〜EPISODE19【霊石】より〜 その2
◇◆◇
「ここがぁ〜〜」
上がり框でスニーカーを脱ぎながら、雄介はきょろきょろと無遠慮に一条の部屋を眺めまわした。
「へぇー、さすが一条さん、やっぱりキレイに片付けてるんですねー」
玄関から短い廊下を経て、ワンルームのリビングスペースに来た雄介が、
一条の肩越しに見えた一度も使った形跡すらないキッチンを寂しく感じながらも、明るく装って言った。
「何が流石なんだかやっぱりなんだかわからんが、…滅多に帰ってこないからな。散らかしようがないというところだ」
一条がそう言いながら振り返ると、雄介がキッチンに目を走らせていたのに気付いた。
「ああ、腹が減っただろう。何か出前でも…」
電話帳を探しに、雄介の脇をすり抜けようとしたところで、一条は腕を取られた。
「一条さん」
深みと艶のある声だった。
一条は、ただ呼び掛けられただけだというのに、途端に空気が薄くなったかのような錯覚に囚われた。
落ちつこうと思い、深呼吸しようとするが、まるで酸素が肺まで到達できないかのように、息苦しく感じるのだった。
「一条さんがご馳走…って、在り来たりな口説き文句なんですがー」
わざと低めに喋ってないか? と訝る一条だったが、確実に腰に来る声だった。
「……何もしないと…、五代、おまえが言ったんだが…」
漸く発した自分の言葉が裏返っていなかったことに感謝しつつ、喉の渇きを一気に覚えた一条だった。
雄介の顔は見れないが、たぶん、欲情を湛えた眼をして熱く自分を見ていることだろう。
「ムリそうです。すみません。一条さんを…騙しちゃいましたねー」
語尾を延ばすな! と叱責したいような、もっと聴いていたいような雄介の魅力的な声。
さっきから取られている左腕の肘あたりが、急速に熱を持ってき始めた。
一条が残った右手でそれを払おうとすると、雄介は、すかさず一条の両手首を握り直した。
正面から睨んだ一条だったが、雄介を長い時間は直視できなかった。
「離せ」
「いやです」
間髪置かずに応える雄介。
「どうする気だ…」
やや挑戦的に一条は言った。
「どうしましょうかー。一条さんは経験ありますー? ないですよねー、普通」
「おまえには経験があるのか?」
少し興味が湧いたかのような響きが混じった。
「幸運なことに、一条さんが初めてです!」
何が幸運なんだか…と、気が抜ける思いの一条だった。
「…すまんが、手を離してくれ。…こんな恰好で睨み合っていても埒があかないだろう」
「逃げないし? いや、あの、逮捕もなしですよね? 五代、強制猥褻で御用—! なんてー」
「あ? (クスッ)ああ」
実際、現役の刑事である一条が本気で嫌がれば、変身前の雄介など、鍛えた柔道の技で、一瞬の内に伸すことが出来るだろう。
それに、一条が雄介をこの部屋に招じ入れた瞬間から、何の罪も適用されないだろうことは明白だった。
同性だからという理由ではなく、一条にとっては予見できたこと、且つ、充分に合意があってのことだったからである。
逮捕など、端っからできっこなかったのである。
◇◆◇
「俺は風呂の用意をする。五代、おまえが先に使え」
「狭いのかなー? 一緒に入りましょうよーなんて却下ですか?」
「ああ、狭い。大人二人一緒には無理だな」
「なんだー、残念。…剣道のあとのシャワー室、夢みたいだったのになぁー」
二人分のタオルや着替えなどを用意する一条のあとにぴったりくっついて歩き回り、雄介はちょこちょこ手を出しては一条に肘鉄を食らわされた。
「ああ、あれか。五代、竹刀を交えるくらい、またいつでも付き合ってやるぞ。…さあ、これがおまえの分のタオルと着替えだ。さっさと入れ」
「冷たいんだなー、一条さんってば…(まったく、クールビューティーの鑑なんだから〜ブツブツ)」
「じゃあ、ゆっくり湯に浸かって温まれ」
浴室に雄介を置いてリビングスペースのほうに戻った一条は、さっそく電話帳を繰ってデリバリーピザを注文した。
(冷蔵庫にビールくらいあったはずだが…)
しかし、なかった。切らしてしまっていた。
(仕方ない、買い出しに行くか。ピザが届くまでに戻って来れるだろう)
一方雄介は、ゆっくりなどしていられなかったのは言うまでもない。
カラスもビックリな手早さで体を洗うと、湯に浸かり、わざとらしく声に出して律儀に百まで数え(早口だったが)、さっさと浴室から出てきた。
(いきなり腰タオルだけっていうのは、がっつき過ぎだよな〜。一条さんはこれから風呂に入るんだろうし…。でも、オレ待てるかな〜〜)
視線を下に落とすと、股間は既に準備万端、隆々としたものだった。
一応、渡された着替えを身につけ、腰の引けた変な歩調で、雄介が濡れた髪を拭きながらリビングに戻ってくると、一条の姿は消えていた。
「あれ? あれ? いっ一条さん!?」
(逃げたの? うっそ、マジ? でも、いないもん! 一条さんの靴がないっ)
バタバタと部屋中を捜しまわり、本当にいないことを確認すると、ヘナ〜と食卓の椅子に腰をおろした。
(オレ、やっぱり急ぎすぎたんだなぁ〜。上手く行きすぎると思ったんだよな〜。
一条さん、逃げ出すほど…イヤだったんだろうなぁ…)
食卓のテーブルに肘をつき、両手で頭を抱え、しばらく雄介は動かなかった。
(オレがクウガだから…まさか、恩に着て、犠牲になろうとしていた…なんてことあるんだろうか…)
もっとも恐れていることがそれだった。
意に添わぬことでも、クウガが未確認生命体を退治してくれるのだから、警察では力が及ばないから、機嫌を損ねてはいけないと……。
(オレが一条さんを抱きたいと言えば、一条さんは……)
(違う違う違う! 一条さんはそんな考え、絶対にしないって! オレっ オレ、頭冷やさなきゃ!!)
居ても立ってもいられないようにガバっと立ち上がると、そのまま玄関に勢いよく向かった。
スニーカーに足を突っ込み、今まさにドアノブに手を掛けようとしたところで、外から鍵が開錠した。
「! 五代、どうした…気分でも悪いのか!?」
ドアを開けた目の前に、苦い薬を服み損ねたような顔で立っている雄介がいて、一条は思わずビールの入ったビニール袋をその場に乱暴に振り落とした。
「! 一条さん! どうしたって、…どうしたって! これ…ビール!?!?」
必死な表情で自分の顔を凝視している、刑事な顔の一条が落とした袋に目を奪われ、途端に心の中で渦巻いていた疑念が氷解してしまった雄介である。
有無を言わせず一条を抱き寄せ、
「ちゃんと、置き手紙してから行ってください! いや、オレに「行ってらっしゃい、一条さん」って言わせてくださいよね!
風呂に向かって「ビール買って来るー」って声を掛けるだけなんですから!」
子どもの捏ねる駄々のように、雄介は抑揚をつけて文句を並べた。
抱き付かれた一条は事情を察し、後ろ手で施錠を済ませると、雄介の背中に手を回してぽんぽん叩きあやした。
探り当てるように唇を合わせてきた雄介に、一条は一切の抵抗をしなかった。
せわしなく動く雄介の手は、どうやら一条の肌に直に触れたいらしい。
「五代…待て…。服を…脱ぐから…」
性急に一条を求め出した雄介に、もはや待ったは効かなかった。
着替えに出してやったスウェットのパンツは、見事なテントを張っていた。
(…変身しないよな……)
ぶるっと武者震いのきた一条は、途端に肌が敏感になったようだった。
漸くスラックスからシャツを引っ張り出し、その裾から背中に差し入れた雄介の掌の滑るような動きに、思わず「あぅ」と喘いで仰け反った。
「ああ…一条さん…」
(なんて色っぽい声を出すんだ)
二人が同時にそう思っていた。
◇◆◇
「ピ〜ンポ〜ン」
二人がもつれ合っているすぐ背後でドアチャイムが鳴った。
「…五代、五代! ピザが…来た。ドアを開けないと…」
「そんな顔、誰にも見せちゃダメです。犯罪です。…わかりました、オレが出ますから、一条さん、奥へ行っててください」
乱れた服装に上気した頬、怠惰に開かれたまぶたと唇に、壮絶な色香を纏った一条だった。
「…おまえこそ…そんな……」
照れつつも一条が見ている視線を追って、雄介が自分の股間を見下ろすと、テントの頂点は、既に先走りが下着を通り越して、スウェットまで染み出していた。
「大丈夫。なんとかしますから。とにかく一条さんは奥に早く行って」
密かに交わされた妖しい会話の内容が、ピザ屋に聞こえたのかどうか…。
そろそろとドアを細めに開け、首から先だけ出した雄介が、「ご苦労様ですー。お幾らですかー」と言いつつ品物を器用に受け取った。
一度ドアを閉めリビングにきて一条からお金を預かると、玄関にとって返して、また細めにドアを開け料金を支払った。
雄介がお釣りを持ってリビングに戻ってくると、一条がシンクの上でビールのプルトップを開けたところだった。
派手に泡が飛び、その泡が、ビールの入った袋を一条が振り落とした所為だと知って、雄介は先ほどの激情が蘇る思いだったが、
一条が構わず缶に口をつけるのを見て、このまま食事になることを諦め受け入れた。
(お預け…かよ〜)
あからさまな落胆から情けない顔になった雄介が何を考えたのかを悟って、一条はクスクスと笑った。
「腹が減っただろう? 冷めない内に食べよう。俺は風呂にも入りたいしな。ビール、飲むか?」
「たしかに腹ペコなんですけどね…。(別のところなんだよな〜) あ、ビールいただきます」
ピザの箱を開き、一条が一切れつまんだ。ビールと交合に口に運び、あっという間に食べてしまった。
それを見るとはなしに見ている内に、雄介も自分の空腹を自覚した。
一条が開けてくれたビール缶をあおり、ピザをガツガツ食べた。
「空腹だと思考が空転するんだ。さっきのおまえの顔、至らんことに煮詰まったって感じだったぞ」
三切れ食べて人心地ついたところで一条が静かに話し出した。
「それに、…がっついてたし…?」
照れ隠しなのか、拗ねたような目で一条を斜めに見ながら、雄介は喉を見せてビールを飲んだ。
「そうだな…。風呂ぐらい入らせろ。昨日は雨にも降られたんだ」
席を立ちながら髪をかきあげる一条に、疲れが滲んでいた。
「昨日……雨だったんですね……」
ぽつんと雄介が言った。
「…ああ。長い夜だった…」
一条も静かに返した。
平和な静寂が部屋を充たしていた。
今にでも、一条の携帯電話が鳴り出し、未確認生命体第二七号の出現を知らせてきたとしてもおかしくないのだが、
今夜は何者も邪魔をして欲しくはなかった。二人に授けられた時間は、あまりに短いのだ。
「さあ、じゃあ、俺はひとっ風呂浴びてくる。五代、横になってていいぞ」
「一条さん、オレ、ここにいてもいいんですか…」
用意していた言葉だとみえて、真剣な表情で問うてくる雄介だった。
「…先に休んでろ」
一条は、意を汲み取り、浴室に向かいながら、肩越しに一言残した。
(犬だったら、尻尾を一振り「ワウン!」ってとこだな)
果たして雄介はそういう風に見えた。
◇◆◇
一条が着替えを終え、ベッドを置いているスペースに行くと、部屋の灯りはベッド脇のスタンドだけに落としてあり、雄介が寝息を立てて眠っていた。
掛け布団も捲らず、そのまま大の字に倒れ込んだという恰好のままだった。オレンジ色の柔らかな灯りが、雄介の横顔を包んでいる。
フッと優しく笑うと、一条はもう少しビールを飲みにキッチンに去ろうとした。
体の向きを変えた瞬間、雄介が背後から一条を羽交い締めにした。
「…とんだタヌキだな」
「待てが上手に出来たご褒美をー」
「自分で犬みたいだって自覚があるのか?」
さも可笑しそうに言う一条に、むくれた口調で、
「なんですか、自覚ってー。あー、一条さんって、オレのこと、そんな風に思ってたんだー」
羽交い締めしている腕に少し力を加えて、一条の後頭部に鼻先を潜り込ませる雄介は、宛らまんま犬だった。
一条の体を自分のほうに向け、雄介はベッドの上で膝を正すと真面目な顔で告白した。
「一条さん、オレ、一条さんが好きです。一条さんを抱きたいです。男の人を抱いた経験はないんですが、優しくします。…いいですか…」
「正攻法で来たか…。五代らしいな。じゃあ、俺も告白しよう。…恥ずかしいからあまり見るな。…正直に言う、男から抱かれるの、俺は初めてじゃない。…がっかりしたか?」
「はっ!? ま、まさかっ い、今もお付き合いが続いてるんじゃ…! そそそこのクローゼットにいるなんてことないですよねっ?」
一条は、体を折るようにして初めて声を出して笑った。
「あはは! いないよ、誰も。おまえもよく知っているじゃないか。さっき捜したんだろう? …付き合っていたのは、…遠い昔、学生の時の話だ」
「ああ、ほっとした〜。…恋なら、オレだって過去何度かしましたよー。残念ながら、一条さんにチェリーを捧げられませんけど」
「残念なんだ?」
「オレ的にはね。でも、一条さんが男の人にももてるっていうのは理解できるんで、仕方ないですよね。もっと早く出会っていれば…ってヤツですよー」
「…初体験同士は、案外…悲惨なんだぞ?」
「あ! 思い出してるー。それは許せないなー!」
雄介は一条をベッドに押し倒し被いかぶさった。
やや乱暴に唇を奪う。いやらしく口の中をまさぐりあう舌と舌。
キスの合間に時おり洩れ出る吐息とも喘ぎともつかない声。
乱れる一条の髪。開襟のパジャマのボタンを、片手で外していく器用な雄介の美しい指。
流れるような動きで雄介の背中を撫でる一条の掌。次第にたくし上がっていく雄介のスウェットシャツ。
密着した下半身同士がつくる淫靡なリズム。カーテンの隙間から忍び込む街灯の細い光の筋。
すべてが柔らかに長閑なオレンジ色の灯りに包まれていた。
◇◆◇
「ま、待て! 五代、…五代! いいからっ ちょっと待てっ!」
一条は、横たわったまま、必死の面持ちで雄介の手を止めた。
それまでがとても好い感じだったので、興醒めた雄介の眉間には、縦皺が刻まれている。
お互いに衣服を取り去り、素肌を重ね、相手の熱い体を隅々まで堪能しようと、目で、唇で、掌で、味わった。一番熱い昂ぶりを手にした時の興奮は、素晴らしいものだった。
「ああ…、五代…!」
「うっ 一条さん! もうっ」
互いの欲望を口に含み合い、快楽の頂点に向かって疾走した。
弾ける瞬間は、二人同時だった。
雄介はさらに喉の奥へと一条を咥えこみ、その強烈な快感に一条が雄介の中心から唇を放した瞬間だった。
えぐみを自然と溜飲し、一条を清めるようにいつまでも舐めていた雄介は、荒い呼吸を繰り返すだけで微動だにしなくなった一条の様子を窺がうために、態勢を替えた。
そこには、放心したようにしどけなく気怠げな一条がいた。半眼に半開きの唇。目元から頬を伝わり、口元から顎にかけて、雄介の放った白濁で汚された顔。
雄介の顔が視界に入って来て、一条はその幸せそうな笑顔に自分も微笑んだ。
何の衒いもなく、雄介は自分の放った白い欲望の精に口をつけた。一条の顔中を舐めるという行為に、また昂ぶってくるものがあった。
うっすらと伸びてきた不精ひげに、雄介の舌は痺れを感じる。それが淫猥な音を立てるのを意識し、わざと一条の目を見ながら舌を這わせた。
羞恥に頬を赤らめ、雄介と目を合わせないようにする一条だが、雄介が自分をじっと見つめているのはわかっていた。
再び熱を取り戻しつつある雄介は、一条の体を自分のほうに引き寄せ、脚と脚を絡ませた。胸から腹をしっかりと密着させ、やおら一条の柔らかな尻朶を揉みしだき始めた。
雄介が口付けを繰り返しながら片膝を立てると、絡まっていた一条の脚も自然、開いた。
されるが侭だった一条が、パッチリと目を開き、雄介の手を慌てたように止めたのは、雄介の指が、一条の、ある一点の窄まりに侵入しようとした直後だった。
「…イヤですか…?」
拗ねたような、傷ついたような、不機嫌な声で、雄介は尚も愛撫を続けようとしながら一条に問うた。
「……経験がないんだろう? ……俺も……ブランクが長過ぎる……」
伏目がちに一条は消え入りそうな声で、それだけをやっと言った。
「…でも、一条さんとひとつになりたいです」
縫いとめられたかのように、雄介の手は一条の腰から離れない。雄介の手首を掴んだ一条と、押し問答のように、手もまた争っていた。
「! 簡単に言うなッ …いま俺たちは未確認生命体という未知の脅威と戦っている最中なんだぞ。…第二六号で最後だという保証はない。
今にも呼び出しが掛かるかもしれない。そんな臨戦態勢でいなければいけない時に、…け、怪我でもしたらっ」
「怪我? …愛あるセックスで怪我?」
本気で吃驚したように雄介が素っ頓狂な声を上げた。
「ノーマルな行為とは違うんだ! は、排泄器官に、お、おまえのを迎えるんだぞ! こ、こんな…」
凶暴そうな…と続けようとして出来なかった一条である。
必死で脚を閉じようともがく一条に対し、雄介は一条の真意を推し量ろうとしていた。
一時的な快楽だけが欲しかったんじゃない。一条と体を結んで、身も心も、もっと深い絆を紡ぎたかったのである。
太古の昔から脈々と続く、一番普遍的な方法で、愛を確かめたかったのだ。
激情に流されない冷静さを持つ一条は、刑事の鑑だと言えよう。
しかし、この期に及んで未確認生命体との戦いを持ち出すとは…。
◇◆◇
「…一条さん、本当は何を怖がっているんですか?」
打って変わった静かな口調で、雄介は一条の背中を抱き寄せながら言った。
「!」
ギクリと身を竦ませた一条は、それだけで『語るに落ちる』だった。
「言葉で…何も伝え合わなくても…一条さんはオレのことを誰よりも理解してくれていますよね。
…暴力で…奴等を打ちのめす時、一条さんも同じ…痛みを感じてくれている。…そうでしょう?」
全身を強張らせたまま、一条は黙って聴いていた。
「戦いが終わって…オレはいつも一条さんを見てしまう…。そこには…オレを心底労わる眼差しがあるんですよ。
「よくやった」でもなく「お疲れさん」でもなく、…「つらかったな」…「またおまえだけにやらせてしまったな」って……」
(ああ、そうだ)
一条は心の中で強く肯いた。
称賛や激励では癒されることのない、果てるとも尽きない疲労感を、確かに一緒に味わっていた。
だが、共有しているとは思わなかった。通じ合っていたとは、驚きだった。
笑顔とサムズアップと「大丈夫」に、「そうじゃないだろう!?」とは言えなかった。
(言って何になる。五代は耐えているんだ、独りで…)
支えてやろうとすることは、「おまえは所詮、強がっているだけ」と貶めることになりはしないか?
プライドとか沽券とか、五代は気にしないだろう。しかし、折ってはいけない信念の幹を、あからさまにしてはいけないのでないか?
それは、心情的に優位に立とうと、悪意的に披瀝することでしかないのではないか? …そう考えると、結局、掛ける言葉の見つからない一条だったのである。
だから、無言で、できる限りのサポートをしてきた。上層部には無許可でトライチェイサー2000を雄介に与えた。
緑のクウガになる時には銃が必要とわかって、一条はホルダーから銃を抜き、バレルを持ってグリップを雄介に向けた。
剣を手に敵と対峙する能力がありそうだと雄介が気付き、請われ、剣道で技を体得するのに付き合った。
一緒に闘っていたかったのだ。雄介が吐かない弱音、訴えない痛み、抱いても縋りつかない恐怖、雄介の、その強靭な精神を、一条はいつでも一番身近に感じていたかった。
肉体は別でも、宿る精神や信条が同じ男と巡り会ったのだと、一条は驚きにも似た感動を味わっていたのだ。
けれど、お互いが寄り掛かる関係では駄目だと、一条も雄介も理解していた。ひとりで立ち、ひとりで見据え、独りでも闘う。
そういうスタンスでいられることにこそ、篤い信頼が築けるのだと、雄介も一条も知っていた。
敵の能力は計り知れない。けれども、自分たちは巧くやっていけると信じていた。
雄介のサムズアップの魔力に、いつしか一条は侵されていた。
然して、雄介の死には、格別のショックを受けた。
「死なせてしまった」「自分自身が死んだほうがまだマシだった」と思い、心の中で慟哭した。
「もう二度と逢えない」「あの笑顔を見れない」と思い、自暴自棄になりかけた。
どれだけ自分の支えになっていたかを、思い知らされた。
そして、気付かされた。雄介を失いたくなかった…と。自分にとって、かけがえのない大事な部分を持って行かれた…と。
未知の殺戮者から守ってくれる強い正義のクウガだからでも、同じ信念で戦う同胞だからではない。五代雄介という男を、ひとりの人間として。愛しい者として…。
だがそれは、もう雄介には永劫に語られないこととして終わる感情のはずだった。
血を吐く思いで、胸の奥底に埋葬したはずだった。
まさか雄介が死界から甦り、自分を好きだと告白し、肌を合わせることになろうとは、いったい誰が想像できただろう!
雄介の復活も、つい先ほどの戦闘の勝利も、本心から嬉しいことではあったのだ。
しかし、一条の中に、また新たに芽生えた感情があったのだ。
「二度と失いたくはない!」という、執着にも似た恐怖だった。
たぶん、ここで雄介に抱かれてしまえば、二人の恋は成就する。肉体の愉悦を知れば、ますます離れがたくなるだろう。
それが一条には怖かったのだ。雄介との関係が、自分をどう変えてしまうのかわからないという不安感が、一条をなかなか素直にさせなかった。
職務優先で、恋愛とは縁遠い生活習慣を重んじてきた。掃き捨てるように言われてきた「心がない」という言葉が、新しい恋の発芽を許さなかったのかもしれない。
(俺にはまともな恋愛経験がない。もし本当に好きな人ができたら、自分はどう変わってしまうんだろうか…。
愛しくて、守りたい人が、もし傷つけられたら…、犯人を逮捕する特権はあるが…、…やはり想像できないな。それでも司法の手に犯人を委ねることが出来るのか……)
過去に、同僚だった刑事が妻を殺害され、その腹いせに犯人を射殺してしまった事件があった。
あと数年で定年を迎えるような、老齢な刑事だった。新人だった一条に、「経験は何事に於いても大事だ」と教えてくれた大先輩だった。
その事件の後、一条は自分に置き換えて、考えてみたことがあったのだ。
まったく想像が出来なかった。もしかすると自分も、熱くなると見境いがつかなくなるのかも知れないと、思っただけだった。
雄介ほど自分の胸の内に入って来た人間は、今までにいなかった。
喪う恐さも辛さも、愛しさに比例して大きく深くなるのだ…と、ついさっき識ったばかりだ。
ということは、これで以上に、雄介との距離を慎重に計りながら行動しなければいけないと科せられたも同じだった。
(「おまえを失うのが怖いから、俺の為に、クウガにならないでくれ!」と、雄介に縋る日が来るのかもしれない…。
そんな女々しい自分を、こいつに曝け出す日が来るくらいだったら…俺は……)
真っ直ぐな雄介の想いを受け止めきれるだろうか…。
夢見るような幸福に包まれた愛に流されることなく、雄介をこれからも戦場に送り出すことが出来るのだろうか…。
一条は、雄介の抱擁や愛撫を受け入れながら、迷い続けていたのだ。
◇◆◇
雄介は穏やかな表情で、一条の髪を玩びつつ梳かしていた。
「当ててみましょうか、一条さん?」
雄介の発する優しい声が、一条の額あたりに響く。
「オレはこう見えて、好きになった人の心の機微には敏いんですよ」
一条の緊張が少しずつ解けていく。雄介の、案外肉厚な胸や腕に抱かれ、安らいだ声を聴いていると、安堵感が広がっていく。命を削ぐ思いで戦う日々が幻のように思える。
「この闘いがすべて終わってしまうまで、自分たちだけ幸せを感じることが、罪なような気がするんでしょう?」
(どこが敏いんだか……)
苦笑に口元が歪む一条。だが、(そういうことにしておこうか)と思った。
「すべて終わったら…か……。そうだな。…早く終わらせてしまいたいな」
(おまえに戦わせておいて…な…)
無音の状態で傍から見れば、幸せそうな睦言を繰っているようであろう。
「…大丈夫。オレは死にませんよ。一条さんを残して死ねません。よ〜くわかりましたから」
虚を突かれたように、一条は面を上げて雄介を見た。
「本当は、それが怖いんですね?」
目を細めて笑っている雄介。悪戯が成功したような子どもっぽい顔。でも、見事に看破された。
「オレだって怖いです。一条さんを、いつも守れるだろうかって。一条さんって、突っ走るからなー。いつでも傍で見てなくちゃ心配だなー」
仰向けになりながら、雄介は続けた。
「オレたち、完全にひとつになれればいいのにね」
いつの間にか、一条は泣いていた。涙が鼻梁を伝って滴った。
(五代も同じ気持ちでいてくれるんだ。やっぱり五代は理解してくれているんだ)とわかって、単純に嬉しかった。
でも、所詮それは叶わないことと知っている。
どんなに一緒の考えを持っていようと、時間を共に過ごそうと、肌と肌を何度合わせようと、死が二人の上に同じ時に訪れようと、決してひとつにはなれないのだ。
それが寂しくもあった。
一条の涙は、胸を掻き毟られるような激しい葛藤の顕れであった。
「一条さんにも、笑顔でいて欲しいんです。早く屈託のない一条さんの笑った顔が見てみたいな」
(ああっ 五代! 俺の…五代…!)
万感の思いを込めて、一条は雄介に口付けた。
「一条さん…、ダメだ! やっぱりひとつになんてなっちゃったら、こうやって一条さんを抱けない!」
言うが早いか、雄介は態勢を入れ替え、さらに一条をうつ伏せた。
◇◆◇
観念した一条は、一転、協力的だった。
うつ伏せで脚を開き、腰だけを突き出すような恥ずかしい恰好を、雄介の前に惜し気もなく曝けていた。
雄介は、丹念に一条の窄まりを、唇と指で解すことに懸命だった。
「ああ…ご…だい…」
侵入した雄介の二本の指が、一条のスポットを突く。そこへ受ける久し振りの快感に、早くも一条は我を忘れそうになっていた。
一方で雄介も、あえかな一条の声を聴く度に、留まることなく股間が猛っていくようだった。
(壊れそうだよ〜、まったく…。それにしても、狭い!)
一条が言った「怪我をする」という拒絶の理由も、何となく理解できた雄介だった。
「う…ああ……」
一条の腰が、勝手にいやらしく動く。同時に、一条の内部も妖しく蠢き律動する。雄介の抜き挿しする指を、離すまいとしているかのようである。
「ごだい、もう…」
酔ったような呂律が、またもや雄介を煽る。
漸くのお許しが出て、雄介は一条の腰をさらに浮かせた。一条の、開いた膝と膝の間に入るようにして、雄介は雄身を一条の中心に充てた。
もはや、何の我慢もできなかった。(怪我させちゃうかも…)などという今までの不安など、微塵も残っていなかった。ただ、一条の中に身を沈めたかった。
「ああっ!」
シーツの上に残っていた一条の頭が、反射的に上がった。
獣の形で繋がった二人は、雄介が作り出すリズムに、しばらくは荒い呼吸を繰り返すのみとなった。
「ああ…っ」
グラインドするリズムが変則的になり、堪らず一条は声を放った。
(熱い…熱い…! …すごい! いい!)
雄介にとって、初めて体験する熱だった。強烈な快感が背中をせり上がってくる。
「はぅぅ」
一度口をついて出た声は、止められなくなってしまった一条だった。
(もっと…もっと…! 嗚呼、五代! おまえを感じさせてくれッ)
「あああ、たまらない…! い、いきますッ!」
雄介の掠れ気味に裏返った声と、やわらかい部分の肌と肌がぶつかる卑猥な音が、オレンジ色に染まった部屋に響いた。
一条の頭の中では、極色彩のスパークが散っていた。めくるめく快感の波が、いまや絶頂を極めようとしていた。
ともすれば崩れ落ちて退きそうになる腰をしっかりと支えられ、発する声もなく呼吸も止まってしまったかのようになりながらも、中にいる雄介が一際力を増したのを感じていた。
雄介も、ついぞ味わったことのない快感の渦に翻弄され、我を忘れて大きく腰を打ちつけた。
「うぅーっ!」
「はぅっ!」
目も眩むような快感の中、延々と続くように思われた欲望の放出があった二人だった。
◇◆◇
すっかりと熱情が醒めたわけではない雄介は、あわよくば第三ラウンドを挑みたいところだったが、
一条の体を仰向けに返してみると、一条は気を失っているかのようにグッタリとしていた。
「だだ大丈夫ですか、一条さん!? 一条さん!?」
ただならぬ雄介の悲痛な声に、深い眠りの世界に引き摺りこまれようとしていた一条は、必死で浮上した。
恨めしそうに眠たげなまぶたを押し上げる一条を見て、(ああ、昨日も寝ていなかったんだよな〜)と、ようやく思い至った雄介だった。
「…無理させちゃいましたね…。オレ、夢中になっちゃって……」
しょげかえって気遣う雄介を安心させるために、「俺も同罪だ」と言ったつもりの一条だったが、その声は、のどに張り付いたままだった。
何度か嚥下の動作を繰り返して、やっと「水」とだけ言えた。
「あ、水? ああ、水ですね。…具合悪くなったんじゃないですよね? うわー、いま一条さんの携帯電話鳴ったらどうしようっ! …明日、お仕事、休めます?」
不安をいっぱい抱えた子どものような顔に向かって、一条は、首を横に微かに振って見せた。
目で「早く取って来い」と命ずると、雄介は後ろを気にしつつ、台所へ向かった。
(…明日は有休を使おう…)
一条の精悍な面立ちはすっかり倦み疲れて、双眸からは耀きすらも吸い取られたみたいだった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを見つけ出してきた雄介は、ベッドに沈み込むようにして横たわっている一条の無防備な姿に、ただただ猛省するしかなかった。
ベッド脇に膝をつき、一条の首の下にそっと腕を差し入れ、半身を少し起こしてやると、雄介は手にしたペットボトルを一条の口元に持って行った。
一条は、感覚の鈍くなっている腰を庇うように後ろに手をついて上体を支えた。
雄介からペットボトルを無意識に取り上げると、痛いほど乾いていた喉を潤すために、咳き込みながらも水を飲んだ。
ようやく人心地ついた一条は、脇に小さくなって控えている雄介を見るゆとりが出来た。
上目使いで口をへの字にした雄介は、宛ら、主人から叱られた直後の、耳を伏せている犬の風貌だった。
一条は思わず笑い出しそうになったのだが、和やかな雰囲気になってしまえば言い辛いことを、直ぐ言うことにした。わざと取り澄ましたように装って、一条は粛々と言った。
「…済まなかったな…、おまえをみのりさんのところへ一番に連れて行かなければいけなかったのに…。考えが及ばなかった。…今からでも…行くか?」
「いえ、大丈夫ですよ。一条さんがちゃんと電話してくれましたから」
「しかし、声すら聴かせてやってないじゃないか。よかったら、電話を使うか?」
「んーー、いいです。明日、直接顔を出しに行きます。…今は邪魔されたくないですしー」
雄介は、無言で伸ばした手に一条からペットボトルを渡してもらうと、元気よく残りの水を飲み干してしまった。充電完了といった感じで、ひとつ大きく息をついた。
「寝ましょうか、一条さん」
にっこり笑いながらいそいそとベッドに這い登ってくる雄介を牽制するように、一条は冷淡に言い放った。
「シャワーを浴びてシーツの交換だ!」(今夜は打ち止めだ、バカ)
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