〜EPISODE19【霊石】より〜 その1
「七時四四分、死亡を確認した…」
パトカーの中は静寂だった。暗さが一気に増したように感じたのは、眩暈からか…。
(いま…椿は何と言った…?)
携帯電話を耳に押しつけたまま、時間さえも止まったようだった。
(死亡を…確認…。……五代が死んだ…?)
外では、慌ただしく時が刻まれて行く。指示を叫ぶ声も姦しい。
(五代が…五代が……!?)
パトカーの窓をノックする音に、ようやく我に返った一条は、怪訝そうな顔の杉田を認めた。
◇◆◇
「こんな奴等のために、これ以上誰かの涙は見たくない! みんなに笑顔でいてほしいんです! だから…見ててください! オレの…変身!」
燃え盛る教会の中、敵と対峙し、そう叫んで拳を振るい、身を呈して一条を守ってくれた雄介の勇姿が浮かぶ。
戦うための体になった雄介は、未確認生命体と日々戦闘を繰り広げていた。
何の義務もないのに、みんなに笑顔でいてほしいからという理由で、自分の命を削って…。
そして、敵が倒れ、変身が解けると、雄介は微笑む。「大丈夫!」と、親指を立てる。
(代われるものなら、代わりたい!)
一条はそんな雄介の、屈託のない笑顔の奥にある苦脳を見透かしたかのように思うのであった。
(自分に出来るサポートはしよう。いや、それだけのことしか出来ないのだ)
人間の無力さを嘲笑うかのような残虐さで、殺戮能力を誇る未確認生命体。
無差別に、命を弄ばれ、むざむざと殺されていく罪のない人々。
その周囲の、残された人々の哀しみや怒りに立ち上がった、超古代の戦士・クウガ。
雄介がクウガだという事実を知る数少ない協力者のひとりが、警視庁の刑事・一条薫である。
雄介と一条はお互いを認め、助け合い、いつ果てるとも知れない未確認生命体との激しい闘いを、乗り越えてきていた。
雄介の身体に吸い込まれたという不思議な石のおかげで、それまでは、どんな激闘の末の傷ついた体も、僅かな時間で回復できていた。
しかし、未確認生命体第二六号の放出した毒の前には、クウガもついに膝を折った。あまつさえ、担ぎ込まれた関東医大病院で、ついに雄介は死亡したというのだ。
(五代が死んだ)
先ほどの椿からの連絡を、一条は同僚の誰にも告げなかった。
あまりの喪失感に、ともすれば意識が飛びそうになる。
しかし、雄介の身内、たった一人の妹であるみのりに、兄の死亡報告をしに行くのは自分の役目だと、一条は噛み締めるように思うのだった。
◇◆◇
パトカーを走らせながら、一条は押し寄せてくる後悔の念に、冷静さを失いそうになっていた。
(どうしてもっと五代の力になってやれなかったのだ!)
最後に見た雄介の、毒を吸ったがための苦悶の表情が、さらに一条を苦しめていた。
(独りで闘わせてしまった。傍にいてやれなかった。死の瞬間、何の言葉も掛けてやれなかった…!)
詮無いことだった。それまでの一条にはなかった感情だった。
ただ悲しいのではない。あるのは虚空だった。胸が潰れてしまうような、シキシキとした痛みもない。父が亡くなったと知った時とは全く違っていた。
クウガがいなくなって、これからの戦いがどうなるのか…など、刑事として考えなければいけないことは山ほどありそうだったが、一条の頭の中は、
在りし日の雄介の姿でいっぱいだった。
「一条さーん!」
一条の姿を認め、手を振りながら駆け寄ってくる笑顔の雄介。
(犬みたいなヤツだなぁ)
と思ったことを思い出し、唇の端が僅かに引き攣れる。
息が詰まるような閉塞感を味わい、堪らずパトカーを路肩に寄せ、サイドブレーキを引いた。ハンドルに頭を伏せると、堰を切ったように次々と雄介が蘇る。
「だからこそ、自分が好きなものを守りたいんです。一条さんだってそうでしょ?」
民間人は関わるな、と強い口調で雄介を嗜めた時、一瞬は怯んだ雄介だったが、次に会った時には柔らかい表情で一条を諭した。
自分をもっと大事にしろ、と叱責した一条に、真っ直ぐな眼で雄介は言った。
雄介と一条は似ていたのだ。その正義感、その使命感。誰に何を強制された訳でもないのに、信念と負った責任を全うしようとする姿勢。その雄志。
一条だって気付いていたのだ。古代文字の分析解読を依頼している桜子に、自分の口でそう言ったのだ。
「…似てるんです…彼は私に。…だから…止めても止められないってことも分かってしまって…」
一条が雄介の側に立ったことを責める彼女に、「だから出来る限りのサポートを、精一杯するつもりです」という、誓いにも似た固い決心は、続けられなかった。
「すみません」それだけ言うのがやっとだったのだ。
(逝ってしまったなんて……俺を置いて…)
ハッとハンドルから顔を上げた。
一条は困惑した面持ちで、いま過ぎった感情を反芻していた。
(…俺を置い…て…?)
恋人が自分のもとから去った時でさえ、そんな風には思わなかったというのに、なぜ雄介の死に、こんなに動揺しているのか…、一条は混乱した。
様々な場面の雄介の笑顔とサムズアップが渦巻く。
失ってから気付くものはいくらでもある。
一条も例外ではなかった。
いま気付こうとしている感情があった。
しかし、そこに行きつく前に、一条は軽く頭を一振りして、ステアリングを握り直した。
◇◆◇
「わたし…それでも兄は戻ってくるような気がします。兄を信じて裏切られたこと、ないんです…。一条さんもそうじゃありませんか…? それに、兄はクウガだし…!」
みのりの楽観的な言葉に、一条は目が覚めたような気分がした。
(五代が戻ってくる?)
停滞していた血液が再び全身に巡り、体温が上昇するような昂揚感を味わった。
(あの石にそんな力が…? 希望が…あるというのか!?)
あの雄介の笑顔に再びあいまみえることが可能なら、どんなに嬉しいことだろう!
そう思うと、一条は活力が漲ってくるのを感じた。
第二六号の捜索に全力を傾け、少しでも、死んだとされる雄介のことを考えまいと努力した。
◇◆◇
一条たちは、いまや絶体絶命の危機に瀕していた。
前方から近づいてくる第二六号は、次々と、また楽々と、仲間たちをなぎ倒して来る。
科警研で開発してくれた、対未確認生命体殲滅特別仕様の弾丸も、全く歯が立たなかった。
しかし、敵に背を向けることはできない。最後まで自分が盾にならなければ! という強い信念が、一条にライフルを構えさせていた。
と、杉田が感極まった声で、何かを叫んだ。
(え?)
一条が思わず振り返った時、稲妻のような影が自分の頭上越しに駆け抜けて行った。
白いクウガ、…雄介だった!
(嗚呼…! 嗚呼…!)
杉田の言葉に反応して、何か口をついて出た言葉があったような気がした。だが、一条は自分の発した言葉を知覚していなかった。
ついぞ味わったことがない歓喜で、体が震え出しそうだった。
知らず追い掛け、闘いを見守った。
(甦ってくれた! 五代! 五代! 五代なのか…!?)
喘ぐような荒い息のまま、一条は白いクウガを見守り続けた。
クウガの必殺キックが決まり、第二六号は爆滅した。
ゆっくりと一条のほうへ向き直り、変身が解け、笑顔でサムズアップを決める雄介がそこにいた。
(ああっ 間違いなく五代だ! 嬉しい! 嬉しい! 走り寄って抱きしめたい。抱きとめられたい。五代に触れたい。五代を確かめたい)
去来する千々に乱れた自分の思考についていけず、また、そんな思いに自分で驚きながら、勝手に走り出そうとする自分の脚を、必死でかき集めた理性で踏み止まらせた一条だった。
「…遅いぞ、五代…!」
震えそうだった声は、なんとか大丈夫だった。
しかし、それが限界だった。もう、雄介のほうを向いてはいられなかった。踵を返した途端、一条は顔が火照ってくるのを強く意識した。
(さっき俺は何を考えていたんだ…。五代に、ふ、触れたいって…、たしか…)
パニックしそうになるのを紛らわすため、一条はおもむろに携帯電話を取り出し、雄介の生還を連絡しだした。
安堵や歓喜に寿ぐ声を受け取りながら、思わず天を仰ぎ、森羅万象有相無相総てに、五代雄介の奇跡を感謝した一条だった。
◇◆◇
雄介が自分の隣に並び、歩きながら何か喋っている。手振りを交えながら、死の床にあったらしい自分のことを、雄介が自ら物語っているようだ。
低めで特徴のある声が耳に心地好い。
顔を上げられなかった。抱きつきたいと思った相手がすぐ隣にいる。
一条は、ひらひらと動いて視界に入ってくる、男にしては華奢な、そしてすらりとしてきれいな指を持った雄介の手を見るのが精一杯だった。
(本当に戻って来てくれたんだ。夢じゃないんだ。よかった。よかった…)
感無量に感激していると、
「聞いてます? 一条さん、大丈夫ですか?」
次に踏み出そうとした歩先に、雄介のスニーカーが見えた。雄介が軽いステップを踏んで、いつの間にか一条の目の前に回り込んでいた。
「あ、ああ。大丈夫だ」
一条は歩みを止め、慌てたように顔を上げ、初めて見るように眩しげに雄介と視線を合わせた。
「あれ? 一条さん、顔が赤いですね。熱があるのかな〜」
斟酌なしに伸びてきた雄介の掌は、一条の額におさまった。
感電でもしたかのように、一条はびくりとした。と同時に、また俯いてしまった。
そんな一条の反応に驚いて、雄介は顔を覗き込んできた。
再び絡み合った視線に、一条は思わず顔をそむけた。自分がどんな表情をしているのか、想像もつかなかった。
ただ顔が火照っているのはわかった。ライフルを握り締めた手は、関節が白く強張っていた。
ゆっくりと雄介の両腕が伸びてきて、一条の二の腕をそっと掴んだ。
「ごめんなさい、一条さん。ホント、とんでもなく心配かけちゃって…。でも、もう大丈夫ですよ。オレ、復活したし! …だから、…安心してください」
ね? というように小首を傾け、あの柔らかな表情で、静かに労わるように雄介は言った。
一条は詰めていた息を漸くつき、「ああ」と小さく頷いた。
途端に目が熱く潤んでくるのを、自分ではどうしようも止められなかった。
◇◆◇
(ああっ泣かせちゃった! どうしよう!)
雄介は心底焦った。
親愛なる、崇拝している一条さんを、雄介は泣かせてしまった!
(抱きしめたら、怒るかな…。泣いてる人を慰めるのって、抱きしめるボディーランゲージが一番なんだけどな…。いや、単にオレが抱きしめたいだけなんだけど…)
掴んでいる手を二の腕から背中に滑らせて、一歩近づくだけで事足りるのだ。
だけど、雄介は躊躇していた。
(そんなことしたら、さすがにバレバレだよな〜。ヤバイよな〜。発情してますってアソコは、密着したら隠しようがないもんな〜)
そうなのである。雄介はたった今、一条の潤んだ瞳にハートを、もとい、股間を直撃されたのである。
ずっと秘めていた想いだったのに、とうとうヤラレてしまったのである。
(まいったなぁ…)
ライフルを胸元に強く握り締めたまま俯き、目を固く瞑り、口元を引き締め、涙を必死で堪えている愛しい人を目の前にして、雄介は戸惑い続けていた。
「一条さん、お願いです。泣かないで…」
雄介のほうが泣き出さんばかりの声で懇願した。
その声色が可笑しくて、ふと顔を上げた一条の目から、ぽろぽろっと涙が零れ落ちた。
(もう、ダメ! 臨界点超えましたーーッ)
雄介はひとりで観念して、一条を引き寄せ、きつく抱きしめた。背丈も肩幅もそうは変わらない一条を、同じ性を持つ男をきつく抱きしめ、
サラサラした一条の髪に鼻を埋めるように、雄介は頬を寄せた。
「!! 五代…!?」
驚愕する一条はその一言を発するのがやっとだった。思わず大きく吸いこんだ息は、雄介の匂いで胸をいっぱいにしてしまったのだ。
「すみません! ごめんなさい! 気持ち悪いですよね! でも、でも、オレ…! 好きなんです、一条さんが!」
より強く抱きしめられて、一条は雄介の股間が猛っていることに気が付いた。
(…好き? 五代が? …俺のことを…?)
「オレ、このままじゃ死ねないって思いました。一条さんとこんな形で離れ離れになるなんて…出来ないって!」
雄介の熱い囁きが耳をくすぐる。雄介の唇が耳朶を掠める。一条の思考は完全にストップした。
雄介は、勢いとはいえ一条を抱きしめた上に、さらに弾みがついて告白までしてしまったことに、早くも後悔の波が押し寄せてきていた。
(だ抱きしめちゃった! 言っちゃった! どどうしよう! 離したくないけどッ でもッ でもッ)
身を斬るような想いで、引き剥がすように抱擁を解いた。
唐突に、心地好かった体温が奪われたような感覚がして、一条は我に返った。目の前に雄介の照れながらも必死な顔があった。
力のこもった視線に射貫かれたように、一条は目を見張ったまま動けなかった。一条の両肩に手を置き、腕を突っ張ったようにして、雄介はやや腰を引いて目の高さを合わせていた。
「すみません。気持ち悪かったですよね。オレ、帰りますから。一条さんも気をつけて。じゃッ」
踵を返して雄介が足早に去ろうとしている。一条は逡巡した。仲間の声が微かに聞こえてきた。目の端に杉田や桜井が小さく映った。彼らのほうも、一条を見つけたみたいだった。
(そうだ、事後処理をしなければ。俺は職務を遂行しなければ…)
一度は杉田たちのほうに顔を向けた一条だったが、すぐに足は雄介の後を追った。
「待て、五代!」
緊張でこわばる雄介の肩に手を置いて振り向かせた一条。少なからず、二人とも驚いていた。
(まさか引き留められるとは…。え? オレ、…殴られる?)
(まさか引き留めるとは…。いったい何を言うつもりだ、俺はッ)
「あ…あの…」
「あのな…」
気の合う二人が同時に言葉を発し、思わずといった感じでまたまた同時に吹き出した。
「乗って行け。五代、おまえも疲れただろう。送って行く」
苦笑気味に一条がそう言うと、ほころび始めた花が一気に咲くように、満面の笑みになった雄介だった。
◇◆◇
杉田に、雄介を送って行く旨了解を得て、一条と雄介はパトカーに乗った。
動く密室に二人っきりになって、否が応でも再び緊張が高まった。
元来、お調子者的に陽気に振る舞う癖がついている雄介には、沈黙に対して耐久性がなかった。
「あの…一条さん、さっきは…」
「五代、笑わないで聞いてくれるか?」
次に用意していた言葉のために口を開けたまま、雄介はこくこくと肯いた。
「…おまえが…死んだと…椿から連絡をもらった時、途轍もないショックを受けた」
前方を見据えハンドルを切りながら、一条はゆっくりと静かに言葉を接いだ。
「耐えられなかった。おまえを…永遠に…喪ったかと思うと…」
だが、それ以上は言えそうになくなっていた。
ウインカーを左に出し、路肩に車を停め、一条は雄介のほうに顔を向けた。
予想はしていたが、果たして、真剣且つ鋭い雄介の眼が、一条の間近にあった。
「オレの誤解じゃないですよね…?」
雄介の唇に吸い寄せられたと思ったのは逆で、一条の微動だにしない顔に、雄介の顔が被さっていった。
あたたかく柔らかい感触。忘れかけていた接吻の感覚。
(五代とキスしてもいいな…。…あ、してるのか…)
我知らず目を瞑っていたらしい。一条は、今しがたの自分の考えが可笑しくなって、クスッと笑った。
「え? 笑うところじゃないですって、一条さん! 失敬だな〜。…笑えるほどヘタでした〜?」
一瞬、打ちのめされたように沈んだ表情になった雄介を、一条は励ますように微笑んだ。
「…いや、…久し振りのキスの相手がおまえか…と…。まあ、いいんだが」
「いいんですよねぇ! いいんでしょ? ほら〜、いいんですよぉ〜。あー、もう、素直な一条さんって、ドキドキするなぁ」
(やっぱりコイツは犬だな。尻尾が見える気がしてきた)
一条がクスクス笑いながら、心の中ではこんなことを考えているとは露知らず、雄介は、ほのぼのとした安堵感と幸せを感じていた。
(拒絶されてないよッ ワオゥ! オレ、一条さんとキスしちゃった!)
しかし、すぐに急転直下な気分も味わっていた。
(想いが通じたって思ってもいいんだよな!?)
始まったばかりの恋は、ジェットコースターと同じである。同性同士の場合だろうと、なんら変わりはない。
ひとりで百面相をはじめた雄介を面白そうに見ながら、一条も思いを巡らせていた。
(これからどうしたものだろう…)
異性に、いや同性であっても、一条は自分から恋した経験はなかった。
高校から先の学生時代には、いつも一方的な想いを告げられ、断るのが面倒そうな相手には、惜し気もなく体を開いていた。
肉体の悦楽に流されるように、奔放とも言えるような付き合いをしていた。
そういう付き合いの終焉は決まって、去り際の相手からの「心がない」という捨て台詞だった。傷つきながらも、一条は、一歩も前進できていなかった。
刑事仲間からは硬派と思われている一条、それは私生活の匂いを一切させないという、一条のポリシーとも言えるキャラクターによるものだろう。
一条の過去に、まったくホモセクシャルなセックスの影がなかったかと言えば、それは誤りであった。
(五代と俺が…か…)
これが恋かという確信も持てていない。能動的に誰かを欲する気持ちになったことなど、今までなかったことなのだ。
好き合った者同士が、プラトニックな関係を崩すことなく付き合いを続けても良いと一条は思っている。
(でも、五代は…どうなんだろう…。間違いなく…勃ってたぞ)
そう思った途端に、さっき抱きしめられていた感触を思い出し、一条は一気に体が熱くなっていくのを感じた。
性の快楽を追求したいと思えば、同じ男同士、やることは決まっているというものだ。一瞬、体が溶け合っているような二人が見えた気がして、一条は焦った。
運転席で咳払いしつつ、急に身じろぐ一条を見て、雄介はありったけの勇気を総動員して言おうと構えた。
「一条さん! 急な話ですみませんが、オレ、一条さんの部屋にお邪魔したいんですけど! いや都合が悪ければ…あの…後日で…」
しかし、実際に雄介の口からこぼれ出たのは、「いっ、…いた…たたたたっ」だった。なんとも締まらないことに…。
「どうした、五代!? どこか痛むのか!? …待ってろ! すぐに椿の病院へ…」
血相を変えてシフトレバーを掴んだ一条に、縋るような口調で雄介は急いで言い募った。
「いや! 大丈夫です! つ、椿さんのところは…今は勘弁してくださいっ オレ…振りきって逃げて来ちゃったから… いま戻れば「それみたことか」
で… 「そそるな〜」とか言われて… 「じっくり調べさせてくれ」なんて解剖実験…」
しっかり椿のものまねを折り込みながら、でも弱々しく吐息まじりに、しかし止めどなく言い続ける雄介。
「ああ、もう、喋るなッ じゃあ、ポレポレへ…」
と、業を煮やしたかのように遮った一条だったが、
「おやっさんに… 心配かけちゃうな… こんなヨレヨレで帰ったら……」
などと苦痛に歪んだ顔で言われてしまったら、無碍にできなくなってしまう一条だった。
「…仕方がないな……オレの部屋で休め。ただし…」
「な、なにもしませんからっ」
胸の前で両手を振りながら、懸命な顔をして、雄介が言った。
「おまえ…、即答すぎやしないか? それに、俺が言いたかったのは」
(客用の布団などはないから)と続けようとした一条は、自分の吐きそうになった科白を深読みして、自家中毒に赤面した。
「…言いたかったのは?」
眉間に段違いの八の字眉をつくって、雄介がじっと一条を見ている。
「い、いや、何でもない。…着いたら起こすから、大人しく寝ていろ!」
真っ赤な顔をして、いきなりしどもどしだした一条だった。
雄介は、座席を思いっきりリクライニングにして、安心したように目を閉じた。
「すみません、一条さん。わがまま言っちゃって…」
目を閉じている雄介には見えないだろうが、一条は、溜息まじりに肯いてみせた。
しばらく車を走らせると、規則的な寝息が助手席から聞こえ始めた。
(やはり未だ本調子じゃないんだな…。当たり前か、死んでいたんだもんな…。…さっきは俺の部屋に向かわせるための口実か出任せかとも思ったんだが…)
信号停車の折、隣の席で静かに眠る雄介を見ながら、一条は微かに微笑んだ。
そんな一条に気付かれないように、再び車を発進させたとみると、雄介は薄目を開けて、一条の横顔を盗み見た。
(ごめんなさい、一条さん。あなたを騙しちゃいました…)
しかし、雄介はそう素直に反省する反面、会心の笑みでサムズアップをしたい気分なのだった。
ふと左後方からの視線を感じたように、一条が雄介の顔を唐突に見た。
途端に雄介の目もと付近が動いた気がした。
(…やはり……どうだかな…)
心の中でひとりごちつつ、一条は運転に集中した。
何を期待している訳でも不安に慄いているのでもなく、でも、鼓動が激しくなっていた。
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