこで五代を放ってやりたい。自由な、空へ。
俺の届かぬ空へ…それでいい。五代…おまえが望むままに。
愛をくれただけで充分だった。どこにいても、おまえの声は聞こえる。どこまでも、おまえは飛ぶがいい。
その時が来たら。そこまで行けたら。おまえを空へ放ちたい。それが俺の望みだった。
俺はおまえを束縛しない。俺はおまえを束縛できない。…そのくらい、俺は五代に惚れていた。
それでも…今、俺は無情な恋人だった。
昼は冷酷な上官であり、夜は甘やかな愛人になれる程、俺は器用にはできていない。
だから、俺は冷淡な恋人になった。
闘うおまえの為に、一番辛いおまえの為に、すべての軛、すべての鎖を断つのが俺の役目だ。俺自身がおまえの枷になるつもりは、最初からない。
俺は、怖れを知らぬ、揺るがぬ者としておまえの前に立つ。おまえを支え、共に闘い、共にこの戦場を駆け抜けてみせる。
だから、俺は心配を語らない。怖れを口にしない。執着を知らさない。愛を告げたこともない。
(だが…おそらく、五代にはバレている…)
と、俺はまた苦笑する。
どうせ、冷たくし抜くことなど、できはしない。俺はべろべろに五代に惚れているのだから。
そして、俺の身体は、心よりも正直に五代の愛撫に慣れ、五代を恋い慕っていた。
未確認を倒した夜、五代はどこか荒んだ目をして俺の部屋にやって来る。優しい、疲れた笑顔で俺を抱く。
俺たちはもつれ、からみ合い、どろどろにとろけて、やがてそのまま眠った。どんな悪夢も近寄れない程に、互いの身体に溺れ、泥のように疲れきって。
最初は固かった俺の身体は、すぐに開かれた。昔、知っていたどの男よりも、五代はよかった。いや、どんなに下手であっても、五代が五代であるなら、俺は良かっただろうが。実際のところ、五代はひどく上手くて、俺はまったく翻弄され、身も世も無く溶かされた。
俺たちは、そんなふうにしてお互いの身体に縋り、なんとか耐えてきたのかもしれない…。
だから。
…早く、来い、五代…
ここへ…俺のもとへ…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふと、時計を見る。
もう9時近く…どうした?五代…?
玄関のドアのあたりで、何かがカタリ、と動く音がしたような気がした。
(…?…五代…?)
俺は玄関まで行って、ロックとチェーンを外し、ドアを開けた。
ドアの横に、外廊下のなま温かい風に吹かれて、五代がうずくまっていた。
「五代?」
俺の声が聞こえないのか。その前にドアが開いたことも気付かないのか、五代は動かなかった。自分の前に出した両手を、五代は見つめたまま、うずくまっている。様子が変だった。
俺は膝をつき、五代のうつむいた顔を覗き込む。五代は、見たことのない、己を失った目で、ひたすら自分の手を見つめていた。
「…五代…どうした?」
こみ上がってくる不安な胸のざわめきを押さえ、俺はできるだけ静かに問いかけた。だが、五代は答えない。
五代が見つめている、その両手をそっと捕らえる。掌にぐっしょり汗をかき、それでいて冷たく冷えて、震えていた。
「五代…おい、五代…」
少し声を大きくしてみたが、まだ届かない。
(五代…どうした?何処にいる?)
五代の身体は、最近また急激に変化してきている。未確認たちに対抗する為、五代は自分の意志で身体を強化しているらしい。このまま行けば、殺戮の為だけの生物兵器になるだろう…と、椿は言っていた。その時、五代はまた「大丈夫!」と明るく笑っていたのだが…。
石の力は未知のもので、その作用は解明できていない。五代は今まで、うまく石の力をコントロールしてきたようだが、それがどんなことだったのか…五代が語る筈はなかった。五代はそういう男だった。
今になって、石が五代の脳に障害をもたらしたのか…?それも…有り得ることだった。
「五代!五代!」
俺は、五代の肩に手をかけて、揺さぶりながら、大声で呼んだ。
五代の目が揺らいだ。うつむいていた顔の向きをぎくしゃくと変え、五代は俺を見た。虚ろな目だった。
「…五代、どうした?…こんなところに座って…」
胸が切り裂かれるような気がしたが、俺は静かに尋ねた。五代の人格崩壊の可能性についても、椿と語り合っていた。発狂…あるいは突然の痴呆…俺のところに辿り着いてくれたから、まだよかった、と俺は思う。
五代の唇が動いた。
「…ち、じょ…さ…?」
(…よかった…俺がわかる…大丈夫だ…)
「ああ…俺だよ。」
震えて何かつぶやこうとする唇に、俺は触れた。自分で噛んで、噛み切ってしまったのか、一箇所、血が滲んでいる。
「五代…どうしたんだ?さぁ…立って…部屋に入ってくれ。」
静かに言いながら、俺は五代の肘のあたりを握り、ゆっくりと五代を立たせる。五代はよろけながら立上がって、俺の導くままにドアの内側に入った。
ドアを閉めて、俺はいくらかほっとする。
だが、三和土に立ったまま、五代はまた動かなくなった。両手をぶらりと下げたまま、五代は相変わらず虚ろな目をして立っている。痛々しい姿だった。
震える指が気になって、俺は五代の手を取り、自分の両手で包みこんだ。
「ずっとあそこにいたのか?…馬鹿だな、五代…」
「俺は中にいたのに…どうして呼ばなかったんだ?五代…」
「ほら、靴を脱いで…上がってくれ。なにか暖かいものを作ろうな…」
俺はゆっくり話しかけ続けたが、五代の答えはなかった。
冷たいまま暖まらず、震え続ける五代の指が哀れで、俺は五代の手を持ち上げ、自分の頬に押し当てた。
「こんなに震えて…どうした?…五代…どこにいたんだ?」
突然、ぴくっと五代の指が動く。俺を見る五代の瞳が見開かれる。
俺の頬に当ててあった指が、いきなり引き抜かれた。
「だ…だめっ!」
五代が、必死の切迫した声で叫んだ。そして、俺の頬に触れていた手を、もう一方の手で隠そうとする。握った拳の関節が、白く震える。
「…五代?どうした?…」
「…ちじょうさん、いちじょうさん、いちじょうさん、いちじょうさん…」
五代はどこか焦点の合わない目のまま、念仏のように抑揚なく、俺の名前を連呼した。
胸が痛かった。俺はそっと五代の強張った身体を引き寄せて抱き、髪をゆっくり撫でた。
「…俺は、さっきから待ってたんだぞ…五代…どこにいたんだ?
玄関の横にずっといたのか?…俺をちゃんと呼んだか?…五代…?」
突然。五代が凄まじい力でしがみついてきた。
「…一条さん…一条さん!」
後ろによろけた俺の踵はかまちの縁に当たり、俺は、あっという間に廊下に押し倒されてしまった。背中を打ち、少しの間息がつまった。フローリングが冷たく感じられた。
俺の名を呼びながら、五代がのしかかってくる。噛み付くようなくちづけに、俺の唇は塞がれた。がちがちと歯がぶつかり合う。五代の唇は乾き切って、血の味がした。五代は俺の頭を抱え込んで、食べ尽くすように俺の唇を奪っていた。
俺は五代の身体を抱いたまま、抵抗しなかった。
(五代…何があった?)
それだけが気になっていた。五代に何があったのか。こんな五代は見たことがない。普段は、のんびりと気楽そうに見えるこの男が、実は強い信念の持ち主であり、同時にタフで柔軟な男であることを、俺は知っている。そうでなければ、クウガに変身して、ここまでやってはこられなかった。その五代が、滅多なことでこんな乱れかたをする筈がない。
唇の力を抜いて、五代がむさぼるままにした。少しずつくちづけに応えて五代を鎮めようと、俺は努めた。
だが。五代は俺の唇を奪いながら、性急に俺の身体をまさぐり、Tシャツの下に手を入れて、トランクスのウェスト部分に指をかけようとしていた。
「…ごだ…」
俺は、五代の唇を逃れて制止しようとしたが、呼びかけた口をまた封じられてしまう。五代はトランクスを引き下げ、強引に俺の下半身を剥き出しにしようとしていた。憑かれたような目の色を見て、俺はぞっとした。
「五代!やめろ!」
五代の胸を押し退けて、俺は叫んだ。腰をずらして逃れようとすると、かえって下着まで脱がされてしまった。五代が身体を進めて追って来る。
急所を攻撃するなどして、本気で抵抗すれば、五代を止めることはできる、と思う。だが、五代に怪我はさせたくなかった。そんな止めかたもしたくなかった。
「五代!やめてくれ!」
また逃れようとした腰を掴まれ、身体を回されてしまった。俺を押さえつけながら、五代が自分のジーンズの前を開ける音がする。
「一条さん…一条さん…一条さん…」
五代は相変わらず、抑揚なくつぶやいている。俺の背中に、五代の身体の重さがかぶさってきた。裸にされた尻に、硬くなった五代が当たった。
「五代!強姦する気かっ!!」
俺は叫んだが、五代の動きは止まらない…このまま犯されたら、俺は大怪我してしまう。
前に這って逃れる。また押さえ込まれる。また逃れたところで、廊下は行き止まりになり、俺は追い詰められた。
押さえこまれた肩が痛い。両足の間に膝をこじ入れられ、開かされた。後門に押し当てられる五代を感じた。
「…五代…やめてくれ…」
五代が腰を進めて来る。
俺は覚悟して、少しでもダメージを少なくしようと、抵抗をやめた。息を吐いて、衝撃に備えようとする。
が、乾いた狭い門を、無理矢理に押し広げられようとする痛みに、俺の身体は強張ってしまう。
「…痛い…やめてくれ…五代!…五代!」
最初の侵入に失敗して、五代が角度を変えようとしている。目を閉じて、次の攻撃に耐えようとした時。
俺はいきなり解放された。押さえられた肩が放され、五代が急に身体を起こすのがわかった。
「…五代?」
俺は振り返った。俺たちは、二人とも不様な格好だった。俺は尻を剥き出して、廊下に這いつくばっているのだし、五代は膝立ちで、萎えていく自分自身を、呆然と見つめていた。
「…一条さん…俺…?」
急いで服を直して立ち上がると、五代はなんとも間抜けな顔をして、俺を見上げた。股間はまだ、露出したままだ。俺はなんとなく、可笑しくなった。
(よかった…五代は無事だ…)
混乱した、情けない表情ではあったが、もう虚ろな目ではない。五代は帰って来ていた。
俺はひざまづいて、五代の服を直す。
「…一条さん…」
「大丈夫だ、五代…何もなかったよ。…さぁ、立って。立てるか?
おっと。靴を履いたままだったな。」
自分の靴を脱ぎ、五代のスニーカーを脱がして、三和土に並べる。
それから、ふらふら立ち上がった五代の背中を押した。
「さぁ、入れよ、五代。こっちのほうが涼しいから…」
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