西行来讃時期と庵を結んだ場所

 
「西行全集」(久保田 淳編、財団法人日本古典文学会 貴重本刊行会、S57.5.31 発行)、その他より


<各本に書かれている西行法師の来讃時期と滞在地>
西行関係歌集など成立時期所蔵/版賀茂社に詣で四国旅を祈る日讃岐の庵の場所
山家集1190年成立有力(陽明文庫本)仁安2年10月10日大師のおわす御あたりの山
コトバンク/世界大百科事典 第2版の解説によれば;……
(治承2年(1178)西行50歳代末頃に原型が成立、以後
西行自身あるいは他者の手によって数次にわたり増補)
(松屋本書入六家集本)仁和(ママ)2年10月10日大師のおわす御あたりの山
纂校山家集(異なる3系統の本を集合)仁安3年10月10日大師のおわす御あたりの山
〈聞書集〉文治元年(1185)頃伊勢で成立(天理図書館本)————  ————
〈聞書残集〉 (宮内庁書陵部乙本)————  ————
山家心中集 (伝西行自筆本)仁安3年10月10日(善通じの山にて、「島ぞ氷の絶え間なりけり」の歌を詠む)
(伝冷泉為相筆本)仁安2年10月10日ぜんつうじにくさのいほり
(内閣文庫本)仁安3年10月10日  ————
(妙法院本)仁安2年10月10日せむつうじにくさのいほりむすひて
西行上人集(異本山家集)(西行自記ではない)(李花亭文庫本)仁安3年10月10日善通寺の山に住む
西行集 (伝甘露寺伊長筆本)仁安3年10月10日善通寺の山に住む
〈西行上人談抄〉(西公談抄)Exicite国語辞書によれば、蓮阿著,1225〜29年頃成立か   
西行物語絵巻・詞書西行没(1190)より40〜50年後に成立か?
(「西行物語」の成立時期をめぐって)
(久保家本)仁安2年10月10日寺は御誕生の霊地なれば、かしこにいほりをむすび、2〜3年(住んだ)
西行物語鎌倉時代中期頃に成立(1250年前後か?)
(「西行物語」の成立時期をめぐって)も参照
(文明本)仁安2年10月10日名字をもきかぬ山の中に、とら大かめを友として(崇徳院陵のことか)
(木版本)仁安2年10月10日善通寺と申すは・・・霊地なれば、かしこの庵を結び2,3年行い侍り
(正保3年版)仁安2年10月10日善通寺と申すは・・・霊地なれば、かしこに庵を結び2,3年侍り
西行法師歌集  仁安3年10月10日善通寺の山に住む
西行一生涯草子  仁安2年10月10日善通寺と申して・・・庵を結びて2,3年住み侍り
西行和歌集成 勅撰和歌集仁安3年10月10日  ————
西行和歌集成 私撰和歌集仁安3年10月10日  ————
歌枕もしほ草  仁安の比みを坂の林といふ所に住んだ
 大師のおわします御あたりの山
撰集抄Wikipediaによれば、建長2年(1250年)頃か、少なくとも弘安10年(1287年)頃までに成立

安田孝子著によれば、「早いものでは慶安3年(1650)から出ている。」
(松平文庫本)(過にし仁安のころ)みを坂の社と云所にすんだ
 多度郡に形の如くのいほり(「山里にうき世」の歌を詠む)
(寿永2年睦月の下弦の月)善通寺方丈のいほにして
撰集抄(宮内庁書陵部本)(過にし仁安の比)みを坂の林といふ所にすんだ
 多度郡に形の如く庵(「山里にうき世」の歌を詠む)
(寿永2年睦月の下弦の月)善通寺の方丈の庵にして
撰集(嵯峨本) たどの郡にかたのごとくの庵り(「山里にうき世」の歌を詠む)
(寿永2年睦月の下弦の月)善通寺の方丈の庵にして
撰集抄(廣本)(仁安の比)みを坂の林といふ所に暫く住み
 多度の郡にかたの如くの庵を結びて
(寿永2年睦月の下弦の月)善通寺の方丈の庵にして


大半が「善通寺に庵を結んだ」となっているのだが、各本の成立時期はどうなのか?

山家心中集の成立について」によれば、
  山家集 → 心中集(伝自筆本) → 西行上人集
と抜粋書写されてきたらしい。(しかも、「西行上人集」は西行の所為ではない、とされている。)

撰集抄は仮託の書だそうだから、ほとんどすべて創作(フィクション)であろう。

また、書名が「西行○○」となっているものは、さすがに後世の人が書いたものであろう。
とすると、大元の本は「山家集」であって、その次が「山家心中集」であろうか。あとは後世の人が再編集し写本したものであろう。
「山家集」の内容がもっとも西行の自記に近いものと考えられる。
それでも「大師のおわしますあたり」が「善通寺」となっているものがたくさんあるのだが、「五岳山善通寺」というぐらいだから、西行から見れば五岳山も善通寺の内とみていたのではあるまいか。高野山に庵住していた西行にとってみれば、高野山の広さぐらいを1つの寺域と認識するだろうから、善通寺・曼荼羅寺・出釈迦寺・禅定寺の全体を「大師のおわす御あたり」と感じたとしても不自然でない。「善通寺」は「誕生院善通寺」のことではなく、総称としての「善通寺群」であろう。そう解釈すれば「善通寺の山」も曼荼羅寺・出釈迦寺あたりの山と理解できる。

善通寺・曼荼羅寺・出釈迦寺・奥の院禅定を含む領域の地図


上と同じ縮尺の高野山の領域地図(この中に上記善通寺・吉原の領域がすっぽり入る)


高野山案内図(参考まで)






西行庵 正面  内部  江戸時代の記録  歌碑  山家集  生木大明神  滞在期間

善通寺  曼荼羅寺  出釈迦寺  禅定寺  人面石  鷺井神社  東西神社
我拝師山  天霧山  七人同志  片山権左衛門  乳薬師  月照上人  牛穴  蛇石
トップページへ