『第3章:決意』-2


         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 テレビから、タレントのかん高い笑い声がする。
 だが、五代はまだ俺の言葉を待ったまま、俺を見つめていた。
 俺は、僅かに目を反らし、沈黙を破る。

「五代…もう遅い。寝よう。
 俺は、明日も早いんだ…。」

「俺…一緒にベッドで寝てもいいですか?」

 五代が、おそるおそる言う。

(そんなに、俺を怖れないでくれ…五代…)

「他にないだろう?」

 俺は、狭い部屋を見回すようにしながら、笑って言う。

「でも…はい。」

 五代の笑顔が少しだけ戻る。尻尾もまた揺れているようだ。
 やはり…五代が笑えば、俺はどうしようもなく嬉しかった。

 テレビを消し、ベッドカバーをめくっておいて、電灯を消し、先にベッドに入った。五代の為に、窓際に寄る。
 だが、五代はまだ立ち上がったままで、立ちつくしている。

「五代…どうした?」

 俺は、何気なく呼ぶ…。

「はい…」

 まだ目が薄闇に慣れていない。シルエットしか見えない五代が、妙にぎくしゃくと、動いた。
 そして、意を決したように、素早く毛布の下にもぐり込んで来る。だが、俺からできるだけ離れ、触れないように身体を固くしていた。

「五代…これは、シングルベッドだ。
 そんなに端だと、落ちてしまうぞ…」

 俺は、静かに誘った。

「大丈夫です…俺…これ以上近寄ると…」

 薄闇の中で、五代が俺を見つめているのがわかる。

「遠慮しないで、いい…」

 躊躇うだけの間合いがあって、五代が少し身を寄せ、俺の首の下に手を伸ばしてくる。
 俺は頭を浮かし、それから五代の腕に預けた。五代はさらに身体を寄せて、俺の頭を抱き取る。
 闇の中で、五代の匂いが強くなった…。
 俺は一瞬、身を震わせて、それから力を抜く。
 溢れ出すままに注ぎかけてしまいたかった愛情は、もう塞き止められていた。
 それでも、もう一度、この男の腕の中にいて、俺は幸福だった。
 俺は目を閉じて、五代の匂いを呼吸した。
 五代が耐えられなくなるまで、待った…。

 やがて、五代は静かに動いた。
 頭を引き寄せられ、髪に頬擦りされて…腕が回され、抱き寄せられ、抱きしめられる。
 五代は震えていた。苦しそうな息が聞こえ、速い鼓動が伝わってくる。

「ご…めんなさい…我慢できません…」

 誘っているのは、俺だった。
 せめて身体を抱いて欲しかった。
 愛の言葉もなく、身体を差し出している…娼婦のようだ、と自分を笑う。

「五代…我慢しなくて、いい…」

 俺は、静かに言った。抱きしめる腕が強くなった。

「好きなんです…とても…」

 耳許で囁きが聞こえる。五代の息が耳朶にかかる。
 身体が反応して震えると、五代が少し笑った。
 俺の上に乗りかかり、五代は俺を見つめた。
 もう目が慣れてきて…痛々しい笑顔が見える。

「一条さんも…楽しめるように、しますから」

 五代はゆっくり俺にくちづけてきた…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 五代は、急がずに俺の身体を愛していた。
 丁寧に、優しく…壊れものに触れるように、また指で辿り、唇で触れ、舐め尽くしていく。

 そして、途中で俺は気がついた…。

(おかしい…俺は、変だ…)

 この前は夢中で、何も考える暇もなかった。あっと言う間に五代に奪い尽くされてしまった。
 だが…ひどく良かったような気がする。俺は、悶え狂っていたようだ…。
 そして、今…。

「…ああ…あ…ごだい…」

 俺は、胸の突起を舐めしゃぶられながら、全身を撫で回されていた。

 いつの間に脱がされたのか?
 この…声は、俺か?
 この喘ぎは、俺か?
 変じゃないか…俺は…

「あああっ!」

 突然、噛まれて俺は仰け反っていた。
 そんなにきつく噛まれたわけじゃない…五代は、気をつけて甘く噛んでいるのに。
 脇腹を撫で降ろされる掌がたまらない…肩を掴む指もどうしようもない…全部、感じてしまう。

 俺は、こんなじゃなかった。
 俺の身体は、こんなじゃなかった。
 俺は、いつも不感症だと言われていて。
 俺は、決してこんな声は出さなかった。

 五代はまた俺の身体をよじ登り、首筋を噛んでいた。とっくに全裸になっていた五代の肌が俺に重なる。五代の腕が俺の頭を抱く、五代の腹に俺の昂りが擦れる、脚と脚がからむ…五代と触れ合っている全ての、何もかもが敏感になってしまって、苦しかった。
 閉じ込められた心が、身体を利用して五代を欲しがっていた。腕も手も指も、抱き返し、奪い返したがって悶えた。俺は無理矢理に、それも封じた。すると、全身の肌の感覚は、ますます鋭くなってしまった。
 湿った音を立てて、五代が首筋を吸う。片手が腿を撫でていた。
 もう痛い程だった。俺はうめき、声を殺そうとして、行き場のなくなった手を噛んだ。
 もっときつく噛もうとした時、手を押さえられ、口から外された。

「また…。一条さん、駄目ですよ、手を噛んだら…」

 目を開くと、五代が俺を見つめている。
 見つめながら、掴んだ俺の指先を口に含んだ。歯と舌で優しく触れられて、俺はまた喘ぐ。

(指が…どうして…俺は…)

「指も感じるんだね…一条さん…ここは?」

 そう笑いながら、五代はもう一方の手で腹を撫で降ろして、一気に股間の俺に触れる。
 俺の身体が跳ね上がり、よじれる。

「ああっ!!」

 本当に必死になってきていた。
 俺は…感じすぎる。このままだと、どうなってしまうのか…。

「ごだい…やめて、くれ…こ、わい…」

「一条さん…?」

 五代が、責める手を休め、身体を抱き込んでくれた。
 抱き寄せられ、背を撫でられる。少しだけ、俺は落ち着いた。
 それでも、五代の手や肌が触れている部分から、波立つような感覚が繰り返し襲って来る。

「ごめんなさい…急ぎすぎました?」

 俺は首を振る。五代は充分堪え、ゆっくり進めてくれている、と思う。

「俺が…変、なんだ…」

 五代の肩に僅かに頭を擦り寄せながら、言った。

(こんなに…惚れているのか、俺は…)

 心を閉ざしても、口をつぐんでも、俺の身体は正直に五代を恋い慕う。
 むしろ、塞き止められたぶん、身体は狂ったように五代を求めていた。
 手を伸ばして抱きたくて…抱きしめたくて、全身が震える。
 五代は、また優しく抱き込んでくれた。
 寄り添う肌が恋しく、嬉しく、そして、苦しくて…歯を食いしばると、ますます震えた。
 深く息をして、自分で鎮めなければならなかった。

(なぜ、俺は…こんなに惚れていなければ…)

 これほど執着していないなら、伝えることもできた筈だ。
 これほど怖れていないならば、抱きしめることもできる筈だ。
 だが、もう遅かった…。

「感じてくれて、嬉しいですけど…辛いですか?」

 五代が俺を覗き込んでいた。応えようもなくて、俺はただ首を振る。

「優しくしますから…許して…」

 俺はまた首を振る。

「優しくしないで…いい…。」

 むしろ、惨く扱われたほうが、楽なのかもしれなかった。
 俺を気遣わず、強引に奪ってくれたほうがいい、と俺は思う。

 五代の瞳が見開かれ、一瞬の凶暴な熱がかすめる。
 だが、五代はそれをすぐに鎮めてしまい、笑う。

「一条さん…俺、乱暴にはできません…
 とても好きだから、大事にしかできません…」

 五代…そんなに俺を愛さないでくれ。
 そんなに優しくしないでくれ。
 おまえが、俺を愛する程に、俺は愛を封じなければならなくなる…。
 おまえが気遣う程に、俺は怖れを隠さなければならなくなる…。
 五代…俺を愛さないでくれ。

 だが、それももう遅かった…。

「一条さん…俺の、綺麗な、一条さん…好き…大好き…」

 腕の中の俺を見つめて、五代が歌うように呟く。
 乱れてしまった俺の髪を、丁寧に掻き上げていた。
 そして、唇に唇で軽く触れ、微笑みながら、言う。

「じゃあ、優しくしますけど…許して…?」

 俺の中に、五代の優しさが流れ込んでくる。
 閉ざしている心が、五代の愛で満たされてしまう。
 また傷が癒されていく。
 傷ついても、苦しんでも、おまえがみんな治してしまう。

 どうしようもなく、俺は五代を愛していた。
 ひたすらに、五代は俺を愛そうとしていた。
 これほどに怖れながら、俺はこれほどに幸福だった。

 五代は俺にくちづけて、頬をなぞる。
 ゆっくりと、また俺を愛し始める。
 俺は目を閉じて、五代に身体を預けた…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 預けてしまったら、少し楽になった。
 だが、俺はすぐに乱れ、崩れ落ちてしまった。夢中になり、わからなくなった。
 五代が際限なく与え続ける刺激と快感に溺れ、流されて、次の喜びを追うだけになった。
 時も己もなくなっていた。身体は狂喜した。快楽を貪欲にむさぼり続けた…。

 ずっと喘ぎ続け、悶え続けていたのだろう、と思う。
 気がつくと、喉がからからに干上がっていた。
 そして…五代が俺を見つめていた。
 五代の指が、俺の後門に触れていた。

 俺は、ほとんど無意識に唇を開き、くちづけをねだる。
 五代が唇を塞いでくれて、その唾液で俺の唇は少し潤う。
 その時、後門が少し押し込まれ…俺は、やっとその意味に気付いた…。
 五代の目が、光って俺を見ていた。

「ご…だい…」

 俺は割れてしまった声で、五代を止めようとした。
 さらに、指は僅かに進もうとする。俺は一瞬脅え、身体を強張らせた。
 五代は焼けつくような瞳で、俺を見つめた。

 それから、目が伏せられた。五代が少し笑ったような気がした。
 俺を侵しかけていた指は去った。
 静かに、五代はもう一度、くちづけてきた。もう優しい瞳になっていた。

「一条さん…好きですよ…」

 呟いた五代は、溶けきっている俺の身体を下り、視界から消えた。
 いきなり、柔らかく温かい口に含まれ、俺は叫んだ。

「あああっ!ご、だい…」

 五代…奪ってしまえばいいのに…
 五代…そんなに愛さないでくれ…

 五代の口淫は巧みで、俺はすぐに追い上げられる。
 軽く噛まれて叫び、吸い上げられてまた叫ぶ。また次第に、己を失っていく。
 五代の優しい口の中で、俺は絶頂へと運ばれていった…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 この暖かさ、この優しさ、この心地よさが、俺を救ったことを思い出す…。

 俺は、指一本動かせないけだるさに身を任せて、五代に抱かれていた。
 俺の頭を抱き取って、五代の腕が身体に回されている。
 五代はまた大切な壊れものを抱くように、空気からも寝具からも庇うように、俺を抱き込んでいた。
 見つめる視線を感じて、俺はようやく目を開ける。

「五代…また、飲んでしまった、のか?」

 かすれた声で、俺は訊いた。

「…はい。」

 五代は、嬉しそうに笑って、言った。

「出せば、いいのに…」

 だるくて、やっとしゃべっている俺を、五代が見つめている。

「だって、もったいなくて…
 美味しかったですよ〜」

 くすくす笑いながら、五代が言う。

「馬鹿…」

 罵られて、ますます嬉しそうだ。

 気付いて、五代の股間に手を伸ばした。
 猛ったままのものに、僅かに触れた。

「あっ!」

 笑っていた五代が叫んで、腰を引く。

「一条さん、だめ…」

 情けない、途方に暮れた表情になった。

「俺が、しようか?…口がいいか?」

 こういう…乾いた言葉は、俺は封じない。
 縋る心と怖れだけを封じればいいことが、わかってきていた。

 だが、五代はあわてたように首を振る。

「や…やめてください…。」

 それからさらに困り果てた顔になったので、俺は少し可笑しくなった。

「…手を…貸してもらえます?」

 やっと決心したように、五代は言う。
 すぐに手を伸ばして、そっと握り込んでやると、仰け反ってうめいた。

「あ…あっ!!」

 苦しそうに喘ぐ表情に、また欲情しかけた。
 手を伸ばし、抱いてやりたくて、唇を噛む。
 手の中の五代は、硬く張り詰めていた。動かそうとすると、五代の手で包み込まれる。

「一条さん…良すぎ…ああ…」

 そう言いながら、五代は俺の手ごと握り込んで、自分を追い上げ始める。

「見られていると…恥ずかしいです…
 でも、見ていて…見ていたい…見ながら、いきたい…」

 俺を見つめる目がうつろになり、表情が弛緩していく。
 くちづけたい心を抑えて、俺は見つめていた。

「…一条さん…一条さん…一条さん…ああ…いい…一条、さん…」

 うわ言のように、俺の名を呼ぶ。手の中の昂りは、硬度を増していた。

「ああ…いい…あ、ああっ…いくっ一条さん、離して!!」

 五代は、自分を押さえながら、俺の手を退かそうとしたが、俺は構わずにさらに握り込んで、大きく動かした。

「ああっ!!駄目っ!!離してっ!!あ…あああっっ!!」

 手の中の五代が脈打ち、温かいものが俺の手を濡らす。飛び散らないように、覆い込んでやりながら、俺は、さらに尽きるまで、緩やかに動かした。
 五代は目を閉じて、喘いでいた。唇が開き、漏れていた荒い息遣いが次第に鎮まっていく。
 無防備な表情が愛しくて、見ていられなくなり、俺は目を閉じる。
 またすぐに見たくなり、目を開ける。

(見ていよう…苦しくても、俺も、見たい。)

「…一条、さぁん…離してって、言ったのに〜〜…」

 まだ目を閉じたまま、僅かに甘えた声で、五代は言う。

「最後で離したら、俺の手を使う意味がないだろう?」

 俺は、また乾いた言葉で、応える。

(これで、いい…。形が、できてきた。)

 応えながら、ティッシュの箱を探し、五代と自分の手を拭う。
 手で受けたつもりだが、五代の腹にも俺の身体にも、五代の精はこぼれていた。

「ああ…すみません…」

 謝りながらも、五代は、目を閉じ、動けない。

「動けるようになったら、シャワーを浴びたほうがよさそうだ…」

「…は、い…」

 横になったままの五代を抱いてやりたかったが、俺はまだ自信がなくて、五代の横に仰向けになった。

 大丈夫だ…。
 なんとか…俺は、五代を支えていける…。
 怖れは見せない。心配はさせない。
 俺が、強く強くなれば、いい。

 五代にまた愛されて、俺の心は満たされていた。

 差し出せない愛でも…俺は、愛しているよ、五代。
 俺は、強くなろう…もっと、もっと。
 大丈夫だ…俺は、きっとできる。

 横の五代が身動きした。

「一条さん…手、すごい?」

 笑いを含んで訊いてくる。

「ああ…」

「俺、おなかがべたべたのがびがびです〜」

 ものすごい形容に、俺は笑った。

「シャワーにしよう。これでは、寝られない。」

「はい。」

 五代は、勢いよく起き上がり、笑って俺を見る。

「一条さん、ありがとう。すっごく気持ち良かったです〜」

 この明るい太陽に、かなうわけはない…と思いながら、俺も笑った。

 

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