〜EPISODE20【笑顔】より〜 その3

     ◇◆◇

 「今日は非番だったっていうのに、付き合わせてしまって、済まなかったな」
 杉田に頭を下げられて、一条は恐縮した。先ほどから腕時計にばかり目が行くので、杉田に気を遣われてしまったらしい。
 「一条さん、お疲れ様です。今日は本当に助かりました。もう後は自分達だけで何とかなりますから」
 桜井からも労われてしまい、一条は帰宅することにした。
 (遅くなってしまったな)
 際前から何度確かめたかわからない時間を、もう一度パトカーの時計で見ながら、思うともなしに雄介の言葉を思い出していた。
 (おっいしー料理作ってますからね。一条さん、なるだけ早く帰って来てくださいね!)
 にやけて来る顔を無理に引き締め、一条は、ともすると制限速度を大幅に上回りかける右足をセーブしつつ、家路を急いだ。

 地下の駐車スペースに車を置くと、地上に一旦出て、エントランスに向かった。無意識に振り仰いだ一条は、自分の部屋に灯りが点っていることに気付き、不思議な温かさに包まれていった。
 (単なる消し忘れだったら……がっかりするんだろうな、俺は。あいつが居ると識っているから、こんなにドキドキしながら戻るんだろうな)
 エレベーターはこんなに動作が鈍かっただろうか? 一条は眉間に軽く皺を寄せた。先達ては、赤信号の度に(こんなに信号機はたくさん設置されていたか? こんなに赤信号は長かったか?)と訝っていた。
 それでもようやく部屋の前まで辿り着いた。鍵を取り出そうとして、雄介に与えたことを思い出した。初めてドアチャイムを押した。
 (自分の部屋のチャイムを鳴らすなんて…まるで)
 「おっかえんなさーーーーーーい!」
 間髪入れずに、エプロン姿の雄介がドアを開けて迎えた。
 「疲れたでしょう、一条さん。まずお風呂ですか?」
 半ば呆気に取られていた一条は、何か訊かれたと察して、生返事を返した。
 「じゃあ、ちょっと熱めのお湯を足してきますねー」
 パタパタと浴室に消える雄介の後ろ姿を見るともなしに見ながら、さっきから漂っている美味しそうなカレーの匂いに釣られるように、キッチンに入って行った。
 (昼、カレー食ったばっかりじゃないかよ…)
 シンクの横には、真新しい小分けタッパーウエア三個に、それぞれカレーが八分目ほど入れられていた。
 「あ、それは冷凍用ですよ。もう冷めたよな。よし! 一条さん、電子レンジで温めるだけで炊き立てご飯ってやつをここに入れて置きましたからね。このタッパーも、蓋ごとそのままレンジOKってタイプですから、温めて食べてくださいね。もちろんね今夜のおかずは別ですよ。って言っても、焼き魚と煮物なんですけどね。一条さんの好き嫌い、聞いてなかったから適当で…」
 立て板に水状態で喋り続けていた雄介が言葉を切ると、一気に静寂が二人を包んだ。
 一条が軽く雄介のほうに頭を振っただけで、雄介は慌てた風に言葉を繋いだ。
 「魚、大丈夫ですよね? 野菜に好き嫌いがありましたか? カボチャとかニンジンとか…」
 「五代、そんなに矢継ぎ早じゃ俺は答えられない。ちょっと落ち付け。…まぁ、座ろう」
 「お風呂は? あ、もう足し湯がOKかも…」
 言うが早いか、雄介は再びパタパタと浴室へ小走りで行ってしまった。
 (何なんだ、アイツ。喋りっぱなしじゃないか…)
 一条は少し不満に思っていた。抱き締められて口付けられて…、強引で熱い時間が先に来るものと勝手に想像していた自分に、舌打ちしたくなっていた。
 「一条さん、お風呂バッチリですよ。さあ、入っちゃってください。着替え、出しておきますから」
 その時、一条は雄介の表情が強張っていることにようやく気が付いた。
 「五代、……一緒に入るか?」
 ほんの悪戯心に唆されて言ってみた一条だったが、雄介は意外にも「心外だ」という表情をした。
 「ええ!? …あ……さ、先に入っちゃったんですよー。そ、それに、料理、一条さんが入ってる間に、温め直しておかないと……」
 ろくろく一条の顔も見ないで、雄介はおろおろと喋り続けた。
 (照れてるのか? 今更? 五代が?)
 一条には理由がわからなかった。昨晩の様子からして、もう少しロマンティックに事が展開すると思っていた一条は、雄介のおどおどした態度が、どうしても腑に落ちなかった。
 「わかった。じゃあ風呂に入ってくる。…着替えは自分で出すからいい」
 「…はい」
 少々不貞腐れ気味に言ってみた一条だったが、雄介は別段反駁したりもしなかった。
 打ちひしがれたような、それでいてホッとしているような、微妙な雄介の後ろ姿を気にしながら、一条は着替えを取りにベッドルームに行った。
 今朝、慌ただしくメイクしただけのベッドは、きちんと整頓されていた。
 シーツも枕カバーも、洗い替えのものと交換されているし、見れば、パジャマが畳まれ、ベッドカバーの足元に乗せてあった。
 (マメな男だな。洗濯までしたのか?)
 下着とパジャマを手に浴室に行くと、乾燥機が使われた証拠に、モワッとした独特の空気が、洗面所を満たしていた。
 (まるで嫁さんだ)
 クスッと笑って、一条は帰宅した時の戸惑いを思い出していた。
 (そう、まるで新婚気分だと思ったんだ)
 抱かれる立場の一条が夫の風情で、どうにもこそばゆい思いだったのだ。  (ここで食事を作ってもらうとは思ってもみなかった…。アイツの作った手料理か…。なんだか楽しみだな)
 湯船に浸かりながら、自分の体に咲き誇っている赫い花びらを見止め、覿面ソワソワしだす一条だった。

 (タオル、出し忘れてたな〜)
 一条は浴室のドアを細めに開け、雄介にタオルを取ってくれるように頼もうと思った。しかし、目の前の脱衣籠には、出し忘れていたはずのタオルが、ちゃんと下着の上に被せるようにして乗っていた。
 (なんだ、アイツ、ここまで来たんなら、背中でも流してくれれば良かったのに…)
 再びブスッとした気分になった一条は、大雑把に体を拭き、服を身につけ、最後に髪を乱暴に拭きつつ、ダイニングに向かった。

 雄介は、キッチンを背に、テーブルに肘ついた手の中に、俯いた自分の頭を乗せて、彫像のようにじっと座っていた。一条が戻ってきたことにも気付いていない様子だった。
 (…眠っているのか?)
 雄介の顔をよく見ようと、一条はそっと腰を屈めた。
 雄介は眠っているわけではなさそうだった。口元が僅かに動いている。何かを呟いているようだったが、ダイニングの入り口で佇んでいる一条まで、その声は届かなかった。
 食卓には、ひとり分の食事の支度が整っていた。あとは飯と汁を盛るだけになっている。丼に盛られている煮物からは仄かに湯気が立っている。先ほどまでのカレーの匂いは、和風な料理の香りに凌駕されていた。
 「美味そうな匂いだな」
 努めて今来たように一条は言った。
 ハッとして、雄介はガタッと派手に椅子から立ち上がった。
 「どうした、何をそんなに吃驚している? それに…、どうして一人分なんだ?」
 「あ、ああ、オレ、つまみ食いし過ぎて…おなか一杯になっちゃって…。一条さん、すぐご飯ですか、それともビール」
 「五代」
 一条はつかつかと雄介に近づき、口の中で「はい」と小さく返事した雄介の肩を押し、椅子に座らせた。
 「おまえの分は、最初から、ないのか?」
 ガスレンジの上にある鍋の蓋を開けると、そこには味噌汁が作ってあった。他の鍋はきれいに洗ってあった。魚も、鯖の切り身が三切れ焼かれて皿に盛られているだけで、グリルの網もきれいに洗い上げてあった。
 「作っている間に一人で食べたって言うのか?」
 一条は続いて炊飯器の蓋を開けた。ふっくらと炊き上がった白米は、五合炊きの炊飯器の八分目ほどたっぷりあり、蒸らしの時間だったようで、しゃもじの跡ひとつ付いてなかった。
 「俺ひとり食べるのを見ている気だったのか?」
 雄介は俯いたまま無言だった。
 「五代?」
 のろのろと顔を上げた雄介は、それでも一条の顔は見ずに、エプロンを取る仕草をした。
 「…オレ、帰ろうと思って…」
 「え?」
 「一条さんが風呂から上がってくる前に、帰ろうと思ってて…」
 意を決したように、眩し気に一条を振り仰いだ。
 「失敗して帰り損ねてしまいましたけど。…でも、鍵は直に返せますね。はい、これ…。もちろん、…スペアは作ってないですよ」
 テーブルの上に置かれた鍵はエプロンのポケットから出された。コトリと置かれた鍵を見つめながら、雄介はエプロンを外した。くるくるっと手の中で丸めて、立ち上がりながら、ジーンズの尻ポケットに捻じ込んだ。
 「じゃあ、オレはこれで帰ります」
 ぺこっとお辞儀をして一条の脇を通り抜けようとした雄介を、一条は押し留めた。
 「何を考えていた、さっき。…前に言っただろう、腹が減ってる時は、碌なことを考えないものだって」
 僅かに背の高い一条を、ギクリとした顔で雄介は見上げた。
 「おまえの今日だけの我が侭は、これで充分なのか?」
 至近距離に立ってみて、雄介が先に入浴したと言ったのが嘘だったことが一条にはわかった。
 (五代の匂いだ。…もう憶えた…五代雄介の匂いだ…)
 「おまえが食べないのなら、俺も食べない」
 「…一条さん…」
 「一緒に食おう。足りないなら、カレーを解凍しよう」
 「こ、困ります」
 「何が」
 「オレ…もう…ギリギリで…ッ」
 「五代、座れ」
 「! ダメです!」
 思わず雄介は、一条の手を振り払った。瞬間、雄介は『しまった!』という表情をしたが、すぐにまた顔を背けてしまった。
 「何がダメなんだ、五代。聞かせてもらうまで、おまえを帰さない。おまえの我が侭を叶えたんだ。今度は俺の我が侭も聞いてもらうぞ」
 「……駄々っ子」
 「何ッ?」
 「そんな…我が侭を…競うように……! クスクスッ」
 「…おまえが素直にならないからだッ」
 「クスクスッ 一条さん、…ムキになってる…。クスクスッ」
 クスクスと笑ってはいるが、雄介の表情は泣いているように見えた。
 「そんな…ッ 殺し文句言っちゃダメです、一条さん…! オレが素直になれば、一条さん、困るくせにッ」
 「俺が困るか困らないかは、言ったおまえには関係ないッ 言え!」
 「…!」
 雄介は下唇を戦慄かせながら、一条を慄然と見つめた。
 「か…んけい…ない…?」
 「おまえは、何の心配もしないで、素直に言うだけ言えばいいんだッ」
 癇癪を起こしたような一条に、雄介は二の句が継げないでいた。
 雄介の困惑した顔に、一条は我に返った。子どもっぽい激情のまま、非道いことを口走ってしまった気がする一条は、一転、優しく穏やかな口調で雄介に語った。
 「もっと…甘えてくれ、五代。独りで何もかも抱え込むな。…俺は頼りにならないかもしれないが、…言ってくれないと…俺も…悩む…」
 「言っても言わないでも…困らせちゃうんですね…オレ」
 「だからッ 困るのも悩むのも俺の勝手だろうが! おまえの所為だなんて思いはしない!」
 「…」
 「…おまえに…そんな顔をして欲しくないんだ。…こんな気持ちになるのは…初めてで…巧く言えないんだが…」
 「ぐぅ〜」
 「あ?」
 「あ…」
 雄介の腹の虫は、まったく素直だった。
 「五代、メシだ。座って食え」
 雄介は最早、何の抵抗も出来なかった。

 「おまえって、意地っ張りなんだな」
 「一条さんだって、案外、幼いですよねー」
 向かい合わせで食卓についた二人は、一人分のおかずを仲良くつつきながら、咀嚼に忙しかった。だが、箸休めの日本茶を啜りつつ、舌戦にも熱が入り出した。
 「だいたい、料理だけ作って帰るなんて、おまえらしくないんだ。勘繰ってくださいって言ってるようなものだ」
 「一条さん、オレに抱かれたかったって聞こえちゃいますよー?」
 「ば、ばかッ ふ、普通、メシ作ったら、一緒に食べるもんだろう!」
 ボッと火がついたかのように赤くなった一条は、最後の一口のご飯を豪快に掻き込んだ。
 「……帰れなくなっちゃうじゃないですか……」
 茶碗と箸を食卓に静かに戻し、長めの沈黙のあと、ボソッと雄介が呟いた。
 「こんなに楽しい一日が終わっちゃって。…オレ、夢みたいでしたよ。二六号の残りカスが余計なオマケでしたけど、でも、ほとんど遣りたかったこと、叶えちゃったし」
 「…」
 「一条さんにご飯作るのって、前からやってみたかったんです。どんなところに住んでるのかも興味あったし。案の定、自分では何も作ってませんってキレイな台所で…」
 雄介はクリクリッと目玉を動かしつつ、シンクの隅から隅までを見て、おどけた。
 一条は苦笑して、湯呑みを手に取った。すかさず、雄介が急須をかざし茶を足した。
 「今日、一条さんが帰って来るまで、オレ、奥さんになったつもりで、家事、頑張りました。…そしたら…切なくなっちゃって…。やりきれないくらい…胸…痛くなっちゃって…」
 「…」
 「いろんなこと考えちゃいました。洗濯機回しながら…掃除機かけながら…米とぎながら…魚焼きながら。洗剤や食器が足りなくて、タッパーウエアなんか買い足しに出掛けたり…。…やりたかったことが一遍に叶っちゃって…、楽しかったんですけど…ホントに夢みたいに幸せだったんですけど…、オレ、欲深だから…また…新しい望みが出て来ちゃって…」
 「どんな」
 「…さっきは、お風呂場にタオルを置きに行って、背中、流してあげたいなぁーとか、…テーブルに料理並べながら、やっぱ一緒に夕飯食べたいなぁーとか、…一条さんに腕枕して寝たいなぁーとか…。スペアキィ、内緒で作っとくんだったなぁーとか…。…オレ…帰りたくないって。どこにも行かないで、ここにずっと居たいって。一条さんとずっとずっと一緒に居たいって! でもッ 未だダメなんだ…ッ アイツ等がいるし、オレは闘わなきゃいけないしッ! …一条さんと凄い幸せな生活送っちゃったら、オレは…怖くなるかも知れない…。もう闘えなくなっちゃうかも知れない…ッ それじゃ…ダメなんだ…。オレは…闘わなきゃ…」
 「俺じゃないだろう、俺達だろう?」
 「!」
 「俺だって怖いさ。…昨日、おまえ、言ったよな。この闘いがすべて終わってしまうまで、自分たちだけ幸せを感じるなんて罪みたいな気がするんじゃないかって。…俺は、幸せを失うのが怖いんだと思う。……つまり…おまえを…喪ってしまうんじゃないかって思うと……」
 「…」
 「おまえに鎖をつけて…監禁したくなる。クウガの能力の前では、何の牽制にもならんだろうが…。「俺の為を思ってクウガにならないでくれ」って言う日が来そうな気がして…、苦しい。正直なところ、おまえに闘って欲しくない。おまえをアイツ等の前に送り出したくない。…本当に…こんな気持ちになったのは…初めてだ。……二人が一緒にいて、駄目になるって言うのなら、いっそ駄目になってしまえ…と、…実は思ってしまえる刑事だったんだ、俺は」
 「一条さん…」
 「おまえ一人がどうしてそんなに苦しまなきゃいけないッ!? どうして! 俺が…独断で…沢渡さんにあのベルトを渡しさえしなければ…!」
 「違う、違いますよ、一条さん。そうじゃないってこと、オレ達みんな解ってるでしょう? オレ達みんな、出来るだけの、少しの無理をして頑張ってる。やれるところで頑張ってる。オレは、自分がクウガで良かったと思ってます。一条さんがクウガだったら、イヤだな。オレはパンピーな一民間人で、一条さんのこと、何もサポートできませんもんね。…冷凍保存食のカレー作るくらい?」
 テーブルに向かい合って座っているのに、それまで意識的に目を合わせなかった二人だったが、雄介の軽口に、ようやく表情が少しだけ砕けた。
 「…言っても仕方がないことか、所詮…」
 「でも、嬉しかったですよ、オレは。一条さんの気持ち、伝わって来ました」
 「通じ合ってるって思ってたんだ。…俺の…思い上がりだな」
 「鈍そうですもんねー、一条さん」
 「…おまえ…」
 「さってと…、後片付け、後片付け」
 すっと立ち上がった雄介は、ジーンズの尻ポケットからエプロンを引っ張り出すと、手早く身に着けた。食卓のテーブルから次々に食器をシンクに運び、腕まくりした。
 「洗うだけなら俺にも出来る。…おまえは風呂入って来い」
 食器洗い用のスポンジを手に、一条が頬を朱に染めながら言った。
 「…それも一条さんの我が侭?」
 「…」
 黙々と食器を洗い出した一条の両手が塞がっているのをいいことに、雄介は一条のパジャマ越しの尻を、ツルッと撫ぜ上げた。
 「! 五代ッ」
 「痴漢行為現行犯で逮捕?」
 妖しい色香を瞳に宿し、雄介が煽るように誘うように、耳元で囁いた。
 「手錠プレイとか……」
 「!!」
 「じゃあ、風呂に入ってきます。今度は、消えてたりしないでくださいね」
 雄介は、念入りにもう一度一条の尻朶を揉んで背後から去った。危うく湯呑みを取り落としそうになった一条は、足蹴にしてやろうと目論んでいたのに、出来損なった。

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